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第三十一話 幕を引く銃声
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戦いの終わりは近い。
帝国軍の作戦とアーレンツの国内事情によって、アーレンツ側の予想以上の速さで、戦争は終結に向かっていた。そして、終結の先にあるのは、帝国の勝利とアーレンツの敗北である。
だが、帝国軍の真の勝利とは、アーレンツを滅ぼす事ではない。アーレンツに捕らわれた帝国参謀長リクトビアを、地獄から救い出す事だ。それはまだ、果たされてはいない。
しかし彼は、アーレンツの拘束からは離れ、今は自由を得ている。彼が帝国軍と合流さえすれば、この戦いは真の意味で終わるだろう。それなのに彼は、自らが決着を付けるべき相手のために、たった一人で戦いへと赴いていった。
救出される前に死ぬかもしれない、命を懸けた戦いのために・・・・・・。
「ヴィヴィアンヌううううううううううううっ!!!」
「リクトビアああああああああああああああっ!!!」
たった二人の戦い。傍から見ればそれは、まるで喧嘩であった。
互いに武器を持たず、狂ったように叫び合いながら、己の拳で殴り合う。獣のような雄叫びを上げ、血を流しながらも両者は、殴り合うのを止めはしなかった。
「お前は!お前だけは俺が殺す!!」
「殺されるのは貴様だ!貴様だけは私が殺す!!」
戦い合う二匹の獣。リクトビア・フローレンスとヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。
永遠に続くかに思えた二人の死闘は、確実に終わりへと近付いていく。この死闘は、ヴィヴィアンヌをリクトビアが殺すか、その前に彼が力尽きてしまうのか、このどちらかが決着の付き方となるだろう。
大量の薬を摂取し、どうにかヴィヴィアンヌと互角の戦いをしているものの、リックは既に限界を超えている。彼が今も立っていられるのは、体力ではなく気力のお陰と言えた。それでも尚、戦いを止めない理由はたった一つ。眼前で自分を殺すべく拳を振るう少女、ヴィヴィアンヌを殺すためだ。
「観念して大人しく殺されろよ!!ヴィヴィアンヌ!!」
リックの右の拳が彼女の腹部へ直撃する。苦痛に呻き、口から血と下呂交じりの唾液を吐き出しながら、ヴィヴィアンヌは彼の頭を乱暴に掴み、自身の頭を激しくぶつけた。頭突きを喰らったリックは一瞬意識が飛び、攻撃の手を止めてしまう。怯んでいる彼に向け、今度はヴィヴィアンヌの掌底打ちがリックの胸に入った。
常人ならば、今ので心臓が止まってしまっていただろう。だが彼は、まだ生きている。今の衝撃で骨は折れ、口から血を吐きながらも、リックは彼女へと立ち向かっていく。
何度も何度も何度も何度も、彼はヴィヴィアンヌへと立ち向かっていった。どれだけ相手が強くとも、どれだけ痛めつけられようとも、彼女を殺す事だけを目指して、傷付き血を流しながらも向かっていく。
「私に近付くな!貴様のその顔も声も言葉も、全部目障りだ!!」
「黙って大人しく俺に殺されろ!そうすれば目障りじゃなくなるぞ!!」
「それは貴様の勝手な理屈だ!殺してやる、絶対に殺してやる!!」
終わらない狂気。互いの殺意のぶつかり合い。最早この戦いに技はなく、両者共に我武者羅に殴り合っているだけだった。負ければどちらかが死ぬ、命を懸けた喧嘩。リックはこの戦いに、己の全てを懸けて挑んでいた。
「必ずお前は殺す!そして、お前をその呪縛から解き放つ!!」
「!!」
