贖罪の救世主

水野アヤト

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第三十一話 幕を引く銃声

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「ぐっおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 目覚めた彼女が最初に行なったのは、自分を殺すべく目の前に迫っていた男の、ナイフを握る手ごと斬り落とす事であった。

「烈火式神槍術、斬滅・・・・・」
「ばっ、馬鹿な・・・・!」

 彼女を殺そうとしていたミッターは、彼女の十文字槍によって、ナイフを握っていた両手を斬り落とされてしまった。痛みに絶叫し、斬られた腕から大量の血を流しながらも、体勢を立て直すべく急いで彼女と距離を取る。後退した先には、味方であるゲオルグ達の姿があった。

「旦那っ!?」
「ゲオルグ・・・・・、奴はあの村の人間だ!」
「!」

 突然ミッターが彼女に襲い掛かり、何事かと思っていたゲオルグは、急いで負傷した彼に駆け寄り、両手の止血作業を行なった。その止血の最中、ミッターの口から出た言葉に、ゲオルグは全てを察したのである。
 
「うるさい奴らだ・・・・・」
「「!!」」

 彼らは化け物を呼び覚ましてしまった。今の彼女は、帝国のために戦う軍神などではない。眼前に見える全ての相手を敵と定めた、荒ぶる軍神。激昂した今の彼女に挑めば、まず間違いなく命はない。
 
「よくも私に、あんな幻覚を見せてくれたな・・・・・・」

 ミッターの精神操作魔法を受けた彼女は、自分が思い出したくもない記憶を無理やり呼び起こされ、悪夢を見た。彼女が憎む者達や、憎む者達にかけられた言葉が、さっきまでの彼女を苦しめ続けた。だがもう、彼女を苦しめる存在や言葉が現れる事はない。彼女はそれらを、自身の憤怒で抑え付け、意識を覚醒させたのだ。
 
「降伏も命乞いも認めない。貴様達は全員ここで殺す」

 夢を見ていた軍神は、怒りにその身を焦がしながらも目覚めた。
 帝国の軍神、槍士レイナ・ミカヅキ。得物である十文字槍を片手に、再び彼女はこの戦場で槍を振るう。

「旦那は後退して下さい。後は我々だけで片付けます」
「ゲオルグ、奴は危険だ・・・・・!」
「御心配には及びません。こういう事態を想定し、こいつを携帯しています」

 負傷したミッターを逃がすため、ゲオルグは軍服のポケットから、一本の注射器を取り出して見せた。それは情報局が作り出した、肉体強化のドーピングである。
 この薬をゲオルグが使えば、実戦慣れした猛者であるミッターを欠いたとしても、戦力の大幅な低下は避けられるだろう。彼の戦闘能力が向上し、レイナと互角に戦う事ができれば、数で勝る彼らが有利となる。ミッターは長年の経験と直感から、目覚めたレイナの危険性を訴えるが、ゲオルグには勝利の自信があった。

「旦那には幾度となく世話になりました。その恩を返す前に、こんなところで戦死されては困ります。怪我の治療のためにも、ここは撤退して頂きたい」
「・・・・・すまん、後は任せるぞ」
 
 応急手当をしたとは言え、両手を斬り落とされたミッターは重傷である。急いで医者に見せなければ、命に関わるかもしれない。彼に恩義を感じているゲオルグは、治療と安全のために彼を撤退させようとしていた。
 どの道、ここにいても自分は足手まといだと考え、止血された腕の痛みを堪えながら、ミッターは撤退を始める。それを見たレイナはさらに憤慨し、怒りに満ちた眼で彼らを睨み付けていた。

