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第一章 長い夜の終わり
越境
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ツヴィエルン城を出てから9日目の朝。彼らは遂に獣王国の北側国境あたりまでたどり着いた。行きは3ヶ月ほどかかったのだから、とてつもない時間短縮である。積雪をものともせずに進む馬と馬車は、雪を一生懸命かき分けながらの徒歩行軍より何十倍も速かった。
途中凍傷者や体調不良者が出たが、その人数もかなり少なく、更にライザやミカエラがあっという間に治療したため、ほとんどタイムロスにはならなかった。極北亜竜も龍と出会って以降は襲ってこなくなり、全ての兵士がおよそ無事に帰還している。この極寒の地を往復して一人の死者も出さないというのは、素晴らしい快挙であった。もちろん、『創始者』とその眷属の力あってしてのことだが。
獣王国は、北を不毛の大地、東西を海に面し、地続きの南を下ると人間の国家に至る。この国家と獣王国は長く友好関係にあり、また国民も反獣人感情を抱いていない。東西に広がる海域も、常に荒れていて軍事行動をとるのは難しい。よって獣王国の国境防衛は、不明な点が多い上にドラゴンも飛来する北側に集中していた。国境線上の戦略的に重要な地点に要塞を築き、その間を城壁で繋いであるので、要するに城壁が大陸を横断しているのである。
城壁の内側には道や水道などのインフラを整え、補給線も確保し、それらによって総数13,000にも及ぶ第三軍団は維持されていた。これは獣王国が抱える戦力の半分以上を占めており、世界でもなかなか見られない大兵力である。
「全軍停止」
大隊長は、城壁の見張りに築かれないギリギリの地点で軍を止めた。このまま帰還した場合、今乗っている馬車や馬を晒すことになり、芋づる式にルナやライザ、ミカエラのことまでばれてしまう。そうなれば混乱を生じることは間違いなく、最悪防衛線が機能しなくなる可能性まであった。そうならないために、馬や馬車をここで消し、残りは歩いて行くのである。基本的に国境より外側には兵士を出せないため、自分たちが黙っていれば彼女らの存在が漏れることはない。
「ルナ、お願い」
「Genifi」
全ての兵士が馬車から降りたことを確認し、ルナが魔法――実際のところは、ただの力ある言葉――を放つ。馬も馬車も綺麗になくなり、一切の痕跡が消し去られる。それを見届けてから、大隊長は言った。
「申し訳ないんですが、今少し地味な格好をして頂けますか。このままだと確実に怪しまれます。我々がお三方を拾ったという話で通すので、華美な格好だとマズいのです」
ルナ、ライザ、ミカエラが今着ているのは、一目で高貴な身分だと分かる衣服だ。極寒の地で拾われた者がそのような服装をしているというのは怪しいことこの上ない。彼女らもそれを理解していたので、面倒だとは思いながらも了承した。ただ、重大な問題があった。
「地味な服って何」
彼女らは地味な服など持っていない。神に創造された存在とその眷属が、華美でなく、豪華でなく、美しくもない、地味なものなど持っているはずがないのである。亜空間に収納している服をいくつか取り出してみたものの、どれもこれも"地味"からはかけ離れ、中には今の衣服以上に神々しいのすらあった。
大隊長は頭を悩ませる。彼らが持っている予備の装備を着せれば「服がボロボロだったので提供した」と言いつくろえるが、どう考えても失礼が過ぎる。ここで怒らせるとそのまま国を滅ぼされる可能性もあり、逆鱗がよく分からない状態で下手な手は打ちたくなかった。
結局彼は、魔力でローブを織ってもらい、それを着てもらうことにした。こうすれば、やけに美しい髪も綺麗な顔も隠れるので一石二鳥であると気づいたのだ。
更に、言葉もなるべく発さないよう大隊長は頼み込む。口調が貴族っぽい上、言葉が古かったり異言語が混じっていたり、時には意味不明な単語が飛び出してくるため、バレれば事情聴取になると思ったからだ。国境線を抜けた後3人が無事に王都へ向かうには、彼女らに疑いの目が向かないようにしなくてはならない。
「分かったわ」
「ご協力ありがとうございます」
それから徒歩でしばらく行き、とうとう目的の要塞に到着した。唯一この要塞だけには門が設けられており、この国境門こそが城壁の内と外を繋ぐ唯一の玄関口である。
大隊長の案内で3人が要塞の中に入ると、至る所で兵士たちが抱き合っては泣いていた。実は、国境に詰めていた兵士たちは遠征軍の生存を半ば諦めていた。およそ三か月間にわたって一切連絡が来なかったからである。それが全員帰ってきたのだ。北部という過酷で閉鎖的な環境下にある彼らは、仲間同士の結束がとても強く、職場内の結婚も珍しくないほどだ。それぞれがそれぞれを大事に思っているのだから、ようやくの再会に安堵しているのである。
そんな様子を眺めながら進んでいくと、彼女らは少し大きい部屋に案内された。文官らしき者たちがせわしなく動き回り、書類を審査したり判を押したりと忙しそうな状況である。大隊長は3人に椅子に座って待っていてくださいと伝えると、部屋の奥へ向かって行った。
ミカエラが囁く。
「皆さん大変そうですね」
「事務」
「待って、嫌なことを思い出させないで」
「ですが、外の世界で生活するならば書類と向き合うことになりそうです」
昔を思い出して遠い目をするミカエラ。舌打ちするルナ。溜息をつくライザ。皆、このような仕事には嫌な思い出しかなかった。
「こちらの常識もわからないですし、人を雇うのもありかもしれませんね。きちんとした教養があって、なおかつこういう処理が得意な人を」
「この世界の全てを知っていなくてもいいから、とりあえず近辺の情報は欲しいわね」
「私たちに合えばいいけど」
「それは会ってみないと分からないでしょう」
彼女らが小声で話し合っていると、大隊長が手にいくつか物を持って戻ってきた。彼は周囲に怪しまれない程度に恭しくそれらを手渡した。
「ではこれを差し上げます。身元を保証するのに必須ですので失くさないようお願いします」
渡されたのは書類とカード。1人に1つずつ。
「本名を登録する規則なのですが、皆さま身分が身分ですので、王都についてから獣王陛下にご相談なさってください。それはあくまで王都へ行くための物なので偽名で登録してあります」
「理解」
「では内門へ」
そのまま今度は獣王国側へと移動する。門を抜けるとそこには2台の馬車が停めてあり、数人の兵士が待機していた。その中の一人は、ここへ来るまでも同じ馬車だったエリスである。
大隊長が別れの挨拶を告げる。
「申し訳ないのですが、私は次の仕事が残っておりますので、ここから先はエリスに引継ぎさせていただきます」
「精一杯頑張りますのでよろしくお願いいたします」
驚くべきことに、彼女はさっきまでの元気溌溂とした様子ではなく、冷静で聡明な雰囲気を漂わせていた。もともと背が高めなのも相まって既に立派な指揮官である。
大隊長にお礼をした3人が馬車に乗り込み、エリスは発進の令を出す。
窓の外を見ると、大隊長と補佐官が雪の降る中で丁寧に敬礼をしていた。世話になった2人に、ルナとライザは少しばかりの加護を与え、ミカエラは亜空間制御魔法を早速使って、2人の亜空間を強制的に利用可能にした。
突然向上した能力と開花した亜空間に、彼らも周囲も慌てふためくのだが、それはまだ少し先の話である。
―――――
石畳の道路は針葉樹の森を切り拓いて作られたものだった。安全保障上の理由から道の左右10メートルほどは草木が伐採されているが、その奥は未開の森が続いている。軍用道路であるため付近の一般道よりは広くて快適なのだろう。しかし、他地域と比べるとやはり狭かった。
国境から王都への移動が1日で済むわけがないので、途中にある4つの街それぞれに泊まり、王都到着予定日は5日後である。
馬車が走っている間、エリスは3人に獣王国について話していた。
「獣王国はかなり裕福な国です。獣王陛下のもとで1つにまとまっており、ここ100年は内乱もありません。大きな格差もないと思います」
彼女の話を聞いて3人は質問する。
