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彩乃が何も言わなかったので、裕司は訥々と良の話をした。
彩乃に対して、こんなに一人で長い話をしたのは初めてだと思いながら、気付くとグラスの中の氷はすっかり溶けてなくなっていた。
裕司が言葉を切って、唇を結ぶと、彩乃は大きく息を吐いてうなだれた。
胸がからっぽになったような、軽くなったような、不思議な心地だった。墓まで持っていくつもりだった箱を開けて、中身を並べてみせるような真似をして、もしかすると自分は頭がどうかしてしまったのではないかという気もしたし、もう済んだことなのだから気に病むことはないと己を諭す声もあった。
彩乃は両手でゆっくりと前髪をかき上げて、そしてまた息を吐いた。
「……なんか、たまんないわねぇ」
憂いの濃い声で彩乃が呟いたので、裕司は彩乃の顔を見た。
「旦那がいなくなったからって、子どもを突き放すなんて、余計につらいだけだと思うんだけど」
裕司は瞬き、それから、良の母親のことを言っているのだと気が付いた。裕司はもっぱら良のことばかり考えていたが、彼女は一人の母親として良の境遇を聞き、良の母親に思いを馳せたのだろう。
「……まあ、色んな親がいるのよね」
彩乃は自分に言って聞かせるような調子で呟いて、肩を落とした。
「怒られるつもりだったみたいだけど、もう話し合いも済んだなら、私が何か言うのも変な話じゃないの。本人に会ったこともないのに」
「……」
「でも、あんた、それは一生ものの責任だって覚悟しなさいよ。一度面倒見るって言ったなら、好きだの嫌いだので放り出していいもんじゃないからね」
「うん」
裕司が頷くと、彩乃は疲れ果てたとばかりにテーブルによりかかった。
「ああ、なんかもう、頭がごちゃごちゃするわ」
「……すまん」
「違うのよ、あんたがどうとかじゃなくて……。……気持ち的にはなんでそんなことになってて何も相談しなかったのって言いたいけど、あんたにしてみたら肉親にだけは絶対言えなかったんでしょ? 私なら言えないもの。それで、それが何も今回に限ったことじゃなくて、最初っから、もう何十年も前からずっとそうだったんだって思ったら、頭がこう~……ああもうっ」
そう言って、彩乃は顔を覆ってしまう。
「……私が彼氏できたとか結婚するとか言ってたときも、去年だか一昨年だかにおばあちゃんが見合いの話始めたときも、あんたはほんとのこと言えないでわかってんだかわかってないんだかって顔してて……わかってないのは私達だったわけでしょ? あんたが言いたくても言えないのを何にも知らないで……何十年……二十年くらい? もうほんと……」
「姉……」
「やめてよ泣いてないわよっ」
何となく伸ばしかけた手を叩き落とされて、裕司は声にならない声で呻いた。良よりか弱いだろう女の手なのに、叩く力に容赦というものがない。これだから昔は仲良くできなかったのだ、と思ったが、今はもう怒る気になれなかった。
「……あんたのことをもっとわかってる気でいたのよ」
湿った声で言われて、裕司は何とも返せなかった。家族でも、肉親でも、言わなければ伝わらないことは多くて、それでもいつか知られるのではないかと怯えていた。今にして思えば、もっと恐れるべきものはあったはずなのに、自分の立場ばかり案じていたと思う。少なくとも、裕司は己の沈黙が彩乃を傷付けるとは思っていなかった。
傷付かないはずがないのだ。姉弟なのだから。
仲が良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか、そんなものを超えたところに彼女との縁がある。離れていても平気だけれど、何かがあれば我がことと感じる。決して他人にはなれず、無関心にもなれない。
心のうちは言葉にしなければ伝わらず、伝えてもらえぬことは寂しいことだと、良と過ごして日々感じていたはずなのに、それを自分と家族の間に置き換えて考えることは今の今までしていなかった。
「……あんたはさ」
彩乃がテーブルの上を眺めながら呟いたので、裕司はおうと相槌を打つ。
「その……アレなの? 男にはモテるの?」
「は?」
「だって私知らないのよ、男にウケる女はわかるけど男ウケのいい男ってどんななの? あんた何にも言わなかったけどこれまで彼氏の一人や二人いたんでしょ?」
「や、ちょ……ど、どうでもいいだろそんなこと」
「どうでもよくない!」
癇癪を起こしたように彩乃はテーブルを叩いて、すん、と鼻を鳴らした。
「あんたが一人じゃなかったのかどうなのか知りたいのよ。良くんに会ったのは最近なんでしょ」
からかうでも責めるでもない、真面目な口調で言われて、裕司は観念して息をついた。
「……モテるってこたぁねぇけど、相手にしてもらえないようなこともなかったよ……大抵は」
どうしてこんなことまで白状しなければならないのかと思ったが、彩乃の気が済むならもう何だっていいという気持ちだった。泣き顔を見せるのも嫌だが、泣かれるのもたまったものではない。
彩乃は、ふうん、と愛想のない声で返事をして、しばらく黙った後に顔を上げてこう言った。
「ねえ、良くんの写真見せなさいよ」
彩乃に対して、こんなに一人で長い話をしたのは初めてだと思いながら、気付くとグラスの中の氷はすっかり溶けてなくなっていた。
裕司が言葉を切って、唇を結ぶと、彩乃は大きく息を吐いてうなだれた。
胸がからっぽになったような、軽くなったような、不思議な心地だった。墓まで持っていくつもりだった箱を開けて、中身を並べてみせるような真似をして、もしかすると自分は頭がどうかしてしまったのではないかという気もしたし、もう済んだことなのだから気に病むことはないと己を諭す声もあった。
彩乃は両手でゆっくりと前髪をかき上げて、そしてまた息を吐いた。
「……なんか、たまんないわねぇ」
憂いの濃い声で彩乃が呟いたので、裕司は彩乃の顔を見た。
「旦那がいなくなったからって、子どもを突き放すなんて、余計につらいだけだと思うんだけど」
裕司は瞬き、それから、良の母親のことを言っているのだと気が付いた。裕司はもっぱら良のことばかり考えていたが、彼女は一人の母親として良の境遇を聞き、良の母親に思いを馳せたのだろう。
「……まあ、色んな親がいるのよね」
彩乃は自分に言って聞かせるような調子で呟いて、肩を落とした。
「怒られるつもりだったみたいだけど、もう話し合いも済んだなら、私が何か言うのも変な話じゃないの。本人に会ったこともないのに」
「……」
「でも、あんた、それは一生ものの責任だって覚悟しなさいよ。一度面倒見るって言ったなら、好きだの嫌いだので放り出していいもんじゃないからね」
「うん」
裕司が頷くと、彩乃は疲れ果てたとばかりにテーブルによりかかった。
「ああ、なんかもう、頭がごちゃごちゃするわ」
「……すまん」
「違うのよ、あんたがどうとかじゃなくて……。……気持ち的にはなんでそんなことになってて何も相談しなかったのって言いたいけど、あんたにしてみたら肉親にだけは絶対言えなかったんでしょ? 私なら言えないもの。それで、それが何も今回に限ったことじゃなくて、最初っから、もう何十年も前からずっとそうだったんだって思ったら、頭がこう~……ああもうっ」
そう言って、彩乃は顔を覆ってしまう。
「……私が彼氏できたとか結婚するとか言ってたときも、去年だか一昨年だかにおばあちゃんが見合いの話始めたときも、あんたはほんとのこと言えないでわかってんだかわかってないんだかって顔してて……わかってないのは私達だったわけでしょ? あんたが言いたくても言えないのを何にも知らないで……何十年……二十年くらい? もうほんと……」
「姉……」
「やめてよ泣いてないわよっ」
何となく伸ばしかけた手を叩き落とされて、裕司は声にならない声で呻いた。良よりか弱いだろう女の手なのに、叩く力に容赦というものがない。これだから昔は仲良くできなかったのだ、と思ったが、今はもう怒る気になれなかった。
「……あんたのことをもっとわかってる気でいたのよ」
湿った声で言われて、裕司は何とも返せなかった。家族でも、肉親でも、言わなければ伝わらないことは多くて、それでもいつか知られるのではないかと怯えていた。今にして思えば、もっと恐れるべきものはあったはずなのに、自分の立場ばかり案じていたと思う。少なくとも、裕司は己の沈黙が彩乃を傷付けるとは思っていなかった。
傷付かないはずがないのだ。姉弟なのだから。
仲が良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか、そんなものを超えたところに彼女との縁がある。離れていても平気だけれど、何かがあれば我がことと感じる。決して他人にはなれず、無関心にもなれない。
心のうちは言葉にしなければ伝わらず、伝えてもらえぬことは寂しいことだと、良と過ごして日々感じていたはずなのに、それを自分と家族の間に置き換えて考えることは今の今までしていなかった。
「……あんたはさ」
彩乃がテーブルの上を眺めながら呟いたので、裕司はおうと相槌を打つ。
「その……アレなの? 男にはモテるの?」
「は?」
「だって私知らないのよ、男にウケる女はわかるけど男ウケのいい男ってどんななの? あんた何にも言わなかったけどこれまで彼氏の一人や二人いたんでしょ?」
「や、ちょ……ど、どうでもいいだろそんなこと」
「どうでもよくない!」
癇癪を起こしたように彩乃はテーブルを叩いて、すん、と鼻を鳴らした。
「あんたが一人じゃなかったのかどうなのか知りたいのよ。良くんに会ったのは最近なんでしょ」
からかうでも責めるでもない、真面目な口調で言われて、裕司は観念して息をついた。
「……モテるってこたぁねぇけど、相手にしてもらえないようなこともなかったよ……大抵は」
どうしてこんなことまで白状しなければならないのかと思ったが、彩乃の気が済むならもう何だっていいという気持ちだった。泣き顔を見せるのも嫌だが、泣かれるのもたまったものではない。
彩乃は、ふうん、と愛想のない声で返事をして、しばらく黙った後に顔を上げてこう言った。
「ねえ、良くんの写真見せなさいよ」
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