贖罪の救世主

水野アヤト

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第八話 ヴァスティナ連合軍

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「お疲れ様。暑い中、本当によくやってくれたね」
「もう汗びっしょりだ。お前もご苦労だったな、エミリオの指揮のおかげで、緒戦は勝てたよ」

 今日の戦いは終わり、両軍とも、後方陣地へと後退した。
 連合軍陣地では、先程まで最前線で戦っていたリックと、戦闘の指揮を執り続けていたエミリオが、今日の健闘を称えあっている。

「夏は戦争する季節じゃないな。戦場だと風呂に入れないし」
「我慢するしかないね。そんな事よりも、君に怪我はなかったのかい?最前線で戦っていたから、ずっと心配していたんだよ」
「まあ擦り傷程度かな。俺の事より、ゴリオンたちは大丈夫だったのか?レイナとクリスたちも、怪我してないか心配だ」
「皆無事だよ。ゴリオンは軽い火傷と擦り傷ぐらいで、あの二人も大きな怪我はないと、報告を受けているから」

 安堵の息を吐くリックを見て、エミリオは思う。
 やはり彼は、仲間の身の方が、自分より優先なのだと。本来ならば、帝国軍全軍の最高指揮官である己の身を、誰よりも優先に考えて貰わなければ、軍全体としては困る。リックに何かあれば、それは軍の、いや帝国全体の崩壊を招くかも知れない。
 この先、オーデルやジエーデルのように、帝国の領土を狙う国家が現れた場合、リック無しでそれらを退ける事は不可能だろう。最早帝国は、彼を失うわけにはいかないのだ。
 そして、エミリオたちからすれば、大切な主人に最前線で戦って欲しくはない。彼が傷つく姿は見たくないし、もし万が一の事があったなら、自分たちは生きる意味を見失う。

「皆無事ならよかった。女王陛下の様子は?」
「先程、ようやくお休みになられたよ。戦闘の最中は、ずっと兵たちを鼓舞していてね。その疲れが出たんだよ」
「警備体制は万全だったのか?メシア団長たちがいたから、問題なかっただろうけど・・・・・・」
「矢の一本だって飛んで来なかったさ。騎士団長とメイド長が、視線で人を殺しそうな程、目を光らせていてね。常時最上級警戒態勢だったよ」
「帝国最強のメシア団長と、特殊訓練を受けた元女兵士のメイド長がいれば、たとえ敵の暗殺者が来ても、返り討ちにできるからな。本当に二人は心強い」

 帝国メイド長。またの名を、帝国侍従長とも呼ばれる。
 メイド長の名前はウルスラ。歳が四十代半ばの彼女は、最初からこの国のメイドだったわけではない。最初はただ、各地を放浪していた元軍人であった。偶然帝国へ訪れた彼女を、ユリーシアとメシアが見かけ、色々あって城で雇う事になったのである。
 最初はメイド仕事に戸惑ってはいたものの、彼女は皆の予想以上に早く仕事に慣れ、気が付けば、完璧にこなしてしまうまでになっていた。そんな彼女が次に行なったのは、ユリーシアを守るための、メイド集めである。
 メシアが協力し、放浪していた者や、旅をしていた者に声をかけ、帝国のメイドとして働かないかと誘った。誘ったというよりは、半ば強引に城へと連行し、メイドとして働かせたのだ。最初は嫌々やっていた彼女たちであったが、女王の人柄と優しさを知り、今ではユリーシアを絶対の主人と定め、メイド仕事に精を出している。
 その結果ウルスラは、集めたメイドたちを統率するメイド長へと就任。帝国のメイドたちは、彼女の支配下に置かれる形となった。
 そんな彼女は、元々北の大国の女兵士であったという。しかも、少数精鋭の特殊部隊出身で、その実力は、ヘルベルトやロベルトに匹敵する。彼女が集めた者たちも、元は軍の兵士や傭兵であった者たちであり、メイドなどやった事のない者たちだ。
 ウルスラ率いるメイドたちは、実は、メイド仕事よりも戦闘が専門で、鉄血部隊に匹敵する戦闘力を持った、戦闘メイド部隊なのである。
 最近になって、その事をメシアから聞き、戦地での陛下の身の回りの世話と警護を、直接ウルスラに頼み込んだリック。頼まれるまでもなくその気だった彼女は、再び戦場に戻る事にも躊躇いはなく、メイド服に身を包み、仕事用具をまとめ、武器を手に取った。
 そんな彼女は、他のメイドたちも引き連れ、連合軍陣地でメシアと共に、常に女王の身辺警護に務める。女王の身が心配だったリックも、帝国騎士団とメイド部隊のおかげで、幾分か安心する事が出来たのである。

「陛下なら心配いらないさ。後は、彼女の身に危険が及ばないよう、私たちが勝利を収めるだけさ」
「そうだな。ところでエミリオ」
「どうかしたかい?」
「肩に力、入り過ぎてるだろ」

 図星だった。
 リックの指摘で、ぎくりとした表情を、一瞬だけ見せたエミリオ。気付かれないよう隠していたつもりだったが、全てお見通しであったとわかり、観念して白状する。

「君には敵わないよ」
「いくら隠したってわかるさ、これが初めての大規模指揮だもんな。緊張しない奴はいない」
「その通りだよ。君に全軍を任され、帝国の存亡を懸けた戦いの指揮を執らなければならない。野盗討伐の時とは比べものにならない位、緊張してしまう」

 これまでエミリオは、軍師として戦場で指揮を執った事は、ほとんどない。野盗討伐の際に指揮を執った事はあるものの、四千もの軍勢を任された事はないのである。
 この戦いは、エミリオにとって初の、軍師の力の見せどころである。しかも、帝国の命運が懸かった重要な戦いだ。彼の肩には、戦闘の勝敗だけでなく、帝国の命運という責任までのしかかっている。この場に立って指揮を執るだけでも、精神的に堪えるものがあるのだ。

「私はね・・・・・・とても怖いんだ」
「指揮者としての責任が、だろ?」
「・・・・・・皆の命は私が預かっている。私が采配を間違えば、君たちを失ってしまう。そう考えると、恐ろしくて堪らない」

 これが戦場であり、戦場で軍師をやる以上、乗り越えなければならない責任だと思い知る。エミリオ自身、頭ではわかっていたつもりでも、戦場の空気を知って、その恐ろしさを味わった。
 今日の采配は間違っていなかったか。犠牲をもっと減らす事は出来なかったのか。そう考えだすときりがない。
 戦闘が始まる前から、彼の頭の中では、思考が渦巻いていた。考えてもどうしようもない。そう理解していても、考えてしまう。エミリオは今日、責任と恐怖に襲われながら、ずっと指揮を執っていたのである。

「君は凄いね。私と違って、責任に恐怖していない」
「そう見えるか?」
「駄目だね私は。こんな事では、これから先も軍師としてやっていけないよ・・・・・・」

 彼が表情を曇らせ、弱気さを見せるのは初めてだ。
 兵士たちに動揺を与えないよう、普段通りを貫いていたが、リックだけには隠せないと、己の心情を打ち明ける。今、二人の近くには誰もいない。二人が作戦について話し合っているのを、傍にいて邪魔してはならないと思い、皆が近付かないようしているためだ。
 近くに兵がいないならば、この気持ちを話しても問題はない。そう考えてリックに話す。
 エミリオの正直な気持ちを知り、彼の苦痛を理解した。責任に苦しむ彼を見たリックは、何故かそっと、右手を差し出す。

「・・・・・エミリオ、俺の手を握ってみてくれ」
「えっ・・・・?」

 出された右手は、何の変哲もない、リックのいつもの右手だ。リックが何を言いたいのかわからず、少し考えてみるが、彼の意図はわからない。
 ともかく、リックの言う通りにして、差し出された右手を、自分の右手で握ってみる。

「・・・・・リック!?」
「驚いたろ。俺もお前と同じなんだ」

 すぐにはわからなかった。リックの右手を握った瞬間は、小さくて、よくわからなかったのだ。
 彼の手は小さく震えていた。触らなければわからない程の、小さな震え。

「俺も恐い・・・・、戦いの時はいつもこうだ。戦ってる最中は恐怖が麻痺してるんだけど、始まる前と終わった後は震えが止まらない」
「一体どうして・・・・・」
「戦う前はな、死が怖いんだよ。自分が死ぬのも怖いけど、仲間が死ぬのはもっと怖い。終わった後も安心できないんだ。俺が無力なばっかりに、皆が無駄に傷ついたと思うと、怖くて堪らない。今日はよくても、次は俺の無力さで、皆を殺してしまうかも知れない。それが怖いんだ」

 リックの恐怖。それは、大切な者たちを失う事だ。
 それだけが、彼が恐怖を感じる事だと、今までエミリオはそう思っていた。
 戦いの場では常に先頭に立ち、兵士たちと共に戦う参謀長。死など恐れず、戦いを楽しんでいるように狂い笑う。その振る舞いは、仲間を死なせたくない気持ちと、死の恐怖を振り払おうとする、二つの気持ちの表れなのだ。
 戦いが終わった後は、その結果に苦しむ。参謀長としての自分の判断や指揮。そのせいで死んだ仲間の事を考えてしまうと、後悔の気持ちに襲われる。

