66 / 87
いぬぐるい編
ぺろりと舐めれば
しおりを挟む「皆夢中になるんですよ。あの子にね」
「はあ?」
そんなの信じられないわという顔で、レイチェルも、ハモンド侯爵と並んで歩くアオイの背中を見た。
「現に、貴女だって夢中じゃないですか」
「わたくしがッ……!? そんな、有り得ないわ……!」
怜の、その顔が、そうでしょうかと言っていた。
唇を噛むレイチェル。歪むレイチェルの顔に、怜はどこか誇らしげな顔で、「それより、王女様はご存知なのですか?」と話題を変えた。
「お忍びで来ているという、ラモーナの姫のこと」
ああ!と、レイチェルの目が輝く。
「いいえ、何処に居るかも……。ラモーナの公妃様はお母様と話していらっしゃるところをまだ遠くから拝見しただけですけれど、それはそれは美しい方でしたわ! きっと、姫様もお綺麗なんだわ!」
「へぇ」
さすが〈蒼玉の瞳〉を率いているだけあって美しいものには目が無いようだ。見た目の美ばかりに執着して心を失っている、まるで昔の自分を見ているようで、怜はちょっとだけ、切なくなった。
「ああ、ご挨拶だけでもさせて頂けないかしら!」
「ええ。本当に」
「そうだわ! もしかしたら、このパーティにも来ているのではないかしら!」
「そうかもしれませんね。お忍びで、ね」
「そうよ! お忍びで、きっと身分を偽って──!」
輝いていたレイチェルの目は、ふと、時間が止まった。
「お忍びで……、身分を、偽って…………」
どうされましたと問う怜の声は届かない。
「オーランド、お忍び……、精霊に愛されて……。いや、まさか、」
ブツブツと呟く王女に、意地悪さが顔に出て、思わず口角を上げる。それでは飽き足らず、王女にじわじわと近寄って、さて仕上げをしようかと存分に意地悪く笑うのだ。
「おや、王女様?」
「えっ、あ、怜様ッ!? 何をッ……!」
後ろから、耳元で、怜は囁く。
「私がここに居るというのに、違う事をお考えですか?」
囁く耳とは反対の首筋を、中指でツツ──となぞればレイチェルは「あっ、はぁっ……!」と、熱い吐息が漏れる。
「ねぇ、王女様」
「っん、なに、かしら」
「私も大事な話があるんです」
「だいじな、っはなし……?」
「ええ。ですから、人気の無い、もっと奥に行きましょう? もっとずっと、奥に」
「はん、んっ、い、いいわよ……っ?」
そうも腰に手を添えられると震えてしまう。自身の骨を支えるだけで精一杯だ。
「さぁ。ほら急いで。私も長くは我慢出来ないですから」
更に翠玉の瞳で見つめられると、じわりと奥から何かが溢れてくる。レイチェルは、これから何をされるのかしらという期待と緊張が入り混じっていた。
美しい版画のような松達。
その影に隠れるのは、たったの二人。
レイチェルの熱い吐息。絞り出すように、言葉を発した。
「っ、それで、大事なお話とは、何ですの?」
瞳を覗くだけで溢れてくる。
レイチェルは舌と唇を濡らす。
「ええ。レイチェル様」
「はい……」
「私の全て、受け入れてくれますか? その心の奥まで、全て」
「それは、どういう、意味かしら……?」
「そのままの意味ですよ。後ろを向いて、王女様」
耳に息を吹きかけられ、今にも崩れ落ちそうなレイチェル。言われた通りに後ろを向けば、ぺろり、と耳を舐められた。「んんんっ……!」と背中を仰け反らせ、ついに腰から崩れ落ちた。きゅんきゅんと疼いてしまう。
「怜様ッ、駄目よ! まだ、私達……!」
婚約もしていないのに、仮にも王女なのに、こんなこと!と、そう言おうと顔を振り向かせた。
其処には、恐ろしい獣が居た──。
「えッ……」
「嗚呼、王女様。貴女はとても良い匂いだ」
不敵に笑う怜は、長いマズルに皺を寄せている。
鋭い、犬歯が、闇夜に光る。
「あ、あ、…………いや、」
レイチェルは腰を抜かしたまま動けない。
「私の全て、受け入れてくれるのでしょう?」
「や……た、たすけ……、」
瞳に怯える王女レイチェル。
カタカタと身体を震わし、今度は目を濡らした。
もう、舌と唇は、すっかり乾いてしまっていた。
怜は、すうっとレイチェルの匂いを嗅いで、また、ぺろり、と耳を舐める。
「はぁ……、今すぐにでも食べてしまいたいぐらいだよ」
「いや……! こ、来ないで! イヤっ……!」
「嫌?」
「近寄らないでっ! お願いよぉっ……!」
その言葉に、怜は止まった。
「そうですか。それは残念です」
思ってもない事を口にして。
身を、引いた。
「きっと、王女様は美味しかったでしょうに」
レイチェルは恐怖で立つことが出来ない。
逞しいその“腕”で、グイとレイチェルの腰を引き寄せ、ニヤリとまた悪い顔をした。そして美しい男の姿でぺろりとレイチェルの耳を舐める。「あっ、」と反射的に鳴いた。
「本当に、残念です」
もうすぐ七時半ですよと、そう言い残して、怜は去った。
レイチェルは暫くその場に立ち尽くしたままだった──。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる