贖罪の救世主

水野アヤト

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第四十二話 プレイン・バーン作戦 前編

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『⋯⋯⋯というわけで、次のお便りは――――――』

 ランプの明かりによって照らされた天幕内。室内に設置されたテーブルの上には、鉄製の箱のようなものが置かれており、箱にはスピーカーのような装置が取り付けられている。その装置は紛れもなく一種の拡声器であり、拡声器からは三人の少女による会話が発せられていた。
 この天幕内には、ベッドの上で横になって毛布を被り、拡声器から聞こえる声に耳を傾けている男が一人いる。その男の傍には、椅子に腰かけた黒い軍服姿の少女が一人。少女は心配する視線を男に向けていたが、男の方は拡声器から聞こえる話を楽しそうに聴いていた。
 
「けっこう人気らしいな、この放送」
「無線機から流れる放送を聞きに、我が軍の兵だけでなく各国の兵までが集まっているようです」
「そいつはいい。帝国の技術力がどれだけ進んでるのか、聞きに来た連中に広めて貰おう」

 ベッドの上で放送を聞いている男の名は、リクトビア・フローレンス。親しい者はリックと呼ぶ。帝国の狂犬の異名を持つ、ヴァスティナ帝国国防軍の最高司令官だ。
 彼の傍にいるのは、帝国国防軍親衛隊隊長ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼである。軍帽を被り、右眼を眼帯で隠す彼女は、ベッドで横になる彼の身を案じてここにいる。
 
 帝国国防軍の勇者救出作戦から三日が過ぎた。
 あれからボーゼアス義勇軍が動き出す事はなく、散発的な戦闘も発生しないまま、グラーフ同盟軍と睨み合いが続いていた。
 両軍とも、三日前の戦闘で損耗した戦力の再編成を進めており、次の戦いに備え続ける日々を、ここクレイセル大平原で過ごしている。リック率いるヴァスティナ帝国国防軍もまた、敵戦力との決戦に備えた準備を着実に進めていた。
 兵の多くは戦いに備えて体力を温存している。だがリックは立場上、多くの軍務を行なう必要があり、この三日間多忙な毎日を過ごしていた。その疲れが出たせいで体調を崩し、今日の昼間に突然熱を出して倒れてしまったのである。
 倒れてしまったリックを、彼専用の天幕まで連れてきて、このベッドで寝かせて介抱したのヴィヴィアンヌだった。彼女の介抱を受けたリックは、それからずっとベッドで休んでいたのである。

「⋯⋯⋯⋯明日は各国軍の代表者同士が集まる軍議の日ですが、やはりここはメンフィスに任せ、閣下はお休みください」
「ちょっと熱が出て倒れちゃっただけだから平気だって。寝れば明日には治ってるよ」
「それで無理をなさってまた倒れられたら―――――」
「大丈夫。エミリオもついてるし、軍議の時間俺は座ってるだけでいい。楽な仕事さ」

 ヴィヴィアンヌの言う通り、明日はグラーフ同盟軍に参加している各国軍の代表者が集まり、ボーゼアス義勇軍との決戦に向けた作戦会議を行なう予定である。この作戦会議には、当然の事ながらリックも参加しなくてはならない。
 彼に無理をさせまいと、ヴィヴィアンヌは軍議への参加を止めるよう勧めるが、リックはそれを拒む。自分が出る必要がある、重要な会議と考えているからでもあるが、彼女を安心させたいという想いもあるのだ。

 今日リックが倒れてしまったのは、日々の疲れだけが原因ではない。ヴィヴィアンヌが彼と初めて出会った頃と今では、彼の身体にどうにもできない問題があるのだ。
 リックは以前、当時敵だったヴィヴィアンヌに捕まったのをきっかけにして、彼女の国の諜報機関に拷問を受けた。その時リックは、拷問官の男達に暴行され、用意された自白剤等の薬物を投与されたのである。その後彼は無事救助されたが、薬物でぼろぼろとなった身体でヴィヴィアンヌと戦うために、肉体強化のドーピングを過剰投与した。
 普通なら死んでいたはずだが、リックは奇跡的に一命を取り留めた。しかし、命が助かった後も、薬によって蝕まれた身体は彼を苦しめ続けている。彼が突然倒れてしまったのも、一番の原因はそれだった。

