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第四十五話 切り札
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空爆によって大混乱に陥ったボーゼアス義勇軍の次は、謎の巨大生物の出現によって、今度はグラーフ同盟軍が混乱する番だった。
突如出現した巨大な生物は、禍々しい姿をした怪物である。大きさは何と五十メートル以上もあり、人間など虫けらに感じる程の巨大さを誇っている。
姿形はこの世のものとは思えない、非常に不気味な外見をしている。ずらりと細かな歯が並ぶ長い口先と、蜘蛛の様な頭に無数の眼。腕の様なものはなく、身体の下には蟹の様な巨大な足が全部で八本。その八本の足で横に大きな身体を支え、ゆっくりと移動を開始した。
正体が分からない謎の怪物ではあるが、その見た目からして無害とは思えず、まして味方とも思えない。
前線で怪物の姿を目撃した、ヴァスティナ帝国国防軍将軍リクトビア・フローレンスは、驚愕の光景に内心こんな感想を抱いていた。
(勇者の子といい、この怪物といい、いつからこの世界は怪獣ランドになったんだ⋯⋯⋯⋯⋯)
巨大な魔物と言えば竜がお馴染みの世界だが、現れた怪物はどこをどう見ても竜とはかけ離れた存在だった。最早ファンタジーな世界などぶち壊しだなと思いつつ、彼は自らが率いる機甲部隊や銃火器を見る。
(いや、最初にファンタジー感ぶっ壊したのは俺か!)
周囲の兵達が慌てふためく中、一人で内心勝手に納得しているリック。そんな彼の余裕そうな態度に我慢ならず、傍にいたミュセイラが彼の頭を勢いよく叩いた。
「少しは慌てて下さいな!!」
「あたっ!?」
「こんなの私《わたくし》も参謀長も予想してませんでしたわ! 早く対応策を考えないと大変な事になりますわよ!?」
あの怪物は敵であると考えるミュセイラは、キレながら慌てている様に見えて、頭の中では素早く攻撃手段を模索していた。
まさか、あんな巨大な怪物が出現するとは、ミュセイラも誰も予測していなかった事態である。十万を超える大軍を撃破する策は用意していても、怪物退治のための策などあるわけがない。そこで彼女は、機甲部隊と飛行部隊の集中運用によって、何とか撃破を試みようと考えている。
「⋯⋯⋯って言ったて、俺もお前と同じ考えだ。あんな馬鹿でかいの、火力の集中以外でどうにもできんだろ」
「分かってるんだったら早く指示して下さいな! まあ、貴方の指示がなくても準備は進めてますけど」
「俺が言わなくてもそのつもりで動いてると思ってたからさ、別にいいかなって。これでもちゃんと信頼してるんだぞ」
「ちょっ! とっ、突然何なんですの!?」
「どうした、顔真っ赤だぞ?」
「あっ、貴方が珍しく褒めるからいけないんですのよ!! 変な物でも拾い食いしたんじゃありませんの!?」
「俺をレイナと一緒にするな。いや待て、いくらレイナでも流石にそんな事はしないか⋯⋯⋯」
リックもまたミュセイラ同様に、帝国国防軍が保有する重火器を投入する以外、怪物を撃破する手段はないと考えている。相手の戦闘能力はまだ未知数だが、あの巨体では歩くだけで脅威となる。何より、同盟軍の歩兵戦力で太刀打ちできる大きさでない以上、砲撃と爆撃だけが頼みの綱と言えるだろう。
こう言った危機的状況に関わらず、緊張感のない二人の会話に、今度はロイドが我慢ならずに口を挟み込んだ。
「こんな状況でイチャイチャしないでくれるかしら! アナタ達っていつもそうなの!?」
「怒るなって。取り敢えず試しに攻撃してみるから」
「早いとこ何とかして頂戴。あんな怪物相手にしてらんないんだから」
最強の魔物種である龍すら超える、桁違いの大きさ。大きさが大きさだけに、普段軍隊が行なうような魔物討伐のための戦術は、一切役に立たないだろう。
ロイドには分かっている。現れたあの怪物は、自分が率いているジエーデル軍の戦力では、到底太刀打ちできない相手だ。剣や槍、弓や魔法攻撃が通用する大きさではない。この怪物を何とかするには、強力な威力を持つ兵器が必要不可欠だ。
それを持っているのは、同盟軍の中ではヴァスティナ帝国のみである。自軍ではどうする事も出来ない以上、彼が帝国の兵器群を当てにするのは当然の反応だった。
「ミュセイラ。威力偵察って形で戦車部隊を前進、砲撃を開始させろ。後方から榴弾砲と自走砲も呼んで攻撃準備。航空部隊は全力攻撃のために爆装して全機待機だ」
「了解ですわ。まずは私達の火砲がどの程度通用するのか確認しませんとね」
「それから、前線に出てたクリス達を一旦呼び戻せ。ヴィヴィアンヌと親衛隊には例の任務を継続させろ」
ミュセイラに与えられた指示は、帝国国防軍の無線機を使って、直ちに各部隊に伝えられた。
そして間もなく、威力偵察のため、前線に投入されていた第二戦闘団の戦車部隊が、命令通り怪物へと進軍を開始したのである。
ボーゼアス義勇軍陣地に出現した怪物は、その巨体をゆっくりと動かして移動を始めた。怪物は真っ直ぐに、グラーフ同盟軍とボーゼアス義勇軍が戦闘を行なっていた前線を目指す。
爆撃によって壊滅状態に陥っていたボーゼアス義勇軍の兵達は、怪物の出現に歓喜していた。陣地に出現したのは、教祖オズワルド・ベレスフォードの呼びかけに応えて現れた、自分達の信じる神であるボーゼアスであると、そう考えたからだ。
信奉していた神は、苦境に立たされている自分達を見捨ててはいなかった。兵達は絶望から一転して希望を取り戻し始め、怪物をボーゼアス神と信じて崇めた。この怪物が、自分達を救うべく現れた救世主なのだと信じたのである。
爆撃によって壊滅状態だったボーゼアス義勇軍の残存戦力は、この流れを味方に付けて反撃に出るかと思われた。しかし、幾ら戦意を取り戻したと言っても、各隊の戦力が大幅に低下している為、一旦退いて部隊の再編成が必要だった。
希望と戦意を取り戻した兵達は、後方から戦場へと足を進める巨大な怪物に向かって、すぐさま後退を開始する。後退する彼らの眼には、禍々しい姿をした異様な怪物が、救いのために現れたボーゼアス教の神に映っていた。兵達は誰も怪物を恐れず、歓喜の声を上げて後退していったのである。
絶望的な状況に追い込まれ、地獄の業火に命を奪われるところだった彼らにとって、この怪物が最後の救いなのである。怪物が戦場に向かっているのは、自分達を救うためだと信じて疑わない。いや、そう信じたいのである。
もしそうでなければ、自分達は同盟軍に殺される末路しかない。彼らにはもう、怪物をボーゼアス神と信じて崇め奉る以外、生き延びる選択肢は存在しなかった。
それが愚かな選択肢だと気付いた時には、何もかも手遅れだと知らぬまま⋯⋯⋯⋯。
「おっ、おい! なんだあれ!?」
怪物へと向かっていた兵の一人、ある異変に気付いて怪物を指差した。怪物の身体から無数の触手のようなものが飛び出し、それらが一斉に兵達へ向かって伸びていったのである。眼が付いているわけでもないのに、触手は兵達の姿を正確に捉え、彼らの目の前で止まった。
別の兵が、自分達の前に現れた触手へと近い付いていく。これはきっと、神が自分達との接触を望んでいるのだと、そう思って近付いていったのである。
すると、無数の触手の内の一本が反応し、前に出た兵の頭上に近付いていく。先端には目も口もない、植物の蔓を思わせる触手達。だが次の瞬間、頭上にきた触手の先端に亀裂が入ったかと思えば、先端が四つに分かれて開かれる。
四枚の花弁の様に分かれ、細かな歯が並ぶ凶暴そうな口内が姿を現わす。そして、触手は頭から兵に喰らい付くと、大事な獲物が逃げられないよう口を閉じて、一瞬の内にその兵を丸呑みにしてしまった。
一瞬の内の衝撃的な出来事に、絶句した兵達は立ち尽くす。やがて、一人の兵士が我に返り、絶望の悲鳴を上げて逃げ出した。
「にっ、逃げろおおおおおおおおおおおっ!!!」
真っ先に逃げた兵に、反応した新たな触手が襲い掛かり、同じように口を開けて一瞬で丸呑みにする。
そこから先は地獄だった。全員が慌てふためきながら逃げ出し、それを追って無数の触手が襲い掛かる。触手は次々と獲物を求め、逃げ惑う多くの兵を喰らっていく。逃げる兵達の悲鳴や絶叫などお構いなしに、無情な殺戮が繰り広げられていた。
自分達が神と信じた存在は、ただの人殺しの怪物だった。それに気付くも時既に遅く、一瞬の内に数十人、数分も経たない内に数百人の兵が犠牲となった。
このままでは殺戮の限りを尽くされ全滅する。兵達の中には、逃げるのではなく戦おうと考えた者達もいた。触手と戦うため、戦意のある兵達が剣や槍を構え、ある者は弓を引いて矢を放ち、生き残っていた魔法兵が魔法攻撃を行なう。
襲ってきた触手を剣で斬り付け、槍を突き刺し、矢を射かける。更には、放たれた火球による魔法攻撃も直撃し、触手の先端が爆散した。攻撃が通用した事で、戦闘を行なった兵達が希望を持ち始める。得体の知れない凶暴な相手だが、攻撃が効くならばまだ生き残れる道はあるからだ。
しかし、彼らは再び絶望の底に突き落とされる。武器によって傷付けられ、魔法攻撃で先端が吹き飛んだ触手は、次の瞬間には再生を始めたのである。傷付いた損傷部は再生した皮膚が埋め尽くし、無くなった先端部は、蜥蜴の尻尾の様に新しいものが生え始めた。
生物とは思えない、信じられない早さで再生していき、損傷した触手は何事もなかったかのように復活した。綺麗に再生を果たした瞬間、自分を攻撃した兵達を瞬時に襲う。攻撃を仕掛けた勇敢な兵達は、触手に脅威と見なされたのか、瞬く間に無数の触手が襲い掛かり、平らげて全滅させてしまった。
自分達にはどうする事も出来ないと悟り、ただ逃げ惑うしかできないボーゼアス義勇軍の兵士達。彼らは今、殺されるのを待つしかない地獄の中にいた。降伏も命乞いも許されない、人外の化け物。この殺戮は自分達が全滅するか、この怪物を倒す以外に終わりは来ないだろう。
そこへ救いと言わんばかりに、ヴァスティナ帝国国防軍の戦車部隊が駆けつける。戦車砲の射程内に怪物を捉え、照準を定めて一斉砲撃を始めた。
この砲撃は、ボーゼアス義勇軍を救おうとしての行動ではなく、飽くまでも敵の力を調べるための偵察である。砲撃を始めた戦車部隊の砲弾が、怪物の胴体目指して直進していく。対して動きが重い怪物は、砲撃を一切躱そうとはしない。戦車部隊の一斉砲撃は、外れる事なく全弾怪物に直撃した。
戦車砲による砲撃は全弾命中し、怪物の身体を損傷させる事に成功する。戦車部隊は攻撃の手を止める事なく、初弾命中後直ぐに次弾の装填を開始し、再び砲撃を開始した。
連続した砲撃は次々と怪物に命中して、確実にダメージを与えていく。しかし相手の大きさが大きさだけに、決定的な損傷は与えられずにいた。胴体の外側を損傷させる事は出来ても、内側にまでは攻撃が届いていないのだ。威力偵察の攻撃程度では、火力が完全に不足していたのである。
しかも、胴体の損傷部もまた触手と同様に、やはり急速に再生を始めてしまう。損傷を与える内から再生を始めてしまうため、折角与えたダメージが無意味なものとなっていた。
戦車部隊の攻撃だけではどうにもできず、砲撃を行なうための砲弾も尽きたため、部隊は直ちに後退を開始した。結局、状況は何も変わらなかったために、怪物による無慈悲な殺戮は繰り広げられ続けた。
怪物の尽きない飢えと食欲。餌と化しているボーゼアス義勇軍の兵達が皆殺しにされれば、次はグラーフ同盟軍の兵達が怪物の餌食となるだろう。
突如出現した巨大な生物は、禍々しい姿をした怪物である。大きさは何と五十メートル以上もあり、人間など虫けらに感じる程の巨大さを誇っている。
姿形はこの世のものとは思えない、非常に不気味な外見をしている。ずらりと細かな歯が並ぶ長い口先と、蜘蛛の様な頭に無数の眼。腕の様なものはなく、身体の下には蟹の様な巨大な足が全部で八本。その八本の足で横に大きな身体を支え、ゆっくりと移動を開始した。
正体が分からない謎の怪物ではあるが、その見た目からして無害とは思えず、まして味方とも思えない。
前線で怪物の姿を目撃した、ヴァスティナ帝国国防軍将軍リクトビア・フローレンスは、驚愕の光景に内心こんな感想を抱いていた。
(勇者の子といい、この怪物といい、いつからこの世界は怪獣ランドになったんだ⋯⋯⋯⋯⋯)
巨大な魔物と言えば竜がお馴染みの世界だが、現れた怪物はどこをどう見ても竜とはかけ離れた存在だった。最早ファンタジーな世界などぶち壊しだなと思いつつ、彼は自らが率いる機甲部隊や銃火器を見る。
(いや、最初にファンタジー感ぶっ壊したのは俺か!)
周囲の兵達が慌てふためく中、一人で内心勝手に納得しているリック。そんな彼の余裕そうな態度に我慢ならず、傍にいたミュセイラが彼の頭を勢いよく叩いた。
「少しは慌てて下さいな!!」
「あたっ!?」
「こんなの私《わたくし》も参謀長も予想してませんでしたわ! 早く対応策を考えないと大変な事になりますわよ!?」
あの怪物は敵であると考えるミュセイラは、キレながら慌てている様に見えて、頭の中では素早く攻撃手段を模索していた。
まさか、あんな巨大な怪物が出現するとは、ミュセイラも誰も予測していなかった事態である。十万を超える大軍を撃破する策は用意していても、怪物退治のための策などあるわけがない。そこで彼女は、機甲部隊と飛行部隊の集中運用によって、何とか撃破を試みようと考えている。
「⋯⋯⋯って言ったて、俺もお前と同じ考えだ。あんな馬鹿でかいの、火力の集中以外でどうにもできんだろ」
「分かってるんだったら早く指示して下さいな! まあ、貴方の指示がなくても準備は進めてますけど」
「俺が言わなくてもそのつもりで動いてると思ってたからさ、別にいいかなって。これでもちゃんと信頼してるんだぞ」
「ちょっ! とっ、突然何なんですの!?」
「どうした、顔真っ赤だぞ?」
「あっ、貴方が珍しく褒めるからいけないんですのよ!! 変な物でも拾い食いしたんじゃありませんの!?」
「俺をレイナと一緒にするな。いや待て、いくらレイナでも流石にそんな事はしないか⋯⋯⋯」
リックもまたミュセイラ同様に、帝国国防軍が保有する重火器を投入する以外、怪物を撃破する手段はないと考えている。相手の戦闘能力はまだ未知数だが、あの巨体では歩くだけで脅威となる。何より、同盟軍の歩兵戦力で太刀打ちできる大きさでない以上、砲撃と爆撃だけが頼みの綱と言えるだろう。
こう言った危機的状況に関わらず、緊張感のない二人の会話に、今度はロイドが我慢ならずに口を挟み込んだ。
「こんな状況でイチャイチャしないでくれるかしら! アナタ達っていつもそうなの!?」
「怒るなって。取り敢えず試しに攻撃してみるから」
「早いとこ何とかして頂戴。あんな怪物相手にしてらんないんだから」
最強の魔物種である龍すら超える、桁違いの大きさ。大きさが大きさだけに、普段軍隊が行なうような魔物討伐のための戦術は、一切役に立たないだろう。
ロイドには分かっている。現れたあの怪物は、自分が率いているジエーデル軍の戦力では、到底太刀打ちできない相手だ。剣や槍、弓や魔法攻撃が通用する大きさではない。この怪物を何とかするには、強力な威力を持つ兵器が必要不可欠だ。
