487 / 841
第二十八話 激動
11
しおりを挟む
国家保安情報局本部。そのとある専用執務室に、彼の姿はあった。
口元と顎に白い髭を生やす、五十代後半と言った風貌の、紳士的な男。彼は好物の葉巻を口に咥え、息を吸い、燐寸でそれに火をつけると、右手で葉巻を口から外し、煙を吐き出した。
「上手く事が運んでいると、そう願いたいものだ・・・・・・」
執務室には誰もいない。葉巻を吹かし、そう独り言を呟いてしまうのは、彼の不安の表れであった。彼の名は、ディートリヒ・ファルケンバイン。「アーレンツの荒鷲」という異名を持つ、情報局准将である。
(予想通り帝国軍は動いた。あの男を利用し、帝国軍を穏健派の勢力に加えれば、この勢力争いに決着がつく)
アーレンツは中立を維持し続けるべきだと主張する穏健派は、勢力の拡大を続ける強硬派に対し、劣勢を強いられている。穏健派の主要人物であるディートリヒは、この状況を挽回するべく、独自に行動を開始していた。
帝国参謀長リクトビア・フローレンスを拉致し、帝国軍の力を得る事によって、穏健派の勢力拡大を図り、強硬派との争いに勝利を収める。その後は、自分が穏健派の実権を握り、国家保安情報局次期長官の座に就いて、この国の新たな支配者となる。それこそが彼の野望だ。
その野望はもうすぐ叶う。そのための準備は出来ており、後は待つのみである。だがディートリヒは、この状況下で一抹の不安を覚えていた。
(暴豹の存在も気掛かりだが、あの男がこの状況を黙って見ているとは思えん・・・・)
あの男とは、独裁国家ジエーデル国の支配者、バルザック・ギム・ハインツベントの事である。自分の敵である強硬派よりも、ジエーデル国総統を気にする理由は、バルザック・ギム・ハインツベントという男を、ディートリヒは誰よりも理解しているからだ。
(あの男はこの私を・・・・・、この国を排除したいと考えている。あの男の正体を知るのは、私を含めた極僅かの人間だけだが、それでも全てを消し去りたいと願っているはずだ)
バルザックにとって、中立国アーレンツとディートリヒの存在は、この世で自分を最も脅かす存在なのである。その理由は、バルザックという男の正体を、ディートリヒは知っているからだ。
本当の彼の正体を、ジエーデルの人間は誰も知らない。知ってしまえば、間違いなく消されてしまうだろう。バルザックの正体を知るという事は、彼を破滅させるきっかけを得るに等しいからだ。そのきっかけとなる情報を、ディートリヒは握っている。
この情報が握られているからこそ、バルザックはこの国を侵略する事ができなかった。この情報がある限り、アーレンツはジエーデルの侵攻を受ける心配はない。しかし、バルザックという男は、弱みを握られたまま黙っていられる男ではないのだ。いつか必ずアーレンツを侵略に現れると、ディートリヒは既に読んでいる。
その前に、国内の対立を終結させ、帝国を味方に付け、来るべきジエーデル戦に備えなくてはならない。急がなければ、全てが手遅れとなってしまう。
(あの男もまた鬼才だった。私では、野望に燃えるあの男を制御する事は出来なかった・・・・・)
ディートリヒは後悔していた。今はバルザックと呼ばれている、自分が生み出した怪物を、自分の鎖から解き放つべきではなかったと。自分の鎖から放たれた時点で、すぐに始末しておくべきだったと、そう後悔し続けている。
(あの男は最初から反逆の機会を窺っていた。そのために、ジエーデルをアーレンツよりも強大な国と変えた)
ジエーデル国が大陸中央の大国と変わったのは、バルザックが独裁者として君臨したからである。バルザックは絶対的支配体制を築き上げ、国力の強化に努めた。今では、アーレンツとの軍事力差は決定的であり、ジエーデル軍の全力侵攻が行なわれたら最後、アーレンツは忽ち押し潰されてしまうだろう。
(あの男と戦うためには、帝国とエステランの国力が不可欠だ。これ以外に、この国が生き残る道はない)
迫るバルザックの脅威。ディートリヒにとっては、雌雄を決する時が来た。
戦わなければ、この国も、自分も、生き残る事は出来ない。滅亡の足音に抗うためには、自分が国家保安情報局の長官となり、この国の支配者となる他ないのだ。