「全員殺すと言った!!逃げるなど許さん!!」
「調子に乗るなよ!貴様のような小娘一人、俺だけで十分だ!!」
 
 荒ぶるレイナと、挑発するゲオルグ。彼女を挑発しながら、ゲオルグは注射針を首に突き刺し、中の薬を注入する。薬の効果によって、筋力と動体視力を強化した事で、彼の戦闘態勢は整った。
 対してレイナは、彼の挑発を受けて激しく怒り、槍を片手に駆け出す。怒りで荒ぶる軍神が飛び上がり、十文字槍の刃をゲオルグの頭上から振り下ろす。彼はそれの切っ先に対して、自分の長剣の刃で応戦した。刃を盾に使い、彼女の槍を受け止めて見せ、力の限り槍ごと彼女の体を押し返す。
 空中で押し返されたため、宙を舞っていた彼女の体は、再びゲオルグのもとより離れる。地面に着地したレイナを待っていたのは、ゲオルグと共に戦う精鋭達の刃であった。前から剣と槍、後ろからは斧。近接戦闘を任されている三人の男達が、着地した彼女の隙を付いて襲い掛かったのである。
 三人の同時攻撃。しかしレイナは、一切慌てない。彼女はいつもの掛け声なしで炎属性魔法を発動し、目の前に激しく燃え盛る炎を出現させた。まるで壁のように展開された彼女の炎に、剣使いの男と槍使いの男の足は止まり、炎を避けようと後ろへ下がる。残った斧使いの男は彼女の背後に立ち、自慢の斧の刃を横一閃に振るった。
 だが、その斧の刃はレイナの槍に受け止められる。彼女は振り向きもせず、自身の右側から迫った斧の刃を、槍を盾代わりに使って防いで見せたのだ。

「こんなものかっ!!」
「!?」

 槍ごと叩き切られてもおかしくない、鍛えられた男の強烈な一撃であった。それを彼女は平然と防いで見せ、自身の槍は傷一つ付いていない。
 怒りで荒れたレイナは、盾にした槍で斧を押し返し、振り返る事なく槍の切っ先を後ろへ向けて、切っ先を男の胸へと突き刺す。男の胸に深く突き刺さった切っ先は、激痛を与えて彼の動きを止める。そこでようやく振り返った彼女は、男の顔を左手で乱暴に鷲掴みにし、殺意を込めた眼で男を睨み付けた。

「燃やし尽くせ・・・・・!」

 次の瞬間、彼女の左手は真っ赤に燃えた炎を帯び、その炎は左手から男の顔に移っていく。やがて男の全身を飲み込んだ炎は、男の体を包み込みながら激しく燃え盛り、焼き尽くしていった。全身を焼く熱さからくる激痛によって、悶え絶叫した男を冷酷な眼で見つめたまま、レイナは左手を放す。炎に巻かれた男は地面に叩き付けられ、暫くは悶え苦しんでいたものの、やがて動かなくなった。
 自身の炎魔法で斧使いの男を殺し、彼女の相手はこれで四人。ゲオルグに加え、剣と槍と弓使いの三人である。

「死にたい奴から前に出ろ」

 レイナの挑発を受けて、弓使いの男が彼女に矢を射かけた。同時に三本の矢が放たれたと同時に、剣と槍の二人が駆け出す。
 自分に向けて放たれた三本の矢を全て槍で叩き落し、今度は弓使いの男を標的に定めたレイナは、自身の槍を振りかぶり、投擲体勢に入った。

「紅蓮式投槍術、飛槍」

 レイナの操る技には、二種類の槍術がある。一つは烈火式、もう一つは紅蓮式である。
 彼女にとって紅蓮式とは、使う事を禁じた邪道の槍術。しかし今の彼女には、そんな事を気にも留めない。眼前に映る邪魔な敵を最も簡単に殺せる手段が、偶然にも紅蓮式だったという、ただそれだけの理由で使ったのだ。
 投擲体勢で槍を構え、力の限り相手に向けて槍を放つ。放たれた槍は真っ直ぐ男に向かっていき、その切っ先は弓使いの男の胸を刺し貫いた。十文字槍に刺し貫かれ、男は崩れる様に地面に倒れる。大量に血を流し、苦痛で動けなくなってしまったこの男は、放っておけば確実に死ぬ。容赦ないレイナの一撃が、また一人敵を仕留めた。

