贖罪の救世主

水野アヤト

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第三十七話 グラーフ同盟軍

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 彼らは突然、夜の闇の中から現れた。
 最初に殺されたのは、松明片手に歩哨に立っていた、一人の王国軍兵士である。闇の中で何かが動いたように見え、松明を持って一人で調べに行ったのである。その兵士は、何者かに背後を取られ、気が付いた時には剣で心臓を刺し貫かれていた。
 兵士の一人を絶命させ、彼らは近くにいた他の歩哨達も、一人、また一人と殺害していく。極力音を立てず、殺す時は相手の口を手で塞ぎ、見張りを確実に始末していきながら、彼らは夜営陣地に接近した。作戦通り十分な距離まで接近し、彼らは夜営陣地に向けて、一斉に弓を構えた。接近したその位置は、弓の有効射程なのである。一斉に弓を構え、即座に矢に火を付け、火矢と化した矢を、彼らは一斉に放った。
 数十本もの火矢が、空目掛けて一斉に放たれた。火矢は山なりに飛んでいき、夜の空に光を灯す。やがて火矢は夜営陣地に落下して、天幕や兵士に突き刺さって、周りの様々なものに燃え移って、炎を舞い上がらせた。
 夜襲だと気付いた時には、もう手遅れだった。火矢は次々と放たれ、王国軍兵士達が矢と火事に混乱する中、闇夜に潜んでいた彼らは、雄叫びを上げて奇襲攻撃を開始した。陣地内へ突撃した彼らは、混乱している王国軍兵士達を瞬く間に討ち取っていき、被害を拡大させていったのである。
 夜襲は短時間の内に行なわれた。襲撃してきた彼らが迅速に撤退した後には、王国軍兵士の死体と、火災によって燃えた天幕と物資だけが残っていた。

 襲撃を受けた夜営陣地内では、直ちに消火作業が始まり、負傷者の手当ても行なわれた。敵の夜襲を受け、被害状況の確認が行なわれる中、先程まで戦闘が行なわれたいた場所に、指揮者であるアリオン達も駆け付けていた。
 夜襲が行なわれた後を見て、慌てて駆け付けたアリオンは驚愕した。彼の目に映った光景は、敵によって破壊された陣地内と、自軍兵士の死体しか転がっていない、悲惨な戦場跡だったからである。
 
「どうして、こんな事に⋯⋯⋯⋯」

 夜襲を仕掛けてきた敵の正体は、ボーゼアス義勇軍の部隊しか考えられない。王国軍は敵に先手を許してしまったのである。しかも、自軍は戦死者を出す被害を受け、敵に対してはほとんど被害を与えられなかった。完敗とはまさにこの事である。
 予想していなかった自軍の敗北に、アリオンは言葉を失っているだけだった。被害整理に指揮が出来ないため、彼の代わりにギルバートが指揮を執る。ギルバートの的確な指揮のお陰で、消火活動は迅速に行われ、ほとんどの火災は消し止められた。負傷兵の治療に関しても、大分落ち着いてきている。

「相手は我が方より兵が少ないのです。夜襲を行なっても不思議はない」
「⋯⋯⋯!」
「先手を取られるだけでなく、緒戦から敗北を喫してしまいましたな」

 驚愕しているアリオンの隣には、いつの間にかギルバートの姿があった。アリオンと違い彼は非常に落ち着いており、顔色一つ変えずに言葉を続ける。

「敵の狙いは我が軍に被害を与える事ではなく、我が軍の士気を挫く事でしょう。今の夜襲で兵士達は皆、明日に向けた戦意を失いました」
「そんな馬鹿な!たった一度の夜襲で――――――――」
「たった一度でいいのです。大軍であるはずの我が軍が、民兵如きに奇襲され、何もできずに敗北してしまった。この事実が兵士達に与える効果は大きい」

 ギルバートの言う通りである。王国軍兵士は皆、今の短時間の奇襲攻撃によって、ボーゼアス義勇軍に恐怖を抱いてしまった。明日に持っていた勝利への戦意は、簡単に失われてしまったのである。
 油断している王国軍陣地に少数の部隊で接近し、火矢と雄叫びを上げた突撃で、相手に心理的効果を与えるのが敵の狙いだったと、ギルバートは直ぐに見抜いていた。これで王国軍は敵軍に対して、戦意の差で大きな開きが出来てしまったのである。
 
「戦死者は少ないですが、我が軍の受けた被害は甚大です。これは明日の戦いに大きな影響を及ぼすでしょう」
「くっ⋯⋯⋯!まさか民兵が、大軍を恐れず奇襲を仕掛けてくるなんて⋯⋯⋯⋯」
「ふ~む。やはり王子は、まだ何も分かっておりませんな」
「!?」

 またも自分を馬鹿にするつもりなのかと、アリオンはギルバートの顔を見た。相変わらず顔色一つ変えていないが、彼の瞳だけは違った。アリオンではなく、戦闘があった場所を見つめる彼の瞳には、怒りの感情が現れていたのである。
 その瞳に驚き、アリオンは沈黙する。やがてギルバートは、決して彼の顔を見ずに口を開いた。

「正規軍ではないから、兵士の質も数も装備でも負けているからこそ、彼らは立ち向かってきたのです。我らグラーフ同盟軍に対し、必ず勝利するために」
「⋯⋯⋯!!」
「勝利のためには手段を選ばない。教本通りに戦う国家間の戦争とは違うのです」