彼女はもう救われてもいいはずだった。だが彼女は、己の縛り付ける呪縛から解放されずに、今日まで生きてきた。この世でヴィヴィアンヌとして生き続ける限り、彼女はその苦しみから解放されはしないだろう。
ならば、彼女を救う方法はたった一つしかない。それは、彼女を殺す事だ。
生きている限り、自分の呪縛に捕らわれたままの彼女を救うには、彼女を終わらせるしか方法はないのである。死にたくなるような絶望を味わい、生きろと願われたために死を選ぶ事ができず、自らを罰するために自分を傷付け続けた。そんな彼女を救えるのは、誰かが彼女を殺してやる事だけだ。それが今できるのは、リックしかいない。
「もう二度と・・・・・・、無力なままで終わらない!」
「・・・・・!」
「だから俺は、絶対にお前を救って見せる!!」
ヴィヴィアンヌの姿と重なる、リックが救えなかった少女の姿。
最愛の彼女を失い、彼は決意した。もう二度と、無力なままで終わらないと。もう二度と、救いの手を放さないと。そのために彼は、本当の自分を殺したのだ。
「偽善者が!!」
「ぐはっ!?」
ヴィヴィアンヌの強烈な膝蹴りが入り、その衝撃で呼吸が止まるリック。苦痛に顔を歪める彼を、ヴィヴィアンヌは容赦なく殴り続けた。その姿は、何かに当たり散らす子供のようで、彼女の怒りと殺意、そして狂気と迷いの表れでもあった。
「私に近付くな!私に話しかけるな!私に触れるな!私を惑わすな・・・・・!!」
殴られながらもリックは、ヴィヴィアンヌの頬を流れる熱い雫を眼にした。
その涙こそ、彼女が救いを求める証である。リックは救いを求めた彼女の手を掴み、決して放さずここまでやって来た。例え自分が、ここで命を失う事になっても、彼女だけは救いたかったのだ。
「糞ったれが・・・・・!!」
「ぐっ・・・・!!」
反撃のため、痛みを堪えながらもリックが拳を繰り出すも、ヴィヴィアンヌはそれを防御し、直撃を免れる。このまま流れを自分に持っていくため、一気に畳みかけようと考えるリックだったが、彼の体は突然痺れ、思うように体を動かせなくなってしまった。
薬の大量投与によって体を動かしていた、その副作用が起きたのである。それだけではなく、この痺れは体の活動限界の証であった。リックの体は彼自身に、もう戦えないと訴えている。
「ちっ!こんな時に・・・・・!!」
動けなくなった体を無理やりにでも使おうとして、リックはどうにか右腕を動かし、懐から注射器を一本取り出した。またも彼は薬を使って、戦闘を無理やり継続させようとしているのだ。
そうはさせまいと、瞬時に反応したヴィヴィアンヌ。彼が注射器を首元へ持っていく前に、その右手を蹴り上げ、注射器を蹴り飛ばした。
「くそっ!!やりやがったな!」
「その薬は二度と使わせない!」
例え薬を使ったとしても、彼の体が動く事はなかっただろう。肉体は限界を超え、視界も霞んでいる。手足の感覚もほとんど失われてしまった。身体は重りを背負っているかのように重く、脚は彼の意志に反して動かない。
戦えないどころか、動く事すらできない。今のリックは、完全に無防備となってしまっていた。それをヴィヴィアンヌが見逃すはずがない。
「これで終わりだ!!」
今度こそリックの息を止めるべく、怒りと殺意に満ちたヴィヴィアンヌが襲い掛かる。最早リックは、彼女の攻撃を躱す事も防御する事も出来ない。勝敗は決したかに見えた。
だが彼は、この状況を最後のチャンスと考え、決着を付けるための賭けに出る。限界まで気力を振り絞り、右手を無理やり動かして、彼は腰のホルスターから拳銃を抜いた。その銃にはまだ、一発の銃弾が残されている。
「終わるのはお前だ!!」
