贖罪の救世主

水野アヤト

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第四十八話 鴉の名

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 キーファードに向かって進軍した王国軍に対し、迎撃のため町から出撃したジエーデル軍は、防衛線を敷いて王国軍を迎え撃った。
 兵力の差は圧倒的に王国軍が勝っており、五万の王国軍に対して、キーファードに集結したジエーデル側の兵力は、約一万五千人にまで減少していた。三万もいたジエーデル軍は、ここまでの戦いで半数近くの兵を失っていたのである。

 各地で敗走したジエーデル軍は損害を出すだけでなく、撤退の最中に多くの脱走兵を出していた。想定より早い王国軍による反撃で、士気を低下させた多くの兵が敗北を悟り、撤退の混乱に紛れて逃げ出していたのである。
 これによってジエーデル軍は、想定を下回る自軍の戦力で、王国軍の攻撃を死守しなくてはならなくなった。この好機をグローブスが見逃すはずはなく、総力を持って防衛線の突破に乗り出したのである。
 迎撃に出撃したジエーデル軍は約一万。残りの五千はキーファードに留まり、町の防衛を行なっている。町に残った戦力は、敵の攻撃に備えた市街戦の準備を進めていると、王国軍側に情報がもたらされている。出撃した一万の戦力は、時間稼ぎのために展開している事が予想された。
 
 これらの情報と予測を基に、グローブスは軍を二つに分けて攻撃を始めた。
 まず、グローブス率いる三万の本隊が、出撃したジエーデル軍と戦闘を開始した。この本隊には、切り札である勇者達も残っている。残る二万の戦力は別動隊となり、迂回してキーファードを目指していた。
 五万の戦力で敵の迎撃戦力を撃破できたとしても、時間稼ぎを終えて撤退する残存戦力は町に戻り、戦力を結集して市街戦の構えに入るだろう。決死の覚悟で防衛に臨むジエーデル軍側は、大兵力を活かしずらい市街地戦に苦しむであろう王国軍に対して、猛烈な抵抗を行なう事が予想できた。
 そうなると敵の思う壺であるため、グローブスは敢えて戦力を分け、町の防衛態勢が整う前に別動隊で強襲しようと計画した。上手くいけば、町に残った戦力を早期に撃破し、迎撃に出た敵戦力を挟み撃ちにする事もできる。残存戦力を援軍と合流させないためにも、この作戦を駆使して敵戦力を殲滅しなくてはならないのだ。

 王国軍本隊は別動隊の動きを悟らせないないための、言わば陽動的存在でもある。ジエーデル軍に気付かれないよう、グローブスは攻撃部隊に絶え間ない突撃を命じた。苛烈な攻撃を加え続ける事によって陽動の役割を果たし、早期決着を目指して敵軍を撃破するためである。
 三倍の兵力差がある中でも、ジエーデル軍は王国軍の猛攻に耐え続けた。王国軍側の士気は高いが、戦争慣れしたジエーデル軍の防御は、そう簡単に崩せるものではなかった。早期による決着は難しいと思われたが、多少の犠牲に躊躇しないグローブスは、勝利のために兵を前進させ続ける。
 激しい戦いは三日続き、決着が付かぬまま四日目を迎えた。そして今日、戦局は大きく動き始めるのだった。









 ホーリスローネ王国軍本隊の中央で指揮を執るグローブスは、未だ突破できぬ敵の防衛線に苛立ちを募らせていた。
 今日で四日。予想以上の敵軍の奮闘によって、防衛線に綻びすら作る事ができず、損害ばかりが増えるだけで四日目を迎えてしまったのである。敵軍を撃破するため、グローブスは損害を覚悟した突撃を命じ続け、敵兵に矢と魔法攻撃の雨を降らせ続けた。苛烈な攻撃を加え続けたにもかかわらず、敵軍の防衛線は健在だった。
 流石は戦争に長けたジエーデル軍と、多くの将や兵は敵の精強さに舌を巻く程だ。しかし、総大将を務めるグローブスからすれば、相手の強さは面白くないものである。相手が強ければ強い程、自分の思惑通り事が運ばないからだ。

 予定通りなら、キーファードを目指した別動隊が町に到着し、強襲を開始する頃である。別動隊が町の防衛を行なっている敵戦力の撃破に成功すれば、本隊が戦闘中の敵軍を挟み撃ちにする事ができる。別動隊の攻撃成功は即ち、王国軍の勝利を決定付ける事を意味していた。
 作戦が成功すれば、全てグローブスの思惑通りに事が運ぶ。それでもこの男が苛立っているのは、キーファード攻略に時間が掛かる事を恐れているからだ。時間が経てば経つ程、危険な名将がこの地に再び戻って来るからである。

