贖罪の救世主

水野アヤト

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第47.5話 たとえばヴァスティナ帝国の軍の将軍が駄犬と罵られて殴られるような物語

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「メシアさんって⋯⋯⋯、とても綺麗ですね⋯⋯⋯⋯」

 ヴァスティナ城内の王族専用の浴室に、ユリーシアとメシアの姿はあった。
 お互い一糸纏わぬ姿で、湯船に浸かる前に二人は石鹸で身体を洗っている。その最中、お礼の意味を込めてメシアの背中を洗うユリーシアが、彼女の身体を見て感動していた。

「まるで女神様みたい。実はメシアさんって、どこかの名家のお嬢様だったとか?」

 すらりと高い背の、きめ細かい素肌を持つ褐色の裸体。身体は細いが、盗賊を一瞬で蹴散らす強さを持つだけあり、肉付きはしっかりとしている。それでいて胸は大きいが、身体のバランスを崩さない整った形と張り保っている。
 おまけに顔も気品があり、彼女の大きな特徴である銀髪も美しい。その銀色の髪は、よく磨かれて光沢を放つ騎士甲冑の様だ。
 ユリーシアが彼女を名家の女と思うのも無理はないだろう。宝石などと例えるのではとても足りない。ユリーシアの目の前に存在するのは、まさに天より現れた神話の女神そのものだった。

「⋯⋯⋯私がそんな風に見えるか?」
「見えます。と言っても、名家のお嬢様は三日も身体を洗わなくて平気じゃないでしょうが」

 このお風呂もまた、ユリーシアの感謝の気持ちというわけである。きっかけは、ユリーシアとのお茶会でメシアが、三日ほど風呂はおろか、水で身体を洗っていないという話をした事だ。
 旅の道中で良い水場が見つからず、身体を洗えず今日で三日という話を聞いたユリーシアが、ならばお礼にお風呂をと誘ったのである。メシア自身は、別に洗わなくても平気だと言っていたのだが、「汚いままではせっかくの美人が台無しです!」とユリーシアに怒られ、渋々連れて来られたのだ。

「本当に、どういう生活をしたらこんなに綺麗になれるんですか? 胸も大きくて羨ましいです」
「⋯⋯⋯!」

 メシアの背中を流していたユリーシアが、後ろから彼女の両胸を突然鷲掴み、容赦なく揉んでみた。ユリーシアの手に収まりきらない、二つの柔らかな感触。突然のユリーシアの行動に少し驚いたメシアだが、直ぐに冷静さを取り戻して、首だけ彼女の方に振り返る。
 首だけ向いたメシアの瞳に映るのは、背も胸も小さな幼い身体だった。浴場の蒸気で、色白いユリーシアの肌が少し朱に染まっている。幼いながら、その姿には確かな色気があった。

「⋯⋯⋯今のままでも十分だろう」
「はい?」
「⋯⋯⋯何でもない」

 自分だって美しい乙女ではないかと、そう言いそうになって誤魔化した。こんな事を言うのはらしくないと思い、首を傾げるユリーシアからメシアは視線を移す。
 胸を鷲掴みにしているユリーシアの手が気になり、メシアは自分の胸元に視線を向ける。未だ感触を堪能中だった彼女の手を胸から剥がすと、身体を洗った石鹸の泡を流すために、メシアは湯船へと向かっていく。
 
「残念です。もうちょっとだけ楽しんでいたかったのに」
「人の胸で遊ぶな」

 名残惜しそうに手で空気を揉んで見せるユリーシアを無視し、風呂桶で湯船から湯をすくったメシアが、身体に湯をかけて泡を流していく。

「大体、他人の胸など揉んで何が楽しい?」
「こんな大きい胸なんて、滅多に触れるものではないですから。触っておかないと損です」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「それだけメシアさんが魅力的ということです。もしも私が男の子だったら、今よりもっと興奮してしまうんでしょうね。欲望のまま、理性を失って飛びついてしまうくらいに」