リックの懐に飛び込もうとしているヴィヴィアンヌ。幾ら彼女でも至近距離から撃たれれば、躱す事など出来ないだろう。最大のチャンスと考え飛び込んできた彼女を、絶対に銃弾が避けられない距離まで引き込み、最後の一撃を放つ。それがリックの、全身全霊を懸けた最後の賭けであった。
右手に握った自動拳銃。彼はその銃口をヴィヴィアンヌの左胸に向け、引き金を引こうと指をかける。だが彼女は、リックが狙っている最後の一撃すら読んでいた。腰のホルスターに残した拳銃が、彼に残された最後の武器であり、彼女を一撃で倒せるかもしれない切り札であったからだ。
動きを読まれていては不意を付く事ができない。リックが向けた拳銃は、彼の動きに瞬時に反応して見せた、ヴィヴィアンヌの右手に握られてしまった。彼女は右腕に力を込め、銃口を自分の左胸から逸らすと、リックの腹部目掛けて、強烈な右足蹴りを叩き込んだ。
その一撃は、少女が放ったとは思えない、鉄か何かで力の限り殴られたかのような、硬く重い一撃であった。あまりの衝撃に、リックの体はその蹴りで吹き飛ばされ、彼の後ろで残骸となっていた家の外壁に激突する。偶然にもその残骸は、砲撃によって破壊されてしまった、ヴィヴィアンヌの家であった。
壁に叩き付けられ、地面に尻を付き、壁に背中を付けたまま、彼は大量に吐血した。今の一撃で、内臓をやられてしまったのだ。苦しそうに血を吐き出した後、リックは沈黙してしまった。狂った笑い声を発する事も、暴れ出す事もなく、まったく動かなくなってしまった。
「はあ・・・・はあ・・・はあ・・・・!」
勝者はヴィヴィアンヌだった。命を懸けたリックの猛攻を捻じ伏せ、彼女は勝利を収めたのである。
「今・・・・・楽にしてやる・・・・!」
勝者となったヴィヴィアンヌの右手には、リックの自動拳銃が握られている。蹴り飛ばした瞬間、衝撃と痛みで、彼は銃を手放してしまったのだ。
リックが使った姿を見て、彼女は使い方を把握している。奪った拳銃を握りしめ、ヴィヴィアンヌはリックの傍まで、ゆっくりと近付いていった。その手に握る拳銃で、彼の息の根を止めるために・・・・・。
「この瞬間を・・・・・ずっと願っていた・・・・・」
たった二人の、永遠に続くかに思えた死闘。彼女は戦いの最中、彼を殺したいと願い続けた。
そして今、自らの手で彼を殺す瞬間がやってきた。
「リクトビア・・・・・、貴様を殺す」
近付く足を止め、顔を地面へと向けたまま動かない彼を見下ろしながら、彼女は右手に握る拳銃の銃口を、彼の頭へと向けた。
絶対に外さない距離。確実に殺せる狙い。銃口を向けたまま、ヴィヴィアンヌは引き金に指をかける。
そして・・・・・。
「・・・・・・・」
銃声は響き渡らなかった。
乾いた発砲音も、排莢によって地面に落ちた空薬莢の金属音も、何も聞こえない。何故なら、弾丸は発射されていないからである。
銃口はリックの頭に向けられたまま、引き金は引かれてはいない。
見れば、引き金に置かれたヴィヴィアンヌの指は震えていた。その震えが、彼女に引き金を引かせなかったのである。指の震えの正体は、彼女の心の迷いであった。
「どうして・・・・殺せない・・・・・・!?」
指に力を入れようとしても、彼女の人差し指はそれを拒み、震えるばかりであった。
目の前には、自分の手で殺してしまいたかった相手がいる。その男の何もかもが目障りで、何もかもが嫌いだった。自分を狂わすその存在を、どうしても消し去りたかった。
「躊躇う理由はないはずだ・・・・・!それなのに、私は・・・・・!!」
待ちに待った瞬間だった。誰も彼女を邪魔できない。彼の命は、完全に彼女が握っている。
だが、引き金にかけられた人差し指は、彼女の命令を拒み続けた。夢にまで見たこの瞬間を、彼女の心の迷いが邪魔をする。
「貴様などに関わらなければ・・・・・、何もかも思い出さずに済んだ・・・・・・」
