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3.用事と信頼と彼女の過去

3.1

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 式見の見張りを任されてから二週間ほど経った頃。
 僕は昼休みに荒巻先生から呼び出されて職員室に来ていた。
「いやぁ、柊くん、本当にありがとうね。あれから全体的に式見さんの出席率上がって、他の先生方も感謝してたよ。……まさか本当に爪の垢を煎じて飲ませた?」
「そんなわけないでしょ」
「冗談だよ。真面目な柊くんの影響を受けていい方向に向かっているってことだね」
 荒巻先生は弾んだ声で言う。その顔には僕に見張りを頼んだ時にあった疲れが無くなっているように見えた。たぶん、代わりに僕の顔が疲れていると思われる。
 そして、式見の出席率の改善は間違いなく僕が影響しているが、式見が僕に倣っているわけではなく、物理的に連行しているだけだ。
 おかげで僕は式見のトイレ待ちをしている時に不審な目で見られたし――
『ソーイチ、さすがに性別を超えての連れションは引かれても仕方ないと思うわよ』
『見張りのためにやってるんだよ!』
『そういえば、連れションって男子なら行った後に会話が成立するからわかるけど、女子は連れションする必要なくない? 壁越しに会話するものなの?』
『いや、僕に聞かれても……まぁ、何となく一人で行動するのが寂しい気持ちとかあるんだろう。あと、あんまり連れション連呼するな』
 式見を完全に見失った際に校内を駆け回る姿をこれまた不審な目で見られたり――
『ソーイチ、廊下を走ってもいいの? それこそソーイチの評価が著しく下がってしまうかもしれないのに』
『はぁはぁ……そ、そう思うならいきなり姿を消すな!』
『ちなみにうちの校則には廊下を走ってはいけないと書かれてないから、本当に評価が下がる心配はしなくていいわよ』
『それなら安心……って、それは校則に書いて注意するほどの内容じゃないからだろ』
 ――とにかく荒巻先生が思っている以上に色々大変だった。
 けれども、苦労は荒巻先生に伝わっていないようで、得意げな表情で僕を見てくる。
「やっぱりアタシの目に間違いはなかった。ほぼ初めての絡みでも式見があんなに話せてたんだから」
「……あいつ、コミュニケーション苦手な印象は全然ないですけど」
「そう? わりと口閉ざしがちだよ? 気に入らない先生とかには特に」
 また普段の式見と食い違う話だ――いや、これは単に気に入らない奴と話すのが嫌なだけか。
 どちらにしても僕が思い出す式見は最初から口数が減らないでうるさい印象だ。
「それで……今日は状況報告だけですか」
「うん。これからもよろしくということで」
「これからって、期限とかは……」
「そこはまぁ……追々決めるということで」
 僕の質問に荒巻先生は露骨に目を逸らす。汚い大人の一面を見てしまった。書面に書いていない約束事は後からどうとでも変えられる。
 お褒めの言葉を頂いたから一瞬お役御免かと思ったけど、そうはいかないらしい。
「……わかりました。それじゃあ、そろそろお昼を食べたいので」
「ああ。時間を取らせて悪かったね」
 荒巻先生から解放された僕はそのままの足で屋上前に向かう。
 三階より上の階段に向かう生徒はどう考えても怪しいので、僕はなるべく気配を殺しながら素早く上っていく。ここ最近で身に付いた無駄なスキルだ。このままでは本当に伝説の傭兵になってしまうかもしれない。
「遅かったじゃない、ソーイチ」
 そんな僕の小さな苦労も知らず、式見は悪戯な笑みを浮かべて待っていた。
「真面目な模範生徒クンともあろうお方が、先生に呼び出されちゃうなんて、いったい何をやらかしたの? もしかしてこの前廊下を走った件?」
「僕がやらかしわけじゃない。お前の件で呼び出されたんだ」
「他人のせいにするのは良くないと思いまーす」
「……その件についてだが、残念なお知らせだ」
「えっ」
「僕はまだお前を見張らなければならないらしい」
「三日三晩喜び明かしていいくらいの知らせじゃない」
「どこがだよ!?」
 式見と話す時間は昼休みか放課後が多いけど、どの時間帯でもだいたい式見がボケて、僕がツッコむような会話を繰り返している。それに慣れ始めている自分が怖い。
「そんなことより早くお昼を食べましょう」
 そう言いながら式見はビニール袋から割り箸を取り出して、まだ開けていない僕の弁当箱を見てくる。弁当のおかずを食べさせてしまった後から、式見は毎日僕の弁当からおかずを一品ずつ摘まむようになってしまった。
そんなにおかずが食べたいならゼリー飲料じゃなくてコンビニ弁当を買えばいいだろうと言ったけど、式見はコンビニ弁当だと全体的に量が多いし、ご飯は別にいらないと言う。
「ソーイチは毎日この玉子焼きを食べられるありがたみに気付くべきよ。日常の小さな幸せこそ振り返って感謝しなきゃ」