 意味が分からないと言いたげなメシアが、自分の身体の泡を流し終えた。そしてまた風呂桶で湯をすくい、手招きしてユリーシアを呼ぶ。傍によって来た彼女の小さな身体も、さっきまでのメシア同様に泡だらけだった。

「将来、メシアさんを好きになる男の人が現れたら、その時きっとわかると思いますよ」

 悪戯っぽく、可愛らしい小悪魔の笑みを浮かべたユリーシア。
 やはり理解できないと思いながら、メシアは彼女の身体にゆっくりと湯をかけていくのだった。









 城内の浴場で身体を洗い、ユリーシアと二人で湯船に浸かり、王族気分を味わったメシアはその後、夕食まで御馳走になる事になった。
 「命の恩人なのですから、今日は我が城にお泊り下さい」と、そう言ってユリーシアは半ば強制的にメシアを夕食に招き、出来る限りのもてなしをした。因みに何故強制的だったかと言えば、メシア本人が礼なら十分過ぎる程受けたと言って、ユリーシアの提案を受けようとしなかったからだ。
 あの手この手を使い、何とかユリーシアはメシアを夕食に招く事が出来たのである。ただ二つ予想外だったのは、メシアがとんでもない大食いだった事と、夕食に出された酒に口を付け、「酒は初めて飲む」と言いつつ酒の味を気に入り、マストールの分も残しておかなければならなかった高級ワイン「シュタインベルガー」を全部飲んでしまった事だ。

 夕食も済ませ、寝間着も用意され、客間に通されたメシアはそこで暫くくつろいだ。対してユリーシアは、遅くまで女王としての執務を行ない、仕事を片付けてから客間にいるメシアを迎えに来た。
 ユリーシアが来る頃には、夜も大分遅い時間だった。寝室に案内すると言った彼女に従い、メシアは客間を後にする。寝るなら客間でもいいと言いかけたが、また彼女に怒られそうだと思って自重した結果、寝室に到着したメシアは「客間で寝ればよかった」と後悔するのだった。

「ふふふふっ⋯⋯⋯。誰かと一緒に寝るなんて久しぶりです」
「⋯⋯⋯⋯⋯」

 案内された部屋は、女王ユリーシアの寝室だった。
 明かりを消した寝室のベッドには、寝間着に着替えたユリーシアとメシアの姿がある。二人は身体に毛布を掛け、向かい合ってベッドに寝ている状態だ。メシアに対して完全に無警戒なユリーシアは、柔らかい羽毛の枕に頭を置いて、微笑を浮かべて彼女を見つめていた。
 
「よかったのか?」
「はい?」
「命を助けたとは言っても、素性も知らぬ相手にここまで心を許していることだ」

 確かにメシアは、ユリーシアの危機を救った命の恩人である。しかし、二人は今日初めて出会ったばかりで、お互いを多く知っているわけではない。
 ましてユリーシアは、小国とはいえ一国を治める支配者だ。例えばの話、メシアがわざと盗賊にユリーシアを襲わせ、そこへ助けに入って彼女の信用を勝ち取り、彼女を脅かすのが目的か、もしくはヴァスティナ帝国の情報を得ようとしている存在だったとする。もしメシアがこのような存在であったなら、まんまと策に嵌ってしまったと言えるだろう。
 マストールが出会い頭にメシアを警戒したのも、こういう可能性を考えての事だった。たがユリーシアは、マストールの考えを理解していないのか、メシアをお茶や風呂や食事にまで誘い、最終的には一緒のベッドで寝るところまできてしまった。
 あまりの無警戒ぶりに、メシアの方から聞いてしまう程だ。それなのにユリーシアは、不安や恐れを一切感じさせない、安心した表情を浮かべていた。

「メシアさんは、決して悪い人じゃありませんから」
「⋯⋯⋯何の根拠があってそう言える」
「だってメシアさん、怪しいことができるような器用な人に見えないです」

 心外だと言わんばかりに目を細めたメシアだが、意地悪っぽく笑みを浮かべて揶揄うユリーシアを見て、内心確かにその通りだと納得した。
 もし自分が器用なら、今彼女とこうして同じベッドで寝てはいなかった。あの時、盗賊に襲われている彼女を助けなければ。面倒事は御免だと、あのまま見殺しにする事だってできた。
 それが出来なかったのは、自分の心がそれを許さなかったからだ。救える命を簡単に見殺しに出来る程、自分は器用な人間ではない。その不器用さを、勘の良いユリーシアに見抜かれている。だから彼女は、メシアに対してここまで気を許し、まるで親友か家族にでも懐く様に接している。

「⋯⋯⋯私も、誰かと共に眠るのは久しぶりだ」
「⋯⋯⋯!」

 毛布の中からゆっくりと腕を伸ばしたメシアが、手の甲でユリーシアの頬を優しく撫でる。初めは驚いたユリーシアだが、頬を撫でるその手に身を任せ、嬉しそうに微笑する。

「弟が生きてい頃は、よくこうして寝かし付けた」
「⋯⋯⋯弟様のお名前はなんと言うのですか?」
「リックだ⋯⋯⋯⋯」

 彼女の事を知ろうとして、弟の名を尋ねたユリーシア。弟の名を口にした瞬間、メシアの顔に寂しさと切なさが浮かぶ。
 胸が痛む。その名を口にすると、どうして胸の奥が苦しく痛むのか、自分でもわかっていない。そんなメシアの心を察してか、ユリーシアは彼女のもとに身を寄せて、自分の胸で彼女を抱擁した。
 華奢で細い腕をメシアの頭にまわし、その小さな体で優しく抱いて、ユリーシアは彼女の悲しみに寄り添う。

「大丈夫。大丈夫だから⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯慰めはいらない」
「貴女のためじゃなく、私がこうしたいんです」

 勝手にやっているだけだとユリーシアは言う。口ではそう言っても、他人の苦しみや悲しみにさえも胸を痛める彼女は、本当に優しい子だ。
 自分よりも十は歳が離れているだろう少女に抱かれ、メシアは今までに感じた事のない安心感を覚える。彼女の柔らかな肌の感触。伝わる温もり。小さな息遣いと、ゆっくりと脈打つ心臓の鼓動。そして、甘く優しい彼女の匂いは、まるで花のような香りだ。
 ユリーシアの全てが、メシアの心と体を優しく包み込んでいく。さっきまで心を苦しめていた悲しみは、嘘のように消えていった。

「ずっとここにいたい⋯⋯⋯⋯」

 それはメシアの、無意識に声に出してしまった言葉だった。
 当てのない、空虚となった心を胸に生きる孤独な旅。この国でさえ、明日には発とうと考えていた。それなのに今は、ユリーシアの傍を離れたくないと思っている。
 
「私は構いません。貴女の好きにすればいい」
「⋯⋯⋯⋯」
「ですが、貴女がまた旅を再開すると言うなら、命を助けて頂いたお礼に渡したいものがあります」
「なんだそれは⋯⋯⋯⋯?」
「ふふっ⋯⋯⋯、それは明日になってからのお楽しみです。おやすみなさい、メシアさん」

 そう言うとユリーシアはメシアの頭を軽く撫で、暫くすると、彼女を抱擁したまま小さな寝息を立て始めた。余程疲れていたのか、彼女が眠りにつくのは数分と掛からなかった。
 
「おやすみなさい、か⋯⋯⋯⋯」

 その言葉を言われたのは、いつ以来だろう。まだ弟が生きていた頃だったかもしれない。
 独り、蘇った思い出に懐かしさを覚えながら、ユリーシアに抱かれたメシアもまた、彼女の胸の中で静かに眠りについていった。









 翌日。
 起きて朝食を済ませた二人は、女王護衛の騎士を連れて城を後にした。ユリーシアに案内されるがまま、メシアが辿り着いた先は、ヴァスティナ帝国騎士団が管理している馬小屋だった。
 そこは、騎士団が使用している馬が飼育され、乗馬訓練も行われている場所である。立ち並ぶ馬小屋には、立派に成長した馬が並んでいて、どれもよく走りそうだった。

