贖罪の救世主

水野アヤト

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第二十八話 激動

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「はあ・・・・はあ・・・・・はあ・・・・・・」

 薄暗い室内に、椅子に座らされ、椅子の後ろに腕を回されて、両手に手錠をかけられた、一人の男の姿がある。彼は下を向いたまま、苦しそうな呼吸を繰り返し、異様な冷や汗をかき続けていた。
 彼はこの室内に拘束されている。彼を拘束しているのは、彼の目の前に立つ四人の男達であった。彼はこの場所に無理やり連れて来られ、椅子に拘束され、男達から何度も同じ質問をされている。はぐらかそうとすれば殴られ、黙っていれば蹴られる。何度も何度も質問の度に暴行され、体中に傷を負いながらも、彼は男達の質問に答えようとしない。

「どうだ、狂犬の様子は?」

 彼の荒い呼吸しか響いていなかったこの部屋に、新たに入室した男が一人、彼の事を狂犬と呼ぶ。男が入って来た瞬間、彼を拘束した男達は敬礼し、男も敬礼で返す。
 
「それが、中々強情でして。使用許可を頂いておりました薬物を全て投与しましたが、体力を消耗させるだけで、御覧の通り効果がありませんでした」
「何だと?この男、薬物耐性の訓練でも受けていたのか?」
「わかりません。注射痕などは見られなかったので、訓練されていたとは思えません。もしかすると、天性的に耐性が高いのではないでしょうか?」

 彼の呼吸が荒い理由は、暴行のせいだけではない。腕に何本も注射された、自白剤のせいである。彼が質問に答えなかったため、男達は無理やりにでも答えさせようと薬を注射したが、結局どんな薬を使っても、彼には効果がなかった。
 強いて効果があったとすれば、薬の副作用の影響で、彼の体力を大きく消耗させた事だろう。しかし、どんなに彼の体力を奪っても、彼は全く口を割らないため、結局意味はない。

「あの女が吐かせるのに手こずるだけはある。流石はヴァスティナ女王の飼い犬と言ったところか」

 口元に笑みを浮かべ、男は彼の目の前まで歩を進め、拘束されている彼の姿を見下ろした。暴行と薬物によって、酷く弱り切った彼の姿は、無残なものである。そんな彼の様子を見て、男は邪悪な笑みを浮かべていた。この男にとって、他者が苦しむ姿を見るのは、快楽の一つでしかないのだ。

「気分はどうだ?リクトビア・フローレンス」
「はあ・・・・はあ・・・はあ・・・・・・。おかげさまで・・・、吐きそうなくらい気持ち悪い・・・・・」

 拘束されている彼の名は、リクトビア・フローレンス。男の名は、ルドルフ・グリュンタール。
 ルドルフは部下に命じ、情報局大尉ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼの自宅を強制調査させ、リクトビアの身柄を確保した。更にルドルフは、部下達にリクトビアからの情報収集を命令していたため、こうして苛烈な尋問が行なわれたのである。
 彼らがいるのは、国家保安情報局の特別収容所である。つい最近までここに捕らわれていたリックは、ルドルフの手によって、再びこの場所に連れ戻されたと言えるだろう。
 リックに対してヴィヴィアンヌが行なった以上に過酷な尋問が、この場所で行なわれている。ルドルフの部下達は、リックの生命に関わる程の尋問を、命令のままに実行した。彼が嘔吐を訴えるのも無理はない。
 
「俺の部下達は容赦と手加減を知らん。大人しく全部吐いた方が身のためだぞ?」
「ははっ・・・・・、吐くって何をだよ・・・・?ゲロならいくらでも吐けるけど・・・・・、欲しいならいっぱい吐いてやろうか・・・・・?」

 顔を上げ、苦しそうでありながらも、口元にどうにか笑みを浮かべ、軽口を言って見せるリック。弱り切ったその姿で、彼は尋問には決して屈しないという意思を、ルドルフに対して示して見せたのである。

「馬鹿がっ!」
「がはっ!!」

 リックの言葉に対して、ルドルフは暴行で答えて見せた。弱り切っている彼の腹部目掛け、勢いを乗せた拳を放ったのである。無防備な腹部に入れられた拳は、リックを更に苦しみ悶えさせるには十分であり、彼は暫くの間呼吸が止まってしまった。
 また下を向き、咳き込み続け、どうにか呼吸を取り戻したリックの頭を、ルドルフの左手がしっかり掴み、彼の顔を再び上げさせる。顔を上げさせられたリックが見たのは、邪悪な笑みを浮かべるルドルフの顔だった。

「威勢がいいのは結構だが、このままならお前を殺すぞ?」
「・・・・・殺したきゃ・・・・殺せばいいだろ・・・・・・」
「何も吐かずに死んでもらっては困る。お前が持つ銃という兵器の情報には、俺も興味があるんでな」
「どいつもこいつも・・・・・。そういうのは・・・・・俺じゃなくて・・・・・、帝国に行って聞いてくれ・・・・・・」

 声を発するのも辛い中、リックはどうにか言葉を返して見せる。その威勢がいつまで持つかと言わんばかりに、リックの言葉を鼻で笑ったルドルフは、彼の頭を左手で掴んだまま、右手で彼の頬を殴りつけた。痛みで呻き、血反吐を吐いたリックに情けはかけられず、ルドルフの尋問は続く。

「自分の立場を理解したか?俺を目の前にしてのその度胸は買うが、俺は気が短いんでな」
「お前が・・・・・、ヴィヴィアンヌの言ってた・・・・暴豹か・・・・・・?」
「奴から聞いてはいたのか。お察しの通り、俺がルドルフ・グリュンタールだ」
「お前が・・・・・ここにいるって事は・・・・・・・、穏健派は・・・・・・」
「ああ、穏健派は崩壊したぞ。ファルケンバイン准将を殺害し、主要な幹部は一人残らず逮捕したのでな」

 ルドルフは強硬派の人間であり、ヴィヴィアンヌから警告を受けていた存在。自分にとっては間違いなく敵と言える存在が、自分の目の前にいる。
 自分が監禁されていたヴィヴィアンヌの自宅に、突然男達が突入してきた時点で、リックは察していた。穏健派の敗北と、強硬派の勝利を直感で理解したからこそ、ルドルフの言葉にリックは動揺しなかった。
 だが彼には、穏健派の敗北以上に気になっている事がある。

「ヴィヴィアンヌは・・・・・・、彼女はどうした・・・・・?」
「やはり気になるのか?話には聞いていたが、相当あの女が気に入っているようだな」
「彼女は・・・・・・・、無事なのか・・・・・・?」
「安心しろ、まだ何もしちゃいない。お前が気にするかと思って、特別に連れてきてやったんだぞ」

 ルドルフはリックの頭から左手を乱暴に放し、指を鳴らして部屋の外に合図を送る。合図を聞き、新たにこの部屋に入って来たのは、二人の男と一人の少女であった。

「リクトビア・フローレンス・・・・・・」
「ヴィヴィアンヌ・・・・・・」

 二人の男はルドルフの部下であり、ここまで彼女を連行する命令を受けていた。両手に手錠をかけら、今や国家反逆罪で逮捕状態となっている、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。彼女はリックの姿を見つけると、彼の無残な姿を見つめたまま、彼の名を呼んだ。
 ヴィヴィアンヌに名前を呼ばれ、薬のせいで重い頭を何とか上げて、リックもまた彼女を見つめると、名前を呼んで見せる。ルドルフの言った通り、無傷の状態の彼女を確認したリックは、安心して微笑みを浮かべていた。

「無事でよかった・・・・・・」
「自分の心配をしろ。貴様の身柄を同志大佐が預かった以上、私の時の様にはいかないぞ」
「心配して・・・・くれるのか・・・・・・?」
「黙っていろ」

 変わらないヴィヴィアンヌの様子に、安堵の息を吐くリックだったが、彼の危機的状況は何も変わらない。今リックは、この国で頼るべき存在と言えたディートリヒを失い、彼の部下であったヴィヴィアンヌまでも捕らえられてしまった。このままでは、自分の身が非常に危険な状態なのである。
 ルドルフはリックの持つ、帝国軍製の銃火器の情報を欲している。それを得るためならば、どんな手段も使うだろう。少なくとも、この先リックを待っているのは、今まで以上に過酷な尋問となる。それだけは間違いない。 
 
「感動の再会のところ悪いが、同志大尉。貴様はこの男を監禁し、上層部に報告もなく無許可による尋問を行なった。間違いないな?」
「はい。ファルケンバイン准将の命令で、この男を拉致し、無許可による尋問を行なっておりました」
「貴様の部下達の話によれば、尋問は貴様一人で行なう事が多かったそうだな?この男から得られた情報は、今ここで全て報告しろ」

 この場において、ヴィヴィアンヌの身はルドルフの手中にある。逆らえば、どんな目に遭わされるか、想像に難くない。そのため彼女は、ルドルフの命令に対して、正直に答えるしかないのだ。

「この男は何も吐きませんでした。よって、私が得られた情報は何もありません」
「本当か?」
「大佐の部下達が苦戦されている通り、私も尋問に失敗しております。虚偽の報告など致しません」

 そう彼女が答えると、次の瞬間ルドルフは、彼女の頬を殴りつけた。
 力任せの男の拳。避けようと思えばできたが、彼女はそうしなかった。殴られた彼女は倒れる事はなかったが、その頬は赤く腫れあがっている。突然殴られたヴィヴィアンヌだったが、彼女はその事に抗議する事なく、無言のまま立っていた。

「俺に嘘は通用しないぞ。隠し事をするなら、同じ局員であろうと容赦はしない」
「・・・・・私は嘘などついていません」
「ふん、強情な女だ」

 ヴィヴィアンヌは銃火器について、全く情報を得ていないわけではない。リックから少なからず情報を得ているため、それを報告する事ができる。だが彼女は、ルドルフの命令に逆らい嘘をついた。殴られ、脅されても、彼女が嘘を貫こうとしているのは、彼女にとってこの男が、従ってはならない敵である事の表れだ。

「俺の命令を拒否できる立場か?教えないつもりなら、貴様を国家反逆罪で一生投獄するぞ」
「・・・・・・」
「馬鹿が。素直に俺に従えば、臭い飯を食う必要もなくなるというのに」

 ヴィヴィアンヌは使えないと判断したルドルフは、不機嫌な表情を浮かべてリックを睨む。彼女に聞けない分、リックにたっぷりと聞くつもりなのだ。
 勿論リックは、自分の持っている帝国に関する情報は、一切吐くつもりはない。しかし相手は、ヴィヴィアンヌがリックに警告するほどの、危険な相手である。この男相手に自分がどこまで持つのか、今のリックにはそれが最重要の問題であった。

「何も話す気がないなら、もうお前に用はない。お前達、この女を牢にぶち込んでおけ」

 彼女を連行してきた部下達に命じ、ルドルフはヴィヴィアンヌを、この部屋から追い出そうとする。二人の部下によって、ヴィヴィアンヌは牢獄に連れていかれようとしたが・・・・・・。

「待ってくれ、ヴィヴィアンヌ・・・・・」
「・・・・・・」

 連れていかれようとしている彼女の背中を、弱り切ったリックの声が呼び止めた。彼女は振り返る事はなかったが、それでもリックは言葉を続ける。

「自分の心に・・・・・・問い続けろ・・・・。そしたらきっと・・・・お前の道は開ける・・・・・」
「・・・・・!」

 それだけを言い残し、リックは意識を失った。投与された薬のせいで、体力が尽きた事が原因だ。
 そして、ヴィヴィアンヌは何も言う事なく、ルドルフの部下に連行され、この部屋を後にした。後に残されたのは、ルドルフとリックを尋問していた部下達だけとなる。

「やれやれ、愚かな男だ」

 彼女をよく知るルドルフからすれば、リックは愚かで哀れな男にしか見えないのである。何故ならリックは、人でなくなった怪物を、再び人に戻そうとしているからだ。
 彼女を人間に戻すなど、どうやっても不可能だと、ルドルフはそう確信している。愛国者精神を情報局から植え付けられ、彼女の両親を彼女自身の手で殺させた時、ヴィヴィアンヌは人として大切な心を失い、完全に壊れてしまったのだから・・・・・・。
 
「さて、薬のせいで気絶してしまったな。おいお前達、次の手はもう考えてあるんだろうな?」
「はい、同志大佐。先ほどまで試した自白剤は効果が無かったので、薬物担当班が開発中の新型を使用したいと考えております」
「効果は期待できるのか?」
「現在情報局で使用されている、どの自白剤よりも強力であると報告を受けております。どうか、使用の許可を」
「許可する。但し、間違っても殺すんじゃないぞ?俺の許可があるまでは絶対にだ」

 もし万が一、薬物のせいでリックを許可なく殺してしまった場合、彼らはルドルフに即刻殺されるだろう。この男は部下の失敗を許さない、冷酷非情な暴君なのである。
 それを、彼の部下達はよく知っているため、次は必ず成功させなければと、恐怖を士気に変えていく。これがルドルフのやり方なのである。恐怖を力とさせる彼のやり方によって、常に彼の部下達は、命令に全力で当たるのだ。
 
「大人しく話せば苦しまずに死ねたというのにな。どいつもこいつも、俺の手を煩わせる馬鹿ばかりだ」

 気絶しているリックも、投獄されるヴィヴィアンヌも、ルドルフからすれば、救いようのない馬鹿な人間達でしかない。
 馬鹿には何を言っても無駄。ならば、体で理解させるしかない。そんな彼の傲慢な考え方によって、リックは今、命の危険に晒されようとしていた。
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