 自分のせいでリックがこうなってしまったと、今もヴィヴィアンヌは責任を感じ続けている。リックが大丈夫だと言って振舞うのは、責任を感じている彼女の気持ちを察しての事だ。自分は大丈夫だと、彼女を安心させてやりたいのである。

「もし⋯⋯⋯⋯、軍議中に体調が優れないようであれば⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯わかった。その時は必ずお前に知らせる」

 説得を諦めたヴィヴィアンヌに、彼女を安心させようと微笑するリック。そんな彼の微笑に安心など覚えず、彼女は溜め息交じりの顔で放送に耳を傾けた。

『⋯⋯⋯⋯⋯ところで、レイナちゃんって食べ物で好き嫌いとかあるの?』
『唐突だな』
『うちも気になるな。レイナっちってなんでも食べる印象やもん』
『好きなものは沢山あるが、嫌いなものは特にない』
『レイナちゃんって虫とかも平気で食べるもんねー⋯⋯⋯』
『イヴっちは知らんやろうけど、レイナっちは暴竜の肉すら喰おうとしたくらいなんやで』
『あれは残念だった⋯⋯⋯⋯。次に仕留めた時は必ず食して見せる』
『仕留める前提なんだ、暴竜を⋯⋯⋯』
『普通、竜を食べるために倒そうとか考えんやろ』

 放送を聞いていたヴィヴィアンヌは、鋭い眼光と威圧感を放つ普段の表情を崩し、口元に少し笑みを浮かべていた。
 ヴィヴィアンヌは軍務に就いている時、常に厳しい軍人という印象を周囲に与える。だがリックやレイナなど、彼女が心を許せる相手の前では、こうして笑みを見せる事がある。微笑む彼女はこの瞬間、普段は見せない己の美しさを露わにするのだ。

「同志は面白いことを言う⋯⋯⋯⋯。閣下、同志は本当に暴竜を仕留めたのですか?」
「俺とクリスも一緒でな。レイナとクリスに出会って間もない頃、三人がかりでなんとか」
「知りませんでした。そのような無茶、二度とないように」
「わっ、わかってるって、もうしないから⋯⋯⋯⋯⋯」

 昔のような無茶をリックにはさせない。彼を護衛する親衛隊隊長のヴィヴィアンヌは、時に過保護なまでにこれを徹底している。
 ヴィヴィアンヌに釘を刺されてしまい、リックは彼女から顔を逸らしながらも答えた。顔を逸らすのは、不満の顔を彼女に見せないためだ。
 すると、ヴィヴィアンヌは椅子から立ち上がり、横になっているリックに向かって顔を近付けた。何事かとリックが顔を向き直すと、次の瞬間、突然彼女は自分の唇を彼の唇に重ねたのである。

「!?」

 触れた唇から伝わる柔らかな感触。冷酷で氷のような軍人だが、本当の姿は黒髪がよく似合う美少女。その美少女が彼と重ねた、柔らかで優しい接吻。永遠に重ねていたいとさえ思えるその感触に、彼は抗う事が出来ず、胸の鼓動を早めながらその身を委ねた。
 五つ数えるほどの時が流れ、彼女はそっと唇を離した。唇を離した彼女は、彼に向かって顔を近付けたまま、静かに口を開く。

「嘘が下手ですね」

 ヴィヴィアンヌの瞳は、真っ直ぐリックの瞳を見つめていた。
 軍服に身を包み、軍帽を被り、右眼を眼帯で覆っても、彼女の美しさは隠し切れない。目の前で妖艶な笑みを見せて自分を見つめる彼女に、リックは目を離せず息を呑んだ。
 
「貴方の心は読み易い。私の注意を聞くつもりがないのはお見通しです」

 心を読んだ彼女の言葉が、記憶にある大切な女性との思い出と重なり、リックは懐かしさを感じていた。
 驚くと思っていたヴィヴィアンヌは、予想していた反応と違ったために首を傾げる。

「メシア⋯⋯⋯⋯」

 ヴィヴィアンヌを見つめながら、リックは無意識にそう呟いた。ヴィヴィアンヌの口にした言葉が、記憶の中に生きる彼女の姿と重なったのだ。
 心を読み易いと、最愛の女性によく注意されていた。彼女がこの世を去ってからは、誰にも言われる事のなかった言葉。自分の弱点を知るヴィヴィアンヌの姿が、最愛の彼女と重なって離れない。

「⋯⋯⋯⋯言ったでしょう。私が、メシアの代わりになると」

 そういう事かと悟ったヴィヴィアンヌが、彼にとって最愛だった女性の名を口にする。
 ヴィヴィアンヌではなく、記憶と重なったメシアの影を求め、リックはゆっくりと右手を伸ばしていく。そして彼の右手は、ヴィヴィアンヌの頬に触れようとして動きを止めた。
 
「⋯⋯⋯⋯彼女の代わりはいらない」

 伸ばした右手を下ろし、リックは目を伏せた。
 代わりはいらないと、そう告げられたヴィヴィアンヌは、妖艶な笑みを崩さず再び口を開く。

「我慢はお辛いでしょう?私なら、失われてしまった彼女の代わりになれます」

 言葉にした通り、メシアの代わりになれと言われれば、喜んでそうなる。ヴィヴィアンヌはリックに、自分の全てを捧げているのだ。だからこそ、平気で自分を代用品扱いする事が出来る。
 拒む彼の反応を、ヴィヴィアンヌは我慢と呼んだ。するとリックは、彼女の言葉でむっとした表情を浮かべ、目の前にあるヴィヴィアンヌの額を中指で弾いた。

「っ!?」
「阿保。誰が我慢してるって?」

 突然のデコピンに怯み、思わず頭を上げたヴィヴィアンヌが、弾かれた自分の額に手を当てた。まさかこんな事をされるとは思わず、目を丸くした彼女の瞳がリックを見る。

「メシアはメシア。お前はお前だろうが」
「⋯⋯⋯!」
「お前にそういうのは求めてない。ついでに言うと、お前じゃメシアの代わりになんて絶対なれない」
「⋯⋯⋯⋯何故ですか?」
「だってお前、メシアは銀髪褐色肌の長身巨乳美人だぞ?どう足掻いても無理だろ」

 それを聞いたヴィヴィアンヌが、堪え切れずにふっと吹き出して、声を殺さず笑い出した。
 今度はリックが目を丸くする番だった。何故なら彼は、ヴィヴィアンヌが人の目を気にせず笑い声を上げる姿を、今まで見た事がなかったからだ。

「ふふふっ⋯⋯⋯。私の誘惑をあしらうは、額を弾くは、おまけにそんな説明を恥ずかしげもなくするとは⋯⋯⋯⋯」
「いいだろ別に。だって事実なんだから」
「貴方が愛したメシアについて、少し興味が湧いてきました。詳しく聞いてみたいですが、そろそろお休みになって頂きます」

 毛布に手をかけて綺麗にかけ直し、リックを寝かせようとするヴィヴィアンヌ。傍を離れようとする彼女は、未だ放送を続けている無線機を切ろうとした。

『レイナちゃんて、普段は白なんだっけ?』
『なんの話だ?』
『赤やないって聞いたで。黒とか持ってへんの?』
『だから、なんの話だと聞いている』
『なにって、レイナちゃんの下着の色』
『!!』
『今日は何色なん?うち的には、赤でえっちなの着たレイナっちの姿見てみたいんやけど』
『だっ、誰が教えるものか!!』
『えー、いいじゃん教えてよー♪』
『教えてくれたら今度エステランの高級料理店たらふく奢ってもええけど、どないする?』
『高級料理、だと⋯⋯⋯!?』

 今この瞬間無線機の前にいる、特に男達は、誘惑に揺れるレイナの決断を固唾を呑んで待っていた。
 当然リックもその一人だったが、ヴィヴィアンヌの無慈悲な手が無線機の電源に迫る。

「待った!!今切られたら下着の色が――――――」
「いけません」

 果たして、レイナの今日の下着は何色か。
 欲望のままに動く彼の願いは届かず、肝心なところが聞けぬまま、放送は切られてしまったのである。
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