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本編
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しおりを挟む日も完全に昇切り、ルーカスは家の外に出ていた。家の外と言っても庭園ではなく、物置や馬小屋など使用人しか立ち入らないような場所だ。
庭園に行けば母親や自分の兄に会う可能性がある。
ルーカスには6つ上の兄エルドと11歳も歳が離れたテオドール、そしてさらに13歳も歳が離れたフローラという姉がいた。
だか、フローラは既に結婚しておりこの家をでて、マルティス侯爵家に住んでいる。テオドールは、フォーサイス学園の寮に暮らしておりこの屋敷にはいない。
残る、エルドはフォーサイス学園の中等部に通っているが寮暮しではなく屋敷から通っている。
エルドとの間には交流は特にない。だが、向こうから一方的に嫌われている。記憶の中で特に喧嘩をしたりしたことはない。
ただ、本当に一方的に嫌われているのだ。
ルーカスは、周囲を気にしながらも馬小屋に足を向ける。馬小屋には馬車引くための馬や乗馬用の馬など何頭もの馬がいる。
ルーカスが馬小屋を訪れると、馬は一斉にルーカスを見る。
ヒヒーンと小さな声を上げながら、1頭の子馬がルーカスに近寄りすりすりと頭を擦り付ける。
「こらっ、フィルやめろ。」
そう言いながらも、ルーカスの声色はいつもより明るい。動物と触れ合う時がルーカスにとって1番心が安らぐ時間なのだ。
「これはこれは、ルーカス坊っちゃま。」
不意に声をかけられたルーカスは、声がした方に顔をむける。そこには馬の世話をしているジョンという中年の男がいた。
「ジョンじぃ··········」
「フィルに餌やりですか?」
「··········」
ジョンの問いかけにルーカスは無言で頷く。人と交流する機会が少ないルーカスはコミュニケーションを取るのが苦手である。
だが、人に悪意があるかないかはある方法をもってルーカスは知ることが出来る。その力を使いルーカスは、自身を守るためにも近づく人間を決めている。
つまり、ジョンは近づいても平気だとルーカスが決めた人間のうちの1人である。
「餌はあちらに置いてありますので、ご自由に。」
「··········」
ジョンはそう言って餌のある方向に指をさす。ルーカスは、それに頷きフィルの餌を与え始める。
フィルはブルルルと声を出しつつ鼻を鳴らし、嬉しそうに餌を食べ始める。
「誰もとらないから·····ゆっくりな?」
ルーカスがフィルにそう呼びかけるとわかったと返事をしたかのようにフィルがブルっと鳴いた。
フィルの餌やりとブラッシングを終えたルーカスは部屋に戻るため屋敷に向かった。
ルーカスの部屋に戻るには庭園の横を少し通らなくてはいけない。屋敷の角からそろっと庭園を覗く。すると、絶対に会いたくない人が庭園のガゼボでお茶をしていた。
(あれは·····オリビア様だ)
オリビアの視界に入る度に、ルーカスは罵声を浴びたり酷い時にはぶたれることもある。
また、オリビアの事を「お母様」と呼んだだけでも酷い目に合う。以前、お母様と呼んだ際はあちこちに傷が出来るまでぶたれた。
二度とそうならないためにも·····いや、こんな仕打ちをしてくるオリビアをルーカスは「母」と呼ぶことは二度とない。
(見つからないようにこっそり行くか·····帰るまで待つか·····)
ルーカスがどう行動するか迷っていると、ワンっと子犬の声が足元から聞こえた。
「タッカー!?なんでこ·····っ!」
本来ならここに居てはいけないタッカーを見てルーカスは声を出してしまった。その瞬間、近くにオリビアがいることを思い出し口を閉じたがすでに遅かった。
「お前がなんでここにいるの?」
「·····」
冷たく発せられたその声にルーカスは体を固まらせた。何か返事をしなくてはと思うが口が上手く動かせない。
「えっ·····いや·····」
「喋っていいとは言ってないでしょ!」
返事をしようとすれば、こう怒鳴られる。突然のことにルーカスの頭の中はパニック状態である。
「まったく、躾がなってない。せっかくいい天気なのに、あんたの顔をみたら気分が最悪よ。どうしてくれるのかしら?」
「すっ·····み·····せん。」
「何を言ってるのかわからないのだけれど?」
オリビアの口調は段々と強くなり、機嫌が悪くなっているのが伺える。オリビア付きのメイドは、我関せずと言ったら様子でオリビアの後ろに控えている。
「はぁー·····さっさと目の前から消えてくれない?お前がいるだけで気分は最悪。本当に使えないやつ。」
棘のあるオリビアの言葉は容赦なくルーカスの心に突き刺さるが、心が麻痺しているルーカスには少しもダメージが無い。
(仕方ない。俺が··········生まれてきたのが悪い。)
早くオリビアの前から姿を消そうとしたその時だった。
「あっ、価値がないアンタでも役にある方法があるわ。」
オリビアはいい事を思いついたと笑顔を見せた。
「お前、こっちに来なさい。」
「はっ·····はい。」
オリビアにとっていい事は、ルーカスにとっては悪い事である。今までの経験上分かりきっていることである。
このまま逃げたい気持ちもあるが、手がつけられなくなるほどオリビアを怒らせると使用人にも被害が及ぶ可能性がある。仕方ないと、ルーカスは腹を括りオリビアに近付く。
「あっ、それ以上は近づかないで。」
そうオリビアに言われ、ルーカスはオリビアから5、6歩離れたところに止まる。
止まった瞬間、サァーっと風が吹き、左目を隠していた前髪がふわっと浮いた。
(しまった·····っ!!)
寄りにもよってオリビアが1番嫌う金緑石色の瞳を近くで見せることになってしまった。
次の瞬間、パシャっと熱いお湯がルーカスを襲った。
「ただでさえ、気分が最悪なのにさらに悪くなったわ。」
目の前を見ると、ティーカップを片手に持ったオリビアが機嫌が悪そうにこちらを見ていた。
「何よ、その反抗的な目は。」
「申し訳··········ありません。」
反抗的でも何でもない。無感情の顔でオリビアを見ただけなのに難癖を付けられる。
どうしたものかと思い、ルーカスは地面を見つめる。
すると、ガタッと立ち上がる音が聞こえ顔をあげた瞬間、パンッという音と同時にルーカスは左頬に鋭い痛みと熱さを感じた。
「あーぁ、濡れてしまったわ。」
オリビアはルーカスの頬を叩き、紅茶で濡れたレースの手袋を手から外し、そばに控えていたメイドに渡す。
「疲れたし、部屋に帰るわ。」
オリビアが庭園を後にしても、ルーカスはその場を離れることが出来なかった。
ジンジンと痛むはずの頬を気にせずルーカスはしばらくその場に立ち尽くした。
「俺が··········何を··········したって言うんだ·····」
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