(それを邪魔する者達には、消えて貰うよりないな・・・・・)
今、国内でディートリヒの邪魔をする存在は、穏健派と対立状態の強硬派である。
今まで彼は、強硬派との武力衝突避けるため、強硬派主要人物の暗殺などは行なわなかった。強硬派の方も、情報局の番犬ヴィヴィアンヌの存在を恐れ、そのような手段を講じる事はなかった。どちらも手を出さない均衡状態。故に、どちらかが武力を行使すれば、それは確実に内戦へと発展してしまう。そういう対立構図を、両勢力は作り上げてしまったのである。
強硬派の邪魔さえ入らなければ、ディートリヒの計画は達成される。だからこそ、ここは万全を期すために、今の内に邪魔者を排除するべきだと考えたのである。
彼の配下には、どんな暗殺すらも成功させてしまう、ヴィヴィアンヌの存在がある。彼女さえいれば、強硬派の主要人物を、一晩で皆殺しにする事も可能だろう。
(特に、暴豹にはすぐにでも消えて貰いたいものだ)
強硬派一の危険人物。彼はまだ動き出してはいない。
暴豹と呼ばれている、最大の危険人物を今の内に排除できれば、ディートリヒは安心して計画を進める事ができる。
だが、彼が暗殺という手段を選ぶのは、あまりにも遅かった・・・・・・。
「失礼しますよ、ファルケンバイン准将」
「!!」
ディートリヒの執務室の扉を開き、突然入室してきた人物達。ノックもせずに入って来たのは、彼がよく知っている人物と、その部下達であった。
「・・・・・グリュンタール大佐、私に何用かね?」
「准将閣下、それは御自分の胸に聞いてみるべきではないですか?」
突然執務室へと入室し、笑みを浮かべ、ディートリヒに狙いを定めるこの男の名は、ルドルフ・グリュンタール。国家保安情報局大佐であり、強硬派主要人物の一人で、「暴豹」という異名を持つ危険な人物だ。
「准将閣下。国家反逆罪の容疑で貴方を逮捕致します」
「何の冗談かね?私が祖国を裏切るなどあり得ない」
「白々しい。貴方が裏で行なった反逆行為は全て調べがついている」
とぼけて見せるディートリヒだが、ルドルフの態度を見て、彼は悟った。強硬派一の危険人物に、自分は後れを取ってしまったのだと・・・・・・。
「貴方は第四特殊作戦部隊に命令し、ヴァスティナ帝国参謀長を拉致した。更に、穏健派勢力拡大のために帝国参謀長と密約を交わした。違いますか?」
「面白い冗談だ。どこにそんな証拠があるというのかね?」
「実は昨日、貴方の秘書をやっている女性局員を尋問致しましてね。彼女が知っている事は全部教えて貰いました」
表情こそ変えなかったが、ディートリヒの焦りと苛立ちは増すばかりであった。
ルドルフが暴豹と呼ばれる所以は、その行動力の高さと大胆さに加え、同じ人間とは思えないほどの残忍さにある。ディートリヒに悟られぬよう、ルドルフは彼の秘書官を秘かに拉致し、尋問という名の拷問を行なったのである。秘書官は抵抗したが、ルドルフと彼の部下達は、彼女を徹底的に痛めつけ、薬物まで使用して口を割らせた。目的のためならどんな手段も厭わず、どんな非道な手段も使うのが、ルドルフのやり方なのである。
尋問された女性局員は、ディートリヒの野望の全てを知っているわけではないが、帝国参謀長の拉致も、二人の密談も、彼女はその眼で見てしまっている。そのせいで彼女は、ルドルフの標的とされてしまったのだ。
「私の部下を勝手に尋問するとはな。一体誰の許可を得てこんな真似をしている?」
「許可など取る必要はない。既に俺の部下は、閣下自慢の番犬も、国家反逆の決定的証拠も確保している」
「アイゼンリーゼ大尉も拘束したか・・・・・。決定的証拠と言ったが、私の部下が証言したからと言って、そんなものが確実な証拠となりえるかね?」
「勘違いしないで貰いたい。決定的証拠と言うのは証言ではなく、閣下が隠している人物だ」
ディートリヒを確実に仕留めるためには、彼が独断で帝国と手を組んだという、決定的な証拠が必要なのである。その証拠さえ掴んでしまえば、ディートリヒは独断で他国と手を結び、アーレンツの支配を目論んだとして、国家反逆罪の罪で糾弾できるのだ。