それを持っているのは、同盟軍の中ではヴァスティナ帝国のみである。自軍ではどうする事も出来ない以上、彼が帝国の兵器群を当てにするのは当然の反応だった。
「ミュセイラ。威力偵察って形で戦車部隊を前進、砲撃を開始させろ。後方から榴弾砲と自走砲も呼んで攻撃準備。航空部隊は全力攻撃のために爆装して全機待機だ」
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「それから、前線に出てたクリス達を一旦呼び戻せ。ヴィヴィアンヌと親衛隊には例の任務を継続させろ」
ミュセイラに与えられた指示は、帝国国防軍の無線機を使って、直ちに各部隊に伝えられた。
そして間もなく、威力偵察のため、前線に投入されていた第二戦闘団の戦車部隊が、命令通り怪物へと進軍を開始したのである。
ボーゼアス義勇軍陣地に出現した怪物は、その巨体をゆっくりと動かして移動を始めた。怪物は真っ直ぐに、グラーフ同盟軍とボーゼアス義勇軍が戦闘を行なっていた前線を目指す。
爆撃によって壊滅状態に陥っていたボーゼアス義勇軍の兵達は、怪物の出現に歓喜していた。陣地に出現したのは、教祖オズワルド・ベレスフォードの呼びかけに応えて現れた、自分達の信じる神であるボーゼアスであると、そう考えたからだ。
信奉していた神は、苦境に立たされている自分達を見捨ててはいなかった。兵達は絶望から一転して希望を取り戻し始め、怪物をボーゼアス神と信じて崇めた。この怪物が、自分達を救うべく現れた救世主なのだと信じたのである。
爆撃によって壊滅状態だったボーゼアス義勇軍の残存戦力は、この流れを味方に付けて反撃に出るかと思われた。しかし、幾ら戦意を取り戻したと言っても、各隊の戦力が大幅に低下している為、一旦退いて部隊の再編成が必要だった。
希望と戦意を取り戻した兵達は、後方から戦場へと足を進める巨大な怪物に向かって、すぐさま後退を開始する。後退する彼らの眼には、禍々しい姿をした異様な怪物が、救いのために現れたボーゼアス教の神に映っていた。兵達は誰も怪物を恐れず、歓喜の声を上げて後退していったのである。
絶望的な状況に追い込まれ、地獄の業火に命を奪われるところだった彼らにとって、この怪物が最後の救いなのである。怪物が戦場に向かっているのは、自分達を救うためだと信じて疑わない。いや、そう信じたいのである。
もしそうでなければ、自分達は同盟軍に殺される末路しかない。彼らにはもう、怪物をボーゼアス神と信じて崇め奉る以外、生き延びる選択肢は存在しなかった。
それが愚かな選択肢だと気付いた時には、何もかも手遅れだと知らぬまま⋯⋯⋯⋯。
「おっ、おい! なんだあれ!?」
怪物へと向かっていた兵の一人、ある異変に気付いて怪物を指差した。怪物の身体から無数の触手のようなものが飛び出し、それらが一斉に兵達へ向かって伸びていったのである。眼が付いているわけでもないのに、触手は兵達の姿を正確に捉え、彼らの目の前で止まった。
別の兵が、自分達の前に現れた触手へと近い付いていく。これはきっと、神が自分達との接触を望んでいるのだと、そう思って近付いていったのである。
すると、無数の触手の内の一本が反応し、前に出た兵の頭上に近付いていく。先端には目も口もない、植物の蔓を思わせる触手達。だが次の瞬間、頭上にきた触手の先端に亀裂が入ったかと思えば、先端が四つに分かれて開かれる。
四枚の花弁の様に分かれ、細かな歯が並ぶ凶暴そうな口内が姿を現わす。そして、触手は頭から兵に喰らい付くと、大事な獲物が逃げられないよう口を閉じて、一瞬の内にその兵を丸呑みにしてしまった。
一瞬の内の衝撃的な出来事に、絶句した兵達は立ち尽くす。やがて、一人の兵士が我に返り、絶望の悲鳴を上げて逃げ出した。