「軍はどうなっているのかしら」
「触れられる部分だけ申しますと、第一軍団から第六軍団まで、第二軍団の除いた5つの軍団があります。王都防衛、北境防衛、南境防衛、海岸防衛、予備の5つです。北が一番大きいですね。徴兵制ではなくて志願兵制なので、全員が職業軍人であり、各人の能力も十分なものになっています。第二軍団は、これは伝説の域を出ませんが、昔獣王陛下の不興を買って廃止されたと聞きます」
「政治」
「獣王陛下を中心とした王政です。王位は世襲で、先王の退位か逝去により次の王が立ちます。王が全権を持っていますが、国民に大きな被害を与えた場合、王家にかけられた魔術によってその王が死にます。また、副王家というのがあり、常に王家を監視しています。逆も然りです。他にもいろいろあってかなり複雑なのですが、どのあたりまでご説明いたしましょうか」
「ん、十分。ありがと」
その後も、あらゆる角度からぶつけられる質問に対し、彼女はスラスラと答えていった。しかも、知識だけを持っているのではなく、彼女なりの意見もきちんと持っているようであった。
「本当に、エリスさんは賢くていらっしゃるのですね」
3人は、獣王国について知るために彼女に質問したのではなかった。知りたくはあったが、それは副次的なものであって主目的ではない。彼女らは欲しい知識をすぐに手に入れられる立場にある。むしろ興味があったのは、獣王国の教育レベルであった。
様々な異世界を回っている彼女らは、教育が及ぼす影響というのを深く理解していた。そのため、エリスに質問することによって、同僚が治めているであろう国の教育水準を見ようとしたのである。
聞けば、彼女は名門校の出身でもなんでもなく、ごく普通の教育しか受けていないのだという。それはつまり、獣王国に住む人の大部分が彼女と同じくらい博識であるということだった。
「お褒め頂き光栄です。しかし、この国には問題もあります」
いつの間にか雪は雨になっており、馬車の窓を弱弱しく撫でている。
彼女はもともと旧家――獣王国に古くからあるいわゆる貴族――に生まれた。ところが彼女の親が重罪を犯したため、家は取り潰され、両親は奴隷として売られた。奴隷と言っても過酷な労働を強制されるわけではなく、奴隷の扱いについて定められた法律もあり、私的財産などが認められないだけで、健康やある程度の自由は保障されていた。彼女自身も連座制の餌食となったが、まだ幼かったために孤児院に引き取られ、そこで十分な教育を受けることができた。
「連座制自体私は反対ですが、問題はそこではありません」
彼女は運よく孤児院に行くことができたが、全ての子どもがそう上手くいくとは限らない。見過ごされる子ども奴隷も多く、そしてそういった子らは、奴隷から解放されるのが難しい。一般の奴隷は、ある程度の年数が経てば解放される。これは主人との契約時に必ず盛り込まれる内容だ。しかし、小さい頃から奴隷として働くことが、自由という概念の発現を妨害するのである。更に、子どもだけで奴隷商に立ち向かうことは困難で、相手によってはとてつもなく不利で不自由な契約を結ばされることもある。
「国も子ども達を救おうとはしていますが、全く間に合っていないのが現状です。酷い場合だと、人間の国へ連れていかれて一生愛玩動物として飼われるという事例もあります」
一部のお金のある人間が高く買い取るために子攫いまで発生する始末。少し前、王都防衛を担う第一軍団を増員し、半分をこれらの阻止に充てたというのは有名な話である。
「エリスはどうしたいの?」
「奴隷制自体を無くせとは言いません。というか言えません。ですが、幼い子たちは全員孤児院に入れてほしいですし、たとえ大人でも人間に売り払うのは禁止、という感じです」
「じゃあさ」
どうしたらエリスの夢が実現するのか、何が課題となるか、具体的にいくつの孤児院が必要になってどのくらい国庫を使うのか、彼女らは真剣に討議する。ルナもライザもミカエラも、異世界で知った奴隷制度には吐き気を覚えたし、それを別にしても、久しく他人と話してこなかった3人にとって、この議論は非常に刺激的で面白い時間となった。