「これ以上やらせるものかっ!!」
「今度こそ討ち取ってやる!」
「・・・・・!」

 弓使いの男がやられたからと言って、残った二人の足が止まるわけではない。投擲してしまった事で、完全に武器を失った今こそが好機と思い、剣使いと槍使いの男達が襲い掛かる。先陣を切ったのは槍使いであった。男は槍を構え猛然と突撃し、レイナの胸を槍の切っ先で刺し貫こうとしている。
 一時的に得物を失い、攻撃の手段も防御の手段も失った今の彼女は、まさに格好の獲物と言えた。この機会を逃すなど、彼らからすればあり得ない。今こそが、帝国の軍神を討ち取る好機なのである。
 しかしレイナは、そんな絶望的状況でありながら、まったく慌てる様子がない。寧ろ彼女は、眼前の敵の存在が憎くて仕方がない様子らしく、怒りと殺意を燃え上がらせる。襲い掛かられている状況でありながら、彼女は武器を持たない素手の状態で、迫り来る槍使いの男に真正面から挑んでいく。

「紅蓮式特槍術、奪槍」 

 自分から槍の切っ先へと飛び込んでいったレイナ。彼女はその切っ先を、最小限の動きでぎりぎり躱し、男の懐に入り込む。槍士が懐に入られたら終わりである。槍使いの弱点を熟知している彼女は、危険を顧みず敢えて飛び込んでいったのだ。
 槍の切っ先を躱したレイナは、男の槍を右手で掴み、左足を使って男の体を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた衝撃で、男は槍を握っていた手が緩み、その隙にレイナは無理やり相手の槍を奪った。そこからは一瞬の動きで、彼女は奪った槍を自分の得物とし、その刃で男の喉元を斬り裂いたのである。
 斬られた傷口から血を流し、男は両手で傷口を押さえながら苦痛に呻く。そんな男に止めを刺したのは、彼女の放った神速の一撃であった。槍の切っ先が男の心臓を刺し貫き、程なくして男は息絶えたのである。
 これもまた、紅蓮式の槍術であった。戦場において自分が得物を失ってしまった際、相手から武器を奪って反撃に転じる、必殺の技の一つ。使い慣れた自分の槍ではなく、どんな槍であっても、瞬時に使いこなす事が要求されるこの技は、口で説明するのは簡単でも、実践するのは難しい。だが彼女は、そんな技でさえも華麗に決めてしまった。
 これにより、残ったレイナの相手は、ゲオルグと剣使いの男だけとなる。またも仲間が討たれ、精鋭最後の一人となってしまった剣使いの男は、力強く握った得物の刃で、化け物と変わった軍神へと挑む。

「覚悟しろ軍神!!」

 渾身の力で振られた男の斬撃。しかしその剣は、レイナではなく、槍使いの男の死体を肩から斬り裂いた。彼女は何の躊躇もなく死体を盾として扱い、相手の剣を防いだのである。しかも男の剣は、死体の体に深々と刺さってしまい、刃を抜くのに時間がかかった。その隙が命取りとなる。
 
「その程度の剣で私を斬れると思うな」
「!?」

 レイナは素手で男へと迫り、相手の足を払って体勢を崩し、男の体を背中から地面に叩き付ける。倒れた男へと馬乗りになった彼女は、まず相手の両眼に指を突き刺し、男の眼を奪った。
 両眼を潰され絶叫し、痛みに苦しむ男に対して、彼女は馬乗りの体勢のまま、両の拳で男の顔面を殴り続ける。それだけでは終わらず、偶然傍に転がっていた、拳ほどの大きさの岩を掴み、渾身の力で男の頭を殴った。
 岩で殴られた男の頭は凹み、傷口からは血が滲んでいる。それが致命傷となって、この男もまた彼女の前に命を落とした。これで残るはゲオルグのみである。