 それに加えて、我が母親作の甘い玉子焼きが相当気に入ってしまったらしい。まぁ、玉子焼き一つで考えても、お手製と工場製では違うという気持ちはわかる。
「いや、玉子焼き単体はないけど、弁当を作ってくれてること自体は定期的に感謝してるから」
「そう? あっ、今日は焼きそばパンを買ってきたわ」
 式見はビニール袋からコンビニの焼きそばパンを取り出してすぐに開封する。僕が弁当のおかずを分ける代わりに、式見は買ってきたパンを分けてくれるようになった。しかもだいたいが半分ではなく多めに出してくる。
 そう考えると、式見が食べている全体量はそれほど多くないから、本人が言っていた通り、ゼリー飲料で何とかなるようなコスパの良い身体なのかもしれない。
 今回の焼きそばパンはおおよそ六対四に分けられ、六の方が僕に差し出される。
「はい、炭水化物&炭水化物どうぞ」
「なんだその言い方は」
「何となく罪悪感を煽れるかと思って」
「なんで煽られなきゃいけないんだよ。焼きそばパンはダブル炭水化物の中では市民権を得ているぞ」
「……確かに。焼きそばパンアンチは聞いたことがないわ」
「他のダブル炭水化物アンチもあんまり聞いたことないけどな」
「お好み焼きご飯とたこ焼きご飯アンチは関東支部が出来上がるくらいにはいるはずよ」
「ああ、粉ものがあったか。ちなみに式見は粉ものとご飯の組み合わせは許せるのか?」
「無理ね。そもそもお腹いっぱいになるから両方食べ切れない」
「そういう問題なのか……」
 中身のない会話を終えた後、僕はようやく貰った焼きそばパンを食べる。濃いソース味の炭水化物を挟んだ少し甘味のある炭水化物は何度食べても飽きない絶妙な味わいだ。これでアンチが生まれるわけがない。
 一方の式見は残った焼きそばパンには目もくれず、僕の弁当から勝手におかずを拝借していた。おかずはだいたい二個ずつ入っているけど、基本は僕の分も残すようにしてくれている――僕の弁当なんだから当然の権利ではあるんだけど。
 そうして、少々ややこしい昼食を取り終えると、式見は満足そうな顔になった。
「ふう、ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
 そんな感じでここ最近の昼休みの時間は流れていく。余計な話をしていたら休み時間終わりギリギリになっていたりするし、早めに食べ終えたとしても今日みたいなどうでもいい会話を続けていた。そうしないと、式見が以前のようにトイレを隠れ蓑にして逃げてしまう可能性があるからだ。
 そのせいで僕の昼休みは完全に式見と過ごす時間になってしまった。
 ただ、それが完全に悪いことかと言われたらそうでもない。
 式見と継続的にコミュニケーションを取ったおかげで、全部ではないけど言うことを聞いてくれる場面も増えたと僕は思っている。式見の出席率が高くなれば僕も見張りから解放されるはずだから、今は昼休みを全部使ってでも式見と会話を交わす意味はあるはずだ。
 だけど、決して良いことばかりというわけではなく――
「焼きそばパンがいいなら、ナポリタンパンだって受け入れられてもいいじゃない」
「いや、そもそもナポリタンパンがメジャーでは……あっ」
 屋上前から教室に戻る中、偶然、教室前の廊下で今峰と出会う。
「…………」
 その今峰は僕と目が合ったかと思ったら、すぐに顔ごと逸らして教室へ戻ってしまった。
 それを気にしていても仕方がないので、僕と式見も教室に入ると、今度は数人のクラスメイトがこちらを好奇心と余計な勘繰りを含んだ目で見てくる。
 屋上前の空間に行く際は見つからないように気を付けているけど、僕と式見が一緒にいるところは一週間前よりも頻繁に目撃されていた。
 そこからクラス内では勝手な噂や疑惑が持ち上がるようになっていたのだ。
「今日も見せてくれるじゃないか、蒼一」
 そんな中、相変わらず京本は率先して噂の詳細を聞こうとしてくる。変にコソコソされるよりはいいかもしれないが、しつこいところは相変わらずだ。
「いい加減教えてくれよ。式見ちゃんとどんな関係か」
「別に。最近ちょっと話すようになっただけだ」
「……なぁ、蒼一。本当のことを言ってくれた方が変な噂も立たないと思うぜ?」
 京本は少し呆れた感じで言う。
 だが、これで爪の垢の件から式見の面倒を見ることになったと説明しても、納得してくれるとは限らないし、今ある噂の質が良くなるわけでもない。
 そもそも式見に指を噛まれたのをしゃぶらせたと改変して広められている時点で、僕が何を言っても正しい情報は広まらないのだろう。
「本当のことって、いったい何を話せばいいんだ」
「えっ。それはその……ど、どこまでいったとか?」
「じゃあ、教えるよ。やっとお喋りできるようになっただけだ」
「へー……って、さっきと言ってること同じじゃねぇか!」
 京本の文句や数人の目線を無視しつつ、僕は考える。
 二週間ほど前にはただの真面目な男子生徒だった僕は、今やクラスメイトの病弱女子に指をしゃぶらせて、怪しい関係を築いている男子になってしまった。ここから元の僕に返り咲くには――式見との関係を絶つのが手っ取り早いと思われる。
