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4.噂と頭痛と言えない不安
4.6
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放課後。一時間欠席した後は頭痛がマシになったので、四時間目以降の授業は出席し、掃除の時間には完全に痛みが治まっていた。こんな風に治るのが早いのもサボりと思われる不安になる要素なんだけど……結局は僕が勝手に心配しているだけだ。
「よう、ソーイチ。」
そんな中、僕が掃除を終えて教室に戻ると、京本が待ち構えていた。
「どうしたんだ?」
「三時間目の数Bのノート、まだ渡してなかったから。暫くテストもないし、持って帰っていいぞ」
そう言いながら京本はノートを差し出して来る。京本は中学の時から僕が頭痛で欠席しているのを知っていて、クラスが同じで席が近ければこうやってノートを写させてくれていた。普段は僕がノートを見せているから、その恩返し的な意味もあるんだろうけど……それなら僕が欠席しない時も板書できるだろうと思わないこともない。
でも、その厚意はありがたいので、受け取ろうとした……その時だった。
「ソーイチ、もう体調大丈夫なんだよね!? 今日は放課後の時間大丈夫!?」
どこからともなく式見が現れて、やや早口で間に割り込んで来る。
「あ、ああ。体調も放課後も問題ない」
「それじゃあ、行きましょう! キョウモト君、ノートは自分で持って帰って!」
式見は京本にノートを押し返すと、京本も僕と同じように「あ、ああ」と呆気に取られた感じになっていた。しかし、式見はそんな京本を気にも留めずに僕を引っ張って教室を出る。
「ど、どこへ行くんだ!?」
「まずは職員室。アラマッキーを説得してくるから外でちょっと待ってて」
何の説得か聞く前に、職員室に着いてしまったので、僕は言われた通り大人しく待っていた。
二分後、式見は鬼の首を取ったように、どこかの鍵を掲げて帰って来た。
もちろん、それを見ても式見の意図はわからない。
「華麗な説得だったわ。私、ネゴシエーターに向いてるかも」
「相変わらずの自己肯定力だけど、何の説得を――」
「次は一階ね。たぶん、奥から二番目の教室」
僕の質問を遮りながら式見は目的地を教えてくれるが……式見のお気に入り散歩コースである校舎東側の一階の廊下に着くまでどこの話をしているのかわからなかった。
奥から二番目の教室とは、空き教室のことだった。内装は隣に並ぶ実験室と同じだけど、外の部活で会議が必要になった時や文化祭などの行事以外ではあまり使われていない。
そんな空き教室の鍵を開けた式見は、実験室専用の大きな教卓のすぐ手前に椅子を置き、僕を座らせると、式見自身は黒板の前に立った。
「な、何が始まるんだ……?」
「ソーイチ、普段は使われていない教室に男女が二人きり。部屋から声が漏れる可能性は低いし、誰かが邪魔しに来る様子もない。ここから連想できることは?」
「それは……」
式見の振りの時点で、僕の思考は誘導されていたのだけど、それに気付かないまま僕は思春期らしい想像をしてしまった。まさか式見と今からあんなことやこんなことを――
「さて、数学Bの教科書を開いて、ソーイチ」
「……へ?」
「何をきょとんとしているの。私、アラマッキーには勉学のために空き教室を使わせて欲しいと言ったから、ソーイチが考えているようないかがわしいことはしないわよ」
「か、考えてないし! それはそれとしてなぜ教科書を……?」
「それはもちろん……私が二時間目の再現をするからよ」
式見はしたり顔でそう言いながら、自分の鞄からノートを取り出す。式見がノートを持っていることに驚きつつも(学生なら普通なはずなのに)まだ状況が理解できない僕を放置して、式見は喋り始めた。
「……はい。それでは教科書二十七ページ、三の一の問題から。ベクトル方程式の円について。まずは問一」
その口調は式見らしかぬどこか堅苦しい感じで……いや、僕はこの口調を聞いたことがある。
数Bを担当する初老の宇梶(うかじ)先生だ。よく聞いたら口調だけでなく、宇梶先生っぽい声色まで真似ていて――声の高低や年齢差があるからまるで似てなかったけど――それでも宇梶先生とわかる雰囲気はあった。