「にっ、逃げろおおおおおおおおおおおっ!!!」
真っ先に逃げた兵に、反応した新たな触手が襲い掛かり、同じように口を開けて一瞬で丸呑みにする。
そこから先は地獄だった。全員が慌てふためきながら逃げ出し、それを追って無数の触手が襲い掛かる。触手は次々と獲物を求め、逃げ惑う多くの兵を喰らっていく。逃げる兵達の悲鳴や絶叫などお構いなしに、無情な殺戮が繰り広げられていた。
自分達が神と信じた存在は、ただの人殺しの怪物だった。それに気付くも時既に遅く、一瞬の内に数十人、数分も経たない内に数百人の兵が犠牲となった。
このままでは殺戮の限りを尽くされ全滅する。兵達の中には、逃げるのではなく戦おうと考えた者達もいた。触手と戦うため、戦意のある兵達が剣や槍を構え、ある者は弓を引いて矢を放ち、生き残っていた魔法兵が魔法攻撃を行なう。
襲ってきた触手を剣で斬り付け、槍を突き刺し、矢を射かける。更には、放たれた火球による魔法攻撃も直撃し、触手の先端が爆散した。攻撃が通用した事で、戦闘を行なった兵達が希望を持ち始める。得体の知れない凶暴な相手だが、攻撃が効くならばまだ生き残れる道はあるからだ。
しかし、彼らは再び絶望の底に突き落とされる。武器によって傷付けられ、魔法攻撃で先端が吹き飛んだ触手は、次の瞬間には再生を始めたのである。傷付いた損傷部は再生した皮膚が埋め尽くし、無くなった先端部は、蜥蜴の尻尾の様に新しいものが生え始めた。
生物とは思えない、信じられない早さで再生していき、損傷した触手は何事もなかったかのように復活した。綺麗に再生を果たした瞬間、自分を攻撃した兵達を瞬時に襲う。攻撃を仕掛けた勇敢な兵達は、触手に脅威と見なされたのか、瞬く間に無数の触手が襲い掛かり、平らげて全滅させてしまった。
自分達にはどうする事も出来ないと悟り、ただ逃げ惑うしかできないボーゼアス義勇軍の兵士達。彼らは今、殺されるのを待つしかない地獄の中にいた。降伏も命乞いも許されない、人外の化け物。この殺戮は自分達が全滅するか、この怪物を倒す以外に終わりは来ないだろう。
そこへ救いと言わんばかりに、ヴァスティナ帝国国防軍の戦車部隊が駆けつける。戦車砲の射程内に怪物を捉え、照準を定めて一斉砲撃を始めた。
この砲撃は、ボーゼアス義勇軍を救おうとしての行動ではなく、飽くまでも敵の力を調べるための偵察である。砲撃を始めた戦車部隊の砲弾が、怪物の胴体目指して直進していく。対して動きが重い怪物は、砲撃を一切躱そうとはしない。戦車部隊の一斉砲撃は、外れる事なく全弾怪物に直撃した。
戦車砲による砲撃は全弾命中し、怪物の身体を損傷させる事に成功する。戦車部隊は攻撃の手を止める事なく、初弾命中後直ぐに次弾の装填を開始し、再び砲撃を開始した。
連続した砲撃は次々と怪物に命中して、確実にダメージを与えていく。しかし相手の大きさが大きさだけに、決定的な損傷は与えられずにいた。胴体の外側を損傷させる事は出来ても、内側にまでは攻撃が届いていないのだ。威力偵察の攻撃程度では、火力が完全に不足していたのである。
しかも、胴体の損傷部もまた触手と同様に、やはり急速に再生を始めてしまう。損傷を与える内から再生を始めてしまうため、折角与えたダメージが無意味なものとなっていた。
戦車部隊の攻撃だけではどうにもできず、砲撃を行なうための砲弾も尽きたため、部隊は直ちに後退を開始した。結局、状況は何も変わらなかったために、怪物による無慈悲な殺戮は繰り広げられ続けた。
怪物の尽きない飢えと食欲。餌と化しているボーゼアス義勇軍の兵達が皆殺しにされれば、次はグラーフ同盟軍の兵達が怪物の餌食となるだろう。
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