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その日の夜は裕司が先に寝支度を終えて、かといって良を待たずに寝てしまうのは愛想がないだろうと、ベッドで一人スマホを触っていた。
良が寝室に顔を出すまではさほどかからなくて、しかし良は部屋の戸口から裕司を見つめたまま、すぐに入ってこようとしなかった。
何を待っているのか、と思いながら裕司がスマホを置くと、良は戸の縁に張り付いて言った。
「裕司さん、あのさぁ……」
顔も声も、切り出しにくい話がある、と言っていたが、とはいえ深刻な気配も感じられなくて裕司は首を傾げる。どうした、と応えて手招きしてみると、良は少しばかり逡巡してから戸を閉めてベッドに上がってきた。
そして裕司はようやく、その手にタブレット端末が握られていることに気が付いた。最近ではもっぱら良に使わせているそれは、今は黒い画面にただ室内を映しているだけだ。
「あのー……、牧さんがさ……」
「うん?」
「あ、えっと前作ったアカウントの、あれで牧さんフォローしたらメッセージくれて」
良は慌てたように手を動かしながら弁明した。何も責めてはいないし悪いことをしているわけでもないだろうに、良は時折こういう言い訳の仕方をした。
「ああ……あいつもマメだなぁ」
おおよその次第を察して言うと、良はほっとした顔をした。こういうとき、彼の中にまだ根を張っている幼さが見える気がした。
少し前に、良からSNSのアカウントを作りたいと相談されて、認証作業を手伝ったことがあった。わざわざ相談してくることが律儀だし、自分のスマホを持てば何の気兼ねもいらなかったろうにと思ったけれども、良は逐一裕司に伺いを立てなければ気が済まないところがあるのも確かで、そのときは特段何も口出ししなかった。
地元の友人とでもやりとりしたいのだろうかと思ったが、そんな様子も見られなくて、今日まで話題にのぼることもなかった。
「それで牧が何だって?」
問いかけてみても、良はまだ言う踏ん切りがつかないというように目を泳がせながら唇をわずかに動かした。良が勝手に恥ずかしがったり戸惑ったりしているだけなら何も問題はないが、牧が余計なことでも言ったのだろうかという疑念がよぎり、それは裕司の表情に現れたらしかった。
「あ、あの、牧さんが、店でバイトしてみないかって」
良は顔を上げてそう言い、すぐに手をかざして言い直した。
「あっ、すぐ雇ってくれるってわけじゃなくて、その、一度バイトだと思って手伝いに来てみないかって言ってくれてて……。俺が仕事とかそういうの、何が向いてるかわかんないって話したから……」
気まずそうな声で言う良を見ながら、色々なことが意外に思えて裕司は少なからず驚いていた。
良が牧にそんな話をしたというのも、牧が良をそんなに気をかけているというのも、裕司の抱いていたイメージの範疇外のことで、だからすぐにふさわしいリアクションができなかった。
「……やっぱ、だめ……?」
良の弱い声に我に返って、裕司は急いで口を開いた。
「だめなわけあるか。……ちょっと驚いただけだよ」
「……」
「いや、あいつがそんなこと言うと思ってなかったし……。お前も、顔合わせたときはあんなに緊張してたのに、そんな話してたんだなって」
「よくなかった……?」
まだ機嫌を窺っているような良の台詞に苦笑して、裕司は両手で良の顔を挟んだ。
「ばか、お前はもっと自分のやりたいことを大事にしろ」
張りのある柔らかい頬を揉んでやると、うう、と良は呻いたものの、抵抗しようとはしなかった。
「だって、あんたの友達じゃん……仕事だって大変そうだし……」
「仕事のことを一番わかってるのは牧本人だろ。その上で言ってくれてんだから、変に遠慮する方が失礼だぞ」
「……」
「お前が気乗りしないなら無理するこたぁないが、やってみたいから俺に訊いてきたんじゃないのか」
良は揉まれた頬を撫でながら、こくりと頷いた。
「そんなふうに声を掛けてもらえるっていうのは人徳だよ。自信持て」
そう言うと良はやっとはにかんだ笑みを見せて、それを見て裕司もほっとする。
「俺が牧さんに迷惑かけないか心配じゃない?」
「そんなのは起きた後に謝って反省すればいいんだ。社会人なんて、ちゃんとしてるように見えてもみんな失敗してるし人に迷惑かけてんだからな」
ふふ、と良はかすかな笑い声を立てて、目を細めた。
「あんたも?」
「当たり前だろ。何年社会人してると思ってんだ」
「なんで自慢してる感じなわけ?」
おかしそうな声が耳に好かった。不安そうな、人の顔色を窺うときの良の声は、聞いていると切ないものがあった。
「……それより俺はお前が牧になびかないか心配だよ」
あながち冗談でもないことを口にすると、良は目を丸くして裕司を見て、そしてふはっと吹き出した。
「何言ってんのあんた。意味わかんない」
「俺より若いし、いい男だろうが」
「そうかもしんないけど、俺やっぱり男が恋愛対象になるのよくわかんないよ」
「おい……」
付き合っている相手に何を言うんだ、と思ったが、良は悪びれる様子もなかった。
