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第四十七話 その花の名は
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女王への挨拶を済ませたリックは、一人城を出て行って、ある場所を目指した。一人で出歩いた彼が目的の場所に到着する頃には、陽は西の空に沈み始め、夕焼けが空を赤く照らし始めていた。
リックの手には、城の中庭で摘んだ花束が握られている。花束と一緒に彼が訪れたのは、多くの英霊達が眠る墓地だった。沢山の墓標が並ぶ、色鮮やかな花々が咲き誇るこの墓地には、ヴァスティナ帝国誕生以来の英霊の名が刻まれている。
墓地の墓標には、かつてリックと共に戦い、戦場で散っていた者達の名も存在する。彼らの為にもこの地を訪れてもいるが、この墓地は彼にとって、最愛の者達が眠る地でもあった。
歩を進めていたリックが、二つの墓標の前で立ち止まる。墓標の前で膝をつき、手に持っていた花束をその場に置く。膝をついたまま墓標に刻まれた名を見て、リックの顔に微笑みが浮かんだ。
「ただいま、メシア」
片方の墓標には、彼が愛してやまなかった女性の名が刻まれている。強く気高く美しく、そして優しかった、忠実な帝国騎士だった美女。
彼が愛したその女性の名は、メシア。救世主の名を持った、最愛の女性だった。
「⋯⋯⋯今回も、みんな無事に帰って来れたよ。俺はちょっとばかり怪我しちゃったけど、心配しなくていい」
メシアの名が刻まれた墓標に語りかけるリックは、心配かけまいと平気そうに笑って見せる。もし彼女が生きていたなら、きっと心配するからだ。大怪我をしたなんて知られたら、またいつもの様に怒られるに違いない。
そしてリックは、傍に立つもう一つの墓標に視線を向ける。
本来ならば、その墓標に名を刻まれた少女は、王族用の墓地にて眠る存在だった。だが彼女は、自分が死んだ時は、美しい花々に囲まれたこの地で眠りたいと、遺言に書き残していたのである。
大好きだった花々に囲まれ、帝国の為にその身を捧げた者達と共に眠りたい。そう残した彼女の望みを叶え、リック達は彼女をこの地に葬った。一人ではない彼女は、愛する者達と共に、美しく咲く花々に抱かれて、安らかに眠り続けている。
白百合の様に美しく儚い、一凛の花。愛していた花達に囲まれて眠る、その花の名は⋯⋯⋯⋯。
「ただいま、ユリーシア⋯⋯⋯⋯」
ヴァスティナ帝国前女王ユリーシア・ヴァスティナ。
リックが必ず守ると、救うと誓って、失われてしまったアンジェリカの姉。リックにとっては愛する少女、アンジェリカにとっては最後の家族だった彼女は、この国を見守りながら静かに眠っている。
墓標の前でユリーシアと再会したリックは、置いた花束の花びらにそっと触れる。生前の彼女のように、美しい花々を愛でながら、深くゆっくりと息を吐く。彼女の前では、温もりに抱かれる安心を感じる。心を落ち着かせたリックは、彼女との思い出を脳裏に蘇らせていた。
「だいぶ寒くなってきたのに、城の花はこんなにも綺麗に咲いてた。あの花壇で咲いている花を見ると、君と過ごした日々を思い出す⋯⋯⋯」
初めてこの世界で出会い、彼女を守ると誓い、大切な約束を交わして、辛く苦しく悲しくても、幸せだと想える日々を過ごした。今もこうして自分があるのも、最初に彼女がいてくれたからだ。
本当は彼女が生きている間に、二人で交わしたあの約束を叶えたかった。二人だけの秘密の約束は、まだ叶えられずにいる。ただ、彼女が生きていた頃に比べ、今は強大な力を手にするまでに至った。亡き彼女との約束を果たす時は近い。
