嫌われ愛し子が本当に愛されるまで

米猫

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 払い下げられた騏驥。しかし騏驥でありながらろくに走ることもなく姿を変えることもなく、ただただ美しいこの姿で王の側近くに侍っていたという——愛人。
 しかもずっと喪に服していたほど主を深く慕っていた騏驥だったのだ。ならば、どうせこの形の良い小さな頭の中では前王と自分とを比べているのだろう。そうに違いない。なにしろ前王の名誉のためなら騎士に対峙することすら辞さない騏驥なのだから。

「…………」

 レイゾンは、以前白羽が見せた怒りを思い出すと、ややあって、改めて彼を見つめる。美しい騏驥。無防備に眠る姿。
 こんな姿を、以前の主にも見せたのだろうか。——見せたのだろう。きっともっとしどけない姿まで——。

 想像した途端に、言葉にならない重たい塊が胸を塞ぐ。それはドロリとした熱を伴い、膿むような鈍痛を感じさせるものだ。騎士学校でも感じたような——悔しいようなもどかしいような混沌とした感情。

 そんな訳のわからない感情に巻き込まれるかのように、レイゾンはいつしか再び白羽の寝姿に見入っていた。
 こちらを見られることなく騏驥を見ることが出来る——そんな状況を、気付かぬうちに好ましく思っていたからかもしれない。
 投げ出されたしなやかな四肢。密やかな寝息。我知らず息を詰めて見つめていると、

「…………」

 白羽が吐息を零した。吐息——否、声だ。レイゾンは思わず彼の騏驥の口元に耳を寄せる。白羽の肌が放つ芳香がレイゾンの鼻先を掠めた直後、

「……ティエンさま……」

 夢とうつつの合間を漂う騏驥が、そう、幸せそうな声を漏らした。微かな、溶けるような声音。
 それを耳にした途端、レイゾンは息を呑んだ。防ぐ間も無く耳から刺し入ってきた、甘く柔らかな——鋭い凶器。それは一瞬でレイゾンの胸の奥深くに刺さる。
 レイゾンは思わず自身の胸元をきつく押さえると、再び白羽から距離をとった。

「…………」

 不思議ではない。
 自分の脈が早くなっているのを感じながら、レイゾンは白羽を見下ろす。
 不思議ではない。この騏驥が前王を呼ぶことは不思議なことではないのだ。寝ても覚めても前王を慕う騏驥。死に別れて数年を経てもなお——。

(それほど深い関係だったというわけだ……)

 だから不思議ではない。
 白羽にとっては、今側に誰がいようが関係ないのだ。
 
 そんなことは、この騏驥を下賜されたときからわかっていたこと……。
 
「…………」

 なのに。

 いっそ放り出してやりたい……。

 胸中に衝動が込み上げてくる。
 そんな訳の解らない感情が不快で、レイゾンは白羽から目を逸らした。
 この騏驥を見ていたい。けれど見たくない。
 
 こんなモヤモヤとした感情が自分の中に生まれていることに、レイゾンは大きく顔を顰める。
 いっそ”これ”がいなくなれば、全て丸く収まりそうなものを……。
 しかしそう思った直後、それは無理だとため息をつく。その時だった。

「——白羽さま、ただいま戻……」

 扉が開いた音がしたかと思うと、背後からサンファの声がした。しかしその声は、半ばで止まる。そして続くのは、戸惑っているような慄いているような気配だ。レイゾンが振り返ると、彼女は引き攣った顔をしている。白羽の侍女らしく(と言うべきなのか?)、整った面差しのサンファだが、今は驚きのためかその美しさがいくらか損なわれている。
 それでも十二分に綺麗な面差しを見つめ返すと、レイゾンは「遅かったな」と一言言った。
 その一言で、我に返ったのだろう。サンファは、いつもの彼女の面差しに戻ると、ツカツカと近づいてきた。
 そして寝台の側までくると、それまでレイゾンの身体の影で見えていなかった白羽の姿に、一瞬、瞠目する。そしておそらく猫を見たのだろう。彼女はパッと顔を輝かせ、直後、不思議そうに眉を寄せる。
 
(随分表情豊かな侍女だな……)

 内心そう思いつつ、レイゾンは白羽を起こさぬように、寝台の端からゆっくり立ち上がると、サンファを見下ろして言った。

「お前の戻りが遅いせいで、俺が騏驥の世話をすることになった」

「…………」

「…………」

「それは……大変お手数をおかけして……」

「薬は、その脇の机の上にあるものと、この塗り薬——どちらも厩舎地区からもらってきたものだ。薬効に問題はないだろう。この後は適宜使え」

「は……」

「猫はお前たちで世話しろ」

「……かしこまり……ました……。あの——」

「なんだ」

 言うことは言って立ち去ろうとしていたレイゾンに、サンファから引き留めるような声がかかる。脚を止めると、レイゾンを見ていた騏驥の侍女はちらりと白羽に視線を向け、再びレイゾンを見て躊躇いがちに言った。

「……あ、の……白羽さま、は……」

「…………」

 レイゾンは彼女が何を言わんとしているかを察した。内心で舌打ちすると、サンファを見下ろして言う。

「その騏驥は不作法にも俺に薬を塗られている間に寝た。それだけだが……なんだ? お前はお前の主人の不作法さを俺に罰してほしいのか」

「い——いえ」

「ならば下らぬことは考えないことだ。お前の主人がどれほど騎士をたらし込む才能があろうが、俺には関係ない」

「——!」

 自分でも思っていた以上にきつく——吐き捨てるような口調になってしまったレイゾンの言葉に、一瞬、サンファの顔が強く強張る。自身の主人を侮辱されたからだろう。が、先にいらぬ下世話な詮索でレイゾンを疑ったのはサンファの方なのだ。
 彼女は顔色を変えたことを隠そうとするように俯くと、「失礼いたしました」と小さな声で言葉を継ぐ。
 レイゾンはサンファから白羽へと視線を移し、一瞥すると、騏驥の寝室を後にした。
 
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