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「ねえ、キュウリ安いんだけど、浅漬け作ったら食べる?」
スーパーの青果売り場で良にそう訊かれて、裕司は緩みそうになった顔を取り繕いながら答えた。
「おう。そんじゃ酒も買ってくかな」
「……俺飲めないんだから知らないよ」
良はしょっぱい顔をしながら、売り場のビニール袋にキュウリを詰める。こんな色気も何もない、所帯じみた時間を良がともに過ごしてくれることが嬉しかった。
最近では裕司の仕事が忙しいとき、良は勝手に買い出しに行ってくれるし、そうでないときは裕司が同行することを喜んでくれている様子だった。そういうことの何もかもが有り難くて愛しいと思う。
裕司はもともと一人暮らしだったから、家事も一人でやっていた。良にはその分担を義務づけるようなことは言っていないつもりだったが、現状仕事も何もしていない彼は家事ぐらいやらなければ立つ瀬がないと思っている様子だった。もう少し肩の力を抜けばいいのに、と思うけれど、あれこれと手伝ってくれるのは実際助かったし頼もしかった。まるで働き者の嫁でももらったかのようだ、という感想が時折口からこぼれそうになるのを、かろうじて飲み込むことをもう幾度も繰り返していた。
「あんたって何でも食べるよね。献立考えるの楽でいいけど」
人を悪食みたいに言うんじゃない、と思いつつ、悪気がないのもわかっていて、裕司は口には出さなかった。口下手なことは良自身自覚していることだ。
「あー、親の躾のせいだな。好き嫌いすると食べ物に謝れってうるさかったから……」
「へえ……」
「おかげで嫌いなものでも食えるようになったから、仕事の付き合いとかで飲み食いするときは助かったかもな。ガキの頃はすげー嫌だったけど」
ふうん、と良は小さく呟いて、しばらく黙った後にまた口を開いた。
「なんか、あんたの両親って、ちゃんとしてそうだね」
そう言う良の目の色が深くて、親の話はよくなかっただろうか、と思いつつ裕司は答えた。
「いやぁ、田舎もんだからなぁ。話が噛み合わないときもあるし、そんな自慢できるもんでもねえよ。でも、まあ、丈夫に産んでくれて、兄弟全員ちゃんと育ててくれたんだから、有り難いよな」
良の目許が柔らかくなって、裕司はほっとする。それと同時に、良が人の境遇を妬まないことに少しばかり切なさを覚えた。
「あんたって俺の前だと大人って感じだけど、家族の前でどんななのかすごい気になる。お姉さんいるんだよね」
「あと弟な」
「兄弟喧嘩とかした?」
「したした。姉貴は暴君だし弟はわがままだし、そんで親はやっぱり娘と末っ子に甘いんだよな。だから結局俺が叱られんだよ」
裕司の言葉に、ふふ、と良は小さく笑った。一人っ子の良にとって、姉弟の話はささやかなことでも新鮮に感じられるらしかった。
二人で持てるだけの買い物をして、まだ高い太陽の日射しを避けながら家路につくと、良は突然こんなことを言った。
「あんたが実家にいた頃って、俺まだ生まれてないんだよね。なんかすごい変な感じ」
あまり直視したくない話題を出してきたなと思いつつ、避けるのも格好悪く思えて裕司は苦笑した。
「俺だってお前がちょっと前まで赤ん坊だったなんて信じらんねえよ」
「それちょっと前じゃなくない?」
「だって俺が社会人になりたてでもまだ幼稚園だろ? 最近だよ最近」
「あんたの最近の感覚どうなってんの」
良は呆れたように言って、小さなため息をこぼした。
「俺だってあんたの若い頃見たかったのに、なんかずるい」
「お前がもっと早く生まれてきてたら見れたかもなぁ」
無茶言わないでよ、と言って、良はあからさまに不服そうな顔をした。
拗ねさせてしまったか、と思いながら横顔を窺っていると、良はしばらくしてぽつりと尋ねてきた。
「……あんたは昔の俺には興味ないの」
機嫌を損ねたのかと思っていたのに、何だか可愛いことを言い出したな、と思って、裕司は笑いたくなるのをこらえる。良の目は真面目な色をして、裕司をじっと見つめていた。
「小学生とか、中学生の頃のお前か?」
「そう」
ううん、と裕司は首を捻って、荷物を持ち直した。
「すげー可愛かったんだろうなぁって思うけど、お前の話聞いてると可哀想になるからなぁ。目の前にいたらやりきれなかったんじゃないかと思うよ」
「……」
「俺が助けてやれたらよかったのに、って思うけど、実際よその家の子どもに何してやれるのかって考えると何ができんのかわかんねえし……、正直、今会えたのが正解なんじゃないかって思わなくもないんだよな」
冷たい言い方だと思われていないだろうかと、いくらか不安になりながら良を見ると、良は静かな目で裕司を見つめていて、そして小さくこくりと頷く仕草を見せた。
「……そうだね。そうかも」
そう呟いた良の表情に陰はなくて、裕司はこの若く聡い恋人を抱き締めてやりたいと思う。けれどここは往来で、両手は荷物で塞がっていて、歯痒くなってあえて冗談めかして言った。
「それに、あんまりガキの頃から見てたらそれこそ抱く気も起こらなかっただろうしな」
良は目を丸くして、それはやだ、と声を上げた。
「俺のこといかがわしい目で見ないあんたなんてつまんないよ」
「ばっ……!」
よりにもよって何て言い方をするんだ、と、さすがに叱ろうとした裕司の顔色を読んだらしい良は、おかしそうに笑いながら何歩も先に駆けていってしまった。
ああ、彼はやはりまだ十代の青年なのだ、と思えて、裕司は叱るのは諦めてそのすらりと長い影に笑った。
