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髪を整えて、おろしたての服を着て、少し緊張した硬さのある表情で街を歩く良を横目に、裕司は自分だけが目を楽しませてもらっているような気持ちだった。
良と出かけるのはそれが近所のスーパーでも、泊まりがけの旅行でも、いつだって楽しかったけれど、こんなふうに見た目を気にしてそわそわとしている彼を見ることはめったになかった。いちいち身嗜みを整えて会う関係ではないということを不満には思っていないはずだったのに、いざ良が髪や服を気にしている姿を見ると彼の魅力が際立つのが嬉しかったし、もっと見てみたいとも思ってしまう。
──どんどん贅沢になるなぁ。
彼がそばにいて心と身体を許してくれるだけで、充分すぎるほどの幸せを感じるのに、それで欲が消えるわけではないのだということが、いかにも己の度し難さを感じさせた。
そんな裕司の心情を知る由もない良は、真新しい半袖の襟を気にしながら言った。
「首焼けそう。帰りはちょっとは涼しいのかな」
うなじにかかっていた髪がなくなった分、日射しがこたえるのだろうと思って裕司は笑う。
「どうかな。ゆうべも暑かったしなぁ」
「あんたは今日中には帰らない感じ?」
平然と訊かれて、裕司は戸惑う。これまで良を一人にして外泊したことなどないのに、さっぱり気にしていない様子だった。
「いやいや……一応電車で帰るつもりなんだぞ?」
「でも終電逃すかもみたいなこと言ってなかった?」
「それはそういうのもあり得るってだけで……」
良は真顔で、じいと裕司を見つめて、ごく真面目な声を出した。
「あんたいっつも俺のこと気にしてるからさ、たまには普通に遊んだ方がいいよ」
どう考えても言う立場が逆だ、と思ったが、理性がこれはよい変化なのだと囁いてきた。目に見えて、触れるところに裕司がいないと心の安定が保てないのは、良の精神が自立から程遠い状態だった証拠だ。
それを頭ではわかっているのに、まるで親離れされてしまったような寂しさが胸から剥がれなかった。仮に本当の親子だったとしても、良はもう親元を離れておかしくない歳だというのに、裕司はもっと自分に甘えて執着してほしいという己の気持ちを無視できなかった。もっと寂しがってほしいと願っている自分がいて、我ながら情けなくて良にはとても見せられないと思う。
「……帰りは一人で大丈夫なんだよな?」
往生際の悪さが声に出ていないことを祈りつつ言うと、良は頷きながらこう答えた。
「鍵ちゃんと持ったし何かあったら連絡するから、心配しなくていいよ。気になるなら一緒に帰ってもいいけど」
その妥協案は想定外で、裕司は思わず目を丸くする。それを見て良は不思議そうな顔をした。
「どっか遅くまでやってるとこあるでしょ、ファミレスとか。終電くらいまでなら待ってるよ」
「いやでも……暇だろ、一人じゃ」
「適当に本でも買って読んどくし」
そんなことは苦にならない、といった口ぶりだった。正直良の申し出は有り難くて、飛びついてしまいたかったが、そうしてもいいものか判断に迷う。
「あんたが時間までに来なかったら勝手に帰るから、別に気にしなくていいよ。家着いてから連絡すればあんたも心配しなくて済むでしょ?」
良の気の回りように、裕司は舌を巻く。考えてみれば、良は何ヶ月も保護者のいない状態で居場所を転々としていたのだ。それに比べれば帰る家があり、当座の金の心配もなく、いざとなれば裕司を頼ることのできる現状で、一晩程度の時間を潰すことなどどうということもないに違いなかった。
──ちょっと舐めすぎてたな……。
良がいつも弱いところを見せてくれるから、繊細でか弱い生き物のように誤解しかけていたことに気付いて、裕司は反省する。過酷な環境をくぐり抜けるだけの強さが彼にはあって、裕司の前で弱さを見せてくれるのは、彼がそれだけ気を許してくれているというだけのことであるのを、忘れてしまいそうになっていた。
家の中で孤立しても絶望せず、危険から自力で逃げ出したことは彼の強さの証明であり、彼の傷や疲弊は必ずしも彼の弱さのせいではない。
年齢とは不釣り合いなほど成熟した精神を持っていて、裕司と対等になって向かい合えるからこそ、こうして共に暮らしているのだということを見失いかけていた己がいかにも愚かしかった。
「……なんかお前の方が保護者みたいだなぁ」
呟くと、良は怪訝そうに首を傾けた。
「俺が遊びに行くのの付き添いみたいなもんだろ」
自嘲気味に笑ってみせると、良は口を曲げて裕司の腕を突いてきた。
「あんたはそれぐらいの気軽さかもしんないけど、俺牧さんとご飯食べるのほんと緊張してるんだからね。あんたが決めたんだからちょっとはフォローしてよ」
厳しい顔をして堂々と頼ってくる良はいっそしたたかに思えて、わかってるよ、と裕司は応える。
良は裕司がいないと何もできないような無力さにはきっと程遠くて、自ら裕司といる生き方を選んでくれたに過ぎないのだ。
それはとても幸運で光栄なことだと心から思えて、彼にふさわしい人間になりたいと初めて強く意識した。
良と出かけるのはそれが近所のスーパーでも、泊まりがけの旅行でも、いつだって楽しかったけれど、こんなふうに見た目を気にしてそわそわとしている彼を見ることはめったになかった。いちいち身嗜みを整えて会う関係ではないということを不満には思っていないはずだったのに、いざ良が髪や服を気にしている姿を見ると彼の魅力が際立つのが嬉しかったし、もっと見てみたいとも思ってしまう。
──どんどん贅沢になるなぁ。
彼がそばにいて心と身体を許してくれるだけで、充分すぎるほどの幸せを感じるのに、それで欲が消えるわけではないのだということが、いかにも己の度し難さを感じさせた。
そんな裕司の心情を知る由もない良は、真新しい半袖の襟を気にしながら言った。
「首焼けそう。帰りはちょっとは涼しいのかな」
うなじにかかっていた髪がなくなった分、日射しがこたえるのだろうと思って裕司は笑う。
「どうかな。ゆうべも暑かったしなぁ」
「あんたは今日中には帰らない感じ?」
平然と訊かれて、裕司は戸惑う。これまで良を一人にして外泊したことなどないのに、さっぱり気にしていない様子だった。
「いやいや……一応電車で帰るつもりなんだぞ?」
「でも終電逃すかもみたいなこと言ってなかった?」
「それはそういうのもあり得るってだけで……」
良は真顔で、じいと裕司を見つめて、ごく真面目な声を出した。
「あんたいっつも俺のこと気にしてるからさ、たまには普通に遊んだ方がいいよ」
どう考えても言う立場が逆だ、と思ったが、理性がこれはよい変化なのだと囁いてきた。目に見えて、触れるところに裕司がいないと心の安定が保てないのは、良の精神が自立から程遠い状態だった証拠だ。
それを頭ではわかっているのに、まるで親離れされてしまったような寂しさが胸から剥がれなかった。仮に本当の親子だったとしても、良はもう親元を離れておかしくない歳だというのに、裕司はもっと自分に甘えて執着してほしいという己の気持ちを無視できなかった。もっと寂しがってほしいと願っている自分がいて、我ながら情けなくて良にはとても見せられないと思う。
「……帰りは一人で大丈夫なんだよな?」
往生際の悪さが声に出ていないことを祈りつつ言うと、良は頷きながらこう答えた。
「鍵ちゃんと持ったし何かあったら連絡するから、心配しなくていいよ。気になるなら一緒に帰ってもいいけど」
その妥協案は想定外で、裕司は思わず目を丸くする。それを見て良は不思議そうな顔をした。
「どっか遅くまでやってるとこあるでしょ、ファミレスとか。終電くらいまでなら待ってるよ」
「いやでも……暇だろ、一人じゃ」
「適当に本でも買って読んどくし」
そんなことは苦にならない、といった口ぶりだった。正直良の申し出は有り難くて、飛びついてしまいたかったが、そうしてもいいものか判断に迷う。
「あんたが時間までに来なかったら勝手に帰るから、別に気にしなくていいよ。家着いてから連絡すればあんたも心配しなくて済むでしょ?」
良の気の回りように、裕司は舌を巻く。考えてみれば、良は何ヶ月も保護者のいない状態で居場所を転々としていたのだ。それに比べれば帰る家があり、当座の金の心配もなく、いざとなれば裕司を頼ることのできる現状で、一晩程度の時間を潰すことなどどうということもないに違いなかった。
──ちょっと舐めすぎてたな……。
良がいつも弱いところを見せてくれるから、繊細でか弱い生き物のように誤解しかけていたことに気付いて、裕司は反省する。過酷な環境をくぐり抜けるだけの強さが彼にはあって、裕司の前で弱さを見せてくれるのは、彼がそれだけ気を許してくれているというだけのことであるのを、忘れてしまいそうになっていた。
家の中で孤立しても絶望せず、危険から自力で逃げ出したことは彼の強さの証明であり、彼の傷や疲弊は必ずしも彼の弱さのせいではない。
年齢とは不釣り合いなほど成熟した精神を持っていて、裕司と対等になって向かい合えるからこそ、こうして共に暮らしているのだということを見失いかけていた己がいかにも愚かしかった。
「……なんかお前の方が保護者みたいだなぁ」
呟くと、良は怪訝そうに首を傾けた。
「俺が遊びに行くのの付き添いみたいなもんだろ」
自嘲気味に笑ってみせると、良は口を曲げて裕司の腕を突いてきた。
「あんたはそれぐらいの気軽さかもしんないけど、俺牧さんとご飯食べるのほんと緊張してるんだからね。あんたが決めたんだからちょっとはフォローしてよ」
厳しい顔をして堂々と頼ってくる良はいっそしたたかに思えて、わかってるよ、と裕司は応える。
良は裕司がいないと何もできないような無力さにはきっと程遠くて、自ら裕司といる生き方を選んでくれたに過ぎないのだ。
それはとても幸運で光栄なことだと心から思えて、彼にふさわしい人間になりたいと初めて強く意識した。
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