 戦いは明日。それを決めたのは両軍ではない。王国軍が勝手にそう考え、明日が緒戦だと決めただけだ。
 出兵した時点で、既に戦争は始まっている。いつどこで戦闘が勃発しても、何もおかしくはないのだ。国同士の、正規軍同士の戦争のルールなど、彼らボーゼアス義勇軍には存在しない。それをアリオンは、全くと言っていい程、分かっていなかったのである。

「明日の戦いは厳しいものになりましょう。ですが、散っていった者達のためにも、敗北は許されませんぞ」

 ギルバートの言葉に、アリオンは何も言い返せない。
 甘えを許さない彼の言葉が、沈黙するアリオンの胸に深く突き刺さった。










 夜襲に驚き、敵軍迎撃のために天幕を飛び出したルーク達。彼らが襲撃地点に辿り着いた時には、既に戦闘は終わってしまっていた。ルークに率いられた櫂斗達は、幸か不幸か敵と戦わずに済んだのである。
 勇んで出撃したルークは、敵に逃げられてしまった事を悔しがっていた。次こそは討ち取ってやるという、強い意気込みを胸に抱きつつ、負傷兵の手当てなどを手伝っている。しかし櫂斗達は、彼と違う反応を見せていた。彼らは戦闘があった地を見つめ、その場から動けないでいる。
 戦争に、戦闘に、戦場に慣れているルークと彼らは違う。櫂斗、悠紀、真夜、華夜の四人は、その目で初めて戦場というものを見た。消火作業途中の天幕や、燃えて灰になってしまった軍需物資。折れた剣と、地面に突き刺さっている投擲された槍。剣で斬り付けられる、もしくは刺し貫かれて命を落とした、地面に横たわる兵士の死体。何本もの矢に射抜かれ、針鼠のようになって死んでいる兵士。そして、死んでいった者達の骸から漂う、肉と血の臭い。さらには、燃えて黒焦げになった骸の死肉が焼ける臭いが、この場所を支配していた。

「うっ!臭い⋯⋯⋯」
「臭いなんてもんじゃない⋯⋯⋯。吐きそう⋯⋯⋯」

 戦場に漂う死臭は、櫂斗と悠紀に今までにない不快感を与えていた。
 そして二人は知った。これが、明日自分達が体験する事になる、戦争という存在なのだろうと⋯⋯⋯。

「気持ち悪い⋯⋯⋯、うぶっ⋯⋯⋯⋯」
「わかったわ華夜。ここから離れましょう」

 気分の悪さを真夜に訴え、今にも戻してしまいそうになる華夜。そんな彼女の手を引いて、真夜は華夜と共にこの場を離れていく。
 残った櫂斗と悠紀には、華夜の体調を心配する余裕などなかった。二人は目の前の現実に愕然し、この場にいる事が堪えられず、逃げるように場を後にする。二人は死体と死臭から逃れるために、自分達の天幕へと戻っていく。

「まさか、寝てる時を襲われるなんてな⋯⋯⋯。俺達のいるところが襲われなくて、ほんとラッキーだった」
「ラッキー⋯⋯⋯?」
「だってそうだろ?いくら秘宝の力があるって言っても、突然襲われたら一溜まりもないだろ」

 天幕に戻る道中、櫂斗は我が身の幸運に感謝していた。確かに櫂斗の言う通り、もしも敵の部隊が彼らのいた天幕を襲っていたら、瞬く間に皆殺しにされていただろう。死んでしまった兵士達には申し訳なく思いながら、彼は自分達が無事で済んだ事に安堵しているのだ。

「⋯⋯⋯やっぱり、何もわかってないじゃない」
「えっ?なんか言ったか?」
「何でもない⋯⋯⋯。私、ちょっと水を飲んでくるわ」
「あっ、ああ⋯⋯⋯。じゃあ俺、先に寝床に戻るからな」

 二人はそこで分かれ、悠紀は櫂斗から離れていき、彼は天幕へと一人で戻っていく。一人になった悠紀は、飲み水がある物資の管理場へと向かう事なく、櫂斗と十分離れた後、その場に俯いて立ち止まった。

(馬鹿⋯⋯⋯。やっぱり櫂斗、あれを見てもまだわかってない⋯⋯⋯)
 
 悠紀が櫂斗と離れたのは、水を飲むためではなく、我慢できず彼を殴り倒してしまいそうだったからだ。
 この世界に召喚された時から、彼は何もわかっていない。あの光景を見ても、ラッキーだったとしか思っていないのである。自分達は、あの光景を作り出すために、いやそれ以上の凄惨な光景を演出して見せるために、いいように利用されているのだと、まだ彼は気付いていない。
 直接人を殺さないと約束したが、秘宝の力を使って戦えば、戦場で同盟軍を支援する事になる。直接手にかける事はなくとも、人殺しの手助けをする事になるのだ。戦えばどうしたって、自分達の手は血に染められる。
 櫂斗はそれをわかっていないが、悠紀はそれを承知の上で、勇者として戦うために従軍した。勇者となる事を決め、秘宝を手にしたあの日から、人の命を奪う事を覚悟している。全ては、元の世界への帰還を果たすため。そして、王子アリオンと約束した恩賞のために⋯⋯⋯⋯。

「恐がってなんていられない。私がやらなきゃ、やり遂げなきゃ⋯⋯⋯⋯!」
 
 悠紀は一人、戦争の恐怖に揺らいでた気持ちを、強い決意で無理やり引き締めた。
 明日の戦いは、どんな事をしてでも勝利する。改めて心に誓った彼女は、俯いたままの自分に怒り、弱さを振り払うため、顔を上げて夜空を見上げるのだった。
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