「残りの魔法兵はどうした?」
「既に前線で攻撃を始めております」
「全魔法兵部隊を投入しても突破できぬとはな。前線部隊は何をやっている」

 苛立つグローブスの言葉に配下の一人が答えるが、その機嫌は悪くなるばかりだった。勇者達を除く、王国軍本隊の主戦力は全て投入している。魔法兵だけでなく、騎兵や弩兵を駆使しても尚、突破にはまだ時間が掛かる事が予想された。
 勿論、三倍の兵力差を活かして連日攻撃を加えているだけあり、敵軍も少しずつだが確実に消耗している。防衛線の突破は時間の問題だが、名将の登場を恐れるグローブスは、焦るあまり冷静さを欠き始めていた。

(こうなれば、勇者共の力も使わざる負えまいな⋯⋯⋯)

 勇者の力に頼りたくはなかったが、戦争に負けてしまったら元も子もない。例えば、聖剣の勇者が持つ大技を一発だけ放ち、敵の防衛線に穴を開けるだけでもいいのである。こうなれば、少々勇者の力を使うのも仕方ないと考え、グローブスの目が配下の将を見回した。
 前線への投入に備え、後方に置いている勇者達の指揮を、配下の誰に任せようか考えているのだ。正直誰でも良かったのだが、グローブスの考えを察し、我先にと前に出る者が現れた。

「閣下。御用命があらば、何なりとお申し付け下さい」

 誰よりも先に声を上げたのはマットだった。他の者達はグローブスの怒りに触れるのを恐れ、誰も口を開かずにいた。マット以外は皆、グローブスの前では口は禍の元であると身に染みているからだ。

「よかろう。貴様には勇者一向の指揮を命じる」
「では閣下、前線に勇者の投入を?」
「飽くまで備えだ。連合から預かった大切な勇者に傷を付けるわけにはいかん」
「畏まりました。勇者指揮の大任、この私にお任せ下さい」

 少々大袈裟な物言いだが、グローブスに取り入ろうと必死なのか、マットはやる気を溢れさせた様子で命令を受け、すぐさま勇者達のもとへと向かっていった。
 これでもし、今日中に何らかの戦果を得られなければ、勇者戦力の投入を行なってでも勝利を得る。苛立ち焦るグローブスは己の計画を妥協し、切り札に頼ってでも時間を優先した。
 それに、万を超える大軍を率いているとはいっても、ここで損害を拡大させるわけにはいかない。名将との決戦を前にして、これ以上戦力は低下させられないのである。
 
 キーファード攻略を達成した後は、来るべき決戦の前に補給を済ませ、本国へ増援を要請する計画である。万全の戦力を整え、キーファードを最終防衛線とした形で敵を迎え撃つ。相手が名将と精強なジエーデル兵であっても、これなら勝算は十分である。
 この勝算を失わないためにも、今が勝負時だ。勝利を求めるグローブスが、勇者投入を視野に入れた総攻撃を命令しようとした瞬間、戦況は動いた。急いで駆け込んできた伝令の兵士が、グローブス達の前で片膝を地面に付き、興奮を抑えられない様子で報告を行なった。

「ほっ、報告!! 我が軍右翼が、敵の陣形を切り崩しました!」

 この報に将や兵士達が歓声上げた。攻撃開始から四日、ようやく敵の防備に亀裂を生み出せたのだ。
 流れが王国軍に向いたと考え、報告を聞いて誰よりも歓喜したグローブスは、早速配下の将全員に命令を発した。

「好機だぞ! 全軍、総攻撃を開始せよ!」

 防衛線突破の機会は、今を置いて他にない。総攻撃を全軍に命じたグローブスに従い、将も兵も直ちに行動を開始する。
 やっとの好機に歓喜したグローブスは、怒りを忘れて機嫌を取り戻し、心の余裕を取り戻していた。慌ただしくなった配下の将と兵を眺めながら、落ち着いた頭で彼らをどうするか思考する。

(これなら兵だけで勝てよう。勇者共は使わずに済みそうだ)

 つい今しがたマットに勇者の指揮を任せたが、戦況の変化によって考えを改めた。待っていた好機を活かし、再び勇者を使わず勝利を得ようと考えたのだ。
 
「後方の部隊と勇者一向は残す。他の戦力は全て前線に投入するのだ。我も兵に続き、前線で指揮を執る」

 普段のグローブスならば、自身の身の安全を考え、常に後方に腰を下ろして指揮を行なう。それが今回は、全軍の中央で指揮を執るだけでなく、最前線に近付いて直接指揮を執ろうというのだ。
 兵の戦意高揚を狙ったのもあるが、これもまた自身を英雄とするために必要不可欠な、言わばパフォーマンスなのだ。戦いを勝利に導いた英雄が、後方で怯えて指揮を執っていたなどと、愚かな民達に言わせないためである。
 後は総攻撃を行なって敵を蹴散らして進む、容易く勝てる戦い。身の危険が少ない状況であると判断したからこそ、意を決してグローブスは前線で指揮を執ると決めたのだ。
 
 そして間もなく、王国軍本隊による総攻撃が始まった。
 防衛線が崩れたジエーデル軍は、これ以上の防衛は不可能と判断し、前線からの後退を始めたのである。ただ、その後退は余りにも切り替えが早い、迅速かつ落ち着いた後退であった⋯⋯⋯。
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