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不意の褒め言葉に裕司は一瞬何の話をしていたのか忘れてしまって、おそらく間の抜けた顔で良を見返してから我に返った。
「そりゃ……どーも」
冗談にしてしまいたかったが、うまい文句も思い付かず、結局そんな愛想のないことを言った。
良はよく裕司を優しいであるとか大人であるとか頼もしいといったことを言ってくれたが、世辞で持ち上げるようなことはしなかった。良くも悪くも嘘のつけないところが好きだったし、だからこそ放っておけなかった。
「……もしかして照れてんの?」
そういうことは見て見ぬふりをしてほしい、と思ったが、良の温かい手が裕司の手を握ってきて、無視するわけにもいかなくなる。
「くそ……お前、俺がせっかく真面目にだな……」
渋面を作る裕司に、良は子猫のような目を向けていて、どうしてそんな目ができるんだ、と裕司は内心で呻く。
「……何か、大事な話がしたかったんじゃねえのかよ」
大人の余裕も何もない、と諦めた気持ちで言うと、良はぱちぱちと瞬いて、目線を外した。
「大事っていうか……」
「……うん」
「やっぱり、俺はよくわかんないから、あんたはどう思うんだろうって、聞いてみたかったんだけど……」
「けど?」
良は唇を結んで、おずおずと裕司を見上げてくる。何をそんなに恐れることがあるのだろう、と思ったが、おそらくは裕司の知らない傷の痛みをこらえているに違いなかった。
「……その、俺、やっぱり働いてみたいなぁって思って……」
裕司は黙って頷きながら、良の手を握り返す。
「それで、その、働いてみてから、もっと先のことを考えたいんだけど……そういうのってどうなのかな……」
裕司は瞬き、目を泳がせる良の顔を見つめた。まるで叱られるのをわかっている子どものような顔をしている、と思う。
何もかもに自信が持てなくて、自分には何の決定権もないのだと思い込んでいる。そんな気がした。
「……働くっていうのは、バイトとかしてみたいってことか?」
小動物を脅かさないように気を配るような気持ちで言うと、良は裕司を見ずに小さく頷く。その仕草のすべてから不安がにじみ出ていた。
「……それは、何にも悪くないだろう。なんで働きたいと思ったのか、訊いてもいいか?」
そう問いかけると、良はやっと裕司を見て、躊躇いながら口を開いた。
「……俺、今あんた以外の人と話すこととかないし、その、バイトとかしたら、もっと色んな大人の意見聞けるかなって思って……あの、あんたのこと信用してないとか、そういうのじゃなくて」
弁明しようとする良に笑って、裕司は手を伸ばして良の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「わかってるよ。ちゃんと考えてくれたんだろ。聞かせてくれ」
良は戸惑った目で裕司を見返し、そしてどこかはにかみながら再び口を開いた。
「……俺、自分が何したいとかわかってないし、考えてもわかんないから、なんかやってみたらわかるかもって思って……そんな理由で働いていいのかどうかわかんないけど……」
また機嫌を窺うように見上げてくる良に裕司は微笑む。笑ってやれば励まされたように不器用な言葉を懸命に紡いでくれるのが愛しかった。
「……あと、単純に、やっぱり自分で使うお金は、自分で稼ぎたいって思って……。あんたの世話になりたくないとかじゃなくて、その……」
「何にも気にせずに使える金がほしいよな?」
言葉を足してみると、良は素直に頷いた。とても健全な感覚を持って、彼なりにとても真面目に考えてくれたのだろうと感じて、裕司はそれに報いる言葉を探す。
「……うん、いや、何も文句つけるところなんかねえよ。俺も、お前がもっと俺以外の色んな人間と関わるべきだと思うし、自分の向き不向きとか、やってみねえとわかんねえこと多いもんな」
良は、ほっとしたように表情の強張りを解いて、改めて裕司の手を握ってきた。
「……ごめん、なんか、いっぱい気ぃ遣わせて……」
「ええ? 何に謝んだよ」
「だって、あんたが俺のこと傷付けないように色々考えてくれてんのわかるよ。俺が不安にならないようにいっつも考えてくれてる……」
切なそうな目をしてそんなことを言われて、裕司は胸に苦くも甘いものが満ちるのを感じる。彼は優しくて、真っ直ぐで、そしてとても美しかった。
「……良」
その頬に手を添えると、黒く濡れた瞳が裕司を見る。まるで汚れたことのないように見えるその瞳に、これまで何が映り込んできたのか裕司は知らない。
「お前が、たぶんこれまで色んなことがあって、自信が持てないのは何となくわかるけど、お前はお前のやりたいことをやっていいんだし、それで失敗してもいいんだぞ。お前が挑戦して、うまくいかなくても俺はお前を責めたりしないし、うまくいったら一緒に喜ぶよ。……そんなふうにやってみないか」
良は黒い瞳を深くして、悲しみにも似たものをにじませた。そっと頬を撫でると、目を伏せて裕司の手に甘えるような仕草をする。
「……あんたは、俺の知らないことばっかり言うから、俺、頭がひとつじゃ足りない気がする……」
裕司は少し笑う。ごめんな、と言うと、良は微笑んで、いいよ、と応えた。
「そりゃ……どーも」
冗談にしてしまいたかったが、うまい文句も思い付かず、結局そんな愛想のないことを言った。
良はよく裕司を優しいであるとか大人であるとか頼もしいといったことを言ってくれたが、世辞で持ち上げるようなことはしなかった。良くも悪くも嘘のつけないところが好きだったし、だからこそ放っておけなかった。
「……もしかして照れてんの?」
そういうことは見て見ぬふりをしてほしい、と思ったが、良の温かい手が裕司の手を握ってきて、無視するわけにもいかなくなる。
「くそ……お前、俺がせっかく真面目にだな……」
渋面を作る裕司に、良は子猫のような目を向けていて、どうしてそんな目ができるんだ、と裕司は内心で呻く。
「……何か、大事な話がしたかったんじゃねえのかよ」
大人の余裕も何もない、と諦めた気持ちで言うと、良はぱちぱちと瞬いて、目線を外した。
「大事っていうか……」
「……うん」
「やっぱり、俺はよくわかんないから、あんたはどう思うんだろうって、聞いてみたかったんだけど……」
「けど?」
良は唇を結んで、おずおずと裕司を見上げてくる。何をそんなに恐れることがあるのだろう、と思ったが、おそらくは裕司の知らない傷の痛みをこらえているに違いなかった。
「……その、俺、やっぱり働いてみたいなぁって思って……」
裕司は黙って頷きながら、良の手を握り返す。
「それで、その、働いてみてから、もっと先のことを考えたいんだけど……そういうのってどうなのかな……」
裕司は瞬き、目を泳がせる良の顔を見つめた。まるで叱られるのをわかっている子どものような顔をしている、と思う。
何もかもに自信が持てなくて、自分には何の決定権もないのだと思い込んでいる。そんな気がした。
「……働くっていうのは、バイトとかしてみたいってことか?」
小動物を脅かさないように気を配るような気持ちで言うと、良は裕司を見ずに小さく頷く。その仕草のすべてから不安がにじみ出ていた。
「……それは、何にも悪くないだろう。なんで働きたいと思ったのか、訊いてもいいか?」
そう問いかけると、良はやっと裕司を見て、躊躇いながら口を開いた。
「……俺、今あんた以外の人と話すこととかないし、その、バイトとかしたら、もっと色んな大人の意見聞けるかなって思って……あの、あんたのこと信用してないとか、そういうのじゃなくて」
弁明しようとする良に笑って、裕司は手を伸ばして良の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「わかってるよ。ちゃんと考えてくれたんだろ。聞かせてくれ」
良は戸惑った目で裕司を見返し、そしてどこかはにかみながら再び口を開いた。
「……俺、自分が何したいとかわかってないし、考えてもわかんないから、なんかやってみたらわかるかもって思って……そんな理由で働いていいのかどうかわかんないけど……」
また機嫌を窺うように見上げてくる良に裕司は微笑む。笑ってやれば励まされたように不器用な言葉を懸命に紡いでくれるのが愛しかった。
「……あと、単純に、やっぱり自分で使うお金は、自分で稼ぎたいって思って……。あんたの世話になりたくないとかじゃなくて、その……」
「何にも気にせずに使える金がほしいよな?」
言葉を足してみると、良は素直に頷いた。とても健全な感覚を持って、彼なりにとても真面目に考えてくれたのだろうと感じて、裕司はそれに報いる言葉を探す。
「……うん、いや、何も文句つけるところなんかねえよ。俺も、お前がもっと俺以外の色んな人間と関わるべきだと思うし、自分の向き不向きとか、やってみねえとわかんねえこと多いもんな」
良は、ほっとしたように表情の強張りを解いて、改めて裕司の手を握ってきた。
「……ごめん、なんか、いっぱい気ぃ遣わせて……」
「ええ? 何に謝んだよ」
「だって、あんたが俺のこと傷付けないように色々考えてくれてんのわかるよ。俺が不安にならないようにいっつも考えてくれてる……」
切なそうな目をしてそんなことを言われて、裕司は胸に苦くも甘いものが満ちるのを感じる。彼は優しくて、真っ直ぐで、そしてとても美しかった。
「……良」
その頬に手を添えると、黒く濡れた瞳が裕司を見る。まるで汚れたことのないように見えるその瞳に、これまで何が映り込んできたのか裕司は知らない。
「お前が、たぶんこれまで色んなことがあって、自信が持てないのは何となくわかるけど、お前はお前のやりたいことをやっていいんだし、それで失敗してもいいんだぞ。お前が挑戦して、うまくいかなくても俺はお前を責めたりしないし、うまくいったら一緒に喜ぶよ。……そんなふうにやってみないか」
良は黒い瞳を深くして、悲しみにも似たものをにじませた。そっと頬を撫でると、目を伏せて裕司の手に甘えるような仕草をする。
「……あんたは、俺の知らないことばっかり言うから、俺、頭がひとつじゃ足りない気がする……」
裕司は少し笑う。ごめんな、と言うと、良は微笑んで、いいよ、と応えた。
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