リックはヴィヴィアンヌの命を奪おうとした。でもそれは、彼女を憎んでいたわけでもなく、帝国のためにと殺そうとしたわけでもない。ただ純粋に、彼女を絶望から救い出したかっただけである。
そのために彼は彼女のもとにやって来た。それだけのために命を懸け、自分の命を削った。見返りなど求めていない、何の利益もない行動だ。
そうやって今まで、彼は何度も同じ事を繰り返してきた。愚かと言えるその心で、苦しむ者達を救おうとした。その手で救えた者達もいれば、救えなかった者達もいる。救えなかった度に絶望し、自分が堪え難い苦痛を味わっても、彼はその行為を止めはしない。
本当は、彼自身も救いを求めている。絶望の闇の中、過去の苦痛に苛まれながらも、大切な者達の未来を守るために、ずっと抗い続けている。自分を下衆と罵りながらも、それができるのは彼の優しさ故だった。
今も彼は、彼女の未来を守るために戦った。戦いの最中、生を歩む限り彼女は解放されないと知ったために、彼は彼女を殺そうと戦った。彼女との殺し合いは、全て彼の優しさ故の行動だったのである。
彼の優しさは、彼女を人に戻らせた。彼女が押し殺していた、大切な記憶と感情を呼び覚ましたのも、彼の言葉だった。それ故に苦しくて堪らないのである。
「思い出したくなんかなかった・・・・・。思い出しても、苦しいだけだ・・・・・・」
「・・・・・・・」
「そう思っていたのに・・・・・・、今は心地よく感じてしまう」
その苦しみは、言うなれば彼女の心の叫びである。
心を取り戻し、再び人に戻ってしまえば、犯した大罪が自分を襲う。彼女はもがき苦しみ、こんな苦しく悲しいものなど捨ててしまいたいと、彼女の心が叫ぶ。だが、彼女が取り戻した心には、痛みや悲しみだけがあるわけではない。
彼女の心には、大切な者達が自分に与えてくれた、優しい温もりがあった。
「貴様の存在が・・・・・・、私を変えてしまった」
殺してしまったかけがえのない存在。彼女の両親は、彼女の事を愛していた。その愛故に、兵士として生きる未来ではなく、自由を持った人間としての未来を与えるために、二人は戦って散ったのだ。
両親が与えてくれた優しい温もり。それを思い出した彼女の体を、二人の愛が抱いていく。
そして、彼女の心の闇を払っていく、温かな光。彼女を絶望の底から救い出した、優しくも愚かな救世主。
「私は・・・・・貴様を殺せない」
リックの頭に向けていた銃口を、ヴィヴィアンヌは下ろした。彼女はもう、彼を殺す意思はない。
命を削ってまで戦い、どれだけ傷付こうとも言葉をかけ続け、彼女を救おうとした彼の姿に、ようやくヴィヴィアンヌはリックという男を真に理解した。
彼は本当に、優し過ぎる大馬鹿者の救世主なのだと・・・・・・。
「リクトビア、私は-------」
言葉を遮らせた、背中に何かが当たった感触。直ぐにその感触は激痛へと変わり、痛みが全身に駆け巡っていく。最後まで言葉をかけられないまま、ヴィヴィアンヌはリックのもとに力なく倒れ込んでいった。
「ヴィヴィ・・・・アンヌ・・・・?」
自分の体に彼女が倒れ込んだ感触で、リックは意識を取り戻す。
彼が目にしたのは、自分の体にうつ伏せとなって倒れ、背中に一本の矢が突き刺さったヴィヴィアンヌの姿であった。
「思い知ったか番犬!!お前達のせいで俺の計画は全て狂った!」
怒号を撒き散らす男の声に、どうにかリックは頭を上げて、声のした方へと視線を向ける。
そこにいたのは、右腕を失い、左手にボウガンを持った、情報局の暴豹の姿であった。
「ルドルフ・・・・・グリュンタール・・・・・・」
それは、リックにとっても、そしてヴィヴィアンヌにとっても、アーレンツ最大の敵と言える存在。