夕方。
何気なく外を見ていたミカエラが、いよいよ激しくなってきた雨の中に、ぼんやりと光る灯を見つけた。
「到着したようなので続きは後でお願いします。姉さま方も止まってください」
獣王国で最も北にある町、Permiが最初の宿泊場所である。
途中凍傷者や体調不良者が出たが、その人数もかなり少なく、更にライザやミカエラがあっという間に治療したため、ほとんどタイムロスにはならなかった。極北亜竜も龍と出会って以降は襲ってこなくなり、全ての兵士がおよそ無事に帰還している。この極寒の地を往復して一人の死者も出さないというのは、素晴らしい快挙であった。もちろん、『創始者』とその眷属の力あってしてのことだが。
獣王国は、北を不毛の大地、東西を海に面し、地続きの南を下ると人間の国家に至る。この国家と獣王国は長く友好関係にあり、また国民も反獣人感情を抱いていない。東西に広がる海域も、常に荒れていて軍事行動をとるのは難しい。よって獣王国の国境防衛は、不明な点が多い上にドラゴンも飛来する北側に集中していた。国境線上の戦略的に重要な地点に要塞を築き、その間を城壁で繋いであるので、要するに城壁が大陸を横断しているのである。
城壁の内側には道や水道などのインフラを整え、補給線も確保し、それらによって総数13,000にも及ぶ第三軍団は維持されていた。これは獣王国が抱える戦力の半分以上を占めており、世界でもなかなか見られない大兵力である。
「全軍停止」
大隊長は、城壁の見張りに築かれないギリギリの地点で軍を止めた。このまま帰還した場合、今乗っている馬車や馬を晒すことになり、芋づる式にルナやライザ、ミカエラのことまでばれてしまう。そうなれば混乱を生じることは間違いなく、最悪防衛線が機能しなくなる可能性まであった。そうならないために、馬や馬車をここで消し、残りは歩いて行くのである。基本的に国境より外側には兵士を出せないため、自分たちが黙っていれば彼女らの存在が漏れることはない。
「ルナ、お願い」
「Genifi」
全ての兵士が馬車から降りたことを確認し、ルナが魔法――実際のところは、ただの力ある言葉――を放つ。馬も馬車も綺麗になくなり、一切の痕跡が消し去られる。それを見届けてから、大隊長は言った。
「申し訳ないんですが、今少し地味な格好をして頂けますか。このままだと確実に怪しまれます。我々がお三方を拾ったという話で通すので、華美な格好だとマズいのです」
ルナ、ライザ、ミカエラが今着ているのは、一目で高貴な身分だと分かる衣服だ。極寒の地で拾われた者がそのような服装をしているというのは怪しいことこの上ない。彼女らもそれを理解していたので、面倒だとは思いながらも了承した。ただ、重大な問題があった。
「地味な服って何」
彼女らは地味な服など持っていない。神に創造された存在とその眷属が、華美でなく、豪華でなく、美しくもない、地味なものなど持っているはずがないのである。亜空間に収納している服をいくつか取り出してみたものの、どれもこれも"地味"からはかけ離れ、中には今の衣服以上に神々しいのすらあった。
大隊長は頭を悩ませる。彼らが持っている予備の装備を着せれば「服がボロボロだったので提供した」と言いつくろえるが、どう考えても失礼が過ぎる。ここで怒らせるとそのまま国を滅ぼされる可能性もあり、逆鱗がよく分からない状態で下手な手は打ちたくなかった。
結局彼は、魔力でローブを織ってもらい、それを着てもらうことにした。こうすれば、やけに美しい髪も綺麗な顔も隠れるので一石二鳥であると気づいたのだ。
更に、言葉もなるべく発さないよう大隊長は頼み込む。口調が貴族っぽい上、言葉が古かったり異言語が混じっていたり、時には意味不明な単語が飛び出してくるため、バレれば事情聴取になると思ったからだ。国境線を抜けた後3人が無事に王都へ向かうには、彼女らに疑いの目が向かないようにしなくてはならない。
「分かったわ」
「ご協力ありがとうございます」
それから徒歩でしばらく行き、とうとう目的の要塞に到着した。唯一この要塞だけには門が設けられており、この国境門こそが城壁の内と外を繋ぐ唯一の玄関口である。
