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昼間より厚めの上着を羽織って、駅前の歩道の端で雨を避けながら人を待つのは妙な気分だった。
自宅の最寄り駅だから周りの風景はよく知ったもののはずなのに、雨が降っていて、暗くて、そこでじっと人を待つ行為は、非日常の続きだと感じられた。
夕方から降り出した雨は、今もしとしとと降り続いている。いくらか粒が大きくなって、地面を打つとしぶきになって散った。道にはいくつも水たまりができていた。
良が傘を持たずに店を出たと牧が連絡をくれたので、当人にメールをしたところ、駅まで走ったから平気だと返事が来た。何がどう平気なのかよくわからなかったが、牧がわざわざ連絡してきたぐらいだからそれなりに雨は降っていたのだろう。駅からマンションまでは走って済む距離ではないし、雨を避けられる場所もほとんどなかった。
だから裕司は、傘を持って駅まで来た。迎えに行くと伝えると、もう遅いしいいよ、と良は遠慮をしたが、傘を買う気もないようだったので、これに関して裕司は聞く耳を持たなかった。良は濡れても構わないと思っているのかもしれないが、もう真夏とは違って雨も空気も冷たくなっている。こんなことで風邪など引かれたくなかったし、そもそも濡れて冷たい思いをさせたくもなかった。
「裕司さん」
待っていた声に呼ばれて顔を向けると、駅から良が駆け寄ってきた。それがいかにも身軽そうで、若者だなぁと思う。
「もしかしてけっこう待ってた? ほんとによかったのに」
どこか困ったような調子で言われて、裕司は笑う。迎えに来なくていいと言った言葉は本当だったのだろうとわかっていたが、はなから譲る気は毛頭なかった。
「傘なしで帰るやつがあるかよ」
そう言って良の肩に触れると、そこはやはりいくらか湿っていた。店から駅までの間で濡れたのだろう。
「店にも借りられる傘ぐらいあったんじゃねえのか」
「だってそんなに大雨じゃなかったし……」
「牧さんが心配して連絡くれたんだぞ。気ぃ遣われたくないなら、天気予報ぐらい見とけ」
家から持ってきた良の傘を差し出すと、良は叱られた顔をして、それを黙って受け取った。落ち込むほど反省させたいわけではなかったが、彼が己の扱いをぞんざいにしがちなのは悪いくせだ。何も言わないというわけにもいかなかった。
「傘がないなら買ったっていいし、俺に持ってこいって言ってもいいんだからな」
「……」
「何だよ、濡れたかったわけじゃないだろ?」
良の顔を覗いて問いかけると、良はうなだれて、消沈した声を出した。
「……次から傘忘れないようにする」
言いながら雨傘を開いた良に、裕司は苦笑した。ときどき彼にうまく言葉が伝わらないと感じることがある。それは特に彼が何か失敗──失敗だと思っているのは本人だけのこともある──をしたときに多かった。
「良」
夜道を並んで歩きながら呼ばうと、良は少しばかり上目遣いに裕司を見た。
「お前、俺は完璧じゃない方がいいんだろ?」
良は一瞬、何の話か、という顔をしたが、黙ったまま素直に頷いた。それを見て、裕司は笑ってみせる。
「俺もお前に完璧になってほしいなんて思わねーよ。忘れ物したっていいし、それで俺に頼ったって甘えたって、そんなのお互い様だろ」
雨はぱたぱたと音を立てて傘を打つ。車道を車が通り過ぎる度に激しく水を切る音がした。
「……めんどくさくなかった? こんな時間に……」
良は納得しきれないといった様子で言った。夜に駅まで歩かせたことがそんなに気になるのだろうか、と思いながら、裕司は言う。
「正直今日は、お前に早く会いたかったから、家で待ってるよりよかったよ」
その言葉で、良は目を見開いて、そしていつもするようにぱちぱちと瞬いた。彼のこういう、表情の変わる瞬間が好きだな、と考えた直後に彼が顔を綻ばせたので、裕司は自分の考えていたことなどどうでもよくなってしまった。
「俺に会いたい気分だったの?」
「そうだよ。変か?」
良は首を横に振り、そしてわざと体をぶつけてきた。傘からバタバタと水が落ちて、指先を濡らしたが、おかしいくらいに気にならなかった。
「じゃあタイミングがよかったんだ」
「そうだな」
ふふふ、と良は笑って目を細めた。消沈した空気が消えて、裕司はほっとする。
「ありがと。あんたが迎えに来てくれるのって思ってたより嬉しいね」
「……そうか?」
嬉しそうな様子など感じられなかったからついそう返したが、良はすぐに、そうだよ、と言った。
「あんたが家で待っててくれるだけで嬉しいって思ってたけど、迎えに来てもらったら、俺があんたんちに帰るのがあんたにとっても大事なことなんだなって感じがして……。……わかる? 俺の言ってる意味」
わかるよ、と返しながら、彼はやはり自分が裕司にとってどれほど大きな存在なのかわかっていないのだ、と思った。裕司の世界はもう大部分に良が根を張っていて、彼がいなければ大きく崩れてしまうのに。
それを責める気など毛頭ないけれど、いずれ今よりは理解してほしいと思う。
「何か買って帰る? 俺重たいの持つよ」
スーパーの明かりを指して良は言った。裕司の目には、彼の瞳に映る光が、他の何より眩しく見えた。
自宅の最寄り駅だから周りの風景はよく知ったもののはずなのに、雨が降っていて、暗くて、そこでじっと人を待つ行為は、非日常の続きだと感じられた。
夕方から降り出した雨は、今もしとしとと降り続いている。いくらか粒が大きくなって、地面を打つとしぶきになって散った。道にはいくつも水たまりができていた。
良が傘を持たずに店を出たと牧が連絡をくれたので、当人にメールをしたところ、駅まで走ったから平気だと返事が来た。何がどう平気なのかよくわからなかったが、牧がわざわざ連絡してきたぐらいだからそれなりに雨は降っていたのだろう。駅からマンションまでは走って済む距離ではないし、雨を避けられる場所もほとんどなかった。
だから裕司は、傘を持って駅まで来た。迎えに行くと伝えると、もう遅いしいいよ、と良は遠慮をしたが、傘を買う気もないようだったので、これに関して裕司は聞く耳を持たなかった。良は濡れても構わないと思っているのかもしれないが、もう真夏とは違って雨も空気も冷たくなっている。こんなことで風邪など引かれたくなかったし、そもそも濡れて冷たい思いをさせたくもなかった。
「裕司さん」
待っていた声に呼ばれて顔を向けると、駅から良が駆け寄ってきた。それがいかにも身軽そうで、若者だなぁと思う。
「もしかしてけっこう待ってた? ほんとによかったのに」
どこか困ったような調子で言われて、裕司は笑う。迎えに来なくていいと言った言葉は本当だったのだろうとわかっていたが、はなから譲る気は毛頭なかった。
「傘なしで帰るやつがあるかよ」
そう言って良の肩に触れると、そこはやはりいくらか湿っていた。店から駅までの間で濡れたのだろう。
「店にも借りられる傘ぐらいあったんじゃねえのか」
「だってそんなに大雨じゃなかったし……」
「牧さんが心配して連絡くれたんだぞ。気ぃ遣われたくないなら、天気予報ぐらい見とけ」
家から持ってきた良の傘を差し出すと、良は叱られた顔をして、それを黙って受け取った。落ち込むほど反省させたいわけではなかったが、彼が己の扱いをぞんざいにしがちなのは悪いくせだ。何も言わないというわけにもいかなかった。
「傘がないなら買ったっていいし、俺に持ってこいって言ってもいいんだからな」
「……」
「何だよ、濡れたかったわけじゃないだろ?」
良の顔を覗いて問いかけると、良はうなだれて、消沈した声を出した。
「……次から傘忘れないようにする」
言いながら雨傘を開いた良に、裕司は苦笑した。ときどき彼にうまく言葉が伝わらないと感じることがある。それは特に彼が何か失敗──失敗だと思っているのは本人だけのこともある──をしたときに多かった。
「良」
夜道を並んで歩きながら呼ばうと、良は少しばかり上目遣いに裕司を見た。
「お前、俺は完璧じゃない方がいいんだろ?」
良は一瞬、何の話か、という顔をしたが、黙ったまま素直に頷いた。それを見て、裕司は笑ってみせる。
「俺もお前に完璧になってほしいなんて思わねーよ。忘れ物したっていいし、それで俺に頼ったって甘えたって、そんなのお互い様だろ」
雨はぱたぱたと音を立てて傘を打つ。車道を車が通り過ぎる度に激しく水を切る音がした。
「……めんどくさくなかった? こんな時間に……」
良は納得しきれないといった様子で言った。夜に駅まで歩かせたことがそんなに気になるのだろうか、と思いながら、裕司は言う。
「正直今日は、お前に早く会いたかったから、家で待ってるよりよかったよ」
その言葉で、良は目を見開いて、そしていつもするようにぱちぱちと瞬いた。彼のこういう、表情の変わる瞬間が好きだな、と考えた直後に彼が顔を綻ばせたので、裕司は自分の考えていたことなどどうでもよくなってしまった。
「俺に会いたい気分だったの?」
「そうだよ。変か?」
良は首を横に振り、そしてわざと体をぶつけてきた。傘からバタバタと水が落ちて、指先を濡らしたが、おかしいくらいに気にならなかった。
「じゃあタイミングがよかったんだ」
「そうだな」
ふふふ、と良は笑って目を細めた。消沈した空気が消えて、裕司はほっとする。
「ありがと。あんたが迎えに来てくれるのって思ってたより嬉しいね」
「……そうか?」
嬉しそうな様子など感じられなかったからついそう返したが、良はすぐに、そうだよ、と言った。
「あんたが家で待っててくれるだけで嬉しいって思ってたけど、迎えに来てもらったら、俺があんたんちに帰るのがあんたにとっても大事なことなんだなって感じがして……。……わかる? 俺の言ってる意味」
わかるよ、と返しながら、彼はやはり自分が裕司にとってどれほど大きな存在なのかわかっていないのだ、と思った。裕司の世界はもう大部分に良が根を張っていて、彼がいなければ大きく崩れてしまうのに。
それを責める気など毛頭ないけれど、いずれ今よりは理解してほしいと思う。
「何か買って帰る? 俺重たいの持つよ」
スーパーの明かりを指して良は言った。裕司の目には、彼の瞳に映る光が、他の何より眩しく見えた。
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