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はたして当日の朝になると、良は初めて裕司が揺り起こす前に目を覚ました。まだしばらく寝てても大丈夫だぞ、と言うと、良は、
「いくら俺でも無理」
と言って、朝からさっそく裕司を笑わせたし、朝から膨れ面になった。
二人で一緒に作る朝食は初めてで、良は眠気は飛んでいても頭はまだ目覚め切っていなかったようで、卵を割るのに盛大に失敗して自分で驚いていたし、裕司はそれを見てまた笑ってしまった。
出発前からこんなに楽しい旅行は記憶になくて、さらには天気予報も良好だった。
良は家を出た後に眠くなることを心配していて、裕司が電車で寝ればいいじゃないかと言うと、もったいないから嫌だと言われた。これは帰りの車内で爆睡するコースかなと思いながら、良の面倒を見るのも今では楽しみの一つに思えていた。
裕司は宿や料理がどうであるかよりも、良が何を見てどんな顔をして何を言うのかが楽しみだったし、良にとってこの旅は初めての海外旅行にも等しい不安と高揚があるらしかった。
電車を乗り継いで2時間半、そして送迎バスで30分弱という、本当にささやかな小旅行だったが、良の様子を見ていると、まさに一大イベントであるような気がしていた。
「頼むから忘れ物とかしないでよね」
裕司が鞄の中にタブレットや充電器を詰めているのを見て、良は至極真剣な声で言ってきた。良は貴重品と言えるほどの物もなく、本当に着替え程度の荷物しか持っていなかったので、当然ながら必需品の類はすべて裕司の管轄だった。
「大丈夫だよ。最悪金さえあれば何とかなんだから」
「えぇ……」
「むしろ旅先ではぐれる方が怖いぞ。宿と俺の番号なくすなよ」
「あんたの番号は覚えたから大丈夫」
まじか、と、裕司は良の顔を見つめてしまった。確かに昔は大事な電話番号は覚えるのが当たり前だったが、携帯電話が普及してからはすっかり内蔵の電話帳に頼るようになってしまって、今では実家の電話番号もうろ覚えだ。
──もしかしなくてもこいつ頭いいよな?
高校を卒業する機会こそ逃しているが、良と話していると年相応以上の教養を感じることがあったし、物の考え方も筋道が通っていた。そう考えると、彼の置かれていた環境はあまりにももったいないと感じずにはいられなかった。
これからそんなことを話す機会もあるだろうと、自分の気持ちを宥めて、裕司は鞄の口を閉じる。
そして戸締まりを確認して、二人して午前中の明るい日射しの中に出た。良とこんな時間に外に出たのは初めてで、それだけでもう景色が新鮮に見えるのだから安上がりだ、と裕司は思う。
かつて日射しの下で見た彼の顔色を青白いように感じたが、今日はそうは思わなかった。日焼けしていなくて肌の白いのは確かだったが、そこには充分に若者らしい瑞々しさがあった。
そしてそれは、多分に彼の様子の違いのせいかもしれなかった。淡々と無表情で静かなのが彼の常だったが、今の彼は明らかに楽しいことが待っているのだという顔をしていた。そわそわと落ち着かないところがあって、ちらちらと裕司の顔を見てくる仕草などは、まるで大好きな散歩に連れ出された犬のようだった。
「昼飯どうするかな。駅弁でも買うか?」
駅までの道中で裕司が言うと、良は何を訊かれたのかわからないという顔をした。
「……もしかして駅弁知らねえのか」
「知らない。何それ」
「……要するに駅で売ってる弁当だな」
ふうん? と良は、まだよくわかっていないような声で言った。
「美味しいの? それ」
「色々あるから一概に言えねえけど……ご当地グルメみたいになってるところもあるな。別に駅弁じゃなくてもいいけど、電車の中で食った方が早く着くかなって」
「電車で弁当食べるっていうのがピンとこないんだけど」
「新幹線とか乗ったことないか?」
「……あるけどあんまり覚えてないよ」
本当に遠出する機会がなかったんだな、と思って、それなのにこんな知らない土地まで来てしまって、もしかすると裕司が思っていたより彼の不安は深かったのではないだろうかと今さらのように思った。
「……なんか俺の知らないことばっかりだね」
良がぽつりと呟いて、気分を盛り下げてしまっただろうかと裕司が心配しかけた直後、彼は目を細めて笑って言った。
「あんたといると、初めてのことばっかりでほんと面白いよ」
「いくら俺でも無理」
と言って、朝からさっそく裕司を笑わせたし、朝から膨れ面になった。
二人で一緒に作る朝食は初めてで、良は眠気は飛んでいても頭はまだ目覚め切っていなかったようで、卵を割るのに盛大に失敗して自分で驚いていたし、裕司はそれを見てまた笑ってしまった。
出発前からこんなに楽しい旅行は記憶になくて、さらには天気予報も良好だった。
良は家を出た後に眠くなることを心配していて、裕司が電車で寝ればいいじゃないかと言うと、もったいないから嫌だと言われた。これは帰りの車内で爆睡するコースかなと思いながら、良の面倒を見るのも今では楽しみの一つに思えていた。
裕司は宿や料理がどうであるかよりも、良が何を見てどんな顔をして何を言うのかが楽しみだったし、良にとってこの旅は初めての海外旅行にも等しい不安と高揚があるらしかった。
電車を乗り継いで2時間半、そして送迎バスで30分弱という、本当にささやかな小旅行だったが、良の様子を見ていると、まさに一大イベントであるような気がしていた。
「頼むから忘れ物とかしないでよね」
裕司が鞄の中にタブレットや充電器を詰めているのを見て、良は至極真剣な声で言ってきた。良は貴重品と言えるほどの物もなく、本当に着替え程度の荷物しか持っていなかったので、当然ながら必需品の類はすべて裕司の管轄だった。
「大丈夫だよ。最悪金さえあれば何とかなんだから」
「えぇ……」
「むしろ旅先ではぐれる方が怖いぞ。宿と俺の番号なくすなよ」
「あんたの番号は覚えたから大丈夫」
まじか、と、裕司は良の顔を見つめてしまった。確かに昔は大事な電話番号は覚えるのが当たり前だったが、携帯電話が普及してからはすっかり内蔵の電話帳に頼るようになってしまって、今では実家の電話番号もうろ覚えだ。
──もしかしなくてもこいつ頭いいよな?
高校を卒業する機会こそ逃しているが、良と話していると年相応以上の教養を感じることがあったし、物の考え方も筋道が通っていた。そう考えると、彼の置かれていた環境はあまりにももったいないと感じずにはいられなかった。
これからそんなことを話す機会もあるだろうと、自分の気持ちを宥めて、裕司は鞄の口を閉じる。
そして戸締まりを確認して、二人して午前中の明るい日射しの中に出た。良とこんな時間に外に出たのは初めてで、それだけでもう景色が新鮮に見えるのだから安上がりだ、と裕司は思う。
かつて日射しの下で見た彼の顔色を青白いように感じたが、今日はそうは思わなかった。日焼けしていなくて肌の白いのは確かだったが、そこには充分に若者らしい瑞々しさがあった。
そしてそれは、多分に彼の様子の違いのせいかもしれなかった。淡々と無表情で静かなのが彼の常だったが、今の彼は明らかに楽しいことが待っているのだという顔をしていた。そわそわと落ち着かないところがあって、ちらちらと裕司の顔を見てくる仕草などは、まるで大好きな散歩に連れ出された犬のようだった。
「昼飯どうするかな。駅弁でも買うか?」
駅までの道中で裕司が言うと、良は何を訊かれたのかわからないという顔をした。
「……もしかして駅弁知らねえのか」
「知らない。何それ」
「……要するに駅で売ってる弁当だな」
ふうん? と良は、まだよくわかっていないような声で言った。
「美味しいの? それ」
「色々あるから一概に言えねえけど……ご当地グルメみたいになってるところもあるな。別に駅弁じゃなくてもいいけど、電車の中で食った方が早く着くかなって」
「電車で弁当食べるっていうのがピンとこないんだけど」
「新幹線とか乗ったことないか?」
「……あるけどあんまり覚えてないよ」
本当に遠出する機会がなかったんだな、と思って、それなのにこんな知らない土地まで来てしまって、もしかすると裕司が思っていたより彼の不安は深かったのではないだろうかと今さらのように思った。
「……なんか俺の知らないことばっかりだね」
良がぽつりと呟いて、気分を盛り下げてしまっただろうかと裕司が心配しかけた直後、彼は目を細めて笑って言った。
「あんたといると、初めてのことばっかりでほんと面白いよ」
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