大隊長の案内で3人が要塞の中に入ると、至る所で兵士たちが抱き合っては泣いていた。実は、国境に詰めていた兵士たちは遠征軍の生存を半ば諦めていた。およそ三か月間にわたって一切連絡が来なかったからである。それが全員帰ってきたのだ。北部という過酷で閉鎖的な環境下にある彼らは、仲間同士の結束がとても強く、職場内の結婚も珍しくないほどだ。それぞれがそれぞれを大事に思っているのだから、ようやくの再会に安堵しているのである。
そんな様子を眺めながら進んでいくと、彼女らは少し大きい部屋に案内された。文官らしき者たちがせわしなく動き回り、書類を審査したり判を押したりと忙しそうな状況である。大隊長は3人に椅子に座って待っていてくださいと伝えると、部屋の奥へ向かって行った。
ミカエラが囁く。
「皆さん大変そうですね」
「事務」
「待って、嫌なことを思い出させないで」
「ですが、外の世界で生活するならば書類と向き合うことになりそうです」
昔を思い出して遠い目をするミカエラ。舌打ちするルナ。溜息をつくライザ。皆、このような仕事には嫌な思い出しかなかった。
「こちらの常識もわからないですし、人を雇うのもありかもしれませんね。きちんとした教養があって、なおかつこういう処理が得意な人を」
「この世界の全てを知っていなくてもいいから、とりあえず近辺の情報は欲しいわね」
「私たちに合えばいいけど」
「それは会ってみないと分からないでしょう」
彼女らが小声で話し合っていると、大隊長が手にいくつか物を持って戻ってきた。彼は周囲に怪しまれない程度に恭しくそれらを手渡した。
「ではこれを差し上げます。身元を保証するのに必須ですので失くさないようお願いします」
渡されたのは書類とカード。1人に1つずつ。
「本名を登録する規則なのですが、皆さま身分が身分ですので、王都についてから獣王陛下にご相談なさってください。それはあくまで王都へ行くための物なので偽名で登録してあります」
「理解」
「では内門へ」
そのまま今度は獣王国側へと移動する。門を抜けるとそこには2台の馬車が停めてあり、数人の兵士が待機していた。その中の一人は、ここへ来るまでも同じ馬車だったエリスである。
大隊長が別れの挨拶を告げる。
「申し訳ないのですが、私は次の仕事が残っておりますので、ここから先はエリスに引継ぎさせていただきます」
「精一杯頑張りますのでよろしくお願いいたします」
驚くべきことに、彼女はさっきまでの元気溌溂とした様子ではなく、冷静で聡明な雰囲気を漂わせていた。もともと背が高めなのも相まって既に立派な指揮官である。
大隊長にお礼をした3人が馬車に乗り込み、エリスは発進の令を出す。
窓の外を見ると、大隊長と補佐官が雪の降る中で丁寧に敬礼をしていた。世話になった2人に、ルナとライザは少しばかりの加護を与え、ミカエラは亜空間制御魔法を早速使って、2人の亜空間を強制的に利用可能にした。
突然向上した能力と開花した亜空間に、彼らも周囲も慌てふためくのだが、それはまだ少し先の話である。
―――――
石畳の道路は針葉樹の森を切り拓いて作られたものだった。安全保障上の理由から道の左右10メートルほどは草木が伐採されているが、その奥は未開の森が続いている。軍用道路であるため付近の一般道よりは広くて快適なのだろう。しかし、他地域と比べるとやはり狭かった。
国境から王都への移動が1日で済むわけがないので、途中にある4つの街それぞれに泊まり、王都到着予定日は5日後である。
馬車が走っている間、エリスは3人に獣王国について話していた。
「獣王国はかなり裕福な国です。獣王陛下のもとで1つにまとまっており、ここ100年は内乱もありません。大きな格差もないと思います」
彼女の話を聞いて3人は質問する。
「軍はどうなっているのかしら」
「触れられる部分だけ申しますと、第一軍団から第六軍団まで、第二軍団の除いた5つの軍団があります。王都防衛、北境防衛、南境防衛、海岸防衛、予備の5つです。北が一番大きいですね。徴兵制ではなくて志願兵制なので、全員が職業軍人であり、各人の能力も十分なものになっています。第二軍団は、これは伝説の域を出ませんが、昔獣王陛下の不興を買って廃止されたと聞きます」