「いい馬だ。しっかり言う事も聞いている」

 案内された馬小屋を見回して、感嘆の声をメシアが漏らす。彼女が見たどの馬も、強靭な身体をした軍馬として鍛えられ、主人である騎士達に逆らう事なく、皆大人しくしている。

「この馬達はみんな良い子なんですが、実は一頭だけ手の付けられない馬がいまして⋯⋯⋯⋯」

 騎士団の馬に感心していたメシアに、ユリーシアが困り果てた表情で打ち明ける。すると護衛の騎士達も、ユリーシアの言葉に反応し、「あの馬のことか」と溜め息を吐いてしまっていた。
 ユリーシアに連れられたメシアは、騎士団の馬小屋を案内されながら更に進んでいく。そうして到着したのは、他の馬よりも大きく、身体付きや毛並みも立派な、怪物と呼べる巨大馬の前だった。

「この馬は?」
「さっきお話しした、誰も手の付けられない馬です。とても速い馬だそうですが、今まで誰も乗りこなせたことはありません」

 二人の前に立つ巨大馬は、鼻息を荒くして鳴き声を上げ始め、自分の目の前に立つ人間達を威嚇する。この馬の威嚇は、動物特有の恐れや怯えなどは一切感じさせない。間違いなくこの馬は、人間に対して喧嘩上等の構えを見せていた。
 
「何故ここへ連れてきた?」
「もし乗りこなせるなら、この馬をお礼に差し上げたいと思いまして」

 ユリーシアに悪意はない。厄介な馬を押し付けようとしているのではなく、ただ純粋に、メシアの強さに相応しい、強く速い馬をお礼に渡したい思っただけなのである。
 だが当の馬の方は、人間を嫌っているのか非常に不機嫌で、益々鼻息を荒くしていた。世話をしている騎士達が数人で宥めようとするが、やはり全く言う事を聞かない。

「⋯⋯⋯やっぱり、誰にも懐きそうにありませんね。メシアさん、他の馬を―――――」

 諦めたユリーシアが顔を逸らした瞬間、巨大馬が高らかな鳴き声と共に前を足を振り上げる。天へと向かって振り上げられた足が狙う標的は、隙を見せてしまったユリーシアだった。
 悲鳴を上げる暇もなく、ユリーシア目掛けて巨大馬の前足が振り下ろされる。彼女の小さな体が踏み潰されると、最悪の状況に誰もが悲鳴を上げた、その刹那。

「ふんっ!」

 振り下ろされた二本の足を、たった一人の女性が両手で受け止めた。危うく潰される寸前だった彼女を助けたのは、勿論メシアだった。
 
「いい攻撃だ」

 馬一頭の、それも常識外れの大きな馬が放つ、体重を乗せた前足の一撃。メシアはそれを容易く受け止める事が出来たが、常人には到底不可能である。
 一般的な軍馬の一撃さえ、人間一人で受け止められるはずがない。ましてこの馬は、人間よりもずっと大きく、人間一人を踏み潰して殺す事が可能な力と重さを持つ。常人が彼女の様に受け止めようとすれば、まず間違いなく踏み殺されてしまうだろう。
 これを顔色一つ変えず、平然とやってのけてしまったメシアは、明らかに普通ではない。馬の前足を掴んで受け止めた彼女は、馬が暴れる前に力を込めて引っ張り上げ、力に任せて一気に持ち上げる。馬の後ろ足が地面を離れ、メシアの力に勝てず全身が宙へと浮かぶ。
 次の瞬間、メシアは力技で馬の身体を振り上げ、自分達から離れた地面目掛けて投げ飛ばした。宙を舞った巨大馬の身体は、重力に逆らえず、驚愕の鳴き声と共に地面に叩き付けられる。馬が地面に投げ付けられた瞬間、鈍く重い轟音が鳴り響き、軽い地響きが起きた。
 轟音と地響きまで起こす程の、例えるな巨大な岩石が落ちてきたようなものである。つまり彼女は、常人には持ち上げられない巨大な物体を、一人で持ち上げて投げ飛ばしたという事だ。