「約束⋯⋯、まだ叶えられなくてごめん。でもやっと、大陸の統一を成し遂げられる力は手に入った。だから安心して待っていてくれ」
きっと彼女は笑ってはいない。自らの罪を憂い、悲しみに暮れた顔を浮かべているだろう。
ローミリア大陸全土を武力によって統一する。どんな理由であれ、許されざる罪を犯す所業となる。統一の為に流れ出る血の量は、計り知れないものになってしまう。それでも尚、あの心優しい女王は、大陸全土の統一を望み、リックへと託した。
生前の彼女はずっと、この願いをリックに託し、一人苦悩し続けていた。彼に大罪を背負わせ、その手を血で染め上げさせるなど、本当はさせたくなかったからだ。
「⋯⋯⋯俺のことは気にしなくていい。この道を選んだのは俺の意思なんだから、君が悔やむ必要なんてない」
あの美しく儚い少女には、悲しむ顔より微笑みがよく似合う。
本当は彼女に涙を浮かべさせたくはない。彼女がまた微笑みを浮かべてくれるのは、交わした約束を果たしたその時だと、リックはそう信じて戦い続けている。
「やっぱり駄目だ⋯⋯⋯。ここに来たら、ユリーシアとメシアが笑えるような面白い話を沢山聞かせようと思ってたのに、こうやって二人を前にしたら、言葉が出てこなくなる⋯⋯⋯⋯」
今度はリックが彼女達の前で、悲しく、そして寂しい顔を見せる。俯いた彼の瞳に映ったのは、墓標の前に自らが置いた花束である。美しく綺麗に咲いたこの花々も、やがて枯れゆく運命にある。自分の手から零れ落ちてしまった、守りたかった彼女達の様に⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯相変わらずさ、こんな情けなくて弱い男だけど、どうか信じて欲しい。愛してるよ、メシア、ユリーシア」
愛する者達の名を口に出したリックは、深い悲しみと寂しさを思い出していたが、涙は流さなかった。
何故なら、彼の涙はアンジェリカが女王に即位したあの日、自らが強く在るために枯れ果ててしまったのだから⋯⋯⋯。
夕焼け空の下、リックは愛する者達の墓標の前で佇んでいた。
メシアとユリーシア。最愛の二人のもとから離れられず、彼女達がまだ生きていた頃の記憶を呼び覚まし、一人苦しみ続ける。
そんな彼のもとに、酒瓶を片手に一人の男が現れる。男はリックの姿を見つけると、髭面の顔でにやりと笑って見せた。
「やっぱりここにいたんですかい、隊長」
「⋯⋯⋯⋯」
現れた男は、ヴァスティナ帝国国防軍の精鋭、鉄血部隊のヘルベルトだった。ヘルベルトはリックを見つけるも、彼のもとまでは向かわず、傍にある墓標の前で酒瓶の蓋を開けた。
ヘルベルトが向かい合う墓標には、共に戦った戦友の名が刻まれている。墓標の真上に酒瓶の口を持ってくると、彼は戦友の墓標に酒をかけ始めた。
「よう、ロベルト。地獄ってのはどんな居心地だ?」
戦友の名はロベルト。かつてはヘルベルトと同じ傭兵で、リック達と共に激戦を潜り抜けた仲間である。
ジエーデル国との戦いで戦死した彼は、敵の精鋭と死闘を繰り広げ、壮絶な死を遂げたという。リックもヘルベルトも、その最後を直接目撃できたわけではないが、彼の強さは良く知っている。きっと最後は、人生最後の戦いを楽しみ抜き、満足して戦死したに違いない。
そんなロベルトが、戦いの果てに地獄へ落ちたと彼は言う。自分達はそういう末路を迎える生き方をした、どうしようもない馬鹿者達だと、ヘルベルトは自覚しているからだ。
「退屈だってんなら、もうちょっと待ってな。どうせ俺達もそっちに行くからよ、そん時はまた一杯やろうぜ」