つまり、ディートリヒの交渉相手であり、彼が国内の何処かに密かに監禁している、帝国参謀長を反逆罪の証拠として確保すれば、ルドルフの勝利となる。
「特別収容所から場所を移したようだが、既に監禁場所の見当はついている。奴の管理を番犬に一任したのは間違いだったな」
「・・・・・どういう事かね?」
「休暇の日すら自宅に戻らないあの女が、最近は毎日帰っていると聞いたぞ。あの女は自分の両親を殺して以来、滅多に家に帰らないと知らなかったのか?」
ディートリヒ最強の部下である、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。彼女については、ディートリヒよりもルドルフの方が詳しい。
ルドルフの言う通り、彼女は自分の両親を殺して以来、家にほとんど帰らなくなった。常に任務を遂行し、事務仕事などで情報局本部にいる時も、本部内で夜を明かす。任務も事務仕事もない時ですら、酒場などで夜を明かすほどだ。
そんな彼女が、最近は必ず自宅へと帰る。部下からの報告でそれを知ったルドルフは、すぐにその理由に気が付いた。家を避け続ける彼女が、毎日必ず家に戻るのは、そうせざる負えない理由を作ってしまったからだと、そう考えたルドルフは部下に命じて、既に行動させている。
「奴を手に入れさえすれば、閣下も穏健派も終わりだ。焦って帝国と手を結ぼうなどと考えたのが間違いだったな」
「くっ・・・・・!」
「今日が穏健派最後の日だ。ディートリヒ・ファルケンバイン准将閣下。そろそろ貴方には、この舞台から御退場頂こう」
ルドルフがそう言うと、彼の部下達は一斉に武器を構えた。その武器は弩であり、既に弦は引かれ、矢も備えられており、いつでも発射可能な状態である。
それを見たディートリヒは、ルドルフの狙いをすぐに理解し、酷く後悔した。強硬派の動きをもっと警戒するべきであったと・・・・・・、そして、暴豹という異名を持つルドルフの事を、無理やりにでも始末しておけばよかったと・・・・・・。
「私を逮捕するのではなく、この場で抹殺する気か!?」
「当然だ。老いたとはいえ、アーレンツの荒鷲と呼ばれた男を生かしておくなど危険すぎるからな」
「どうやら私は、君を甘く見過ぎていたようだ・・・・・・」
「ふん。強硬派ではなくジエーデルばかりに気を取られていたから、俺の動きも見破れなかっただけだろう?子飼いだった鴉がそんなに恐ろしいのか?」
「!!」
その言葉で、ディートリヒは手に持っていた葉巻を落とし、驚愕の表情を見せ、ルドルフは不敵な笑みを浮かべた。ディートリヒからすれば、この場で自分しか知らないはずの最重要機密を、彼が知っていたとわかったのである。何故それを知っているのか?どうやってその機密を知ったのか?数多くの疑問が、ディートリヒの頭の中で渦を巻いていた。
「俺がこの秘密を知っている限り、ジエーデルはこの国に手は出せない。無論、いつかは我々事この秘密を消しにかかるだろうがな」
「その秘密を知ったからこそ、このような大胆な行動に出たわけか・・・・・!」
「この秘密を利用すれば、少なくとも時間稼ぎくらいには使えるだろうさ。その間に例の新兵器を完成させて数を揃えれば、あんな独裁国家など恐ろしくもない」
強硬派はアーレンツ長年の悲願である、大陸全土の支配を目論んでいる。そのための切り札となるのが、ディートリヒが長年隠し続けた最重要機密と、ルドルフ指揮下で研究中の新兵器である。
これらの切り札を持つ故に、ルドルフは将来待ち受けるジエーデル国との戦いに、勝利を確信しているのだ。
「さて、俺から話す事はもう何もないが、最後に言い残す事はあるか?」
「・・・・・・一つだけ聞かせて貰おう」
「最後の言葉ではなく質問ときたか。いいだろう、何を聞きたい?」
「グリュンタール大佐。君はこの国が大陸全土を支配する日が来ると、本当に信じているのかね?」
強硬派の最終目的は、アーレンツの長年の悲願成就である。しかしそれは、夢物語にも等しい話だ。それをルドルフが理解していないわけがない。
理解していながら、彼が何故、強硬派のためにこのような大胆な行動に出たのか、それを知っておきたいと思ったのである。