「し、式見、ちょっと待ってくれ」
「はい。ソーイチ君、何か質問?」
「いや、宇梶先生は全員、苗字に敬称付けて呼んでるぞ」
「なに。そうだったか。違う、そうだったのね……私の口調、これで合ってる?」
「自分を見失ってるじゃないか。やりたいことは何となくわからないでもないが、先に説明してくれ」
そう言うと、式見は少しだけ自分の声と口調をチューニングしてから喋り出す。
「保健室でソーイチの話を聞いて思い付いたの。ソーイチが授業を欠席することに罪悪感があるなら、私が授業全体を覚えてソーイチに教えればいいんじゃないかって。板書とか先生が話してた内容とか全部」
「そんなことができるのか!?」
「いや、さすがに板書はノートに写してるし、話してた内容も細かい部分や余計な雑談までは覚えられないけど、問題を解く知識としては十分教えられると思うわ」
式見は謎の謙遜を見せるが、僕が驚いたのはそこの問題ではない。式見の記憶力が衰えていないのはテストの結果でもわかっていたけど、今日一回見ただけの出来事を、大まかに再現できるほどの記憶力があると思わなかった。
「まぁ、とりあえず体験してみて、ダメな部分があったら指摘してくれたらいいから。板書もなるべく書いていくけど、面倒なら後で私のノートをスマホで撮ってもいいし。こほん……それでは改めて問一」
「待て。もう一つだけ質問がある」
「何かね、柊君」
「……先生の真似をする必要があるのか?」
「えっ。そこが面白いから一番頑張って覚えたところなのに」
「……わかった。続けてくれ」
一応、本題は僕のためを思っての行動なので、やめろとは言いづらかった。
そして、宇梶先生の真似をする式見は、宣言通り板書と授業の内容を話し始める。宇梶先生はどちらかというと板書が多く、生徒に当てることがほとんどないタイプなので、式見の板書と解説は途切れることなく続いていた。
「――今日の授業はここまで。次の授業までに該当ページの問題を解いておくように」
それから式見が早回ししていたのもあって普通の授業よりも少し早い四十分ほどで再現が終わる。
「……どうだった? 結構喋りの特徴は掴んでたと思うし、授業内容も大事な部分は抑えてたはずだけど」
「真似については頑張っていたと評価するしかないが……内容はしっかりしてたよ。こう言うと先生には失礼かもしれないけど、普段の授業とそんなに差がなかった」
「やった! これからは私をコピー教師の式見と呼んでもいいわよ?」
「教師って単語に付けるとそんなにかっこいい称号じゃない気がする」
式見が小ボケを入れるので僕も合わせてしまったけど……想像以上の再現に僕は真剣に驚いていた。宇梶先生の授業がわかりやすいかは別として、いつも受けている数Bの授業を短縮して受けられた感覚は、式見の記憶力が本当に凄いことを思い知らせるものだった。
「…………」
「ソーイチ? 本当に大丈夫だった? 思い付きでやったことだから、ダメなところは気を遣わずに言ってくれた方が――」
「いや、本当に凄くわかりやすかったし、僕のために覚えてくれたのはありがたいって思う。でも……ここまでやらなくても大丈夫だよ。ノートを写させてくれるだけでも十分だ」
ただ、そんな凄さを見せられてしまったら――また本人にはいえないが――式見の両親と同じような思いを抱いてしまう。
いや、式見の両親の場合は世に知らしめたいという一応はポジティブな感情だったけど、僕の場合は……僕なんかのために使うには勿体ない才能だというネガティブな感情だった。
僕が何でもない理由で欠席した授業の一コマを覚えるよりも、もっと必要なことに記憶の容量を使えずはずだ。
たとえ今日の記憶が後に残らないとしても、その間に式見は、もっと有意義な時間を過ごせたはずだ。
僕が頭痛で欠席することを勝手に不安だと思うだなんて話したから、式見はここまでしてくれた。
本当は、式見は、窮屈な教室にいるのが嫌かもしれないのに、それを我慢して――
「ソーイチ」
なかなか言葉を返さなかった式見は、いつの間にか……椅子に座っている僕の膝の上に乗っかって、僕の肩を支えにしながら向き合っていた。式見の重みを感じるまで気付かないなんて……僕の膝の上???
「って、なにやってるんだ!?」
「私を見て欲しいから」
「み、見るも何もずっと目の前にいたじゃないか!?」
「ううん。さっき話した時、ソーイチは私のことを見てなかった」
式見はふざけている様子ではなく、真剣な眼差しで……どこか悲しそうにも感じる目で見ていた。
「ソーイチがいないのに授業に出たのも、授業の内容を覚えようと思ったのも、全部ソーイチに喜んで欲しいからやったことなの。それでソーイチが申し訳なさそうにするのは……嫌だけどまだわかる。だけど、ダメだった理由も言わないで遠ざけるのは本当に嫌」
「だ、駄目じゃないよ。駄目なのは……僕自身だから」
「ソーイチが自分をダメに思うのは違う。ソーイチから……イマミネさんを遠ざけてしまったみたいに、今ソーイチがダメだと思うところは、全部私のせい」
「それこそ違う! 式見は……」
間違いなく素晴らしい記憶力を持つ天才少女なんだから、僕なんかのためにその才能を使うのは勿体ない――とは言えるはずもなく。だけれど、式見を説得するのに相応しい言葉をすぐには思い付けなかったし、僕のネガティブな感情は絶対に伝えたくなかった。
「ソーイチはずっと真面目で優しい人なんだよ。そんなソーイチが……病気なのに欠席して不安な思いをするのが、私は嫌だった。だから――」
「ありがとう、式見。式見の言う通り……授業を覚えて貰うのが申し訳なかったと思ったんだ。いくら記憶力が良くても全部覚えるのは大変だろうし」
「そんなことない。私にとっては普通に授業を受けているだけだったから。本当に頑張ったのは、先生の喋りや癖を覚えるところ」
「ほ、本当にそこだけなのか……じゃあ、僕が申し訳なく思うほどのことじゃないか」
式見のしおらしい空気に耐え切れず、僕は思わず言いたかったことを隠してしまった。申し訳なく思った部分は嘘ではないが、この言い方では――
「うん。だから、今後、ソーイチが頭痛で欠席する時は私に任せておいて。ばっちり覚えて今日みたいにソーイチに教えるから」
――そう言われてしまうとわかっていたのに。式見が僕のために覚え続けてしまう限り、僕はこの不安を隠し続けなければならない。
「……でも、ソーイチ。私をちょっと不安にさせた責任は取って貰うからね?」
「えっ? ちょっ!?」
そう言いながら膝の上に乗った式見は僕の肩に手を回して、自分の顔を僕の顔に近づけてくる。そんな流れになると思っていなかった僕は、全く抵抗できなかった。
「……目、つぶった方がいい?」
「何するつもりなんだよ!?」
「そこはソーイチに任せるわ。この状況で、ソーイチらしい責任の取り方をして」
自分で動くのはここまでと言わんばかりに至近距離で僕の顔を見つめる式見。
これって……流されるべきなのか。いや、僕が変な方向に想像しているだけで、こういう体勢で行う責任の取り方が本当にあるのかもしれない。だけど、残念ながらその方法を今はスマホで調べられないから……僕の頭には選択肢が一つしかなかった。
「ん……」
僕が何も言ってないのにとうとう目をつぶった式見。いったいどういう感情で何を望んでいるんだ。式見とはようやく友達になったばかりで……ああ、もう! マジで友達が何かわからなくなる! こうなったらヤケで――
「失礼しまーす。一時間くらいって言うから一応様子を見に来たんだけど……お邪魔だったかな?」
空き教室に入って来た荒巻先生の目には、恐らく……これからいかがわしいことを始めそうな男女二人が見えたに違いない。
「アラマッキー……なんでこのタイミングで来るの! ちゃんと勉学に使うって言ったのに!」
「だって、担任として確認すべきだって他の先生方が言うから……それで、その状態は続ける感じ?」
「……続ける」
「続けません! あと、直前まではちゃんと勉強してて、いきなり式見がこうしてきただけです!」
「あー!? さらっと私だけに罪を擦り付けてる! ソーイチってそういうことするんだー 幻滅しちゃうなぁ」
「事実だろ!? 僕は普通に座ってただけなのに!」
「はいはい。仲が良いようで何より」
