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「良に……あなたに会うかどうか、訊いてきます」
裕司がそう言うと、女は一瞬冷たい水を浴びせられたような顔をした。しかしすぐにもとの表情に戻って、わかりました、と言った。そしてしばらく放置されていた美しい色のドリンクに手をつけて、音もなく口に運んだ。
汗をかいたグラスからぽたぽたと雫が垂れて、女のスーツに楕円を描いたのを、裕司は見なかったふりをして席を立つ。見知らぬ店内の光景は現実味が感じられなかったし、外に出ると暑さで目眩がしそうだった。
良は車の助手席で、靴を脱いで両膝を立ててタブレットを見ていた。外でもやはりその格好になるのかと思うと、可愛らしいと同時にどこか哀れにも感じられて、裕司は曖昧な笑みを浮かべて助手席の窓をノックした。
ガラス越しに驚いた顔が見上げてきて、すぐに内側からドアが開けられた。
「どうしたの」
何かの映像を流したままのタブレットが、膝から座席に落ちかけていた。思った以上に驚かせたようで、何だか申し訳ない気持ちになる。
「一応話はできたから……会うか? お母さんに」
なるべく穏やかな声を心がけてそう問いかけたが、良は明らかに目に不安をよぎらせた。その目を見て、やはりよく似た瞳をしている、と思う。
目のかたちはそっくりというほどではないのに、瞳に浮かべる表情が驚くほど似ていた。
「お母さん、何もそんな、俺に嫌なことなんて言わなかったぞ。……お前のことも、怒ったりはしてねぇように見えたよ」
どうする、と首を傾けると、良は何だか泣きそうな顔をして、少し間を空けてこう言った。
「……母さん、一人で来たの?」
「ああ……。お前が会いたくないなら、無理しなくていい」
「俺のことなんか言ってた?」
裕司は苦笑する。返答に迷って、顎を撫でた。
「言ってたけど……一言じゃ言いにくいな……。……自分のことを母親失格だって……そういう、なんて言うか、お前を不憫に思ってるみたいな言い方で……」
歯切れの悪い裕司に、良はひどく切ない表情を浮かべた。その心中はうまく汲み取れなかったが、彼もまた母親を憎んではいないのだと感じた。
「……席、どの辺? 待ってるんだよね?」
言いながら良はシートの下に転がっていた靴を拾って、足を突っ込む。裕司は戸惑いつつ、店を振り返って言った。
「入って少し奥の左手だよ。窓際のテーブル……一人で行くのか?」
良は頷く。どこか悲壮で、決意したような目をしていた。
「良」
「大丈夫、喧嘩とかしないし……何かあったら呼んでいいんだよね?」
「もちろん。……ああ、でも、ちょっと待て」
言って、裕司は財布から紙幣を出す。それを半分に折って良に握らせた。
「まだ会計してねえから、もし俺を呼ばないならこれで払え」
うん、と良は頷く。彼がアスファルトに立てば目線の高さはほとんど同じで、子どもの背丈ではないことが体感された。
保護者ぶって母子の間に入るのは筋違いだと、言葉ではないもので説き伏せられたような気持ちになって、裕司は笑う。
「車で待ってるからな」
良は唇を結んで頷いて、じっとしていられないような様子で小走りになって店に入っていった。あんな良は初めて見たな、と思うと同時に、それが当然だとも思う。裕司はあの母親と良の関係を実際何も知りはしないのだ。
助手席のドアを閉めて、回り込んで運転席に乗り込むと、肩の力が抜けるようだった。こんな緊張を味わったことがあっただろうかと思うほど、特殊な空間に身を置いた気分だった。
店の方を見ても、ここからでは良の姿も母親の姿も見えるはずがなかった。いつでも飛んでいくつもりだったが、今は待つ以外にできることはない。
息をついて、母親から渡された封筒を開けると、中は思った以上に乱雑だった。色も大きさも厚みも異なる紙片や封筒が重なっていて、一見して何が入っているのかわからなかった。
借りた車の中でひっくり返して紛失するわけにはいかないので、仕方なく裕司は端から一枚ずつ抜いて確認していく。依頼していた証明書の類の他に、良の中学高校時代の書類や記録らしきものが見られた。数年前の検定試験の成績表まで入っている。
乱雑ではあったが、折れたり潰れたりしているものはなく、明らかに無関係なものもなく、彼女なりに良の過去とこれからを繋ごうとしたのかもしれない、と思う。行方知れずになった息子を案じた気配もないことをいぶかっていたが、その間にこれらを破棄することもせず、おそらくは家の中で探し出しかき集めてこうして手渡してきた行為には、それなりの意味がある気がした。
中でも厚みのある冊子状のものを取り出して、裕司は思わず息を飲む。柔らかい色の表紙には、母子健康手帳と書かれていた。