ディートリヒの質問に対し、ルドルフは笑って見せた。馬鹿にするように、部屋中に響き渡るほどの笑い声を上げて、部下達が困惑するのも構わず、自分が飽きるまで笑い続けた。
「信じているだと?馬鹿らしい、信じるわけがないだろう。大陸支配を成し遂げられる力など、この国には存在しないのだからな」
「では何故、君は強硬派に身を置いているのだね?」
「簡単な話だ。俺はこの国で、人間という名の玩具で遊んでいたいだけだ。そのための遊び場を持ち続けるためには、常に勝者でなくてはならない」
「・・・・・・・そう言う事か」
「なに?」
何かを納得したような態度のディートリヒに、ルドルフの鋭い視線が突き刺さる。だが彼はそれをものともせず、不敵な笑みを返して口を開いた。
どうせ自分はここで終わる。ならばせめて、最後は荒鷲の名に恥じぬよう終わろうと・・・・・。
「暴豹と呼ばれていても、根は小物か。その程度では、ジエーデルにいる鴉に啄まれるぞ?」
「・・・・・調子に乗るな荒鷲。さっさと死ね」
ルドルフの言葉を合図に、彼の部下達が弩の引き金を引き、一斉に矢を放つ。矢はディートリヒ目掛け放たれ、次の瞬間には全ての矢が彼の体に突き刺さった。命中した矢の内の一本は、彼の心臓を確実に射抜いており、ディートリヒは悲鳴を上げる事もなく絶命したのである。
「老いた荒鷲はこれで退場だな」
死体となったディートリヒを一瞥し、ルドルフは次の行動に移るため振り返る。
彼らは立ち止まるわけにはいかない。邪魔な存在は、一人残らず排除しなくてはならない。排除しなければならない存在は、ディートリヒ以外にもまだ大勢いるのだ。
「行くぞ、次は穏健派幹部を一人残らず逮捕する」
「了解致しました、大佐」
執務室を後にしようとするルドルフに、彼の部下達は武器を収め続いていく。
部屋を出る直前、歩みを止めたルドルフは今一度振り返り、死体となった荒鷲を見る。体に矢が突き刺さったにも関わらず、不敵な笑みを浮かべて死んでいる荒鷲に、彼は敬意を表して言葉をかけた。
「さらばだ、ファルケンバイン准将閣下」
数多くの勲章を授与され、「アーレンツの荒鷲」と呼ばれていた、ディートリヒ・ファルケンバイン。
彼は暴豹の手によって殺された。これは、国家保安情報局内の対立構図に、大きな影響を与える結果を生むだけでなく、祖国滅亡の未来を回避しようとしていた穏健派が、突如最後の日を迎えた事を意味するのであった。
口元と顎に白い髭を生やす、五十代後半と言った風貌の、紳士的な男。彼は好物の葉巻を口に咥え、息を吸い、燐寸でそれに火をつけると、右手で葉巻を口から外し、煙を吐き出した。
「上手く事が運んでいると、そう願いたいものだ・・・・・・」
執務室には誰もいない。葉巻を吹かし、そう独り言を呟いてしまうのは、彼の不安の表れであった。彼の名は、ディートリヒ・ファルケンバイン。「アーレンツの荒鷲」という異名を持つ、情報局准将である。
(予想通り帝国軍は動いた。あの男を利用し、帝国軍を穏健派の勢力に加えれば、この勢力争いに決着がつく)
アーレンツは中立を維持し続けるべきだと主張する穏健派は、勢力の拡大を続ける強硬派に対し、劣勢を強いられている。穏健派の主要人物であるディートリヒは、この状況を挽回するべく、独自に行動を開始していた。
帝国参謀長リクトビア・フローレンスを拉致し、帝国軍の力を得る事によって、穏健派の勢力拡大を図り、強硬派との争いに勝利を収める。その後は、自分が穏健派の実権を握り、国家保安情報局次期長官の座に就いて、この国の新たな支配者となる。それこそが彼の野望だ。
その野望はもうすぐ叶う。そのための準備は出来ており、後は待つのみである。だがディートリヒは、この状況下で一抹の不安を覚えていた。
(暴豹の存在も気掛かりだが、あの男がこの状況を黙って見ているとは思えん・・・・)
あの男とは、独裁国家ジエーデル国の支配者、バルザック・ギム・ハインツベントの事である。自分の敵である強硬派よりも、ジエーデル国総統を気にする理由は、バルザック・ギム・ハインツベントという男を、ディートリヒは誰よりも理解しているからだ。