荒巻先生から向けられた視線は、完全に式見と僕を一緒のカテゴリーに入れている感じだった。
この式見の突拍子もない行動と荒巻先生の介入で、僕の不安な気持ちは曖昧なままになってしまったのは良かったのか悪かったのか。それがわかるのは……そう遠くない話だった。
「よう、ソーイチ。」
そんな中、僕が掃除を終えて教室に戻ると、京本が待ち構えていた。
「どうしたんだ?」
「三時間目の数Bのノート、まだ渡してなかったから。暫くテストもないし、持って帰っていいぞ」
そう言いながら京本はノートを差し出して来る。京本は中学の時から僕が頭痛で欠席しているのを知っていて、クラスが同じで席が近ければこうやってノートを写させてくれていた。普段は僕がノートを見せているから、その恩返し的な意味もあるんだろうけど……それなら僕が欠席しない時も板書できるだろうと思わないこともない。
でも、その厚意はありがたいので、受け取ろうとした……その時だった。
「ソーイチ、もう体調大丈夫なんだよね!? 今日は放課後の時間大丈夫!?」
どこからともなく式見が現れて、やや早口で間に割り込んで来る。
「あ、ああ。体調も放課後も問題ない」
「それじゃあ、行きましょう! キョウモト君、ノートは自分で持って帰って!」
式見は京本にノートを押し返すと、京本も僕と同じように「あ、ああ」と呆気に取られた感じになっていた。しかし、式見はそんな京本を気にも留めずに僕を引っ張って教室を出る。
「ど、どこへ行くんだ!?」
「まずは職員室。アラマッキーを説得してくるから外でちょっと待ってて」
何の説得か聞く前に、職員室に着いてしまったので、僕は言われた通り大人しく待っていた。
二分後、式見は鬼の首を取ったように、どこかの鍵を掲げて帰って来た。
もちろん、それを見ても式見の意図はわからない。
「華麗な説得だったわ。私、ネゴシエーターに向いてるかも」
「相変わらずの自己肯定力だけど、何の説得を――」
「次は一階ね。たぶん、奥から二番目の教室」
僕の質問を遮りながら式見は目的地を教えてくれるが……式見のお気に入り散歩コースである校舎東側の一階の廊下に着くまでどこの話をしているのかわからなかった。
奥から二番目の教室とは、空き教室のことだった。内装は隣に並ぶ実験室と同じだけど、外の部活で会議が必要になった時や文化祭などの行事以外ではあまり使われていない。
そんな空き教室の鍵を開けた式見は、実験室専用の大きな教卓のすぐ手前に椅子を置き、僕を座らせると、式見自身は黒板の前に立った。
「な、何が始まるんだ……?」
「ソーイチ、普段は使われていない教室に男女が二人きり。部屋から声が漏れる可能性は低いし、誰かが邪魔しに来る様子もない。ここから連想できることは?」
「それは……」
式見の振りの時点で、僕の思考は誘導されていたのだけど、それに気付かないまま僕は思春期らしい想像をしてしまった。まさか式見と今からあんなことやこんなことを――
「さて、数学Bの教科書を開いて、ソーイチ」
「……へ?」
「何をきょとんとしているの。私、アラマッキーには勉学のために空き教室を使わせて欲しいと言ったから、ソーイチが考えているようないかがわしいことはしないわよ」
「か、考えてないし! それはそれとしてなぜ教科書を……?」
「それはもちろん……私が二時間目の再現をするからよ」
式見はしたり顔でそう言いながら、自分の鞄からノートを取り出す。式見がノートを持っていることに驚きつつも(学生なら普通なはずなのに)まだ状況が理解できない僕を放置して、式見は喋り始めた。
「……はい。それでは教科書二十七ページ、三の一の問題から。ベクトル方程式の円について。まずは問一」
その口調は式見らしかぬどこか堅苦しい感じで……いや、僕はこの口調を聞いたことがある。
数Bを担当する初老の宇梶(うかじ)先生だ。よく聞いたら口調だけでなく、宇梶先生っぽい声色まで真似ていて――声の高低や年齢差があるからまるで似てなかったけど――それでも宇梶先生とわかる雰囲気はあった。
「し、式見、ちょっと待ってくれ」
「はい。ソーイチ君、何か質問?」
