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15.三様
しおりを挟む「あれ…ここどこ…」
夢中で走っていた瑠璃は、いつの間にか庭園を外れた見知らぬ森の中にいた。走り疲れ、道にも迷った瑠璃は、近くの木陰で休むことにした。
「てか、こんなに走る必要なかったよね。私、悪いことしたわけじゃないし…」
瑠璃はさっきのカルセドとネアの会話を思い出していた。
「側妃?だっけ、なんかあっけなかったな。せっかく成り切ろうと思ってたのに…いやいや、そもそも、私、誘拐されてるんだし?これで、やっと逃げ出せたじゃん。私って天才。あーぁ、時間の無駄だった。まぁ、これで?私も元の世界に戻れるんだし………あれっ?私、何でっ」
自分の頬を触ると、しっとり濡れていることに気付く。
「そんなわけない!そうそう、そういえば…お腹…減ったな…何か…」
思考を切り替え、辺りを見回すと、左2、3歩先に丸く真っ赤な実がなっている背の低い木があった。近づくと、それはりんごのようだった。
「りんご?かな。そういや、りんごの木ってこんな風なのね。走ってた時は全然気付かなかったけど…」
りんごを一つ手に取ると、そのままガリッと齧り付く。
「ん~~っ!美味い!!本当にりんごだ~!!」
新鮮な果肉と果汁が瑠璃の乾いた口の中を潤していく。丸2日、塩水以外何も口にしていない瑠璃にとってそれはこの上ないご馳走だった。瑠璃は夢中でりんごを齧り続けた。
────────────────────
「ルリ!!!!」
カルセドは、走り去る瑠璃の後ろ姿に追いかけることが出来なかった。小さくなっていく背中、決して手離したくはないが、瑠璃の言うことは確かに的を得ている。後継問題は、遅かれ早かれ解決しなければならない。その国王としての長年の使命感がカルセドの足を踏み留まらせたのだ。
カルセドはネアに向き直る。そして、
「…王妃の気持ちはよく分かった。だが、それは俺にも責任があることだ」
「はい!でしたら「済まない…俺は今、王妃を…抱くことは出来ない」
カルセドは、後継の責任とともに今の心情を率直に伝えた。ネアには、王妃としての気品と美しさを兼ね備えた素質は確かにある。また、ヒステリーになる前は王妃としての公務もこなす上、カルセドの公務の補助もしており、ビジネスパートナーとしてはこの上ない存在であった。だが、あくまで政略結婚、カルセドにとって、その関係がそれ以上になることも以下になることもないのだ。
「…えっ、へい…か、そ、それは…」
思ってもみないカルセドの言葉に絶句した。
ネアにとっては、全然そうではなかったからだ。
確かに初めはカルセドとは政略結婚であったが、ネアはカルセドの容姿に一目惚れし、公務も一緒にこなしていくうちに次第にカルセドの人柄の良さにも惹かれ始めた。そして後継のためとは言え、身体も何度か重ねるうちにいつしか恋慕うようにもなっていたのだ。私室に籠るようになってからも、カルセドは声を掛けに部屋まで訪れてくれていた。そんなカルセドに対して、自分と同じ気持ちだと信じたとしてもおかしくはない。そのことに疑問すら思い浮かばなかったネアには、自分はもういらない人間だ、とすら聞こえる。
爽やかな風が舞う中、相変わらず、カルセドとネアの間には重々しい沈黙が広がっている。
「だが…ルリの言う通り、久しぶりに話した方が良さそうだな。誤解している所もあるだろう」
最初に沈黙を破ったのはカルセドだった。
この流れに乗じてネアもおもむろに口を開く。
「…そう…ですわね。私も、陛下の御心を気遣うことが出来ておりませんでした。申し訳ございません」
「いや、私も王妃の心情を汲んでやれず済まなかった。今夜、王妃の元へ向かおう」
「はい、お待ちしております」
「あぁ。では、王妃、これで失礼する」
ネアがカルセドに丁寧なお辞儀をすると、カルセドはネアを残してその場を去った。
────────────────────
ネアは私室に戻る途中、カルセドと瑠璃の気の置けないやりとりを見て、正直、酷く暗い顔になっていた。一方で、ネアの頭の中は初対面の瑠璃を冷静に分析する。
同じ部屋で寝ている、ということは、恐らく身体の関係もあるのだろう。いつから側妃を設けたのかは分からないが、多分ここ最近のことだ。この国での側妃はあまり珍しいことではないが、瑠璃のようなグイグイと他人の内情に踏み込んでくるタイプは、良くも悪くも、あまり見たことがない。上手く場を収める器用があり、それが最大級の権力者である国王と王妃相手でも変わらないことに驚いてしまう。何より、あの普段は誰に対しても気難しいカルセドが気を許しているのだ、きっと、瑠璃は只者ではない。
そんな2人だけの世界に自分の立ち入る隙はどこにもないことを悟る。いや、何となく分かっていた。
(ねぇ、もう、私を解放して…)
[[[[[[[[お前次第だ]]]]]]]]
(今回が最後よ)
「王妃殿下、どこにいらっしゃったのですか?!とても心配したのですよ!」
「ごめんなさいね。今日はちょっと体調が良くて、庭に出てたの」
ネアの使用人達が一斉に駆け付ける。
その時には、"声"は消えていた。
「そう…でしたか…お呼び下されば、すぐに駆け付けましたのに。次からは私たち使用人をお呼び下さいね!」
「…分かってるわ。本当にごめんなさい」
「さぁ、お部屋に戻りましょう」
(陛下…お許し下さい…)
「王妃殿下?」
考え込むネアは一つ溜め息をつくと、
「いいえ、何でもないわ」
ネアは表情を切り替えると、使用人とともに私室へと戻っていった。
────────────────────
カルセドは1人、王宮からの少し離れの塔にある私室へと戻る。きっと、瑠璃はもう戻っている頃だろう。国の存続が懸かっている時でさえも瑠璃のことで頭がいっぱいになっている自分のもどかしさが許せない。この後、戻ったら王妃との関係や後継問題の件は、瑠璃に一から丁寧に話そう。
そう決意した矢先だった。
使用人のアナが息を切らしながら、走って来るではないか。
「陛下!ルリ様のお姿が見えません!!」
「何だと?!ルリが…。どこだ。どこで見失った」
カルセドの眼の色が変わる。
次第に声まで低くなるのが分かる。
「最後にお姿が見えたのは北の庭園の噴水です。瑠璃様が噴水の横をすり抜けると、急にお姿が見えなくなったのです。一瞬のことでしたので、本当に申し訳…」
「いや、良い。お前ほどの者が見失うなどよっぽどのことなのだろう。それよりルリを一刻もはやく見つけ出すことの方が先決だ。北の噴水…確かあそこは…」
「魔の森"バーグ"…ですか…」
「バーグは国境にあるはずだ、短時間でルリがそこまで行くはずが…」
「ですが、大昔、噴水があった付近で行方不明になった者が多数いた、と古い文献で読んだことがあります。巷では、バーグへの近道、北の魔道、とも。迷信かもしれませんが、この現象は全くあり得ない話ではございません」
「だとすると、瑠璃はバーグに迷い込んだ可能性が高い。とにかく私は北の庭園に向かう。お前はすぐに兵を動員し、バーグ周辺を探せ」
「承知」
使用人兼護衛であるアナがそう簡単に瑠璃を見失うはずがない。恐らくバーグの干渉があったのだろう。これは、いくら国随一の最強剣士アナであっても太刀打ち出来ない。以前、バーグの調査を行ったが、バーグから戻って来られたのは兵数千のうちたった数人だった。そのうちの1人にアナも含まれていた。皆、瀕死であるだけでなくバーグでの記憶がすっぽり抜けており、未だ思い出せていない。それ以来、バーグには探索隊を派遣していない。とにかく、バーグは何があるか分からない危険な場所なのだ。
「ルリ…どうか無事でいてくれ…」
必要な装備を早急に整えると、カルセドは単独で北の庭園へと向かった。
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