大人になる約束

三木

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 夜風の涼しさの中には秋の匂いがあって、都会の河辺でも充分に心地がよかった。
 それは何より、良が隣にいるからだったし、本当に誘ってくれてよかったと思う。自分が望むことや、裕司と一緒にしたいことを、怖がらずに意思表示してくれるようになってくれてとても嬉しい、と言うと、良は笑って、あんたがそうやって甘やかすからでしょ、と返してきた。
 彼はよく笑うようになったし、よく話してくれるようになった。そしてそれはただの慣れではないようだと裕司は思う。何となく、先の会話をして、今隣を歩いていて、彼は裕司が思っていたよりも裕司のことをよく見ているし、二人の関係について考えているのだと肌で感じた。
 ──いつも俺の方が足りないんだ。
 人生経験が短くても、良はそれを補うほどに思考している。そうして彼が考えて努力した分だけ、二人の歩調が合うようになる。裕司がそれを慮ることなく彼に甘え続ければ、いくら彼でもいずれ疲れて、噛み合わなくなる日が来るに違いなかった。
「……お前の恋愛観って、あんまり聞いたことなかったなぁ」
 呟くと、良は丸い目をして裕司を見た。彼はしばしば、裕司の過去の恋愛や、同性しか愛せないということはどういうことなのかと訊いてきたが、裕司はあまり良の過去には踏み込めなかった。それは彼の気持ちを思いやったわけではなく、己がつまらない嫉妬をするとわかっていたからだ。
「そう? いつも話してない?」
 不思議そうな声に苦笑する。彼に裕司ほどのこだわりがないのは確かだろう。彼は己のセクシャリティが不定形であっても構わないようだった。重要なのは相手と良好な関係を築けるかどうかで、その点で彼はとても現実的なのだと思う。
「そういうのじゃなくってな……」
 言い出しておきながら、やはり言葉にすることは難しい、と思う。照れや意地や、色々なものが己の声や表情を固くした。
「好きな相手とは、こういうデートがしたいとか、どれぐらいの距離感がいいとか、色々あるだろ」
 良が相手でなければ世間話の範疇なのに、と思いながら、裕司は手のひらが汗をかくのがわかった。撫でていく風のせいで、そこだけがやけにひやりとした。
 良はぱちぱちと瞬いて、考え込むふうに首を曲げた。
「…………友達とかは、そういうのよく話してたけど……、俺、あんまりよくわかんなかったんだよね」
 そう言って良は、うーん、と唸った。彼が学校でモテなかったはずがないから、考える機会はあっただろうに。そう思いながらも自分からそこに踏み込むのはやはり気が引けて、我ながら小心だと思う。
「でも、ドキドキしたいとか、何ていうの、駆け引きとかは、なんかやだなって思った。好きな人にそういうことするの、普通に意地悪じゃない?」
 過去の友人達との会話を思い出しているのだろう良の言葉に、裕司は笑みで返した。彼のそういう優しいところが、心から好きでならなかった。
「あとは……たまにデートできたらいいって人もよくわかんない。あっ、一緒にどっか行くってことじゃなくて、えと、毎日会わなくていいって意味。会えないのは仕方ないけど、会えるなら会った方がいいんじゃない? 俺はあんたとは毎日会うから、逆に離れてるのがどんななのか知らないけど……でも、あんたが疲れてるときとか、そばにいたら俺でもできることあるし……。離れてたら何にもわかんないし、何にもできないじゃん」
 一生懸命に説明する良に、裕司は少し苦しくなって、手を伸ばしてその頭をかき混ぜた。良は裕司の腕をつかんで押し返してくる。
「えー、何、俺変なこと言った?」
「違ぇよ、お前に愛されて幸せもんだって思ったんだよ」
 良はそれを茶化されたと感じたのか、唇を尖らせた。まったくの本音だったのだが、確かに少し冗談めかして言ってしまったな、と反省の念が湧いた。
「あー……俺はさ、お前はもう大体わかってんだろうけど、世間で普通っていうような恋愛なんかしたことがないし、こう、できないって思い込みが強いからさ……」
 最近の自分は、格好の悪い告白ばかりしている、と感じた。けれど良は、取り繕った言葉を喜ぶ人間ではないから、嘘ではない自分を言葉にする努力をしたかった。
「本当は、どこでも、誰の前でも、お前を恋人だって言えるぐらいの度胸がほしいって思ったりもするんだけどな……。でも、実際は、……」
 うまく言葉にならなくて、良から目を逸らすと、ややあって服の裾を引っ張られた。
 振り向くと、良は少し困ったように眉を下げて、しかし微笑んだかたちの目で裕司を見ていた。
「あんたが外で手ぇ繋いだりするの苦手なの、前にちゃんと聞いたし、……俺のことがイヤなわけじゃないってわかるから、全然いいよ」
「……」
「むしろ、あんたにも苦手なことがあるんだなーって思って、ちょっと安心するもん、俺」
「安心?」
 うん、と頷いて、良はふふふと笑った。
「それに、俺のことちゃんと言ってくれたじゃん。俺の母親にも、牧さんにも、彩乃さんにも。すっごくがんばって勇気出してくれたんでしょ? 俺も普通の恋愛とかよくわかんないし、あんたが俺のこと好きだったら、それで俺絶対幸せだよ」
 絶対ときたか、と心の中で呟いて、裕司は泣きたいような笑いたいような、強い感情の昂りを覚える。
 彼への想いが目に見える何かになればいいのに、と急に思って、空の両手がひどく歯痒かった。

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