何のために、と考えかけて、良の予防接種歴や検診の記録が含まれるのだと気が付いたが、すぐには中を見る勇気が出なかった。
何より写しではなく原本を丸ごと渡してきたということは、彼女の中に母子の何かを断ち切ろうという気持ちがあったのではないか、と、うがったことを考えてしまう。
結局開かないまま封筒の中に戻して、底の方にあった厚さと硬さのある紙片を引き出すと、それは数人の制服姿の──おそらくは中学生の──男女が写った写真だった。
裕司がそう言うと、女は一瞬冷たい水を浴びせられたような顔をした。しかしすぐにもとの表情に戻って、わかりました、と言った。そしてしばらく放置されていた美しい色のドリンクに手をつけて、音もなく口に運んだ。
汗をかいたグラスからぽたぽたと雫が垂れて、女のスーツに楕円を描いたのを、裕司は見なかったふりをして席を立つ。見知らぬ店内の光景は現実味が感じられなかったし、外に出ると暑さで目眩がしそうだった。
良は車の助手席で、靴を脱いで両膝を立ててタブレットを見ていた。外でもやはりその格好になるのかと思うと、可愛らしいと同時にどこか哀れにも感じられて、裕司は曖昧な笑みを浮かべて助手席の窓をノックした。
ガラス越しに驚いた顔が見上げてきて、すぐに内側からドアが開けられた。
「どうしたの」
何かの映像を流したままのタブレットが、膝から座席に落ちかけていた。思った以上に驚かせたようで、何だか申し訳ない気持ちになる。
「一応話はできたから……会うか? お母さんに」
なるべく穏やかな声を心がけてそう問いかけたが、良は明らかに目に不安をよぎらせた。その目を見て、やはりよく似た瞳をしている、と思う。
目のかたちはそっくりというほどではないのに、瞳に浮かべる表情が驚くほど似ていた。
「お母さん、何もそんな、俺に嫌なことなんて言わなかったぞ。……お前のことも、怒ったりはしてねぇように見えたよ」
どうする、と首を傾けると、良は何だか泣きそうな顔をして、少し間を空けてこう言った。
「……母さん、一人で来たの?」
「ああ……。お前が会いたくないなら、無理しなくていい」
「俺のことなんか言ってた?」
裕司は苦笑する。返答に迷って、顎を撫でた。
「言ってたけど……一言じゃ言いにくいな……。……自分のことを母親失格だって……そういう、なんて言うか、お前を不憫に思ってるみたいな言い方で……」
歯切れの悪い裕司に、良はひどく切ない表情を浮かべた。その心中はうまく汲み取れなかったが、彼もまた母親を憎んではいないのだと感じた。
「……席、どの辺? 待ってるんだよね?」
言いながら良はシートの下に転がっていた靴を拾って、足を突っ込む。裕司は戸惑いつつ、店を振り返って言った。
「入って少し奥の左手だよ。窓際のテーブル……一人で行くのか?」
良は頷く。どこか悲壮で、決意したような目をしていた。
「良」
「大丈夫、喧嘩とかしないし……何かあったら呼んでいいんだよね?」
「もちろん。……ああ、でも、ちょっと待て」
言って、裕司は財布から紙幣を出す。それを半分に折って良に握らせた。
「まだ会計してねえから、もし俺を呼ばないならこれで払え」
うん、と良は頷く。彼がアスファルトに立てば目線の高さはほとんど同じで、子どもの背丈ではないことが体感された。
保護者ぶって母子の間に入るのは筋違いだと、言葉ではないもので説き伏せられたような気持ちになって、裕司は笑う。
「車で待ってるからな」
良は唇を結んで頷いて、じっとしていられないような様子で小走りになって店に入っていった。あんな良は初めて見たな、と思うと同時に、それが当然だとも思う。裕司はあの母親と良の関係を実際何も知りはしないのだ。
助手席のドアを閉めて、回り込んで運転席に乗り込むと、肩の力が抜けるようだった。こんな緊張を味わったことがあっただろうかと思うほど、特殊な空間に身を置いた気分だった。
店の方を見ても、ここからでは良の姿も母親の姿も見えるはずがなかった。いつでも飛んでいくつもりだったが、今は待つ以外にできることはない。
息をついて、母親から渡された封筒を開けると、中は思った以上に乱雑だった。色も大きさも厚みも異なる紙片や封筒が重なっていて、一見して何が入っているのかわからなかった。
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何のために、と考えかけて、良の予防接種歴や検診の記録が含まれるのだと気が付いたが、すぐには中を見る勇気が出なかった。
何より写しではなく原本を丸ごと渡してきたということは、彼女の中に母子の何かを断ち切ろうという気持ちがあったのではないか、と、うがったことを考えてしまう。
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