酒瓶の中身を半分以上墓標に注ぎ、残りは自分の口へと流し込む。強い酒を水でも飲むように一気に飲み干して、ヘルベルトはリックへと向き直った。
「嬢ちゃんと団長の墓参りですかい。隊長がどこにもいねぇって、城でうるさい連中が騒いでましたぜ」
「⋯⋯⋯そういうお前はロベルトの墓参りか。珍しいこともあるもんだ」
「偶には悪くないでしょうよ。野郎は昔馴染みだったんでね」
ロベルトは敵軍の偵察に出向き、その任務中の戦闘で命を落とした。偵察の任を与えたのはリックである。当時、ロベルト戦死の報を聞いたリックは、彼の死を誰よりも悲しみ、偵察に向かわせてしまった事を悔やんだ。
あれから時は経ったが、ロベルトの死に対して、今でもリックは責任を感じている。ロベルトと戦友だったヘルベルトには、恨まれても仕方ないとさえ思っていた。
「気にしないでくれよ隊長。あんたは最善を尽くしたはずだ」
「⋯⋯⋯!」
「俺もロベルトも戦争狂いの戦闘狂だ。戦場でならいつ死んだって構やしねぇ。野郎も俺も、隊長を恨んじゃいねぇよ」
戦友であったから、同じ種類の人間だったから、ヘルベルトにはよく分かっている。ロベルトはリックを決して恨んではいない。寧ろあの男は、最高の戦闘と死に場所をくれた事を、あの世で喜んでさえいるだろう。
ヘルベルトも同じだ。この先、ロベルトの様に自分が戦場で命を落としたとしても、リックを恨んだりはしない。最後は満足するまで戦闘を楽しみ、笑いながら派手に散ってやろうとも考えている。
「俺達はみんな隊長に感謝してる。敵をぶっ殺すためのイカレた玩具と、とんでもねぇ戦場を用意してくれんだから、楽しくて仕方ねぇよ」
「⋯⋯⋯でも俺は、そんな狂ってるお前達にも死んで欲しくない」
普段のリックなら、決してそんな言葉をヘルベルトに言いはしない。そんな想いを伝えてしまったら、帝国の戦争に必要な彼らを戦場に送り出せなくなる。大切な二人の事を思い出したせいか、いつもは隠すこの想いが口に出てしまう。
「⋯⋯⋯⋯ユリーシアの嬢ちゃんもよく言ってたっけな。あんた、阿保が付くくらい優しすぎんだよ」
やれやれと言わんばかりに頭をかいて、呆れたように溜息まで吐いたヘルベルトは、苦悩して俯くリックを見て、目を伏せて少し考える。三つ数えるほどで目を開いた彼は、リックから顔を背けて夕焼けを見つめ、瞳に映った光景を懐かしみながら口を開く。
「⋯⋯⋯隊長。戦闘以外の俺の特技、覚えてるか?」
「⋯⋯⋯拷問。それでユリーシアを殺した蛆貴族共を痛めつけた」
「話してなかったが、傭兵になったばっかりの頃によ、捕虜の拷問が俺の担当だった。選ばれた理由ってのは、面が狂暴だったからだとさ」
まだ若かった頃の自分を語り、過去を思い出したヘルベルトは苦笑する。俯いていたリックは、初めて自分の過去を明かすヘルベルトに驚き、夕日を見ながら苦笑いしている彼に向って顔を上げた。
「全員くたばっちまってるが、そん時の俺に拷問のやり方を教えた奴らがいてよ。技術を徹底的に仕込まれたおかげで、気が付きゃ得意分野だ」
「⋯⋯⋯⋯」
「顔がおっかねぇからってだけで拷問担当にさせられてよ、男も女も大勢痛めつけたもんだ。上手く情報を吐かせた時は楽しくもあった。何が言いてぇか分るよな?」
分かってしまったが、答えられない。口を紡ぐリックに呆れたヘルベルトは、変わらない彼の優しい心を理解しつつも、傷付けるのを承知で鉄血部隊の総意を口に出す。
「俺も部隊の連中も、どうしようもねぇ屑だ。死んだ方が世の中のためになるってくらいな。俺達がぶっ殺されても、隊長が落ち込むことはねぇよ」
「⋯⋯⋯⋯!」