(あの男はこの私を・・・・・、この国を排除したいと考えている。あの男の正体を知るのは、私を含めた極僅かの人間だけだが、それでも全てを消し去りたいと願っているはずだ)
バルザックにとって、中立国アーレンツとディートリヒの存在は、この世で自分を最も脅かす存在なのである。その理由は、バルザックという男の正体を、ディートリヒは知っているからだ。
本当の彼の正体を、ジエーデルの人間は誰も知らない。知ってしまえば、間違いなく消されてしまうだろう。バルザックの正体を知るという事は、彼を破滅させるきっかけを得るに等しいからだ。そのきっかけとなる情報を、ディートリヒは握っている。
この情報が握られているからこそ、バルザックはこの国を侵略する事ができなかった。この情報がある限り、アーレンツはジエーデルの侵攻を受ける心配はない。しかし、バルザックという男は、弱みを握られたまま黙っていられる男ではないのだ。いつか必ずアーレンツを侵略に現れると、ディートリヒは既に読んでいる。
その前に、国内の対立を終結させ、帝国を味方に付け、来るべきジエーデル戦に備えなくてはならない。急がなければ、全てが手遅れとなってしまう。
(あの男もまた鬼才だった。私では、野望に燃えるあの男を制御する事は出来なかった・・・・・)
ディートリヒは後悔していた。今はバルザックと呼ばれている、自分が生み出した怪物を、自分の鎖から解き放つべきではなかったと。自分の鎖から放たれた時点で、すぐに始末しておくべきだったと、そう後悔し続けている。
(あの男は最初から反逆の機会を窺っていた。そのために、ジエーデルをアーレンツよりも強大な国と変えた)
ジエーデル国が大陸中央の大国と変わったのは、バルザックが独裁者として君臨したからである。バルザックは絶対的支配体制を築き上げ、国力の強化に努めた。今では、アーレンツとの軍事力差は決定的であり、ジエーデル軍の全力侵攻が行なわれたら最後、アーレンツは忽ち押し潰されてしまうだろう。
(あの男と戦うためには、帝国とエステランの国力が不可欠だ。これ以外に、この国が生き残る道はない)
迫るバルザックの脅威。ディートリヒにとっては、雌雄を決する時が来た。
戦わなければ、この国も、自分も、生き残る事は出来ない。滅亡の足音に抗うためには、自分が国家保安情報局の長官となり、この国の支配者となる他ないのだ。
(それを邪魔する者達には、消えて貰うよりないな・・・・・)
今、国内でディートリヒの邪魔をする存在は、穏健派と対立状態の強硬派である。
今まで彼は、強硬派との武力衝突避けるため、強硬派主要人物の暗殺などは行なわなかった。強硬派の方も、情報局の番犬ヴィヴィアンヌの存在を恐れ、そのような手段を講じる事はなかった。どちらも手を出さない均衡状態。故に、どちらかが武力を行使すれば、それは確実に内戦へと発展してしまう。そういう対立構図を、両勢力は作り上げてしまったのである。
強硬派の邪魔さえ入らなければ、ディートリヒの計画は達成される。だからこそ、ここは万全を期すために、今の内に邪魔者を排除するべきだと考えたのである。
彼の配下には、どんな暗殺すらも成功させてしまう、ヴィヴィアンヌの存在がある。彼女さえいれば、強硬派の主要人物を、一晩で皆殺しにする事も可能だろう。
(特に、暴豹にはすぐにでも消えて貰いたいものだ)
強硬派一の危険人物。彼はまだ動き出してはいない。
暴豹と呼ばれている、最大の危険人物を今の内に排除できれば、ディートリヒは安心して計画を進める事ができる。
だが、彼が暗殺という手段を選ぶのは、あまりにも遅かった・・・・・・。
「失礼しますよ、ファルケンバイン准将」
「!!」
ディートリヒの執務室の扉を開き、突然入室してきた人物達。ノックもせずに入って来たのは、彼がよく知っている人物と、その部下達であった。
「・・・・・グリュンタール大佐、私に何用かね?」
「准将閣下、それは御自分の胸に聞いてみるべきではないですか?」
突然執務室へと入室し、笑みを浮かべ、ディートリヒに狙いを定めるこの男の名は、ルドルフ・グリュンタール。国家保安情報局大佐であり、強硬派主要人物の一人で、「暴豹」という異名を持つ危険な人物だ。