「政治」
「獣王陛下を中心とした王政です。王位は世襲で、先王の退位か逝去により次の王が立ちます。王が全権を持っていますが、国民に大きな被害を与えた場合、王家にかけられた魔術によってその王が死にます。また、副王家というのがあり、常に王家を監視しています。逆も然りです。他にもいろいろあってかなり複雑なのですが、どのあたりまでご説明いたしましょうか」
「ん、十分。ありがと」
その後も、あらゆる角度からぶつけられる質問に対し、彼女はスラスラと答えていった。しかも、知識だけを持っているのではなく、彼女なりの意見もきちんと持っているようであった。
「本当に、エリスさんは賢くていらっしゃるのですね」
3人は、獣王国について知るために彼女に質問したのではなかった。知りたくはあったが、それは副次的なものであって主目的ではない。彼女らは欲しい知識をすぐに手に入れられる立場にある。むしろ興味があったのは、獣王国の教育レベルであった。
様々な異世界を回っている彼女らは、教育が及ぼす影響というのを深く理解していた。そのため、エリスに質問することによって、同僚が治めているであろう国の教育水準を見ようとしたのである。
聞けば、彼女は名門校の出身でもなんでもなく、ごく普通の教育しか受けていないのだという。それはつまり、獣王国に住む人の大部分が彼女と同じくらい博識であるということだった。
「お褒め頂き光栄です。しかし、この国には問題もあります」
いつの間にか雪は雨になっており、馬車の窓を弱弱しく撫でている。
彼女はもともと旧家――獣王国に古くからあるいわゆる貴族――に生まれた。ところが彼女の親が重罪を犯したため、家は取り潰され、両親は奴隷として売られた。奴隷と言っても過酷な労働を強制されるわけではなく、奴隷の扱いについて定められた法律もあり、私的財産などが認められないだけで、健康やある程度の自由は保障されていた。彼女自身も連座制の餌食となったが、まだ幼かったために孤児院に引き取られ、そこで十分な教育を受けることができた。
「連座制自体私は反対ですが、問題はそこではありません」
彼女は運よく孤児院に行くことができたが、全ての子どもがそう上手くいくとは限らない。見過ごされる子ども奴隷も多く、そしてそういった子らは、奴隷から解放されるのが難しい。一般の奴隷は、ある程度の年数が経てば解放される。これは主人との契約時に必ず盛り込まれる内容だ。しかし、小さい頃から奴隷として働くことが、自由という概念の発現を妨害するのである。更に、子どもだけで奴隷商に立ち向かうことは困難で、相手によってはとてつもなく不利で不自由な契約を結ばされることもある。
「国も子ども達を救おうとはしていますが、全く間に合っていないのが現状です。酷い場合だと、人間の国へ連れていかれて一生愛玩動物として飼われるという事例もあります」
一部のお金のある人間が高く買い取るために子攫いまで発生する始末。少し前、王都防衛を担う第一軍団を増員し、半分をこれらの阻止に充てたというのは有名な話である。
「エリスはどうしたいの?」
「奴隷制自体を無くせとは言いません。というか言えません。ですが、幼い子たちは全員孤児院に入れてほしいですし、たとえ大人でも人間に売り払うのは禁止、という感じです」
「じゃあさ」
どうしたらエリスの夢が実現するのか、何が課題となるか、具体的にいくつの孤児院が必要になってどのくらい国庫を使うのか、彼女らは真剣に討議する。ルナもライザもミカエラも、異世界で知った奴隷制度には吐き気を覚えたし、それを別にしても、久しく他人と話してこなかった3人にとって、この議論は非常に刺激的で面白い時間となった。
夕方。
何気なく外を見ていたミカエラが、いよいよ激しくなってきた雨の中に、ぼんやりと光る灯を見つけた。
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