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完全勝利少女と晩年敗北少年

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 人は勝者と敗者に分かれる。俺がそれを実感したのは小学4年生の時だった。劇的な出来事が一つあったわけじゃなくて、勉強やスポーツ、普段の遊びから自分が常に負ける側にいることを察してしまったのだ。
 だけど、それは俺が目に見えて不出来だったわけじゃない。比較される対象があらゆる面で俺よりも勝っていたからだ。もしもそれが別の相手だったら俺は自分のことを敗者だなんて思わずにいられたかもしれない。

 そして、今日も俺は自分が敗者であることを思い知らされる。漢文の授業で行われた小テストが返却された授業終わり、前の席のそいつはすぐに後ろを振り向いて聞く。

武春たけはる、何点だった!?」
「……25点(30点満点)」
「よし、30点! あたしの勝ちぃ!」

 憂奈ういなは俺にとびきりの笑顔とピースサインを見せつける。それは小さい頃から何回も見た光景だった。

 俺と憂奈は家が近所だったこともあって、外に出られるような年齢になってからは毎日のように遊び始めた。
 最初は特に決まりが無い、今思えば何が面白いかわからないような遊びをしていたけど、いつしか遊びの中にはルールや点数が出てき何でも競い出すようになった。たぶん、初めのうちは俺も何か意識することはなかったし、憂奈との差も感じるようなこともなかったと思う。
 それが見え始めたのは小学校に入った後、遊び以外でやることが増えた時だ。

『武春、50メートル走何秒だった?』
『9秒2だったけど……』
『あたし、8秒20だった!』
『す、すごい! ぼくよりずっと早いや!』
『えへへ~ そんなにすごい?』

 遊びの範囲で一緒に動いている時には気付かなかったけど、肉体的には男子の平均くらいだった俺に対して、憂奈は脚力でも体力でも勝っていた。
 成績で言えば同じ塾に通っていても憂奈はいつも満点かそれに近い数字を出して、反対に俺はいつもどこかミスをしてしまうからどの教科でも勝てたためしがない。

『そのキャラの攻撃、だんだんわかってきた……あっ!』
『……マジか』
『やったぁ! 武春にゲームで勝てるなんてすごくない!?』

 挙句の果てには当時流行っていた対戦ゲームまで憂奈の方が上達を始めて、唯一勝てると思っていたゲームでも遊べば遊ぶほど手も足も出なくなってしまった。
 もちろん、これら以外にも色々な部分で勝てなくなり、それが積み重なって俺は敗北感を常に味わう人生になっていく。

「憂奈ちゃん、今日もいい笑顔だなぁ~」
「もっとジャンプしてくれると眼福なんだけど」

 おまけに小学校の頃から割と可愛いと言われていた憂奈は、成長するに連れて顔立ちやスタイルも良い意味ではっきりとしていった。
 つまり、現在の高校生の憂奈は生成優秀・文武両道でクラスの誰もが憧れる美少女になっている。これが人生の勝者でなければなんであるのかと言いたくなるくらいには完璧な存在だ。

「タケハル、今日も敗北ありがとう! おかげでいい憂奈ちゃんが見れた!」
「これで通算何連敗くらい?」

 そんな俺が敗北する様子を主にクラスの男友達はいつもからかってくる。こいつらについては成績で言えば俺が勝っているところもあるのに、憂奈に負けているというだけで俺はみんなから敗者として見られるのだ。

 だから、俺は反論をしてみるけど、返ってくる言葉はいつも決まっていた。

「まぁまぁ、落ち着けってタケハル~」
「そうそう。お前はオレたちより圧倒的に勝ってるところがあるんだから」
「みんな憧れの憂奈ちゃんの幼馴染で、今でも相手して貰える時点で人生の勝ち組なんだぜ?」

 そう言いながら男友達は憂奈に対する称賛や妄言を口にする。確かに傍から見る分には羨ましいと思われるかもしれない。でも、それは自分が比べられて負けていないから言えることだ。負ける側にいることがどんな気持ちになるか、まるでわかっちゃいない。
 いや、それは言い過ぎか。こいつらだって俺と同じように誰かと比べられて劣等感を覚えることはあるだろう。
 ただ、俺の場合は憂奈が高校になるまでずっと同じところにいて、幼馴染という関係から否が応でも比べられることが圧倒的に多くて……時折、そんなからかいにもムキになってしまうほど、負の感情が大きくなることがあるのだ。

「ちょっと待ってよ、武春!」

 放課後の下校時。さっさと帰ろうとして下駄箱まで来た俺を憂奈は急いで追いかけてくる。
 憂奈は色々な部分で成長しているが、根っこの部分は良くも悪くも変わらない。俺が思春期が全開になりかけた中学の時も何の恥ずかしげもなく俺と一緒に帰えろうとしてきた。
 それに対して「小学生の時とは違う」と言っても「何がどう違うの?」と聞かれてしまって、納得させる理由が返せなかったから俺の思春期もそこで負けてしまった。
 その状況は高校生になっても変わらなかった。

「武春、はい鞄」
「……なに?」
「何って、漢文のテスト勝ったからいいでしょ? それとも何かおごってくれる?」
「今日は無理だ」
「えー? なんで?」
「……これから用事があるんだよ」

 俺はそう言ってみるけど、本当は特に用事なんてなかった。今日は何となく気持ち的に良くない日だ。これ以上憂奈を見ていると嫌な考えばかり浮かんでしまう。

「用事って何? あたしも付いて行っちゃダメ?」
「なんでそこまでするんだよ。一人で帰ったらいいじゃないか」
「だ、だって、いつも一緒に帰ってるんだから……」
「……今日くらい一人にさせろよ」