「准将閣下。国家反逆罪の容疑で貴方を逮捕致します」
「何の冗談かね?私が祖国を裏切るなどあり得ない」
「白々しい。貴方が裏で行なった反逆行為は全て調べがついている」
とぼけて見せるディートリヒだが、ルドルフの態度を見て、彼は悟った。強硬派一の危険人物に、自分は後れを取ってしまったのだと・・・・・・。
「貴方は第四特殊作戦部隊に命令し、ヴァスティナ帝国参謀長を拉致した。更に、穏健派勢力拡大のために帝国参謀長と密約を交わした。違いますか?」
「面白い冗談だ。どこにそんな証拠があるというのかね?」
「実は昨日、貴方の秘書をやっている女性局員を尋問致しましてね。彼女が知っている事は全部教えて貰いました」
表情こそ変えなかったが、ディートリヒの焦りと苛立ちは増すばかりであった。
ルドルフが暴豹と呼ばれる所以は、その行動力の高さと大胆さに加え、同じ人間とは思えないほどの残忍さにある。ディートリヒに悟られぬよう、ルドルフは彼の秘書官を秘かに拉致し、尋問という名の拷問を行なったのである。秘書官は抵抗したが、ルドルフと彼の部下達は、彼女を徹底的に痛めつけ、薬物まで使用して口を割らせた。目的のためならどんな手段も厭わず、どんな非道な手段も使うのが、ルドルフのやり方なのである。
尋問された女性局員は、ディートリヒの野望の全てを知っているわけではないが、帝国参謀長の拉致も、二人の密談も、彼女はその眼で見てしまっている。そのせいで彼女は、ルドルフの標的とされてしまったのだ。
「私の部下を勝手に尋問するとはな。一体誰の許可を得てこんな真似をしている?」
「許可など取る必要はない。既に俺の部下は、閣下自慢の番犬も、国家反逆の決定的証拠も確保している」
「アイゼンリーゼ大尉も拘束したか・・・・・。決定的証拠と言ったが、私の部下が証言したからと言って、そんなものが確実な証拠となりえるかね?」
「勘違いしないで貰いたい。決定的証拠と言うのは証言ではなく、閣下が隠している人物だ」
ディートリヒを確実に仕留めるためには、彼が独断で帝国と手を組んだという、決定的な証拠が必要なのである。その証拠さえ掴んでしまえば、ディートリヒは独断で他国と手を結び、アーレンツの支配を目論んだとして、国家反逆罪の罪で糾弾できるのだ。
つまり、ディートリヒの交渉相手であり、彼が国内の何処かに密かに監禁している、帝国参謀長を反逆罪の証拠として確保すれば、ルドルフの勝利となる。
「特別収容所から場所を移したようだが、既に監禁場所の見当はついている。奴の管理を番犬に一任したのは間違いだったな」
「・・・・・どういう事かね?」
「休暇の日すら自宅に戻らないあの女が、最近は毎日帰っていると聞いたぞ。あの女は自分の両親を殺して以来、滅多に家に帰らないと知らなかったのか?」
ディートリヒ最強の部下である、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。彼女については、ディートリヒよりもルドルフの方が詳しい。
ルドルフの言う通り、彼女は自分の両親を殺して以来、家にほとんど帰らなくなった。常に任務を遂行し、事務仕事などで情報局本部にいる時も、本部内で夜を明かす。任務も事務仕事もない時ですら、酒場などで夜を明かすほどだ。
そんな彼女が、最近は必ず自宅へと帰る。部下からの報告でそれを知ったルドルフは、すぐにその理由に気が付いた。家を避け続ける彼女が、毎日必ず家に戻るのは、そうせざる負えない理由を作ってしまったからだと、そう考えたルドルフは部下に命じて、既に行動させている。
「奴を手に入れさえすれば、閣下も穏健派も終わりだ。焦って帝国と手を結ぼうなどと考えたのが間違いだったな」
「くっ・・・・・!」
「今日が穏健派最後の日だ。ディートリヒ・ファルケンバイン准将閣下。そろそろ貴方には、この舞台から御退場頂こう」
ルドルフがそう言うと、彼の部下達は一斉に武器を構えた。その武器は弩であり、既に弦は引かれ、矢も備えられており、いつでも発射可能な状態である。