「あんたのことは大好きだけど、だからってあんた以外の男の人のことまで、そんなふうに見れないよ」
良が寝室に顔を出すまではさほどかからなくて、しかし良は部屋の戸口から裕司を見つめたまま、すぐに入ってこようとしなかった。
何を待っているのか、と思いながら裕司がスマホを置くと、良は戸の縁に張り付いて言った。
「裕司さん、あのさぁ……」
顔も声も、切り出しにくい話がある、と言っていたが、とはいえ深刻な気配も感じられなくて裕司は首を傾げる。どうした、と応えて手招きしてみると、良は少しばかり逡巡してから戸を閉めてベッドに上がってきた。
そして裕司はようやく、その手にタブレット端末が握られていることに気が付いた。最近ではもっぱら良に使わせているそれは、今は黒い画面にただ室内を映しているだけだ。
「あのー……、牧さんがさ……」
「うん?」
「あ、えっと前作ったアカウントの、あれで牧さんフォローしたらメッセージくれて」
良は慌てたように手を動かしながら弁明した。何も責めてはいないし悪いことをしているわけでもないだろうに、良は時折こういう言い訳の仕方をした。
「ああ……あいつもマメだなぁ」
おおよその次第を察して言うと、良はほっとした顔をした。こういうとき、彼の中にまだ根を張っている幼さが見える気がした。
少し前に、良からSNSのアカウントを作りたいと相談されて、認証作業を手伝ったことがあった。わざわざ相談してくることが律儀だし、自分のスマホを持てば何の気兼ねもいらなかったろうにと思ったけれども、良は逐一裕司に伺いを立てなければ気が済まないところがあるのも確かで、そのときは特段何も口出ししなかった。
地元の友人とでもやりとりしたいのだろうかと思ったが、そんな様子も見られなくて、今日まで話題にのぼることもなかった。
「それで牧が何だって?」
問いかけてみても、良はまだ言う踏ん切りがつかないというように目を泳がせながら唇をわずかに動かした。良が勝手に恥ずかしがったり戸惑ったりしているだけなら何も問題はないが、牧が余計なことでも言ったのだろうかという疑念がよぎり、それは裕司の表情に現れたらしかった。
「あ、あの、牧さんが、店でバイトしてみないかって」
良は顔を上げてそう言い、すぐに手をかざして言い直した。
「あっ、すぐ雇ってくれるってわけじゃなくて、その、一度バイトだと思って手伝いに来てみないかって言ってくれてて……。俺が仕事とかそういうの、何が向いてるかわかんないって話したから……」
気まずそうな声で言う良を見ながら、色々なことが意外に思えて裕司は少なからず驚いていた。
良が牧にそんな話をしたというのも、牧が良をそんなに気をかけているというのも、裕司の抱いていたイメージの範疇外のことで、だからすぐにふさわしいリアクションができなかった。
「……やっぱ、だめ……?」
良の弱い声に我に返って、裕司は急いで口を開いた。
「だめなわけあるか。……ちょっと驚いただけだよ」
「……」
「いや、あいつがそんなこと言うと思ってなかったし……。お前も、顔合わせたときはあんなに緊張してたのに、そんな話してたんだなって」
「よくなかった……?」
まだ機嫌を窺っているような良の台詞に苦笑して、裕司は両手で良の顔を挟んだ。
「ばか、お前はもっと自分のやりたいことを大事にしろ」
張りのある柔らかい頬を揉んでやると、うう、と良は呻いたものの、抵抗しようとはしなかった。
「だって、あんたの友達じゃん……仕事だって大変そうだし……」
「仕事のことを一番わかってるのは牧本人だろ。その上で言ってくれてんだから、変に遠慮する方が失礼だぞ」
「……」
「お前が気乗りしないなら無理するこたぁないが、やってみたいから俺に訊いてきたんじゃないのか」
良は揉まれた頬を撫でながら、こくりと頷いた。
「そんなふうに声を掛けてもらえるっていうのは人徳だよ。自信持て」
そう言うと良はやっとはにかんだ笑みを見せて、それを見て裕司もほっとする。
「俺が牧さんに迷惑かけないか心配じゃない?」
「そんなのは起きた後に謝って反省すればいいんだ。社会人なんて、ちゃんとしてるように見えてもみんな失敗してるし人に迷惑かけてんだからな」
ふふ、と良はかすかな笑い声を立てて、目を細めた。
「あんたも?」
「当たり前だろ。何年社会人してると思ってんだ」
「なんで自慢してる感じなわけ?」
おかしそうな声が耳に好かった。不安そうな、人の顔色を窺うときの良の声は、聞いていると切ないものがあった。
「……それより俺はお前が牧になびかないか心配だよ」
あながち冗談でもないことを口にすると、良は目を丸くして裕司を見て、そしてふはっと吹き出した。
「何言ってんのあんた。意味わかんない」
「俺より若いし、いい男だろうが」
「そうかもしんないけど、俺やっぱり男が恋愛対象になるのよくわかんないよ」
「おい……」
付き合っている相手に何を言うんだ、と思ったが、良は悪びれる様子もなかった。
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