少年が気持ちよくなる方法

三木

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 飯の前に風呂に入ろうかな、と裕司が言うと、良は不満そうな声を上げた。
「温泉宿に来て風呂に入っちゃいけねえのかよ」
 いったい何が不満なのかと思って言うと、良は唇を尖らせて言った。
「だって一緒に入りたいって言ったら、あんた絶対イヤがるでしょ」
 勘が良くなってきたな、と思って、裕司は言葉に詰まる。良と二人で入浴することに何ら文句はなかったが、その代わり理性が持つ保証も自信もなかった。夕食前のこのタイミングで、そんなリスクは避けたいというのが本音で、良の読みは実に的確だった。
「…………すまん」
 言い訳のしようもなくて、ただ謝ると、良は何を思ったか風呂場に向かって戸を開けて、露天風呂をしげしげと眺めた。
「何だよ?」
 さっきはこの露天風呂を見て怯えていたくせにと思いつつ声をかけると、良は裕司を振り向いて言った。
「やっぱりここから山の夕焼け見えるじゃん。俺も見たい」
 良の主張はあまりにも真っ当で、無下にできずに、裕司は頭を掻く。
「じゃあどうする? お前先に入るか?」
「……俺別にお湯に浸かりたいわけじゃないし……、……端っこで足湯してたらだめ?」
 食い下がられて、裕司はもう笑うしかなかった。
「いいよ、好きにしろ」
 そう言ってやると、良は嬉しそうに目で笑った。お気に召したらしいと思いながら、彼の何を言い出すかわからないところがとても魅力的だと感じている自分がいた。
 歳のわりにおとなしくて静かなことが常態のくせに、一度興味を持ったり好奇心を抱いたりすると、裕司の予想できない言動をして驚かせてくれる。以前に比べれば別人のように豊かになった感情表現がそれに彩りを添えているようで、いくら見ていても飽きなかった。
 良はさっそく裸足になって、膝までズボンをまくり上げる。もう裕司など目にも入っていない様子で、裕司が服を脱ぎ始めた頃には、良は洗い場から一番遠い浴槽の端に腰を下ろしていた。
 裕司が洗い場で湯を使い始めると、パシャパシャと湯を蹴る音とともに良の声がした。
「背中流してあげようか?」
 そういう発想もちゃんとあったのか、と思って笑ってしまいそうになりながら、裕司は言った。
「今はいいよ。こそばゆい」
「何、こそばゆいって」
「どんな顔していいかわかんねえよ」
 くすりと笑った気配がして、振り向くと、そのときには良はもう夕暮れの景色を見つめていた。空が幾重にも帯を流したように複雑に色を変えつつあって、西日に照らされた山の色彩と相まって、良の目を奪っているに違いなかった。
 少しばかり熱い湯は、涼やかな風の中ではちょうどよいと思われて、裕司が湯船に身を浸すと、良のささやかな笑い声がした。
「何だよ?」
「なんでもないよ」
「どうせオッサンくさいとか思ったんだろう」
「俺がせっかく気を遣って言わなかったのに、なんでわざわざ言っちゃうのさ」
「そういう笑い方だったろうが」
 そう言いながら、裕司は自然と笑っていた。久々の温泉は気持ちがよかったし、はるか遠くまで見渡せる景色は壮観で、そしてそれに見入っている良がいる。とても贅沢な時間だと思った。
「……すごい不思議な感じする」
 良が呟いて、裕司はその横顔を見た。
「俺、ついこないだまであんたのことなんか知らないで、人んちの部屋の端っこで寝て起きて……よくわかんない生活してたのに、今こんなとこでこんな綺麗なもの見てるの、違う世界に来たみたい……」
 夢を見るような目をして、夢の話をするような声で語る良を眺めて、裕司は良に向かってわざと湯の飛沫を飛ばした。
「っちょ、何すんの」
 顔をしかめてこちらを向いた良に笑って、裕司は言った。
「今はこっちが現実だよ。お前が色々損してきた分の、ささやかな埋め合わせだな」
 良はぱちぱちと瞬いて、何だか切なそうな笑みを見せた。
「こんなすごいの、ささやかなんて言ったらバチが当たらない?」
「すごいって思うなら、ちゃんと楽しまないとそれこそバチが当たるぞ?」
 言葉を交わす間にも、空の色は刻々と変わり、山の色彩の端々に墨が滲み出したような陰が生まれつつあった。
「お前が知ってる世界も現実だけど、ここだってそうだよ。お前が生まれるずーっと前からあったんだぜ? お前が思ってるより、世界はずっと広いし、綺麗だし、どこだって行けるんだよ」

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