それを見たディートリヒは、ルドルフの狙いをすぐに理解し、酷く後悔した。強硬派の動きをもっと警戒するべきであったと・・・・・・、そして、暴豹という異名を持つルドルフの事を、無理やりにでも始末しておけばよかったと・・・・・・。
「私を逮捕するのではなく、この場で抹殺する気か!?」
「当然だ。老いたとはいえ、アーレンツの荒鷲と呼ばれた男を生かしておくなど危険すぎるからな」
「どうやら私は、君を甘く見過ぎていたようだ・・・・・・」
「ふん。強硬派ではなくジエーデルばかりに気を取られていたから、俺の動きも見破れなかっただけだろう?子飼いだった鴉がそんなに恐ろしいのか?」
「!!」
その言葉で、ディートリヒは手に持っていた葉巻を落とし、驚愕の表情を見せ、ルドルフは不敵な笑みを浮かべた。ディートリヒからすれば、この場で自分しか知らないはずの最重要機密を、彼が知っていたとわかったのである。何故それを知っているのか?どうやってその機密を知ったのか?数多くの疑問が、ディートリヒの頭の中で渦を巻いていた。
「俺がこの秘密を知っている限り、ジエーデルはこの国に手は出せない。無論、いつかは我々事この秘密を消しにかかるだろうがな」
「その秘密を知ったからこそ、このような大胆な行動に出たわけか・・・・・!」
「この秘密を利用すれば、少なくとも時間稼ぎくらいには使えるだろうさ。その間に例の新兵器を完成させて数を揃えれば、あんな独裁国家など恐ろしくもない」
強硬派はアーレンツ長年の悲願である、大陸全土の支配を目論んでいる。そのための切り札となるのが、ディートリヒが長年隠し続けた最重要機密と、ルドルフ指揮下で研究中の新兵器である。
これらの切り札を持つ故に、ルドルフは将来待ち受けるジエーデル国との戦いに、勝利を確信しているのだ。
「さて、俺から話す事はもう何もないが、最後に言い残す事はあるか?」
「・・・・・・一つだけ聞かせて貰おう」
「最後の言葉ではなく質問ときたか。いいだろう、何を聞きたい?」
「グリュンタール大佐。君はこの国が大陸全土を支配する日が来ると、本当に信じているのかね?」
強硬派の最終目的は、アーレンツの長年の悲願成就である。しかしそれは、夢物語にも等しい話だ。それをルドルフが理解していないわけがない。
理解していながら、彼が何故、強硬派のためにこのような大胆な行動に出たのか、それを知っておきたいと思ったのである。
ディートリヒの質問に対し、ルドルフは笑って見せた。馬鹿にするように、部屋中に響き渡るほどの笑い声を上げて、部下達が困惑するのも構わず、自分が飽きるまで笑い続けた。
「信じているだと?馬鹿らしい、信じるわけがないだろう。大陸支配を成し遂げられる力など、この国には存在しないのだからな」
「では何故、君は強硬派に身を置いているのだね?」
「簡単な話だ。俺はこの国で、人間という名の玩具で遊んでいたいだけだ。そのための遊び場を持ち続けるためには、常に勝者でなくてはならない」
「・・・・・・・そう言う事か」
「なに?」
何かを納得したような態度のディートリヒに、ルドルフの鋭い視線が突き刺さる。だが彼はそれをものともせず、不敵な笑みを返して口を開いた。
どうせ自分はここで終わる。ならばせめて、最後は荒鷲の名に恥じぬよう終わろうと・・・・・。
「暴豹と呼ばれていても、根は小物か。その程度では、ジエーデルにいる鴉に啄まれるぞ?」
「・・・・・調子に乗るな荒鷲。さっさと死ね」
ルドルフの言葉を合図に、彼の部下達が弩の引き金を引き、一斉に矢を放つ。矢はディートリヒ目掛け放たれ、次の瞬間には全ての矢が彼の体に突き刺さった。命中した矢の内の一本は、彼の心臓を確実に射抜いており、ディートリヒは悲鳴を上げる事もなく絶命したのである。
「老いた荒鷲はこれで退場だな」
死体となったディートリヒを一瞥し、ルドルフは次の行動に移るため振り返る。
彼らは立ち止まるわけにはいかない。邪魔な存在は、一人残らず排除しなくてはならない。排除しなければならない存在は、ディートリヒ以外にもまだ大勢いるのだ。
「行くぞ、次は穏健派幹部を一人残らず逮捕する」
「了解致しました、大佐」
