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昼下がりの窓の向こうに強い陽光を認めながら、クーラーの効いた居間のテーブルの上に裕司は例の茶封筒を置いた。
厚く膨らんだそれを、最初はある程度選り分けてから良に見せるべきかとも思ったが、そんなふうに気を回すのはかえって失礼なような気がして、結局受け取ったそのままで良の前に持ってきた。
「転出証明書は役所に出すとして、他がけっこう色々あるんだよな」
「あんたが頼んだのってそんなたくさんなかったよね……?」
良は何だか胡乱な目をして、いくらか声を低めて言った。
「うん……たぶん取っといても仕方ないようなのもあると思うんだよな」
そう言いつつ、良がいらないと言っても捨てることには抵抗があった。しかし不要であることと捨てたいと思うことは別だ。良の意見を聞いてみないことには、裕司には何も判断できなかった。
「うわ、学校のプリント入ってる」
封筒を覗いて、良は見たくないものを見てしまったという顔をした。それでもそこに重苦しい感情は見受けられなかったし、昨日感じたような悲壮さも現れてはいなかった。
良は両手で封筒をつかむと、逆さに振ってテーブルの上に中身を出した。少しの埃っぽさが鼻の先をかすめて、次いでよその家の匂いがした。知らない生活の匂いが自分の家の中に持ち込まれるのは、何だか不思議な思いだった。
「もー、ごっちゃごちゃじゃん……」
そう言う良の表情は複雑なそれだった。悲しいような、切ないような目をしているのに、どこか穏やかさもあって、裕司にとってよそよそしい紙片は良の目にはどう映っているのだろうと思った。
「……急いで集めてくれたんじゃねえかなぁ」
大した根拠も自信もなかったが、裕司は呟いて紙の束の中から母子手帳を抜いた。
「何それ」
問われると口にしづらくて、裕司は黙って良に表紙を見せる。黒い目が幾度か瞬いて、すらりとした指が伸びてきた。
「なんでこんなの入ってんの?」
そう言った声はとても無垢なそれだった。その口ぶりに、良はこれの存在を知っていたのだ、と思う。裕司が知らない良の人生の中には無数に母親との結びつきがあって、それは裕司の想像できないかたちをしていた。
「ほら……予防接種の履歴とかあるから。そんなのお前覚えてないだろ」
「あー……、あーそっか……」
呟きながら良はパラパラと手帳をめくる。これといった衝撃を受けた様子はなく、単純に納得したというふうに見えた。
裕司にしてみれば肩透かしのように思える良の様子に、しかしこれが正解なのだとも感じた。歪んで食い違っていても、やはり彼らは母子なのだ。他人の裕司にはわからない部分で、彼らしか知らないお互いがあるのだという気がした。
「こういうの、どうやって取っといたらいいんだろ」
「……お前用の棚くらい買うか。今何でも俺のと共用だもんな」
「ええ……」
「なんで嫌そうな顔するんだよ」
「いや……なんとなく」
「お前だって俺に勝手に見られたくないもんくらいあるだろ。……今はなくても、プライバシーはほしいだろうが」
良は唇を曲げて、不満だが反論できない子どものような顔をした。どうしてそんな表情をするのかわからない、という気持ちが裕司の顔にも出ていたのだろう、良はしばらく黙った後に、ぼそぼそとした声で言った。
「……なんか、あんたって俺を子ども扱いしてるのか大人扱いしてるのかわかんないときある……」
どういう意味だ、と考えてみたが、良がどこか恥ずかしそうに目を逸らしているので、言葉よりその態度の方が本音に近い気がして裕司は笑った。
「少なくとももう子どもじゃないよな、お前は」
「……本当にそう思ってる?」
「子どもだと思ってたら今頃こうしてないだろ」
良はもう子どもではない。それどころか、裕司よりも冷静で現実的で思慮深い瞬間すらある。彼と向き合うと、生きてきた年月の長短など些末なことだと感じることは多かった。
「……そういうの俺がまだ慣れないよ」
それは珍しく正直で的確な言葉だと思った。彼は不相応に子ども扱いされて、決定権を取り上げられてきたのだろうと感じることがままあった。個人として尊重されることに、良は明らかに親しんでいなかった。
「そのうち慣れるだろ」
ありきたりな言葉で返すと、良の黒く深い瞳がまっすぐに見返してきた。他人に凝視されることは大抵居心地の悪いものだが、良のこの目を向けられるのは好きだった。美しい目には美しいものが映るのではないかという気がしたし、それがただの錯覚でも、そうであってほしいと思っていた。
「……俺大人になれるのかな」
ぼそりと言った言葉の裏に不安があるのはすぐにわかった。その不安は幼さではなく若さだ。裕司にも遠い昔に覚えのある、自分が子どもでも大人でもないものになってしまったと感じるときのおぼつかなさ。
「お前が思うほど大人なんて大人じゃないからな」
「なにそれ」
へんなの、とこぼした良はとても年相応な顔をしていた。胸の中にたくさん迷いを抱えていて、自分を頼りなく思っている。
彼に頼られている内が華だな、と思われてつい苦笑すると、何笑ってるの、と言われて脚をはたかれた。
厚く膨らんだそれを、最初はある程度選り分けてから良に見せるべきかとも思ったが、そんなふうに気を回すのはかえって失礼なような気がして、結局受け取ったそのままで良の前に持ってきた。
「転出証明書は役所に出すとして、他がけっこう色々あるんだよな」
「あんたが頼んだのってそんなたくさんなかったよね……?」
良は何だか胡乱な目をして、いくらか声を低めて言った。
「うん……たぶん取っといても仕方ないようなのもあると思うんだよな」
そう言いつつ、良がいらないと言っても捨てることには抵抗があった。しかし不要であることと捨てたいと思うことは別だ。良の意見を聞いてみないことには、裕司には何も判断できなかった。
「うわ、学校のプリント入ってる」
封筒を覗いて、良は見たくないものを見てしまったという顔をした。それでもそこに重苦しい感情は見受けられなかったし、昨日感じたような悲壮さも現れてはいなかった。
良は両手で封筒をつかむと、逆さに振ってテーブルの上に中身を出した。少しの埃っぽさが鼻の先をかすめて、次いでよその家の匂いがした。知らない生活の匂いが自分の家の中に持ち込まれるのは、何だか不思議な思いだった。
「もー、ごっちゃごちゃじゃん……」
そう言う良の表情は複雑なそれだった。悲しいような、切ないような目をしているのに、どこか穏やかさもあって、裕司にとってよそよそしい紙片は良の目にはどう映っているのだろうと思った。
「……急いで集めてくれたんじゃねえかなぁ」
大した根拠も自信もなかったが、裕司は呟いて紙の束の中から母子手帳を抜いた。
「何それ」
問われると口にしづらくて、裕司は黙って良に表紙を見せる。黒い目が幾度か瞬いて、すらりとした指が伸びてきた。
「なんでこんなの入ってんの?」
そう言った声はとても無垢なそれだった。その口ぶりに、良はこれの存在を知っていたのだ、と思う。裕司が知らない良の人生の中には無数に母親との結びつきがあって、それは裕司の想像できないかたちをしていた。
「ほら……予防接種の履歴とかあるから。そんなのお前覚えてないだろ」
「あー……、あーそっか……」
呟きながら良はパラパラと手帳をめくる。これといった衝撃を受けた様子はなく、単純に納得したというふうに見えた。
裕司にしてみれば肩透かしのように思える良の様子に、しかしこれが正解なのだとも感じた。歪んで食い違っていても、やはり彼らは母子なのだ。他人の裕司にはわからない部分で、彼らしか知らないお互いがあるのだという気がした。
「こういうの、どうやって取っといたらいいんだろ」
「……お前用の棚くらい買うか。今何でも俺のと共用だもんな」
「ええ……」
「なんで嫌そうな顔するんだよ」
「いや……なんとなく」
「お前だって俺に勝手に見られたくないもんくらいあるだろ。……今はなくても、プライバシーはほしいだろうが」
良は唇を曲げて、不満だが反論できない子どものような顔をした。どうしてそんな表情をするのかわからない、という気持ちが裕司の顔にも出ていたのだろう、良はしばらく黙った後に、ぼそぼそとした声で言った。
「……なんか、あんたって俺を子ども扱いしてるのか大人扱いしてるのかわかんないときある……」
どういう意味だ、と考えてみたが、良がどこか恥ずかしそうに目を逸らしているので、言葉よりその態度の方が本音に近い気がして裕司は笑った。
「少なくとももう子どもじゃないよな、お前は」
「……本当にそう思ってる?」
「子どもだと思ってたら今頃こうしてないだろ」
良はもう子どもではない。それどころか、裕司よりも冷静で現実的で思慮深い瞬間すらある。彼と向き合うと、生きてきた年月の長短など些末なことだと感じることは多かった。
「……そういうの俺がまだ慣れないよ」
それは珍しく正直で的確な言葉だと思った。彼は不相応に子ども扱いされて、決定権を取り上げられてきたのだろうと感じることがままあった。個人として尊重されることに、良は明らかに親しんでいなかった。
「そのうち慣れるだろ」
ありきたりな言葉で返すと、良の黒く深い瞳がまっすぐに見返してきた。他人に凝視されることは大抵居心地の悪いものだが、良のこの目を向けられるのは好きだった。美しい目には美しいものが映るのではないかという気がしたし、それがただの錯覚でも、そうであってほしいと思っていた。
「……俺大人になれるのかな」
ぼそりと言った言葉の裏に不安があるのはすぐにわかった。その不安は幼さではなく若さだ。裕司にも遠い昔に覚えのある、自分が子どもでも大人でもないものになってしまったと感じるときのおぼつかなさ。
「お前が思うほど大人なんて大人じゃないからな」
「なにそれ」
へんなの、とこぼした良はとても年相応な顔をしていた。胸の中にたくさん迷いを抱えていて、自分を頼りなく思っている。
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