「すっ、凄い⋯⋯⋯⋯」

 あまりの驚くべき光景に、ユリーシアはこれ以上言葉が出てこなかった。一部始終を見ていた周囲の者達も同様で、驚愕の視線がメシア一人に集まっている。
 しかし彼女は、驚いている周囲の視線など気にも留めず、地面に倒れた巨大馬に向かって歩を進めていった。倒れた馬の目の前で立ち止まったメシアと、驚きのあまり瞬きを繰り返している馬との目が合った。

「立て」

 馬の前で仁王立ちしたメシアが、ただ一言命令する。表情はやはり変わらなかったが、馬を投げ飛ばして見せる前とでは違う、見る者を震え上がらせる威圧感を放っていた。
 帝国最強のこの馬ですら、眼前に立つ絶対強者の前に震え、さっきまでの怒りを忘れて恐怖する。命令に従わなければ殺されると、本能で悟った馬はすぐさま立ち上がって、メシアに対して頭を垂れた。
 まさにそれは、メシアへの屈服の証である。相手が服従したと判断した彼女は、威圧したまま馬へと触れ、自らの存在を馬へと教え込んでいく。逆らえぬ馬はその場で微動だにせず、彼女へと服従の意を示した。

「これからは私に従え。いいな?」

 高らかな鳴き声を上げてメシアに応えると、最初の暴れようが嘘のように、他の馬と変わらず巨大馬は大人しくなった。
 力で馬を服従させ、自分のものにしたメシアが、ユリーシア達のもとまで戻っていく。すると彼女の前にユリーシアが駆け寄ってきて、女王の立場も忘れ、興奮した様子で燥いだ。

「凄いですメシアさん! あんなにも大きな馬を投げ―――――」

 瞬間、ユリーシアの頬に衝撃が奔り、体制を崩した彼女の体が地面に倒れてしまう。地に倒れたユリーシアが、何事か分からないまま、衝撃を受けた自身の頬に触れる。赤くなった頬から痛みを感じ、彼女は何が起こったのかを理解した。
 体を起こしたユリーシアの前には、鋭い目付きで彼女を見下ろすメシアが立っている。突然自分の頬を打った本人が、助け起こそうともせずその場で口を開く。

「暴れ馬の前で隙など見せるな。死にたいのか」
「⋯⋯⋯⋯!」
「私がいなければ無事では済まなかった。お前はもっと自分の命の重さを知れ」

 声を荒げたりはしなかったが、メシアからの怒りをユリーシアは感じていた。
 周囲の騎士達が慌てて駆け寄ろうとするが、ユリーシアはそれを片手を上げて制し、自らの足で立ち上がった。

「メシアさん、申し訳ありませんでした。全て貴女の仰る通りです」

 深々と頭を下げたユリーシアは、十分反省していた。
 メシアが言う通り、動物の目の前で隙を見せる事の愚かさを、彼女はまだ知らなかった。今それを身を持って理解し、もう少しで殺されるところだった事も、よく分かった。
 しかし、一国の女王たる者が、幾ら間違いを犯したとしても、簡単に頭を下げてはならない。勿論それは、ユリーシアも承知している。それでも彼女が頭を下げて反省を表すのは、またも命を救って貰った事への深い感謝と、女王に手を上げてしまったメシアを助けるためだ。

「⋯⋯⋯⋯次も助けられるとは限らない。気を付けろ」
「はい!」

 打たれて説教までされたにもかかわらず、一人微笑むユリーシア。微笑む彼女の赤く腫れた頬を見たメシアは、少し目を伏せた後、彼女から目を逸らして周囲の騎士達を見回した。
 メシアと目が合った騎士達は、次々に彼女から顔を逸らして逃げる。武装した騎士すら簡単に殺せるあの怪物の如し巨大馬を、力で捻じ伏せ従わせた彼女の方が、よっぽど怪物だった。一部始終を見ていた者達は皆、メシアが恐怖の象徴になってしまったのである。
 そうなると逃げてしまうのも無理はない話だが、メシアはそんな騎士達を一人も逃がすつもりはなかった。

「⋯⋯⋯⋯このままにしてはおけない」
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