「いや、宇梶先生は全員、苗字に敬称付けて呼んでるぞ」
「なに。そうだったか。違う、そうだったのね……私の口調、これで合ってる?」
「自分を見失ってるじゃないか。やりたいことは何となくわからないでもないが、先に説明してくれ」
そう言うと、式見は少しだけ自分の声と口調をチューニングしてから喋り出す。
「保健室でソーイチの話を聞いて思い付いたの。ソーイチが授業を欠席することに罪悪感があるなら、私が授業全体を覚えてソーイチに教えればいいんじゃないかって。板書とか先生が話してた内容とか全部」
「そんなことができるのか!?」
「いや、さすがに板書はノートに写してるし、話してた内容も細かい部分や余計な雑談までは覚えられないけど、問題を解く知識としては十分教えられると思うわ」
式見は謎の謙遜を見せるが、僕が驚いたのはそこの問題ではない。式見の記憶力が衰えていないのはテストの結果でもわかっていたけど、今日一回見ただけの出来事を、大まかに再現できるほどの記憶力があると思わなかった。
「まぁ、とりあえず体験してみて、ダメな部分があったら指摘してくれたらいいから。板書もなるべく書いていくけど、面倒なら後で私のノートをスマホで撮ってもいいし。こほん……それでは改めて問一」
「待て。もう一つだけ質問がある」
「何かね、柊君」
「……先生の真似をする必要があるのか?」
「えっ。そこが面白いから一番頑張って覚えたところなのに」
「……わかった。続けてくれ」
一応、本題は僕のためを思っての行動なので、やめろとは言いづらかった。
そして、宇梶先生の真似をする式見は、宣言通り板書と授業の内容を話し始める。宇梶先生はどちらかというと板書が多く、生徒に当てることがほとんどないタイプなので、式見の板書と解説は途切れることなく続いていた。
「――今日の授業はここまで。次の授業までに該当ページの問題を解いておくように」
それから式見が早回ししていたのもあって普通の授業よりも少し早い四十分ほどで再現が終わる。
「……どうだった? 結構喋りの特徴は掴んでたと思うし、授業内容も大事な部分は抑えてたはずだけど」
「真似については頑張っていたと評価するしかないが……内容はしっかりしてたよ。こう言うと先生には失礼かもしれないけど、普段の授業とそんなに差がなかった」
「やった! これからは私をコピー教師の式見と呼んでもいいわよ?」
「教師って単語に付けるとそんなにかっこいい称号じゃない気がする」
式見が小ボケを入れるので僕も合わせてしまったけど……想像以上の再現に僕は真剣に驚いていた。宇梶先生の授業がわかりやすいかは別として、いつも受けている数Bの授業を短縮して受けられた感覚は、式見の記憶力が本当に凄いことを思い知らせるものだった。
「…………」
「ソーイチ? 本当に大丈夫だった? 思い付きでやったことだから、ダメなところは気を遣わずに言ってくれた方が――」
「いや、本当に凄くわかりやすかったし、僕のために覚えてくれたのはありがたいって思う。でも……ここまでやらなくても大丈夫だよ。ノートを写させてくれるだけでも十分だ」
ただ、そんな凄さを見せられてしまったら――また本人にはいえないが――式見の両親と同じような思いを抱いてしまう。
いや、式見の両親の場合は世に知らしめたいという一応はポジティブな感情だったけど、僕の場合は……僕なんかのために使うには勿体ない才能だというネガティブな感情だった。
僕が何でもない理由で欠席した授業の一コマを覚えるよりも、もっと必要なことに記憶の容量を使えずはずだ。
たとえ今日の記憶が後に残らないとしても、その間に式見は、もっと有意義な時間を過ごせたはずだ。
僕が頭痛で欠席することを勝手に不安だと思うだなんて話したから、式見はここまでしてくれた。
本当は、式見は、窮屈な教室にいるのが嫌かもしれないのに、それを我慢して――
「ソーイチ」
なかなか言葉を返さなかった式見は、いつの間にか……椅子に座っている僕の膝の上に乗っかって、僕の肩を支えにしながら向き合っていた。式見の重みを感じるまで気付かないなんて……僕の膝の上???
「って、なにやってるんだ!?」
「私を見て欲しいから」
「み、見るも何もずっと目の前にいたじゃないか!?」
「ううん。さっき話した時、ソーイチは私のことを見てなかった」
式見はふざけている様子ではなく、真剣な眼差しで……どこか悲しそうにも感じる目で見ていた。
「ソーイチがいないのに授業に出たのも、授業の内容を覚えようと思ったのも、全部ソーイチに喜んで欲しいからやったことなの。それでソーイチが申し訳なさそうにするのは……嫌だけどまだわかる。だけど、ダメだった理由も言わないで遠ざけるのは本当に嫌」
「だ、駄目じゃないよ。駄目なのは……僕自身だから」
「ソーイチが自分をダメに思うのは違う。ソーイチから……イマミネさんを遠ざけてしまったみたいに、今ソーイチがダメだと思うところは、全部私のせい」
「それこそ違う! 式見は……」
間違いなく素晴らしい記憶力を持つ天才少女なんだから、僕なんかのためにその才能を使うのは勿体ない――とは言えるはずもなく。だけれど、式見を説得するのに相応しい言葉をすぐには思い付けなかったし、僕のネガティブな感情は絶対に伝えたくなかった。
「ソーイチはずっと真面目で優しい人なんだよ。そんなソーイチが……病気なのに欠席して不安な思いをするのが、私は嫌だった。だから――」
「ありがとう、式見。式見の言う通り……授業を覚えて貰うのが申し訳なかったと思ったんだ。いくら記憶力が良くても全部覚えるのは大変だろうし」
「そんなことない。私にとっては普通に授業を受けているだけだったから。本当に頑張ったのは、先生の喋りや癖を覚えるところ」
「ほ、本当にそこだけなのか……じゃあ、僕が申し訳なく思うほどのことじゃないか」
式見のしおらしい空気に耐え切れず、僕は思わず言いたかったことを隠してしまった。申し訳なく思った部分は嘘ではないが、この言い方では――
「うん。だから、今後、ソーイチが頭痛で欠席する時は私に任せておいて。ばっちり覚えて今日みたいにソーイチに教えるから」
――そう言われてしまうとわかっていたのに。式見が僕のために覚え続けてしまう限り、僕はこの不安を隠し続けなければならない。
「……でも、ソーイチ。私をちょっと不安にさせた責任は取って貰うからね?」
「えっ? ちょっ!?」
そう言いながら膝の上に乗った式見は僕の肩に手を回して、自分の顔を僕の顔に近づけてくる。そんな流れになると思っていなかった僕は、全く抵抗できなかった。
「……目、つぶった方がいい?」
「何するつもりなんだよ!?」
「そこはソーイチに任せるわ。この状況で、ソーイチらしい責任の取り方をして」
自分で動くのはここまでと言わんばかりに至近距離で僕の顔を見つめる式見。
これって……流されるべきなのか。いや、僕が変な方向に想像しているだけで、こういう体勢で行う責任の取り方が本当にあるのかもしれない。だけど、残念ながらその方法を今はスマホで調べられないから……僕の頭には選択肢が一つしかなかった。
「ん……」
僕が何も言ってないのにとうとう目をつぶった式見。いったいどういう感情で何を望んでいるんだ。式見とはようやく友達になったばかりで……ああ、もう! マジで友達が何かわからなくなる! こうなったらヤケで――
「失礼しまーす。一時間くらいって言うから一応様子を見に来たんだけど……お邪魔だったかな?」
空き教室に入って来た荒巻先生の目には、恐らく……これからいかがわしいことを始めそうな男女二人が見えたに違いない。
「アラマッキー……なんでこのタイミングで来るの! ちゃんと勉学に使うって言ったのに!」
「だって、担任として確認すべきだって他の先生方が言うから……それで、その状態は続ける感じ?」
「……続ける」
「続けません! あと、直前まではちゃんと勉強してて、いきなり式見がこうしてきただけです!」
「あー!? さらっと私だけに罪を擦り付けてる! ソーイチってそういうことするんだー 幻滅しちゃうなぁ」
「事実だろ!? 僕は普通に座ってただけなのに!」
「はいはい。仲が良いようで何より」
荒巻先生から向けられた視線は、完全に式見と僕を一緒のカテゴリーに入れている感じだった。
この式見の突拍子もない行動と荒巻先生の介入で、僕の不安な気持ちは曖昧なままになってしまったのは良かったのか悪かったのか。それがわかるのは……そう遠くない話だった。
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