74 / 87
いぬぐるい編
水芭蕉の花言葉
しおりを挟む水芭蕉の咲く中庭のベンチ。その空間は二人だけのもの。
目の前の噴水が心地良い水音を立て、空気を浄化している。アオイの荒い呼吸もだいぶ落ち着きを取り戻してきた。
時折、警備で見回っている騎士の甲冑の音が響く。
ハモンド侯爵の肩に預ける自身の身体。心置きなく任せられる安心感。その包容力は、まるで家族みたいだ。
「どう? 気分は落ち着いた?」
アオイの紅い唇に掛かった髪の毛を整えながら、ハモンド侯爵は心配そうに問い掛ける。
「はい、お陰様で。すみません、ご心配をお掛けして……」
「謝ることはないよ。誰もが心を乱していたんだから」
そうですねと、寂し気な瞳と微笑みで、アオイは返事をした。
「ルイ様は……、良かったんですか……。私なんかに構ってる場合ではないのでは……、」
レベッカ王妃の暴露によれば、ハモンド家は倉本家によって領地に何か問題を起こされたらしい。
家紋の梟が特徴的なハモンド家。当主になったばかりのルイには頭の痛い暴露だろう。
「いいや。そんなことは無いよ。レイド様も仰っていたが今日は神聖な日だ。そもそもアオイの方が大事だろう? 体調が優れないお嬢さんを放っておけないよ」
「…………優しいんですね、本当に」
茶色の瞳に包み込まれる。
温かくて、心地の良い空気。これほど優しい人はそう居ない。
アオイは感動のあまり瞳を濡らしてしまった。
あの大ホールには醜い感情が犇めきあっているのに、その醜さに自分は勝手に気分を悪くしたのに、ましてや隣に座る男性はターゲットにされたのだ。
それなのに他人であるアオイに、優しく気遣う。
彼の優しさに浄化されていくようだった。
ハモンド侯爵なら迷いの森に入っても迷う事はないだろう。
本当に善い人だと、潤んだ瞳で彼を見つめた。
ルイは思わず、アオイの頬に掌を添える。親指でそっと、撫でるように、頬の感触を確かめた。
アオイは雰囲気を察し、ハモンド侯爵の肩に預けていた体重を戻そうと身体を起こした。
だが、そのまま押し倒されてしまった。
反射的に後ろに手を付いたアオイ。
目の前にいるハモンド侯爵は何も言わない。ただ、茶色の瞳だけが、寂しそうだった。
「ルイ、様……?」
アオイが名を呼ぶと、ルイもやっと口を開く。
ものの数秒だろうが、とても長い時間のように感じた。
「……私は、アオイが思う程、良い人ではないよ……」
「そんな、」
いいや、と否定して、より寂しそうな瞳で、愛おしそうに頬を撫でている。
「良い人なんかじゃない。アオイの太腿や、染まる頬、この唇に欲情して、あの男に嫉妬して、苛ついて、何とかして手に入れられないかと、……アオイを、自分のものに出来ないかと、そればかり考えてしまうんだ」
「ルイ様……」
「でも君は、アオイは……、風のようにひらひらと私の腕なんかするりと抜けて、気が付けばあの男がいる」
「っ、」
アオイは、何と返したら良いか分からず、黙って彼を見つめるしかなかった。
「分かっているんだ。本当は……アオイの、私を見つめる瞳は、愛しい人に向ける瞳じゃなく、家族に向けるような、信頼の瞳だと……」
優しく包み込まれていた頬。彼の手に、ぐっと力が入る。
「一度でいいから……、私のものに、なっておくれ」
近付く唇。抵抗してよいものなのか。
そんなものは分からないけれど、つい、「あッ、ルイ様だめっ……!」と否定の言葉が出てしまった。
その時だった──。
密な二人に、ふと影が落とされた。
「おや、お邪魔だったかな」
ベンチの背もたれに両手を付き、白々しく、不敵な笑みで見下ろしているのは、狼森 怜だった。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ひきこもり瑞祥妃は黒龍帝の寵愛を受ける
緋村燐
キャラ文芸
天に御座す黄龍帝が創りし中つ国には、白、黒、赤、青の四龍が治める国がある。
中でも特に広く豊かな大地を持つ龍湖国は、白黒対の龍が治める国だ。
龍帝と婚姻し地上に恵みをもたらす瑞祥の娘として生まれた李紅玉は、その力を抑えるためまじないを掛けた状態で入宮する。
だが事情を知らぬ白龍帝は呪われていると言い紅玉を下級妃とした。
それから二年が経ちまじないが消えたが、すっかり白龍帝の皇后になる気を無くしてしまった紅玉は他の方法で使命を果たそうと行動を起こす。
そう、この国には白龍帝の対となる黒龍帝もいるのだ。
黒龍帝の皇后となるため、位を上げるよう奮闘する中で紅玉は自身にまじないを掛けた道士の名を聞く。
道士と龍帝、瑞祥の娘の因果が絡み合う!
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる