大人になる約束

三木

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 良が抱きついている首まわりがにわかに熱いと思いながら、その顔が見えないので、裕司はその背中を軽く叩いた。
「……そんな、謝るほどのことじゃないぞ?」
 良は複雑そうに唇を曲げて離れた。叱られた犬のような顔をしているのが不憫で、裕司は少し笑ってみせる。
「ずっとお前が家にいたから、それに慣れきってたんだよなぁ」
 努めて平静な声で言ったつもりだったが、良の表情は変わらなかった。ほかに何と声を掛けよう、と考えていると、良がぽつりと言った。
「……あんたが言ってくれないと、やっぱり俺わかんないよ」
「え?」
「あんたが寂しいなんて思ってたの、わかんなかった。あんた平気そうだったもん。俺のこと心配してるのは知ってたけど、俺がいない方があんたは落ち着いて仕事できるのかなって思ったぐらい……」
 良は渋い顔をして、裕司の寝間着の生地をぎゅうと握った。
「その、さっきもさ、言ったけど、あんたの気持ち口で言ってよ。……いちいちめんどくさいかもしれないけど、俺、あんたのことがわかんないままなのは、なんか…………」
 良はそこまで言って首を曲げ、うなだれてしまった。裕司は瞬きをするのも忘れてその顔を見つめていたが、沈黙に我に返って、良の手をつかむ。
「ばか、そんな顔すんな」
「……」
「お前は何にも悪くないだろ。俺が黙ってただけだろうが」
「……でも、俺、全然わかんなくて……」
「だから、俺が言わなかったらわからないのは当然だろ。──もっと堂々と要求しろ、俺だってお前にそんな顔させたくねえよ」
 良は窺う目で裕司を見返して、おそらくはそこから何かを読み取ろうとしているようだった。
「あんたは俺が何にも言わなくても気ぃ遣ってくれんじゃん……」
「そんなのは……たまたまだろ。お前だっていつも色々考えてやってくれてるだろうが。俺と同じことなんてしなくっていいし……お前は俺ができないことをしてくれてるからいいんだよ」
 良は目で、わからない、と言った。彼の瞳ほどの雄弁さを、裕司の瞳は持っていないものと思われた。
「……昼間の話もそうだけどな、お前がいない方がいいなんてことは考えなくていいんだぞ」
 良のかたちのいい眉がひそめられた。彼に伝わる言葉を手探りする思いで、裕司は続ける。
「お前にここにいてくれって言ったのは俺だろう。お前の家はここだって、役所にも行ったろうが。──都合のいいときだけそばにいてくれなんて、そんなこと言えるほど若くねえよ、俺は」
「……」
「姉貴が来るからって、お前がここにいないふりなんかしなくていいし、もし俺がそうしろなんて言ったらお前は怒っていいんだ。俺がここに住めって言ったくせに、住んでないふりしろなんて言うのはひどいって言っていいんだ」
 良はようやく裕司の言わんとしていることを理解したようで、眉を寄せて悲しみにも怒りにも似た苦しげな表情を見せた。
 良の長い指を強く握って、裕司ははっきりと声を張った。
「お前がいない方がいいなんてことは絶対にないんだよ。お前がいなくなったら困るのは俺の方なんだって、お前はそう思ってていいんだ。実際そうなんだから」
 良は瞳を揺らして、ひどく困った顔をした。逃げたいのを我慢しているように肩に力を入れて、裕司の方を何度も確かめるように見やってから、良はやっと口を開いた。
「……なんか、うんって言うの、すごく難しいんだけど……」
 その弱い声に、裕司は強く言い過ぎたかと思ったが、取り繕う言葉もまた出てこなかった。
「……あんたが、嘘なんか言ってないっていうのはわかるんだけど……。なんでって思う……」
「なんで?」
「……なんで俺がいなくてあんたが困るのか、俺……よくわからなくて……」
 ごめん、と、良は覇気のない声で言った。
 謝ることじゃない、と吐き出したいのをこらえて、裕司は息をつく。そして良の肩に手を回した。
 引き寄せれば、良はまるで重力がこちらに働いたかのように素直に身を寄せてきた。肩を抱いて頭を撫でてやると、とてもいい香りがして、裕司にとってはこんなにもわかりやすい彼の価値が、本人には見えないのだということが不思議ですらあった。
「……今すぐわからなくてもいいよ」
「……」
「でも、お前が自分のことを邪魔者みたいに言うのは、俺にとっては……、……イヤなことなんだって知っててほしい」
「うん……」
「きつく言ってごめんな」
 そう言って抱き締めると、良は裕司の背に手を回しかけたが、すぐに腕の中でもがき始めた。
「何だよ、どうした」
 手を離すと、良はぱっと顔を上げた。その目がとても丸くて、裕司もまた目を見張ってしまう。
「……良?」
 名を呼ばうと、良はじわじわと表情を崩して──笑った。
「おい?」
 笑う要素がどこにあったのかと裕司は眉を寄せたが、良は口許を押さえて肩を震わせていた。
「ごめ……、でも……ふふ……わかんなすぎておかしくなっちゃっ…………あは、だめだぁ」
 あははは、と声を上げて、良は裕司の膝に突っ伏してしまった。
 何だこの生き物は、と思いながらも、耳に快い笑い声をこぼす彼のことはとても憎めなくて、裕司は溜め息をつきつつその背中を撫でてやった。

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