「かかったな、小娘!!」
「・・・・・!?」

 ゲオルグの声が聞こえた瞬間、突如出現した大量の砂がレイナの周りを囲み、波のような動きで彼女を呑み込もうとする。
 仲間達が彼女の注意を引いている隙に、ゲオルグは自慢の砂属性魔法を準備していた。彼が仲間達と共に直接戦闘を行なわなかったのは、砂属性魔法を使って一気に片を付けるためだったのだ。戦死した精鋭達は彼の作戦を察し、命懸けで彼女に挑んで注意を引いていたのである。

「これで終わりだ!!」

 レイナを呑み込もうと襲い掛かる砂の波。四方八方砂に囲まれ、彼女に逃げ場はない。ゲオルグが勝利を叫んだ通り、これで終わりかと思われた。

「吹き飛ばせ、烈火っ!!!」

 波が彼女を呑み込む直前、彼女の炎属性魔法が炸裂した。烈火の如く燃え上がった炎が出現し、砂が彼女を呑み込む寸前で、激しい爆発を引き起こしたのである。
 爆炎が砂を吹き飛ばし、激しく燃え盛った炎魔法が、レイナを守るように炎を舞い上がらせる。彼女の炎属性魔法は、主であるレイナを守るために爆弾と化して、爆風によって砂を吹き飛ばし、彼女の身を守って見せたのである。

「くっ、化け物め・・・・・・!」

 ゲオルグの作戦は失敗した。ミッターを負傷させられ、精鋭であった部下達を失い、一人だけになってしまった彼に残された手段は、己の得物である長剣を使っての直接戦闘である。彼は長剣を構え、炎の中から姿を現したレイナに、長剣の切っ先を向ける。

「後は、貴様だけだ」

 そう宣言し、殺した男達から武器を奪い、右手には槍、左手には剣を握り、レイナはゲオルグに向けて駆け出した。最後の一人を相手に、強烈な怒りと殺意を放って迫り来るレイナ。対してゲオルグは、己の覚悟と誇りを胸に、真っ向勝負を挑んだ。
 横一閃に振られたゲオルグの長剣。レイナはその斬撃を左手の剣で受け止め、右手の槍を使い突きを放つ。薬の力で強化されたゲオルグは、彼女の槍を容易く躱して見せると、長剣を振り回し、レイナに連続の攻撃を仕掛けた。
 互いの武器が交錯し、激しい剣戟を繰り広げる。だが、その激しさ故に、レイナの持っている剣と槍は、ゲオルグの長剣から放たれる重い一撃を受けて、耐久力の限界迎えてしまった。まずは剣が砕け、次に槍が折れる。ゲオルグの力と長剣を前に、彼女は全ての武器を失ってしまった。

「今度こそ終わりにさせて貰うぞ!!」

 武器を失い再び無防備となったレイナ。彼女に迫る、ゲオルグの長剣の刃。彼は長剣の切っ先を彼女へと向け、突きの一撃を放つ構えに入る。
 対してレイナは、右足で地面を蹴り上げ、ゲオルグの顔目掛けて砂を飛ばした。蹴飛ばされた砂が眼に入り、彼は一時的に視界を失う。まさか彼女が目潰しなど使うとは思わず、完全に油断していたゲオルグは、視界を奪われた事で突きを外し、レイナを見失ってしまった。

「終わるのは貴様だ」
「!!」

 消えたレイナの姿は、ゲオルグの懐にあった。無防備な彼の懐に入り込んだレイナが、右手を使って掌底打ちを放つ。狙いは彼の鳩尾であり、急所に強烈な一撃が入った事で、苦痛のあまりゲオルグの動きが止まる。そして彼は、受けた衝撃で長剣を手放してしまった。
 このチャンスを見逃さず、レイナは彼が手放した長剣を奪い取ると、力の限りの横一閃の斬撃を振るって、ゲオルグの右足を斬り落とした。
 彼が痛みに絶叫する中、彼女は同じ攻撃で左足も斬り落とし、ゲオルグの両足を奪ったのである。足を失った事で、背中から地面に倒れたゲオルグ。彼女から逃げようと両腕を使い、必死に逃げようとしたが、レイナはそんな彼の体を左足で踏みつける。