スーパーの青果売り場で良にそう訊かれて、裕司は緩みそうになった顔を取り繕いながら答えた。
「おう。そんじゃ酒も買ってくかな」
「……俺飲めないんだから知らないよ」
良はしょっぱい顔をしながら、売り場のビニール袋にキュウリを詰める。こんな色気も何もない、所帯じみた時間を良がともに過ごしてくれることが嬉しかった。
最近では裕司の仕事が忙しいとき、良は勝手に買い出しに行ってくれるし、そうでないときは裕司が同行することを喜んでくれている様子だった。そういうことの何もかもが有り難くて愛しいと思う。
裕司はもともと一人暮らしだったから、家事も一人でやっていた。良にはその分担を義務づけるようなことは言っていないつもりだったが、現状仕事も何もしていない彼は家事ぐらいやらなければ立つ瀬がないと思っている様子だった。もう少し肩の力を抜けばいいのに、と思うけれど、あれこれと手伝ってくれるのは実際助かったし頼もしかった。まるで働き者の嫁でももらったかのようだ、という感想が時折口からこぼれそうになるのを、かろうじて飲み込むことをもう幾度も繰り返していた。
「あんたって何でも食べるよね。献立考えるの楽でいいけど」
人を悪食みたいに言うんじゃない、と思いつつ、悪気がないのもわかっていて、裕司は口には出さなかった。口下手なことは良自身自覚していることだ。
「あー、親の躾のせいだな。好き嫌いすると食べ物に謝れってうるさかったから……」
「へえ……」
「おかげで嫌いなものでも食えるようになったから、仕事の付き合いとかで飲み食いするときは助かったかもな。ガキの頃はすげー嫌だったけど」
ふうん、と良は小さく呟いて、しばらく黙った後にまた口を開いた。
「なんか、あんたの両親って、ちゃんとしてそうだね」
そう言う良の目の色が深くて、親の話はよくなかっただろうか、と思いつつ裕司は答えた。
「いやぁ、田舎もんだからなぁ。話が噛み合わないときもあるし、そんな自慢できるもんでもねえよ。でも、まあ、丈夫に産んでくれて、兄弟全員ちゃんと育ててくれたんだから、有り難いよな」
良の目許が柔らかくなって、裕司はほっとする。それと同時に、良が人の境遇を妬まないことに少しばかり切なさを覚えた。
「あんたって俺の前だと大人って感じだけど、家族の前でどんななのかすごい気になる。お姉さんいるんだよね」
「あと弟な」
「兄弟喧嘩とかした?」
「したした。姉貴は暴君だし弟はわがままだし、そんで親はやっぱり娘と末っ子に甘いんだよな。だから結局俺が叱られんだよ」
裕司の言葉に、ふふ、と良は小さく笑った。一人っ子の良にとって、姉弟の話はささやかなことでも新鮮に感じられるらしかった。
二人で持てるだけの買い物をして、まだ高い太陽の日射しを避けながら家路につくと、良は突然こんなことを言った。
「あんたが実家にいた頃って、俺まだ生まれてないんだよね。なんかすごい変な感じ」
あまり直視したくない話題を出してきたなと思いつつ、避けるのも格好悪く思えて裕司は苦笑した。
「俺だってお前がちょっと前まで赤ん坊だったなんて信じらんねえよ」
「それちょっと前じゃなくない?」
「だって俺が社会人になりたてでもまだ幼稚園だろ? 最近だよ最近」
「あんたの最近の感覚どうなってんの」
良は呆れたように言って、小さなため息をこぼした。
「俺だってあんたの若い頃見たかったのに、なんかずるい」
「お前がもっと早く生まれてきてたら見れたかもなぁ」
無茶言わないでよ、と言って、良はあからさまに不服そうな顔をした。
拗ねさせてしまったか、と思いながら横顔を窺っていると、良はしばらくしてぽつりと尋ねてきた。
「……あんたは昔の俺には興味ないの」
機嫌を損ねたのかと思っていたのに、何だか可愛いことを言い出したな、と思って、裕司は笑いたくなるのをこらえる。良の目は真面目な色をして、裕司をじっと見つめていた。
「小学生とか、中学生の頃のお前か?」
「そう」
ううん、と裕司は首を捻って、荷物を持ち直した。
「すげー可愛かったんだろうなぁって思うけど、お前の話聞いてると可哀想になるからなぁ。目の前にいたらやりきれなかったんじゃないかと思うよ」
「……」
「俺が助けてやれたらよかったのに、って思うけど、実際よその家の子どもに何してやれるのかって考えると何ができんのかわかんねえし……、正直、今会えたのが正解なんじゃないかって思わなくもないんだよな」
冷たい言い方だと思われていないだろうかと、いくらか不安になりながら良を見ると、良は静かな目で裕司を見つめていて、そして小さくこくりと頷く仕草を見せた。
「……そうだね。そうかも」
そう呟いた良の表情に陰はなくて、裕司はこの若く聡い恋人を抱き締めてやりたいと思う。けれどここは往来で、両手は荷物で塞がっていて、歯痒くなってあえて冗談めかして言った。
「それに、あんまりガキの頃から見てたらそれこそ抱く気も起こらなかっただろうしな」
良は目を丸くして、それはやだ、と声を上げた。
「俺のこといかがわしい目で見ないあんたなんてつまんないよ」
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よりにもよって何て言い方をするんだ、と、さすがに叱ろうとした裕司の顔色を読んだらしい良は、おかしそうに笑いながら何歩も先に駆けていってしまった。
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