 思わず出た言葉は自分で思った以上に冷たい言い方になってしまった。
 それを聞いた憂奈は足を止めて、俺から離れていく。それに振り向かないまま、俺はいつもと違う道を進んで行った。

 数分後。河川敷が見える小さなベンチに座り込んだ俺は……死ぬほど後悔していた。
 やってしまった。どうやら今日は本当に良くない日だったらしい。今まで自分の負の感情を吐き出さないように我慢してきたけど、そのために憂奈に八つ当たりしては意味がない。
 本当に悪いのは憂奈じゃなく、負けていることがわかっていながら努力をしない俺だ。勉強も運動もゲームも、憂奈に負けた時点で見返してやるとか、同じくらいがんばるとか、それ以上に何かすることを望まなかったのは俺の方だ。
 だからきっと、比べられる対象が憂奈じゃなかったとしても、俺は同じようなことになっていたんだろう。

 更に言えば、情けないことに冷たくしてしまったことで、憂奈ともう二度話せなくなることを俺は恐れている。
 憂奈が未だに俺に声をかけてくれるのはたまたま幼馴染で、偶然にも高校とクラスが同じだったことしかない。憂奈は俺よりもずっと優秀で本来は比べる必要もないのに、今日までそんなことをしてくるのはこの細い繋がりがあるからだ。
 それなのに俺が悪い態度を取ってしまったら、憂奈もこの細い繋がりにこだわる必要はなくなる。もっと自分を高められるような人といることが憂奈の正しい姿のはずだ。そんなことは憂奈との差がわかり始めた時から何回も思っていた。

 それからひとしきり落ち込み終えた俺は自宅へ帰り始める。明日何て言えばいいか、そもそも喋ってくれるのか。考えがまとまらないまま進んでいくと……

「う、憂奈!?」
「あっ、武春おかえりー 思ったより早かったね、用事」

 俺の自宅の前で憂奈が待ち構えていた。

「もしかして、俺と別れた後ずっとここにいたの!?」
「うん。あっ、スマホ見てたから別に暇してたわけじゃないからね?」
「いやいや、そういう心配ではなく……」
「え? 家までは1分もかからないから帰りを心配されることはないけど……」
「そっちでもない!」

 憂奈がその行動をさも当然のように振る舞うので、何だか俺の方が不安になる。

「普通待たないって話! 俺の用事がめちゃくちゃ長かったらどうするつもりだったんだよ!」
「それはもう鬼電してた。いったいどこほっつき歩いてるの!って」
「なんでお母さんみたいなことを……」
「それはそうと……結局用事って何だったの?」

 憂奈は急に真剣な顔で聞いてくる。無論、憂奈のことで一人反省会をしていたなんて言えるわけがない。

「べ、別に何でもいいだろ……」
「あたしに言えないこと?」
「ま、まぁ……」
「……他の女の子と会ってた?」
「……は? なんで?」
「だ、だって、あたしに言えないのは一緒に行かせるのは申し訳ない気持ちなることで……それともまさかエッチなものを買いに……!?」
「なんでそう極端なんだよ!? もっとこう……あるだろ!」
「あるの?」
「それはその……ごにょごにょ」
「あー! 都合が悪くなったらすぐそうするの悪い癖だよ、昔から」
「ご、ごめん……」

 そう言いながら何で俺が謝っているのかと思ってしまう。この時点で俺はもう憂奈に負けてしまっている。

「まぁ、誰かと会ってるとかじゃないならいいけど」
「……憂奈、さっきは本当にごめん。急に冷たい態度取って」
「え? 別に気にしてないよ。というか、武春的にはあれが冷たい態度なんだ?」
「そ、そうだと思ってたけど」
「へぇー……ふーん……」

 何だか生暖かい目で見られている気がする。憂奈はいつもそうだ。俺がらしくない行動を取ると何故だか興味を持ったり、喜んだりする。いったい何が楽しくて……いや、そうじゃない。いつの間にか俺は最初に聞きたかったことを忘れていた。

「そ、それで、結局憂奈がここで待ってたのはなんだったんだよ」
「えっ? 答えなかったっけ?」
「電話するとかは聞いたけど、それじゃあ待ってる答えにはなってない」
「そうだなぁ……実質もう言ってる気がするけど、ちゃんと言わないとダメ?」

 少し意地悪な顔で憂奈は俺を見てくる。俺の察しが悪いだけなんだろうか。いくら考えてもわからない。俺は憂奈ほど賢くはないのだ。

「わからないから……教えて欲しい」
「よろしい。答えは簡単。武春が何してるか心配だったから」
「そ、そうか。本当にお母さんみたいな理由だったとは……」
「だから――」

 憂奈は不意に正面にいる俺の手を掴んで言う。

「もうあたしを置いて行っちゃダメだよ?」

 真っ直ぐに見つめる憂奈の瞳はからかっているわけではないことはわかった。
 だけど、おかしな話だ。憂奈が色々な部分で俺を置いてけぼりにすることはあっても、俺が憂奈を置いてけぼりにできるようなことは何もない……はずだ。
 それでも、そんなことを言われてしまったら俺の悩みは小さなことになってしまう。
 少なくとも憂奈は自分を上げるためでも俺を陥れるたでもなく、小さな頃から変わらず純粋に楽しく競い合おうとしているだけだ。

「……本当にすごいよ、憂奈は」
「ちょっ!? 今なんて言った!?」
「えっ? 本当にすごいと……」
「どの辺りが? 具体的にもっと言って!」
「え、えっと……色々あるけど……」
「そんなにあるの!? えへへ~」

 その勝利の先に何があるのか……やっぱり俺は察しが悪いからわからない。
 だから、憂奈が本当の答えを教えてくれるまで俺はずっと憂奈に負け続けるのだろう。
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