「逃がすものか。貴様はここで私が殺す」

 逃げられないよう左足に体重を乗せ、ゲオルグの長剣を両手で握り締め、レイナはその刃を彼の胸に突き刺した。深く突き刺された刃はすぐに引き抜かれ、彼女はゲオルグの体中を刺し続ける。その凄惨な行為は、体中を刺し貫かれたゲオルグが絶命しても尚、終わる事なく続けられた。

「よくも私にあんなものを見せたな!!逃げた貴様の仲間も必ず殺してやる!!」

 激しく怒り、圧倒的な殺意を放ちながら、レイナは死体となったゲオルグを滅多刺しにしていた。彼女達の周りで戦闘を行なっていた両軍の兵士達は、ゲオルグ達の死と、レイナの狂気を知って、戦いの手を止めてしまっていた。
 そして、我に返ったアーレンツ国防軍と国家保安情報局の兵士達は、ゲオルグ達の戦死を受けて士気を失い、多くの兵士達は撤退を始めてしまった。これは精鋭の戦死だけでなく、レイナの圧倒的な強さと狂気が、アーレンツの兵士達の戦意を奪い去った結果でもある。
 しかし、戦意を奪われたのはアーレンツの兵士達だけではない。帝国軍の兵士達もまた、彼女の狂気に驚愕し、言葉を失ってしまっていた。特に、レイナが率いている精鋭槍士部隊の兵士達は、彼女の変貌ぶりに我が目を疑っていた。
 レイナ・ミカヅキとは、帝国参謀長に絶対の忠誠を誓う、生粋の槍使いであり武人であると、そう誰もが思っていた。それが今、目の前にいる彼女の姿は武人ではなく、狂人と化している。普段の彼女とは思えない態度や言動、さらには戦い方まで変わってしまっていた。彼女をよく知る兵士達からすれば、彼女は別人に変わってしまっていたのである。
 
「私の邪魔する奴らは全て殺す!!国防軍だろうが情報局だろうが関係ない!アーレンツの人間は、全て私の敵だっ!!!」

 狂人と変わったレイナ。彼女を狂わせたのは、ミッターの精神操作魔法が見せた、彼女の苦痛の記憶だった。それが彼女の憤怒の原因となっている。
 「烈火式」と「紅蓮式」。二つの技を持つ彼女の正体。ミッターは彼女の事を、「あの村の人間」と言った。彼女はその村で槍を教えられ、鍛えさせられ、様々な修行を経験させられた。修行の中には、相手が魔法を使う人間だった場合の対処法なども存在した。
 彼女が精神操作魔法を打ち破れたのは、修行の中に、対精神攻撃への訓練があったからだ。薬と催眠を使われ、精神操作への耐性を作らされていたのである。そして、彼女が急激に戦闘能力を向上させた理由は、完全にキレた事で、どんな行為にも抵抗がなくなったためだ。
 槍士レイナ・ミカヅキはその村で生まれ、その村で作られたのだ。槍に命を懸けた、生粋の槍士に作り上げられた。故に彼女は・・・・・・。

「レイナちゃん、落ち着いて」
「・・・・・!」

 誰もがかける言葉を失う中、一人だけ彼女へと言葉をかける。剣を止め、声がした方へとレイナが振り向けば、そこにいたのは彼女がよく知る仲間の姿だった。
 レイナ同様にこの戦場で、抑えられない怒りの炎を燃え上がらせる、帝国一の天才狙撃手。両手で銃を抱え、彼女のもとに歩み寄って来たのは、イヴ・ベルトーチカであった。

「そいつ、もう死んでるよ」
「・・・・・・何をしに来た」
「補給が終わったから前線に戻って来たの。最前線に向かう途中で、レイナちゃんが苦戦してるって聞いたから急いできたんだけど、もう終わっちゃったみたいだね」
「お前が見ての通りだ。敵は撤退を開始している。このまま追撃し、アーレンツへと突撃するぞ」

 怒りと殺意に捕らわれたレイナ。彼女がその感情に捕らわれるのは、憎むべき記憶のせいだけでなく、必ず救い出すと誓った大切な存在ためでもある。
 それがわかってるからこそ、イヴは彼女に向けて言葉を発した。

「レイナちゃんは後退して。後は僕が引き継ぐから」
「何だと・・・・!?」
「さっきの戦い、最後の方は見てたよ。あれだけの魔法使っちゃった後じゃ、体も限界でしょ。だから、後は僕に任せて」
「黙れ!!部隊の指揮は私が執る!それは変わらない!!」

 レイナはイヴの胸倉を掴み上げて怒鳴り、自身の後退を許さなかった。
 確かにイヴの言う通り、最後に使ったあの魔法は、残りの魔力を全て使い切った大技であった。しかも、敵の精鋭との戦いは彼女を十分消耗させている。イヴが後退を促すのも当然であった。
 そして何より、今のレイナを救出に向かわせる事だけは、イヴが愛する大切な彼のためにも、絶対にさせるわけにはいかなかった。

「お願いレイナちゃん。陣地に戻って少し頭冷やそうよ」
「そんな事をしてる暇などない!!例えこの身朽ち果てようとも、必ずリック様を救い出す!!!」

 見ていられなかった。だがイヴは、今の彼女の姿から決して眼を逸らさない。何故なら今の自分も、彼女と同じだからだ。だからこそイヴは・・・・・・。

「ごめんね、レイナちゃん」
「ぐっ!!」

 仲間だからこそ油断していた。イヴはレイナの鳩尾目掛けて拳を放ち、彼女を気絶させた。耐性があったとは言え、精神操作魔法への抵抗と激しい戦闘で、体力を大きく消耗している。この一撃は、レイナを一時的に眠らせるには十分であった。
 気絶して倒れそうになるレイナを優しく受け止め、イヴは彼女を優しく抱きしめた。今だけは、彼女が苦痛を忘れられるよう、心から祈りを込めて・・・・・・。

「こんな姿、リック君に見せられないよ・・・・・・」

 今のレイナを見れば、きっと彼は悲しむ。それがわかっていたからこそ、イヴは彼女を力尽くで止めた。後で憎まれても構わないという、強い覚悟の為せた行為であった。
 彼女を優しく抱きながら、イヴは死体に突き刺さったままの、レイナの十文字槍を見つめる。常に彼女と共にあるその槍は、主の傍を離れて孤独にあった。イヴにはその槍が、主の心を想って泣いている様に見えた。

(目が覚めたら、君の主は元に戻ってる。だから安心して・・・・・・)

 心の中でレイナの槍に語り掛けたイヴは、手で合図して自分の部下達を呼び、彼女の身を部下の一人に預けた。部下達に槍も回収させ、周りを見回した彼女は、この場の全兵士に向けて眼で語り掛ける。今からは自分の命令に従えと、そうイヴの眼は語っていた。

「レイナちゃんと負傷兵は陣地まで撤退。動ける人は僕に付いて来て」

 イヴの命令に誰も異論はなかった。覚悟を決めているイヴの行為を見て、敵の精鋭を蹴散らして見せた軍神の代わりに、今度は自分達が命を懸ける番だと、彼らも決心したのだ。故に誰も異論はない。イヴに従う事にも異論はない。

「アーレンツ国内に攻め込むよ!全軍、僕に続いて!!」

 眠りについた軍神の代わりに、彼らは戦場を突き進む。
 彼女が苦しまぬ様、眠りから目を覚ます前に、一刻も早くこの戦いを終わらせるために・・・・・。
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