「大体よ、俺達は使い捨ての消耗品だぜ? 隊長に付いてってからは不思議と誰も死んじゃいねぇが、本来俺達は死にたがりの大馬鹿だぞ。大切にしたってその内全員死ぬ」
これはヘルベルトの、そして彼が率いる部隊全員の総意だ。自分達は死にたがりの消耗品だと自覚し、いつ死んでもいいと思って今日を生きている。何故なら彼らは、碌な死に方など出来ない人生を送ってきているからだ。
だからこそ、死ぬのが早いか遅いかなど関係なく、己の思うまま生きて死にたい。その死を悲しむ者など必要ない。世の中の塵が消えたのだから、喜んでくれと言いたいくらいだ。
「ロベルトの奴も俺とおんなじさ。いつまでも引き摺ってっと、野郎が文句言いに化けて出るぜ」
「ヘルベルト⋯⋯⋯」
「情けねぇ声出すなよ。あんたは帝国軍の大将だろうが。ちっとは大将らしく下っ端を軽く使い捨てろよ」
「だけど⋯⋯⋯⋯」
「下の連中にまで気遣ってたらいい加減もたねぇって。あんたの悪い癖だ」
ヘルベルトもまた、レイナやクリスと同じく、リックとは長い付き合いになる。二人と同じくらい、リックの性格や弱点はよく知っているつもりだ。自分が認めた男の強さと弱さを知っているからこそ、偶には気を遣いもする。
この先、ヴァスティナ帝国はこれまで以上の大きな戦争に突入するだろう。いつどこで誰が死んでも、何ら不思議はない。誰かが死ぬ度に責任を感じていては、苦しみに切りがなくなる。仲間が命を落として悲しむのは、身近な愛する者達だけにしていいのだ。
人間は感情を持っているが、胸にあるその心は弱くて脆い。最初から心が強い人間など、一人だっていない。弱くて当たり前。だからこそ、耐えられない苦しみも辛さも悲しみからも、心が壊れる前に自らの意思で逃れるべきである。
自分達が枷になるなら、大切な存在の一人に数えるな。それが、自らを消耗品だと自称する、ヘルベルト達の意思だ。ヘルベルト達の意思を受け止めたリックは、ロベルト戦死の報を聞いた時、自分を殴りつけて目を覚まさせたメシアの言葉を思い出す。
あの時のメシアもまた、ヘルベルトと同じ事を言っていた。殴られた感触と、厳しくも優しい彼女の言葉が蘇り、自分があの頃とまるで変っていないのだと思い知る。まだまだ大人になり切れない、そんな自分の幼さを改めて認めたリックは、ヘルベルトに向かって笑みを零した。
「お前の言う通りか。いい加減にしないとその内メシアにも怒られそうだ」
「まあ、その甘ちゃんさが隊長のいいところでもあるがな」
「⋯⋯⋯ヘルベルト、お前減給」
「なんでだ!?」
「隊長を甘ちゃん呼ばわりした上官侮辱罪。まったく、これだからロリベルトは⋯⋯⋯」
「だーかーら!! 俺はロリコンじゃねぇ!」
毎度お決まりの流れの後に、我慢できずにリックは声を出して笑った。少し吹っ切れたのか、晴れやかな表情を取り戻して、再びメシアとユリーシアの墓標を見つめる。
「そろそろ行くよ。今度は面白い土産話を持ってくるから、楽しみにしててくれ」
名残惜しさを覚えつつも、まだまだやるべき事は山積みだ。愛する二人に別れを告げたリックは、二人の墓標から離れて城を目指す。その後に続くヘルベルトも、振り返らず戦友の墓標へと手を振って、リックと共に墓地を去ろうとする。
「ところでだ、ここに来たのは墓参りだけじゃないんだろ?」
「バレちまったか。帰還祝いの宴会をやるってシャランドラ達がうるさくってよ、隊長がどこにもねぇって騒ぎやがるから、どうせここだろうと思って探しに来たってわけですぜ」
「ここにいるってどうして分かった?」
「そりゃあ、戦争帰りの男が行く場所って言ったら、酒場か娼館か、或いは惚れた女のところって決まってんでしょ」
それを聞いたリックは目を丸くし、伊達におっさんをやってないヘルベルトの男の勘に、一人納得して大笑いする。そして同時に、自分がどれだけ二人の事ばかり考えてしまっているのか、改めて実感するのだった。
リックの手には、城の中庭で摘んだ花束が握られている。花束と一緒に彼が訪れたのは、多くの英霊達が眠る墓地だった。沢山の墓標が並ぶ、色鮮やかな花々が咲き誇るこの墓地には、ヴァスティナ帝国誕生以来の英霊の名が刻まれている。
墓地の墓標には、かつてリックと共に戦い、戦場で散っていた者達の名も存在する。彼らの為にもこの地を訪れてもいるが、この墓地は彼にとって、最愛の者達が眠る地でもあった。
歩を進めていたリックが、二つの墓標の前で立ち止まる。墓標の前で膝をつき、手に持っていた花束をその場に置く。膝をついたまま墓標に刻まれた名を見て、リックの顔に微笑みが浮かんだ。
「ただいま、メシア」
片方の墓標には、彼が愛してやまなかった女性の名が刻まれている。強く気高く美しく、そして優しかった、忠実な帝国騎士だった美女。
彼が愛したその女性の名は、メシア。救世主の名を持った、最愛の女性だった。
「⋯⋯⋯今回も、みんな無事に帰って来れたよ。俺はちょっとばかり怪我しちゃったけど、心配しなくていい」
メシアの名が刻まれた墓標に語りかけるリックは、心配かけまいと平気そうに笑って見せる。もし彼女が生きていたなら、きっと心配するからだ。大怪我をしたなんて知られたら、またいつもの様に怒られるに違いない。
そしてリックは、傍に立つもう一つの墓標に視線を向ける。
本来ならば、その墓標に名を刻まれた少女は、王族用の墓地にて眠る存在だった。だが彼女は、自分が死んだ時は、美しい花々に囲まれたこの地で眠りたいと、遺言に書き残していたのである。
大好きだった花々に囲まれ、帝国の為にその身を捧げた者達と共に眠りたい。そう残した彼女の望みを叶え、リック達は彼女をこの地に葬った。一人ではない彼女は、愛する者達と共に、美しく咲く花々に抱かれて、安らかに眠り続けている。
白百合の様に美しく儚い、一凛の花。愛していた花達に囲まれて眠る、その花の名は⋯⋯⋯⋯。
「ただいま、ユリーシア⋯⋯⋯⋯」
ヴァスティナ帝国前女王ユリーシア・ヴァスティナ。
リックが必ず守ると、救うと誓って、失われてしまったアンジェリカの姉。リックにとっては愛する少女、アンジェリカにとっては最後の家族だった彼女は、この国を見守りながら静かに眠っている。
墓標の前でユリーシアと再会したリックは、置いた花束の花びらにそっと触れる。生前の彼女のように、美しい花々を愛でながら、深くゆっくりと息を吐く。彼女の前では、温もりに抱かれる安心を感じる。心を落ち着かせたリックは、彼女との思い出を脳裏に蘇らせていた。
「だいぶ寒くなってきたのに、城の花はこんなにも綺麗に咲いてた。あの花壇で咲いている花を見ると、君と過ごした日々を思い出す⋯⋯⋯」
初めてこの世界で出会い、彼女を守ると誓い、大切な約束を交わして、辛く苦しく悲しくても、幸せだと想える日々を過ごした。今もこうして自分があるのも、最初に彼女がいてくれたからだ。
本当は彼女が生きている間に、二人で交わしたあの約束を叶えたかった。二人だけの秘密の約束は、まだ叶えられずにいる。ただ、彼女が生きていた頃に比べ、今は強大な力を手にするまでに至った。亡き彼女との約束を果たす時は近い。
「約束⋯⋯、まだ叶えられなくてごめん。でもやっと、大陸の統一を成し遂げられる力は手に入った。だから安心して待っていてくれ」
きっと彼女は笑ってはいない。自らの罪を憂い、悲しみに暮れた顔を浮かべているだろう。
