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いつか映画の中で聞いたような台詞だと頭の遠いところで考えつつも、心は良に掬い取られたような心地だった。
裕司がすぐに返事をしないので、良は再びサラダをつつき始める。その仕草も表情も、日常のそれだった。
「…………お前……」
言いかけて、意図と言葉が噛み合いそうになくて裕司は続きを飲み込んだ。良は顔を上げて、いぶかしげな目をする。
「なに、呆れてんの?」
「……呆れる要素なんかなかっただろ」
「だって、都合のいいこと言ったから……」
どうにも良とは認識が噛み合わない、と思ったが、それは不快でも諦めでもなかった。彼の目には裕司の知らない世界が映っていて、裕司はいつもそれを分けてもらうことが楽しみだった。
「……俺は褒めちぎられたのかと思ったよ」
まだ少し顔が熱かった。自分の頬を撫でると、手のひらの方が汗をかいていて、皮膚の張り付く感触がした。
「褒めたっていうか……褒めたんだけど、俺が思ってることを言っただけだよ」
いつだってそうじゃないか、と思いながら、ここが外でなければ良が文句を言うくらい抱き締めてもっと正直なことが言えたろうにと考えた。
彼の信頼が嬉しいと伝えたい。しかしうまい言葉が出てこなかった。
良は己の口下手をわかっていながら、それでも諦めずに言葉にしてくれたというのに。
「……お前は、たくさん話してくれるようになったよな」
「うん?」
「言葉にするのは苦手だろ」
良はまるで裕司の言葉を咀嚼するように顎を動かし、口の中のものを飲み下して、まだ頭の中で何か考えているような顔をして口を開いた。
「……一応あんたを見習ってがんばってるつもりなんだけど、しゃべったからって上手くなるもんでもないね」
どこか期待が外れたというような声に、裕司は少し笑って言った。
「そりゃ、そんなすぐにはな」
「あんたがちゃんと聞いてくれるから言えるけど、他の人だったらどうかわかんないし」
「……でも、今度牧のところ行くんだろう」
良は不安なのか緊張なのか、少しばかり表情を硬くして頷いた。
「牧だってお前が社会人経験ないのわかってて声掛けたんだから、そんな心配することねえよ。お前ができることだけ頑張ればいい」
「……何にもできなかったら?」
「今の自分に何ができて何ができないのか、データが増えるんだから今後の役に立つさ」
つい後輩に教えるような口を利くと、良は不服そうに唇を尖らせた。
「またすぐ格好いいこと言う」
文句を言われたのかそうでないのか判断しかねて、裕司はどんな顔をすればいいのかわからなくなった。なかなか自分のペースを取り戻せなくて、良の方がよほど余裕そうだと感じた。
如何ともし難い、と思いながら水のグラスに手を付けると、もう氷は随分と小さくなっていて、頼りなくグラスの縁でゆらめいた。
「ねえ裕司さん」
「ん?」
「今日ほんとにスマホ買うの?」
「そりゃ、買った方がいいだろ。どうせいるんだから」
良は難しい顔をして、皿の上で小さなクレソンの葉を追い回しながら言った。
「あんたの使ってるの、何か高いやつだよね。ネットで見た」
すぐに値段を気にする、と苦笑しながら、裕司は返す。
「俺が何使ってても、お前は自分で好きなの選べばいいだろ。まあ、電話会社は同じとこの方が助かるが」
「それはそのつもりだけどさ。あんたってそんなに俺に何でも買って、いくら使ったか計算してんの?」
裕司はつい目を丸くして良を見つめ、良が真顔であるのを認めて少なからず困惑した。
「いくらって、お前の物を買った分か?」
「うん」
「いや……そんなのいちいち計算しないぞ」
生活の収支は見ているが、その内訳で良のものだけ分けるようなことはしていなかった。どうせ彼についてかかる費用は私的なものだ。
「わかるようにしといてよ。返せないじゃん」
ぐ、と何も嚥下していないのに喉が詰まりそうになって、裕司はまた水を飲む。良は相変わらず平然としていた。
「え? お前返すつもりなのか?」
「返せるかどうかはわかんないけど、俺だってちゃんと働けるようになったらあんたからもらった分は返したいよ」
いやいやいや、と食い気味に言ってから、裕司は一度自分の胸を押さえた。
「おま、お前、言ってもほぼ生活費だろうが。そんなもんお前が仕事手伝ってくれてるだけでチャラだよ」
良は胡乱な目をして裕司を見た。
「俺、あんたの仕事のことは何にもしてなくない?」
「お前が家事してくれてる分、俺は仕事に集中できてるんだから同じだろうが。一日仕事しかしてなくても洗濯物も洗い物も溜まらなくて手料理が食える有り難みを考えたら、釣りが来るぐらいだぞ」
予想外の申し出に焦ってしまって、いつにない早口でそう言うと、良はしばらく裕司を眺めた後に吹き出した。
「ふ、ふふ、ごめん。あんたがそんなにびっくりすると思わなかった」
「……言っちゃなんだが、びっくりしたよ」
ふふふ、と良はおかしそうに肩を震わせて、笑い転げたいのを我慢しているかのようだった。
「俺が返せるかどうかなんてわかんないし、返せても何年も先になるかもしれないんだから、適当に聞いてればいいのに」
お前の話を適当に聞いたりできるものか、と思いながら、裕司は氷ごと水のグラスを空にした。
裕司がすぐに返事をしないので、良は再びサラダをつつき始める。その仕草も表情も、日常のそれだった。
「…………お前……」
言いかけて、意図と言葉が噛み合いそうになくて裕司は続きを飲み込んだ。良は顔を上げて、いぶかしげな目をする。
「なに、呆れてんの?」
「……呆れる要素なんかなかっただろ」
「だって、都合のいいこと言ったから……」
どうにも良とは認識が噛み合わない、と思ったが、それは不快でも諦めでもなかった。彼の目には裕司の知らない世界が映っていて、裕司はいつもそれを分けてもらうことが楽しみだった。
「……俺は褒めちぎられたのかと思ったよ」
まだ少し顔が熱かった。自分の頬を撫でると、手のひらの方が汗をかいていて、皮膚の張り付く感触がした。
「褒めたっていうか……褒めたんだけど、俺が思ってることを言っただけだよ」
いつだってそうじゃないか、と思いながら、ここが外でなければ良が文句を言うくらい抱き締めてもっと正直なことが言えたろうにと考えた。
彼の信頼が嬉しいと伝えたい。しかしうまい言葉が出てこなかった。
良は己の口下手をわかっていながら、それでも諦めずに言葉にしてくれたというのに。
「……お前は、たくさん話してくれるようになったよな」
「うん?」
「言葉にするのは苦手だろ」
良はまるで裕司の言葉を咀嚼するように顎を動かし、口の中のものを飲み下して、まだ頭の中で何か考えているような顔をして口を開いた。
「……一応あんたを見習ってがんばってるつもりなんだけど、しゃべったからって上手くなるもんでもないね」
どこか期待が外れたというような声に、裕司は少し笑って言った。
「そりゃ、そんなすぐにはな」
「あんたがちゃんと聞いてくれるから言えるけど、他の人だったらどうかわかんないし」
「……でも、今度牧のところ行くんだろう」
良は不安なのか緊張なのか、少しばかり表情を硬くして頷いた。
「牧だってお前が社会人経験ないのわかってて声掛けたんだから、そんな心配することねえよ。お前ができることだけ頑張ればいい」
「……何にもできなかったら?」
「今の自分に何ができて何ができないのか、データが増えるんだから今後の役に立つさ」
つい後輩に教えるような口を利くと、良は不服そうに唇を尖らせた。
「またすぐ格好いいこと言う」
文句を言われたのかそうでないのか判断しかねて、裕司はどんな顔をすればいいのかわからなくなった。なかなか自分のペースを取り戻せなくて、良の方がよほど余裕そうだと感じた。
如何ともし難い、と思いながら水のグラスに手を付けると、もう氷は随分と小さくなっていて、頼りなくグラスの縁でゆらめいた。
「ねえ裕司さん」
「ん?」
「今日ほんとにスマホ買うの?」
「そりゃ、買った方がいいだろ。どうせいるんだから」
良は難しい顔をして、皿の上で小さなクレソンの葉を追い回しながら言った。
「あんたの使ってるの、何か高いやつだよね。ネットで見た」
すぐに値段を気にする、と苦笑しながら、裕司は返す。
「俺が何使ってても、お前は自分で好きなの選べばいいだろ。まあ、電話会社は同じとこの方が助かるが」
「それはそのつもりだけどさ。あんたってそんなに俺に何でも買って、いくら使ったか計算してんの?」
裕司はつい目を丸くして良を見つめ、良が真顔であるのを認めて少なからず困惑した。
「いくらって、お前の物を買った分か?」
「うん」
「いや……そんなのいちいち計算しないぞ」
生活の収支は見ているが、その内訳で良のものだけ分けるようなことはしていなかった。どうせ彼についてかかる費用は私的なものだ。
「わかるようにしといてよ。返せないじゃん」
ぐ、と何も嚥下していないのに喉が詰まりそうになって、裕司はまた水を飲む。良は相変わらず平然としていた。
「え? お前返すつもりなのか?」
「返せるかどうかはわかんないけど、俺だってちゃんと働けるようになったらあんたからもらった分は返したいよ」
いやいやいや、と食い気味に言ってから、裕司は一度自分の胸を押さえた。
「おま、お前、言ってもほぼ生活費だろうが。そんなもんお前が仕事手伝ってくれてるだけでチャラだよ」
良は胡乱な目をして裕司を見た。
「俺、あんたの仕事のことは何にもしてなくない?」
「お前が家事してくれてる分、俺は仕事に集中できてるんだから同じだろうが。一日仕事しかしてなくても洗濯物も洗い物も溜まらなくて手料理が食える有り難みを考えたら、釣りが来るぐらいだぞ」
予想外の申し出に焦ってしまって、いつにない早口でそう言うと、良はしばらく裕司を眺めた後に吹き出した。
「ふ、ふふ、ごめん。あんたがそんなにびっくりすると思わなかった」
「……言っちゃなんだが、びっくりしたよ」
ふふふ、と良はおかしそうに肩を震わせて、笑い転げたいのを我慢しているかのようだった。
「俺が返せるかどうかなんてわかんないし、返せても何年も先になるかもしれないんだから、適当に聞いてればいいのに」
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