「私よりも、君の方がずっと苦しんでいるんだね・・・・・・」
「別に、張り合ってるわけじゃないけどな。ただ、俺でも常に恐怖を感じてるんだから、お前が初めての大規模指揮で恐いと思うのは当然さ。だから、軍師失格なんて事はない」
「リック・・・・・・」
「俺は、お前が最高の軍師だって信じてる。緊張しなくていい、もし間違えても、俺が何とかするから、自信もって俺たちをこき使ってくれ」

 そう言って笑うリックを見て、エミリオも吹き出して笑う。
 曇った表情は消え、緊張も少しずつ解けていく。

「ふふ、ふふふっ。やっぱり君には敵わない」
「ははは、どうだ参ったか」

 いつもの調子を取り戻したエミリオ。
 リックのおかげで、ようやく肩の力が抜ける。このところは、作戦の事を考え過ぎて、心に余裕を持つ事ができなかった。あまり眠る事もできず、シャランドラから薬を貰い、どうにか睡眠を得る始末だ。
 この気持ちを誰かに打ち明け、不安を軽くしようかとも考えた。しかし、作戦を指揮する軍師として、周りに不安を与えてはならないと思い、打ち明けるのを躊躇したのだ。
 だが今は、初めからリックに相談するべきだったと思う。そうすれば、苦しむ必要などなかったのだから。
 だから今、ずっと謝りたかった事を、この場で告白する。

「私は、君に謝らなければならない」
「何をだ?」
「陛下が戦場に出ると言った時、私は手間が省けたと思ったんだ。本当は私が説得して、陛下を戦場に出そうと思っていたんだよ」

 謁見の間での出来事が思い出される。
 ヴァスティナ連合軍の最高指揮官として、この戦場に赴くと宣言したユリーシア。彼女は自分の意思で、赴くと決めたのだ。
 しかしエミリオは、元々彼女を戦場に連れ出すつもりであった。女王自らの出陣となれば、全軍の士気は大幅に上昇する。女王に忠義が厚い者たちは、死を恐れず戦うだろう。彼女が戦場に出れば、当然、武装警備部隊であるヴァスティナ騎士団も、女王の護衛として、ほぼ全ての部隊が従軍する。
 戦場に女王を連れ出せば、女王を危険に晒す事にはなるが、勝利のために必須なものが揃う。
 だからあの時、エミリオは内心歓喜していた。女王を説得する必要が無くなったからだ。
 リックの気持ちは理解していたが、作戦に必要な関係上、女王の決意に反対はできなかった。それを今、彼は謝っている。

「その事か・・・・・・。気にするな、もしも俺が軍師の立場だったら、きっと同じ事をしたはずだ」
「本当に済まなかった。約束するよ、陛下の身は何があっても守り抜く。そして、この戦いに必ず勝利すると誓う」

 その決意はリックのために。
 何故ならエミリオは、帝国軍参謀長リクトビア・フローレンスの、ただ一人の軍師なのだから。

「参謀長!!参謀長はどこに居られますか!!」

 突然、リックを呼ぶ叫び声が聞こえ、声のする方へ向いた二人。
 見ると、九人の兵士たちがリックを探していた。口々に参謀長と呼び、必死な様子である。何か問題が発生したのかと、二人はすぐに兵士たちに近付き、話を聞こうとする。
 九人の兵士たちには見覚えがあった。帝国軍所属の兵士で、彼らの所属は・・・・・・。

「お前たちは、第四隊アングハルトの分隊の・・・・・・」
「さっ、参謀長!?お願いです参謀長!どうか、どうか・・・・・!!」

 リックの姿を見つけ、九人全員が泣きつくように、その場に膝をつく。彼らは皆、戦闘服をぼろぼろにし、擦り傷や切り傷が多い。顔は汗と砂にまみれ、呼吸が荒い。
 そんな彼らは、何かを必死に訴えようとしている。彼らは冷静さを失っているため、何を言おうとしているのか、まるでわからない。

「落ち着け!お前たちはアングハルトの分隊だよな?分隊長のアングハルトはどうした!?」
「あの女は・・・・!いや、分隊長は・・・・!!」

 彼らは帝国軍第四隊所属、セリーヌ・アングハルトが隊長を務める、通称アングハルト分隊の兵士たちである。
 しかし、隊長である彼女の姿がない。隊長以外の全員は、こうして目の前にいるというのに、彼女だけがいないのだ。
 アングハルトがいない事に気が付き、リックの表情が大きく変わる。最悪の可能性が頭をよぎり、声を荒げてしまう。

「何があったか教えろ!!アングハルトは今どこにいる!?」
「お願いです!俺たちは何でもします、だから隊長をっ!隊長を助けて下さい!!」

 帝国参謀長に恋文を送った、あの女性の身に何かがあった。
 部下である彼らは、必死に彼女を助けてくれと懇願し、リックの表情には恐怖が表れる。
 彼の恐れていた事が起きてしまった。それは、大切な仲間の危機である。
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