 ただ、僕の真面目という評価は先生方が言ってくれる影響も大きいから、その先生から頼まれた役割を途中で投げ出すことは、不真面目と言われてしまう可能性がある。
 それなら荒巻先生から僕が式見の面倒を見ていると言って貰えれば……いや、大々的に宣言すると、勝手に盛り上がっている連中に餌を与えるだけか。それに、どうして僕なのかと聞かれても荒巻先生は明確な回答を持っていないだろうから、余計な憶測を生み出しそうだ。
 そうなると、やっぱり式見が自分から授業に参加するまで面倒を見るしかない。それを達成した暁には、荒巻先生や他の先生方からの僕の評価は確固たるものになって……それだと結局クラスメイトの評価は覆らないか。
「だいたい式見ちゃんとはどんなお喋りを……」
 でも、誰が何と言ったところで、今のように僕が聞く耳を持たなければ、以前とそれほど変わらない高校生活を送れるような気もする。
 振り返ってみると……僕の学校での日常は思った以上に何もない。授業を受けて、時々クラスの男子と話して、放課後は用が無ければすぐに帰宅する。
 その生活に僕がクラスメイトから真面目と思われる必要性はどこにもなかった。
 ――自分で考えておきながら寂しい事実だ。
「というか、蒼一が絡み出してから式見ちゃん元気になり始めてるし……」
 僕が真剣に考えている間に、京本の喋りは若干愚痴っぽくなっていた。
「……それは元から元気だからだ」
「いや、そんなわけないだろ。式見ちゃんは体弱いんだから」
「京本。本当に一つだけ事実を教えるとしたら……」
「それに最近の蒼一、何だか楽しそうに見えるしさぁ……」
「……は?」
 京本が僕に構わず漏らした感想が予想外だったので、僕は固まってしまう。
 ――僕が楽しそう?
 いや、僕は元から楽しく青春を謳歌している――とは言えないか。
 ついさっき振り返った僕の学校生活はつまらないは言い過ぎでも、十分に青春しているとは言い難い。
 それと比べて式見に絡まれてからの学校生活は、内容だけで言えば退屈することはないし、校内での僕の口数は確実に多くなっている。
 じゃあ、僕は式見のおかけで――
 いやいやいや!
 それは絶対にない!
 式見のせいで僕の評価が変わってしまったというのに、そんな状況を僕が楽しんでいるなんて。
 そんなはずは――
「……ソーイチ?」
 京本の発言からまた暫く考えて、気付けば放課後の帰り道を歩いていた。
 その隣に当然のように式見が付いて来ている。これは――ここ最近でもなかったことだ。だって、式見の帰り道は全く別方向なのだから。
「……なんで付いて来てるんだ。放課後は管轄外だぞ」
「何よ。昼休み終わった後からボーっとしてたから心配したのに」
「それは……すまん」
「いいわよ。おかげで六時間目はサボれた」
「良くないわ!? 油断も隙もないな!?」
「……だから、変だと思ったんじゃない」
 式見は不貞腐れた表情になる。確かにこれは全面的に僕が悪かった……と素直に言えないのが困る。心配してくれても授業をサボった点だけ見れば式見が悪い。
「ちょっと考え事してただけだ。そういう日もたまにはある」
「ふーん……あっ、ソーイチ。爪を見せて」
「は? なんで今……」
 そう言いつつも僕は式見の方に指先を向ける。一応、噛み付かれそうにない距離を保って。式見は相変わらず僕の爪の垢を諦めていないようで、機を見計らっては爪先を見せるように要求してきていた。
 ただ、僕からするとよくわからないタイミングで要求してくるから、毎回理由を聞くことになる。
「普通に綺麗だった……」
「逆になんでいけると思ったんだ」
「爪の垢が貯まる原因の一つには指先の古い角質が剥がれ落ちたものが貯まるっていうのがあって、角質は体温の上昇でも剥がれる時がある。だから、さっきまで考え事をしていたソーイチは知恵熱やストレスにやって体温が上昇して――」
「わ、わかった。余計なことにはよく頭が回るな……」
「ちゃんとサボってる間に調べた上での発言よ」
「自慢げに言うな。サボってまで調べる内容じゃない」
「何よ。そんなこと言ってボーっと過ごしてた間はまともに授業受けれてないくせに」
「か、考えながらでも板書は取ったから……」
「板書を取るだけじゃ授業を受けたことにはならないわ」
 ぐうの音も出ない正論だ。黒板を丸写しするなら許されるかは別としてスマホで取るだけでも十分だし、式見がサボっていることに気付かない時点で集中できていないのは明らかだった。サボってた奴に指摘されるのは納得いかないけど。
「……それよりいつまで付いて来るんだ」
「今日はソーイチの家の方に用があるから」
 式見はそう言いながら持っていたコンビニ袋を僕に見せつける。
 そうされても式見の用事がいったい何なのかわからない。うちの家の方面で式見の用事がありそうなところなんてあっただろうか。
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