ローミリア大陸全土を武力によって統一する。どんな理由であれ、許されざる罪を犯す所業となる。統一の為に流れ出る血の量は、計り知れないものになってしまう。それでも尚、あの心優しい女王は、大陸全土の統一を望み、リックへと託した。
生前の彼女はずっと、この願いをリックに託し、一人苦悩し続けていた。彼に大罪を背負わせ、その手を血で染め上げさせるなど、本当はさせたくなかったからだ。
「⋯⋯⋯俺のことは気にしなくていい。この道を選んだのは俺の意思なんだから、君が悔やむ必要なんてない」
あの美しく儚い少女には、悲しむ顔より微笑みがよく似合う。
本当は彼女に涙を浮かべさせたくはない。彼女がまた微笑みを浮かべてくれるのは、交わした約束を果たしたその時だと、リックはそう信じて戦い続けている。
「やっぱり駄目だ⋯⋯⋯。ここに来たら、ユリーシアとメシアが笑えるような面白い話を沢山聞かせようと思ってたのに、こうやって二人を前にしたら、言葉が出てこなくなる⋯⋯⋯⋯」
今度はリックが彼女達の前で、悲しく、そして寂しい顔を見せる。俯いた彼の瞳に映ったのは、墓標の前に自らが置いた花束である。美しく綺麗に咲いたこの花々も、やがて枯れゆく運命にある。自分の手から零れ落ちてしまった、守りたかった彼女達の様に⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯相変わらずさ、こんな情けなくて弱い男だけど、どうか信じて欲しい。愛してるよ、メシア、ユリーシア」
愛する者達の名を口に出したリックは、深い悲しみと寂しさを思い出していたが、涙は流さなかった。
何故なら、彼の涙はアンジェリカが女王に即位したあの日、自らが強く在るために枯れ果ててしまったのだから⋯⋯⋯。
夕焼け空の下、リックは愛する者達の墓標の前で佇んでいた。
メシアとユリーシア。最愛の二人のもとから離れられず、彼女達がまだ生きていた頃の記憶を呼び覚まし、一人苦しみ続ける。
そんな彼のもとに、酒瓶を片手に一人の男が現れる。男はリックの姿を見つけると、髭面の顔でにやりと笑って見せた。
「やっぱりここにいたんですかい、隊長」
「⋯⋯⋯⋯」
現れた男は、ヴァスティナ帝国国防軍の精鋭、鉄血部隊のヘルベルトだった。ヘルベルトはリックを見つけるも、彼のもとまでは向かわず、傍にある墓標の前で酒瓶の蓋を開けた。
ヘルベルトが向かい合う墓標には、共に戦った戦友の名が刻まれている。墓標の真上に酒瓶の口を持ってくると、彼は戦友の墓標に酒をかけ始めた。
「よう、ロベルト。地獄ってのはどんな居心地だ?」
戦友の名はロベルト。かつてはヘルベルトと同じ傭兵で、リック達と共に激戦を潜り抜けた仲間である。
ジエーデル国との戦いで戦死した彼は、敵の精鋭と死闘を繰り広げ、壮絶な死を遂げたという。リックもヘルベルトも、その最後を直接目撃できたわけではないが、彼の強さは良く知っている。きっと最後は、人生最後の戦いを楽しみ抜き、満足して戦死したに違いない。
そんなロベルトが、戦いの果てに地獄へ落ちたと彼は言う。自分達はそういう末路を迎える生き方をした、どうしようもない馬鹿者達だと、ヘルベルトは自覚しているからだ。
「退屈だってんなら、もうちょっと待ってな。どうせ俺達もそっちに行くからよ、そん時はまた一杯やろうぜ」
酒瓶の中身を半分以上墓標に注ぎ、残りは自分の口へと流し込む。強い酒を水でも飲むように一気に飲み干して、ヘルベルトはリックへと向き直った。
「嬢ちゃんと団長の墓参りですかい。隊長がどこにもいねぇって、城でうるさい連中が騒いでましたぜ」
「⋯⋯⋯そういうお前はロベルトの墓参りか。珍しいこともあるもんだ」
「偶には悪くないでしょうよ。野郎は昔馴染みだったんでね」
ロベルトは敵軍の偵察に出向き、その任務中の戦闘で命を落とした。偵察の任を与えたのはリックである。当時、ロベルト戦死の報を聞いたリックは、彼の死を誰よりも悲しみ、偵察に向かわせてしまった事を悔やんだ。
あれから時は経ったが、ロベルトの死に対して、今でもリックは責任を感じている。ロベルトと戦友だったヘルベルトには、恨まれても仕方ないとさえ思っていた。
「気にしないでくれよ隊長。あんたは最善を尽くしたはずだ」
「⋯⋯⋯!」
「俺もロベルトも戦争狂いの戦闘狂だ。戦場でならいつ死んだって構やしねぇ。野郎も俺も、隊長を恨んじゃいねぇよ」
戦友であったから、同じ種類の人間だったから、ヘルベルトにはよく分かっている。ロベルトはリックを決して恨んではいない。寧ろあの男は、最高の戦闘と死に場所をくれた事を、あの世で喜んでさえいるだろう。
ヘルベルトも同じだ。この先、ロベルトの様に自分が戦場で命を落としたとしても、リックを恨んだりはしない。最後は満足するまで戦闘を楽しみ、笑いながら派手に散ってやろうとも考えている。
「俺達はみんな隊長に感謝してる。敵をぶっ殺すためのイカレた玩具と、とんでもねぇ戦場を用意してくれんだから、楽しくて仕方ねぇよ」
「⋯⋯⋯でも俺は、そんな狂ってるお前達にも死んで欲しくない」
普段のリックなら、決してそんな言葉をヘルベルトに言いはしない。そんな想いを伝えてしまったら、帝国の戦争に必要な彼らを戦場に送り出せなくなる。大切な二人の事を思い出したせいか、いつもは隠すこの想いが口に出てしまう。
「⋯⋯⋯⋯ユリーシアの嬢ちゃんもよく言ってたっけな。あんた、阿保が付くくらい優しすぎんだよ」
やれやれと言わんばかりに頭をかいて、呆れたように溜息まで吐いたヘルベルトは、苦悩して俯くリックを見て、目を伏せて少し考える。三つ数えるほどで目を開いた彼は、リックから顔を背けて夕焼けを見つめ、瞳に映った光景を懐かしみながら口を開く。
「⋯⋯⋯隊長。戦闘以外の俺の特技、覚えてるか?」
「⋯⋯⋯拷問。それでユリーシアを殺した蛆貴族共を痛めつけた」
「話してなかったが、傭兵になったばっかりの頃によ、捕虜の拷問が俺の担当だった。選ばれた理由ってのは、面が狂暴だったからだとさ」
まだ若かった頃の自分を語り、過去を思い出したヘルベルトは苦笑する。俯いていたリックは、初めて自分の過去を明かすヘルベルトに驚き、夕日を見ながら苦笑いしている彼に向って顔を上げた。
「全員くたばっちまってるが、そん時の俺に拷問のやり方を教えた奴らがいてよ。技術を徹底的に仕込まれたおかげで、気が付きゃ得意分野だ」
「⋯⋯⋯⋯」
「顔がおっかねぇからってだけで拷問担当にさせられてよ、男も女も大勢痛めつけたもんだ。上手く情報を吐かせた時は楽しくもあった。何が言いてぇか分るよな?」
分かってしまったが、答えられない。口を紡ぐリックに呆れたヘルベルトは、変わらない彼の優しい心を理解しつつも、傷付けるのを承知で鉄血部隊の総意を口に出す。
「俺も部隊の連中も、どうしようもねぇ屑だ。死んだ方が世の中のためになるってくらいな。俺達がぶっ殺されても、隊長が落ち込むことはねぇよ」
「⋯⋯⋯⋯!」
「大体よ、俺達は使い捨ての消耗品だぜ? 隊長に付いてってからは不思議と誰も死んじゃいねぇが、本来俺達は死にたがりの大馬鹿だぞ。大切にしたってその内全員死ぬ」
これはヘルベルトの、そして彼が率いる部隊全員の総意だ。自分達は死にたがりの消耗品だと自覚し、いつ死んでもいいと思って今日を生きている。何故なら彼らは、碌な死に方など出来ない人生を送ってきているからだ。
だからこそ、死ぬのが早いか遅いかなど関係なく、己の思うまま生きて死にたい。その死を悲しむ者など必要ない。世の中の塵が消えたのだから、喜んでくれと言いたいくらいだ。
「ロベルトの奴も俺とおんなじさ。いつまでも引き摺ってっと、野郎が文句言いに化けて出るぜ」
「ヘルベルト⋯⋯⋯」
「情けねぇ声出すなよ。あんたは帝国軍の大将だろうが。ちっとは大将らしく下っ端を軽く使い捨てろよ」
「だけど⋯⋯⋯⋯」
「下の連中にまで気遣ってたらいい加減もたねぇって。あんたの悪い癖だ」
ヘルベルトもまた、レイナやクリスと同じく、リックとは長い付き合いになる。二人と同じくらい、リックの性格や弱点はよく知っているつもりだ。自分が認めた男の強さと弱さを知っているからこそ、偶には気を遣いもする。
この先、ヴァスティナ帝国はこれまで以上の大きな戦争に突入するだろう。いつどこで誰が死んでも、何ら不思議はない。誰かが死ぬ度に責任を感じていては、苦しみに切りがなくなる。仲間が命を落として悲しむのは、身近な愛する者達だけにしていいのだ。
人間は感情を持っているが、胸にあるその心は弱くて脆い。最初から心が強い人間など、一人だっていない。弱くて当たり前。だからこそ、耐えられない苦しみも辛さも悲しみからも、心が壊れる前に自らの意思で逃れるべきである。
自分達が枷になるなら、大切な存在の一人に数えるな。それが、自らを消耗品だと自称する、ヘルベルト達の意思だ。ヘルベルト達の意思を受け止めたリックは、ロベルト戦死の報を聞いた時、自分を殴りつけて目を覚まさせたメシアの言葉を思い出す。
あの時のメシアもまた、ヘルベルトと同じ事を言っていた。殴られた感触と、厳しくも優しい彼女の言葉が蘇り、自分があの頃とまるで変っていないのだと思い知る。まだまだ大人になり切れない、そんな自分の幼さを改めて認めたリックは、ヘルベルトに向かって笑みを零した。
「お前の言う通りか。いい加減にしないとその内メシアにも怒られそうだ」
「まあ、その甘ちゃんさが隊長のいいところでもあるがな」
「⋯⋯⋯ヘルベルト、お前減給」
「なんでだ!?」
「隊長を甘ちゃん呼ばわりした上官侮辱罪。まったく、これだからロリベルトは⋯⋯⋯」
「だーかーら!! 俺はロリコンじゃねぇ!」
毎度お決まりの流れの後に、我慢できずにリックは声を出して笑った。少し吹っ切れたのか、晴れやかな表情を取り戻して、再びメシアとユリーシアの墓標を見つめる。
「そろそろ行くよ。今度は面白い土産話を持ってくるから、楽しみにしててくれ」
名残惜しさを覚えつつも、まだまだやるべき事は山積みだ。愛する二人に別れを告げたリックは、二人の墓標から離れて城を目指す。その後に続くヘルベルトも、振り返らず戦友の墓標へと手を振って、リックと共に墓地を去ろうとする。
「ところでだ、ここに来たのは墓参りだけじゃないんだろ?」
「バレちまったか。帰還祝いの宴会をやるってシャランドラ達がうるさくってよ、隊長がどこにもねぇって騒ぎやがるから、どうせここだろうと思って探しに来たってわけですぜ」
「ここにいるってどうして分かった?」
「そりゃあ、戦争帰りの男が行く場所って言ったら、酒場か娼館か、或いは惚れた女のところって決まってんでしょ」
それを聞いたリックは目を丸くし、伊達におっさんをやってないヘルベルトの男の勘に、一人納得して大笑いする。そして同時に、自分がどれだけ二人の事ばかり考えてしまっているのか、改めて実感するのだった。
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