二人にとって宿敵とも言える暴豹が、彼らを道連れにするために現れた。
帝国軍の作戦とアーレンツの国内事情によって、アーレンツ側の予想以上の速さで、戦争は終結に向かっていた。そして、終結の先にあるのは、帝国の勝利とアーレンツの敗北である。
だが、帝国軍の真の勝利とは、アーレンツを滅ぼす事ではない。アーレンツに捕らわれた帝国参謀長リクトビアを、地獄から救い出す事だ。それはまだ、果たされてはいない。
しかし彼は、アーレンツの拘束からは離れ、今は自由を得ている。彼が帝国軍と合流さえすれば、この戦いは真の意味で終わるだろう。それなのに彼は、自らが決着を付けるべき相手のために、たった一人で戦いへと赴いていった。
救出される前に死ぬかもしれない、命を懸けた戦いのために・・・・・・。
「ヴィヴィアンヌううううううううううううっ!!!」
「リクトビアああああああああああああああっ!!!」
たった二人の戦い。傍から見ればそれは、まるで喧嘩であった。
互いに武器を持たず、狂ったように叫び合いながら、己の拳で殴り合う。獣のような雄叫びを上げ、血を流しながらも両者は、殴り合うのを止めはしなかった。
「お前は!お前だけは俺が殺す!!」
「殺されるのは貴様だ!貴様だけは私が殺す!!」
戦い合う二匹の獣。リクトビア・フローレンスとヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。
永遠に続くかに思えた二人の死闘は、確実に終わりへと近付いていく。この死闘は、ヴィヴィアンヌをリクトビアが殺すか、その前に彼が力尽きてしまうのか、このどちらかが決着の付き方となるだろう。
大量の薬を摂取し、どうにかヴィヴィアンヌと互角の戦いをしているものの、リックは既に限界を超えている。彼が今も立っていられるのは、体力ではなく気力のお陰と言えた。それでも尚、戦いを止めない理由はたった一つ。眼前で自分を殺すべく拳を振るう少女、ヴィヴィアンヌを殺すためだ。
「観念して大人しく殺されろよ!!ヴィヴィアンヌ!!」
リックの右の拳が彼女の腹部へ直撃する。苦痛に呻き、口から血と下呂交じりの唾液を吐き出しながら、ヴィヴィアンヌは彼の頭を乱暴に掴み、自身の頭を激しくぶつけた。頭突きを喰らったリックは一瞬意識が飛び、攻撃の手を止めてしまう。怯んでいる彼に向け、今度はヴィヴィアンヌの掌底打ちがリックの胸に入った。
常人ならば、今ので心臓が止まってしまっていただろう。だが彼は、まだ生きている。今の衝撃で骨は折れ、口から血を吐きながらも、リックは彼女へと立ち向かっていく。
何度も何度も何度も何度も、彼はヴィヴィアンヌへと立ち向かっていった。どれだけ相手が強くとも、どれだけ痛めつけられようとも、彼女を殺す事だけを目指して、傷付き血を流しながらも向かっていく。
「私に近付くな!貴様のその顔も声も言葉も、全部目障りだ!!」
「黙って大人しく俺に殺されろ!そうすれば目障りじゃなくなるぞ!!」
「それは貴様の勝手な理屈だ!殺してやる、絶対に殺してやる!!」
終わらない狂気。互いの殺意のぶつかり合い。最早この戦いに技はなく、両者共に我武者羅に殴り合っているだけだった。負ければどちらかが死ぬ、命を懸けた喧嘩。リックはこの戦いに、己の全てを懸けて挑んでいた。
「必ずお前は殺す!そして、お前をその呪縛から解き放つ!!」
「!!」
彼女はもう救われてもいいはずだった。だが彼女は、己の縛り付ける呪縛から解放されずに、今日まで生きてきた。この世でヴィヴィアンヌとして生き続ける限り、彼女はその苦しみから解放されはしないだろう。
ならば、彼女を救う方法はたった一つしかない。それは、彼女を殺す事だ。
生きている限り、自分の呪縛に捕らわれたままの彼女を救うには、彼女を終わらせるしか方法はないのである。死にたくなるような絶望を味わい、生きろと願われたために死を選ぶ事ができず、自らを罰するために自分を傷付け続けた。そんな彼女を救えるのは、誰かが彼女を殺してやる事だけだ。それが今できるのは、リックしかいない。
「もう二度と・・・・・・、無力なままで終わらない!」
「・・・・・!」
「だから俺は、絶対にお前を救って見せる!!」
ヴィヴィアンヌの姿と重なる、リックが救えなかった少女の姿。
最愛の彼女を失い、彼は決意した。もう二度と、無力なままで終わらないと。もう二度と、救いの手を放さないと。そのために彼は、本当の自分を殺したのだ。
「偽善者が!!」
「ぐはっ!?」
ヴィヴィアンヌの強烈な膝蹴りが入り、その衝撃で呼吸が止まるリック。苦痛に顔を歪める彼を、ヴィヴィアンヌは容赦なく殴り続けた。その姿は、何かに当たり散らす子供のようで、彼女の怒りと殺意、そして狂気と迷いの表れでもあった。
「私に近付くな!私に話しかけるな!私に触れるな!私を惑わすな・・・・・!!」
殴られながらもリックは、ヴィヴィアンヌの頬を流れる熱い雫を眼にした。
その涙こそ、彼女が救いを求める証である。リックは救いを求めた彼女の手を掴み、決して放さずここまでやって来た。例え自分が、ここで命を失う事になっても、彼女だけは救いたかったのだ。
「糞ったれが・・・・・!!」
「ぐっ・・・・!!」
反撃のため、痛みを堪えながらもリックが拳を繰り出すも、ヴィヴィアンヌはそれを防御し、直撃を免れる。このまま流れを自分に持っていくため、一気に畳みかけようと考えるリックだったが、彼の体は突然痺れ、思うように体を動かせなくなってしまった。
薬の大量投与によって体を動かしていた、その副作用が起きたのである。それだけではなく、この痺れは体の活動限界の証であった。リックの体は彼自身に、もう戦えないと訴えている。
「ちっ!こんな時に・・・・・!!」
動けなくなった体を無理やりにでも使おうとして、リックはどうにか右腕を動かし、懐から注射器を一本取り出した。またも彼は薬を使って、戦闘を無理やり継続させようとしているのだ。
そうはさせまいと、瞬時に反応したヴィヴィアンヌ。彼が注射器を首元へ持っていく前に、その右手を蹴り上げ、注射器を蹴り飛ばした。
「くそっ!!やりやがったな!」
「その薬は二度と使わせない!」
例え薬を使ったとしても、彼の体が動く事はなかっただろう。肉体は限界を超え、視界も霞んでいる。手足の感覚もほとんど失われてしまった。身体は重りを背負っているかのように重く、脚は彼の意志に反して動かない。
戦えないどころか、動く事すらできない。今のリックは、完全に無防備となってしまっていた。それをヴィヴィアンヌが見逃すはずがない。
「これで終わりだ!!」
今度こそリックの息を止めるべく、怒りと殺意に満ちたヴィヴィアンヌが襲い掛かる。最早リックは、彼女の攻撃を躱す事も防御する事も出来ない。勝敗は決したかに見えた。
だが彼は、この状況を最後のチャンスと考え、決着を付けるための賭けに出る。限界まで気力を振り絞り、右手を無理やり動かして、彼は腰のホルスターから拳銃を抜いた。その銃にはまだ、一発の銃弾が残されている。
「終わるのはお前だ!!」
リックの懐に飛び込もうとしているヴィヴィアンヌ。幾ら彼女でも至近距離から撃たれれば、躱す事など出来ないだろう。最大のチャンスと考え飛び込んできた彼女を、絶対に銃弾が避けられない距離まで引き込み、最後の一撃を放つ。それがリックの、全身全霊を懸けた最後の賭けであった。
右手に握った自動拳銃。彼はその銃口をヴィヴィアンヌの左胸に向け、引き金を引こうと指をかける。だが彼女は、リックが狙っている最後の一撃すら読んでいた。腰のホルスターに残した拳銃が、彼に残された最後の武器であり、彼女を一撃で倒せるかもしれない切り札であったからだ。
動きを読まれていては不意を付く事ができない。リックが向けた拳銃は、彼の動きに瞬時に反応して見せた、ヴィヴィアンヌの右手に握られてしまった。彼女は右腕に力を込め、銃口を自分の左胸から逸らすと、リックの腹部目掛けて、強烈な右足蹴りを叩き込んだ。
その一撃は、少女が放ったとは思えない、鉄か何かで力の限り殴られたかのような、硬く重い一撃であった。あまりの衝撃に、リックの体はその蹴りで吹き飛ばされ、彼の後ろで残骸となっていた家の外壁に激突する。偶然にもその残骸は、砲撃によって破壊されてしまった、ヴィヴィアンヌの家であった。
壁に叩き付けられ、地面に尻を付き、壁に背中を付けたまま、彼は大量に吐血した。今の一撃で、内臓をやられてしまったのだ。苦しそうに血を吐き出した後、リックは沈黙してしまった。狂った笑い声を発する事も、暴れ出す事もなく、まったく動かなくなってしまった。
「はあ・・・・はあ・・・はあ・・・・!」
勝者はヴィヴィアンヌだった。命を懸けたリックの猛攻を捻じ伏せ、彼女は勝利を収めたのである。
「今・・・・・楽にしてやる・・・・!」
勝者となったヴィヴィアンヌの右手には、リックの自動拳銃が握られている。蹴り飛ばした瞬間、衝撃と痛みで、彼は銃を手放してしまったのだ。
リックが使った姿を見て、彼女は使い方を把握している。奪った拳銃を握りしめ、ヴィヴィアンヌはリックの傍まで、ゆっくりと近付いていった。その手に握る拳銃で、彼の息の根を止めるために・・・・・。
「この瞬間を・・・・・ずっと願っていた・・・・・」
たった二人の、永遠に続くかに思えた死闘。彼女は戦いの最中、彼を殺したいと願い続けた。
そして今、自らの手で彼を殺す瞬間がやってきた。
「リクトビア・・・・・、貴様を殺す」
近付く足を止め、顔を地面へと向けたまま動かない彼を見下ろしながら、彼女は右手に握る拳銃の銃口を、彼の頭へと向けた。
絶対に外さない距離。確実に殺せる狙い。銃口を向けたまま、ヴィヴィアンヌは引き金に指をかける。
そして・・・・・。
「・・・・・・・」
銃声は響き渡らなかった。
乾いた発砲音も、排莢によって地面に落ちた空薬莢の金属音も、何も聞こえない。何故なら、弾丸は発射されていないからである。
銃口はリックの頭に向けられたまま、引き金は引かれてはいない。
見れば、引き金に置かれたヴィヴィアンヌの指は震えていた。その震えが、彼女に引き金を引かせなかったのである。指の震えの正体は、彼女の心の迷いであった。
「どうして・・・・殺せない・・・・・・!?」
指に力を入れようとしても、彼女の人差し指はそれを拒み、震えるばかりであった。
目の前には、自分の手で殺してしまいたかった相手がいる。その男の何もかもが目障りで、何もかもが嫌いだった。自分を狂わすその存在を、どうしても消し去りたかった。
「躊躇う理由はないはずだ・・・・・!それなのに、私は・・・・・!!」
待ちに待った瞬間だった。誰も彼女を邪魔できない。彼の命は、完全に彼女が握っている。
だが、引き金にかけられた人差し指は、彼女の命令を拒み続けた。夢にまで見たこの瞬間を、彼女の心の迷いが邪魔をする。
「貴様などに関わらなければ・・・・・、何もかも思い出さずに済んだ・・・・・・」
リックはヴィヴィアンヌの命を奪おうとした。でもそれは、彼女を憎んでいたわけでもなく、帝国のためにと殺そうとしたわけでもない。ただ純粋に、彼女を絶望から救い出したかっただけである。
そのために彼は彼女のもとにやって来た。それだけのために命を懸け、自分の命を削った。見返りなど求めていない、何の利益もない行動だ。
そうやって今まで、彼は何度も同じ事を繰り返してきた。愚かと言えるその心で、苦しむ者達を救おうとした。その手で救えた者達もいれば、救えなかった者達もいる。救えなかった度に絶望し、自分が堪え難い苦痛を味わっても、彼はその行為を止めはしない。
本当は、彼自身も救いを求めている。絶望の闇の中、過去の苦痛に苛まれながらも、大切な者達の未来を守るために、ずっと抗い続けている。自分を下衆と罵りながらも、それができるのは彼の優しさ故だった。
今も彼は、彼女の未来を守るために戦った。戦いの最中、生を歩む限り彼女は解放されないと知ったために、彼は彼女を殺そうと戦った。彼女との殺し合いは、全て彼の優しさ故の行動だったのである。
彼の優しさは、彼女を人に戻らせた。彼女が押し殺していた、大切な記憶と感情を呼び覚ましたのも、彼の言葉だった。それ故に苦しくて堪らないのである。
「思い出したくなんかなかった・・・・・。思い出しても、苦しいだけだ・・・・・・」
「・・・・・・・」
「そう思っていたのに・・・・・・、今は心地よく感じてしまう」
その苦しみは、言うなれば彼女の心の叫びである。
心を取り戻し、再び人に戻ってしまえば、犯した大罪が自分を襲う。彼女はもがき苦しみ、こんな苦しく悲しいものなど捨ててしまいたいと、彼女の心が叫ぶ。だが、彼女が取り戻した心には、痛みや悲しみだけがあるわけではない。
彼女の心には、大切な者達が自分に与えてくれた、優しい温もりがあった。
「貴様の存在が・・・・・・、私を変えてしまった」
殺してしまったかけがえのない存在。彼女の両親は、彼女の事を愛していた。その愛故に、兵士として生きる未来ではなく、自由を持った人間としての未来を与えるために、二人は戦って散ったのだ。
両親が与えてくれた優しい温もり。それを思い出した彼女の体を、二人の愛が抱いていく。
そして、彼女の心の闇を払っていく、温かな光。彼女を絶望の底から救い出した、優しくも愚かな救世主。
「私は・・・・・貴様を殺せない」
リックの頭に向けていた銃口を、ヴィヴィアンヌは下ろした。彼女はもう、彼を殺す意思はない。
命を削ってまで戦い、どれだけ傷付こうとも言葉をかけ続け、彼女を救おうとした彼の姿に、ようやくヴィヴィアンヌはリックという男を真に理解した。
彼は本当に、優し過ぎる大馬鹿者の救世主なのだと・・・・・・。
「リクトビア、私は-------」
言葉を遮らせた、背中に何かが当たった感触。直ぐにその感触は激痛へと変わり、痛みが全身に駆け巡っていく。最後まで言葉をかけられないまま、ヴィヴィアンヌはリックのもとに力なく倒れ込んでいった。
「ヴィヴィ・・・・アンヌ・・・・?」
自分の体に彼女が倒れ込んだ感触で、リックは意識を取り戻す。
彼が目にしたのは、自分の体にうつ伏せとなって倒れ、背中に一本の矢が突き刺さったヴィヴィアンヌの姿であった。
「思い知ったか番犬!!お前達のせいで俺の計画は全て狂った!」
怒号を撒き散らす男の声に、どうにかリックは頭を上げて、声のした方へと視線を向ける。
そこにいたのは、右腕を失い、左手にボウガンを持った、情報局の暴豹の姿であった。
「ルドルフ・・・・・グリュンタール・・・・・・」
それは、リックにとっても、そしてヴィヴィアンヌにとっても、アーレンツ最大の敵と言える存在。
二人にとって宿敵とも言える暴豹が、彼らを道連れにするために現れた。
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