大人になる約束

三木

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 レンタカーを返して、徒歩で帰る道すがらスーパーに寄って、日常に戻ってきたことを実感しながら家の玄関をくぐると、良は居間に入ったところでくたくたと座り込んでしまった。
「うあ~だめだ眠い~」
 車の中でもそれなりに寝ていたが、帰ってきた安堵でいよいよ気が抜けたのだろう。無理もないと笑って、裕司は台所から声を掛けた。
「もうちょっと頑張って、シャワーだけでも浴びてこい」
「うーん……」
 返事なのかどうなのかよくわからない声を漏らして、良はしばらくうずくまっていたが、やがてのろのろと立ち上がった。
「片付けしてもらってごめん……」
 買ってきたものを冷蔵庫に入れている裕司に、良は弱々しい声でそう言って、ふらふらと浴室に向かっていった。
 風呂場で転ばなきゃいいがと思いながら見送って、そして良の言葉を反芻した。良には、家の中で役に立たなければならないという強迫観念がある。それは長年実家で暮らしていた間に形成されたものなのだろうし、徐々に和らげていくしかないのだと思っても、つい強く反駁してしまいそうになる瞬間があった。
 家事をしてくれることは本当に助かっているし、裕司に気を遣ってくれることも有り難い。けれど、疲れているくせに──しかもその理由を裕司がよく了解しているにもかかわらず──謝ったりしなくていいのだとわかってほしかった。
 良にしてみれば半ば癖のようなもので、半ば本当に申し訳なく思って出た言葉なのだろう。そう思うから、否定すべきことではないと思いつつ、良の態度に痛々しさと苛立ちを覚える自分がいるのも本当だった。
 ──どうもせっかちになってよくないな。
 裕司はどちらかといえば他人に対して鷹揚で、即決を求めない方だったはずだが、良が関わってくると感情と行動の距離がひどく近くなることがままあった。ほとんど行動に移りかけてから、やっと思考が追いついてくることもある。それはとても危ないことだし、いい歳をして恥ずかしいことだとも思った。
 疲労がじわじわと頭を侵食してきたのを感じて、自分もさっさと寝支度をせねばならない、と考えたときに、浴室から派手に洗面器をひっくり返すような音がした。大丈夫かと様子を窺ったが、特段異状を感じさせる物音はしなくて、裕司は荷物を抱えて書斎に入った。
 良の母親から受け取った厚い封筒を、明日また開くだろうとそのまま机の上に置く。まだ良本人には見せていないが、見せないというわけにはいかないだろう。むしろこれは、本来良が所有すべきものだ。
 そう思っても、どのタイミングで何と言って出せばいいものか何も思い付かなかった。この封筒の中には良の過去が詰まっていて、良にとってよいものなのか悪いものなのか裕司には判断しようがなかった。
 ひとつ大きな山を越えたと思っても、先行きは相変わらず見通せなかった。まるで答のない謎解きをしているようで、生きていくということはこんなに前の見えないものだったろうかと思う。
 当たり前に家族がいて、当たり前に進学して、さしたる迷いもなく新卒で就職した。特別大きな失敗も冒険もせずに大人になって、悲しいことやつらいことはもちろんあったけれど、生活を覆すような事件はなかった。
 だから裕司は多くの意味で、良の立場になることができない。親の支えがないこと、高校を出ていないこと、不本意な挫折と喪失と抑圧でたくさんの傷を負っていること。そういう条件を並べてみて、これからどう生きていくことが彼にとって一番いいのか、考えようとしてもわからないことばかりで思考は同じところを何巡もした。
 決めるのも行動するのも良なのだから、裕司が勝手に先走って答を出すようなものじゃない。頭ではそうわかっているはずなのに、考えずにはいられなかったし、裕司の不安が良に伝わることもまた懸念材料だった。
 ──ほんとに早く寝た方がいい……。
 定位置に鞄を置き、机の上の茶封筒を何となく奥に押しやって、部屋を出ると、良が台所で水を飲んでいた。
「おう、さっき風呂場ですごい音したけど大丈夫か?」
 そう言って笑ってみせると、良は逆に渋い顔をした。
「そんなのいちいち気にしないでよ」
 愛想のない口ぶりだったが、恥ずかしいから指摘しないでほしいと顔に書いてあるようだった。自分の失敗に自分で驚く良の顔が思い出されて、裕司は微笑む。
「俺も風呂入るから、無理しないで寝てろよ。──ああ、日焼けちょっと赤くなってきてるな」
「んー、でも今のとこ平気」
「日焼けも火傷だからな。我慢するなよ」
「うん」
 良は素直に頷いて、そして首を伸ばすようにして裕司の首筋を覗いてきた。
「あんた特に何も変わんないね」
「あー、俺は赤くなりにくい方だな」
 えーずるい、と、良は裕司をねめつけると、ぺたぺたと裸足の足音を立てて寝室に向かった。
「おやすみ」
 声をかけると、良はちらりと振り返って、少しの間を置いて、おやすみ、と返してきた。
 その微妙な間に、一人で寝たくないということかもしれない、と思いながら、裕司は良が寝室に入ったのを確かめて、台所の灯りを消した。

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