執務室を後にしようとするルドルフに、彼の部下達は武器を収め続いていく。
部屋を出る直前、歩みを止めたルドルフは今一度振り返り、死体となった荒鷲を見る。体に矢が突き刺さったにも関わらず、不敵な笑みを浮かべて死んでいる荒鷲に、彼は敬意を表して言葉をかけた。
「さらばだ、ファルケンバイン准将閣下」
数多くの勲章を授与され、「アーレンツの荒鷲」と呼ばれていた、ディートリヒ・ファルケンバイン。
彼は暴豹の手によって殺された。これは、国家保安情報局内の対立構図に、大きな影響を与える結果を生むだけでなく、祖国滅亡の未来を回避しようとしていた穏健派が、突如最後の日を迎えた事を意味するのであった。
0
お気に入りに追加
277
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話
島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。
俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。
会うたびに、貴方が嫌いになる【R15版】
猫子猫
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。
アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます
ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう
どんどん更新していきます。
ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。
二度目の結婚は、白いままでは
有沢真尋
恋愛
望まぬ結婚を強いられ、はるか年上の男性に嫁いだシルヴィアナ。
未亡人になってからは、これ幸いとばかりに隠遁生活を送っていたが、思いがけない縁談が舞い込む。
どうせ碌でもない相手に違いないと諦めて向かった先で待っていたのは、十歳も年下の青年で「ずっとあなたが好きだった」と熱烈に告白をしてきた。
「十年の結婚生活を送っていても、子どもができなかった私でも?」
それが実は白い結婚だったと告げられぬまま、シルヴィアナは青年を試すようなことを言ってしまう。
※妊娠・出産に関わる表現があります。
※表紙はかんたん表紙メーカーさま
【他サイトにも公開あり】
この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。
天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」
目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。
「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」
そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――?
そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た!
っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!!
っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
うちの娘が悪役令嬢って、どういうことですか?
プラネットプラント
ファンタジー
全寮制の高等教育機関で行われている卒業式で、ある令嬢が糾弾されていた。そこに令嬢の父親が割り込んできて・・・。乙女ゲームの強制力に抗う令嬢の父親(前世、彼女いない歴=年齢のフリーター)と従者(身内には優しい鬼畜)と異母兄(当て馬/噛ませ犬な攻略対象)。2016.09.08 07:00に完結します。
小説家になろうでも公開している短編集です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる