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良はしばらくおとなしく抱き締められていたが、やがて裕司の腕の中でもぞもぞと収まりのいい場所を探して、息をついた。
「なんで謝んの……?」
「……待たせたんだなと思ったんだよ」
良はしばらく沈黙して、裕司の肩に頭を乗せて言った。
「……けっこう早く帰ってきてくれたんだね」
「寄り道しないで帰ってきたからな」
裕司の腕をやんわりと解いて、良は裕司の顔を眺めた。
「……今日も晩御飯一緒に食べれる?」
そうだな、と言って、裕司は良の頭を抱き寄せた。なに、と言われたが返事はできなくて、胸が苦しいのをやり過ごした。
食事と入浴の時間を除いて、裕司は寝るまで仕事部屋に籠もっていた。
良はその点については何も言わず、それこそ猫のように一人で気ままに過ごしていたらしかった。
裕司がそばにいないときの良は、本を読んだり、ネットで動画を観たりしているようで、そうして過ごすことにことさらの不満はないようだった。いずれ飽きるときが来るのかもしれなかったが、今の良にとっては、好きに過ごしていて咎められることのない、安心できる空間にいるのだということが重要なように思われた。
そろそろ寝るかと思って部屋を出ると、良はリビングでテレビを観ていた。そして裕司が出てきたことに気付くと、
「もう寝る?」
と訊いてきて、裕司がうんと言うと、テレビを消してさっさと寝室に入っていった。
どう見ても裕司が寝支度をするのを待っていた態だったので、何だか本当に犬か猫にでも懐かれたような気分だった。
家主が遅れて寝室に入ると、良は何をするでもなくベッドの上で枕を抱いて寝転がっていた。その遠慮のなさと警戒心のなさに苦笑して、裕司は良の頭をぐいぐいと撫でた。
何か文句を言われるかと思ったが、良は裕司を見上げながら、ごく静かな声で言った。
「……お疲れさま」
その声は胸に沁みて、裕司はつい良の顔を見つめてしまう。ただいまと言う相手も、お疲れさまと労ってくれる者も持たない暮らしが長かった。まして、毎日ともに食卓を囲み、寝床を暖め合う感覚は久しくて、新鮮に思えるほどだった。
はじめは良を休ませて温めて守りたいと思っていたはずなのに、良が涙を見せ、話すことを怖がらなくなってから、勢い与えられるものが増えた気がした。
救われているのは自分なのではないかとすら思えて、裕司は笑う。
「おう……ありがとうな」
良も応えるようにわずかに微笑んでみせて、裕司が布団に入れるようにどいてくれた。
「……仕事、片付きそう?」
「ん? ああ、そうだな、思ったより順調かな」
自分から訊いてきたくせに、良はじっと裕司を見つめて何も言わなかった。その目が明らかに物言いたげで、裕司は布団に潜りながら言った。
「……顔に何か言いたいって書いてあるぞ」
良はぱちぱちと瞬きをして、そして裕司に手を伸ばしてきた。意図はまったくわからなかったが、裕司がその手を取ると、良は声を潜めるようにして言った。
「……あんたが仕事片付けたいのって、俺とセックスしたいから?」
裕司は瞑目する。何故彼はこういうところにはいっこうに繊細さを発揮できないのだろう、と思った。
「…………お前、ほんとに身も蓋もないな……」
「だって……急に言い出したから」
いまいち会話が噛み合ってないな、と思いながら、良の目がむやみに純粋なそれに見えて、とても複雑な気持ちだった。
「……そうと言えばそうだけどな……。……何にも気にしないで、お前のことだけ考えられる時間が欲しかったんだよ……」
言葉にすると、わがままの言い訳をしているような気がして、裕司は居心地が悪かった。
しかし良は丸い目をして、しばらく裕司を見つめた後に、はにかむように目を伏せて言った。
「…………今でも充分、俺のこと考えてくれてんのに、これ以上俺に何かしてくれんの……?」
良は嬉しいのか恥ずかしいのか、いくらか目許を染めているように見受けられた。ベッドでそういう顔はしてほしくないな、と思って、裕司はそっと目を逸らす。
良はしばらく黙っていたが、やがて裕司に向き直って言った。
「……なんか恥ずかしいし、どうでもいいなって思って言わなかったんだけど、今日、あんたがいなかった間にさ、思ったことあるんだ」
「なんで謝んの……?」
「……待たせたんだなと思ったんだよ」
良はしばらく沈黙して、裕司の肩に頭を乗せて言った。
「……けっこう早く帰ってきてくれたんだね」
「寄り道しないで帰ってきたからな」
裕司の腕をやんわりと解いて、良は裕司の顔を眺めた。
「……今日も晩御飯一緒に食べれる?」
そうだな、と言って、裕司は良の頭を抱き寄せた。なに、と言われたが返事はできなくて、胸が苦しいのをやり過ごした。
食事と入浴の時間を除いて、裕司は寝るまで仕事部屋に籠もっていた。
良はその点については何も言わず、それこそ猫のように一人で気ままに過ごしていたらしかった。
裕司がそばにいないときの良は、本を読んだり、ネットで動画を観たりしているようで、そうして過ごすことにことさらの不満はないようだった。いずれ飽きるときが来るのかもしれなかったが、今の良にとっては、好きに過ごしていて咎められることのない、安心できる空間にいるのだということが重要なように思われた。
そろそろ寝るかと思って部屋を出ると、良はリビングでテレビを観ていた。そして裕司が出てきたことに気付くと、
「もう寝る?」
と訊いてきて、裕司がうんと言うと、テレビを消してさっさと寝室に入っていった。
どう見ても裕司が寝支度をするのを待っていた態だったので、何だか本当に犬か猫にでも懐かれたような気分だった。
家主が遅れて寝室に入ると、良は何をするでもなくベッドの上で枕を抱いて寝転がっていた。その遠慮のなさと警戒心のなさに苦笑して、裕司は良の頭をぐいぐいと撫でた。
何か文句を言われるかと思ったが、良は裕司を見上げながら、ごく静かな声で言った。
「……お疲れさま」
その声は胸に沁みて、裕司はつい良の顔を見つめてしまう。ただいまと言う相手も、お疲れさまと労ってくれる者も持たない暮らしが長かった。まして、毎日ともに食卓を囲み、寝床を暖め合う感覚は久しくて、新鮮に思えるほどだった。
はじめは良を休ませて温めて守りたいと思っていたはずなのに、良が涙を見せ、話すことを怖がらなくなってから、勢い与えられるものが増えた気がした。
救われているのは自分なのではないかとすら思えて、裕司は笑う。
「おう……ありがとうな」
良も応えるようにわずかに微笑んでみせて、裕司が布団に入れるようにどいてくれた。
「……仕事、片付きそう?」
「ん? ああ、そうだな、思ったより順調かな」
自分から訊いてきたくせに、良はじっと裕司を見つめて何も言わなかった。その目が明らかに物言いたげで、裕司は布団に潜りながら言った。
「……顔に何か言いたいって書いてあるぞ」
良はぱちぱちと瞬きをして、そして裕司に手を伸ばしてきた。意図はまったくわからなかったが、裕司がその手を取ると、良は声を潜めるようにして言った。
「……あんたが仕事片付けたいのって、俺とセックスしたいから?」
裕司は瞑目する。何故彼はこういうところにはいっこうに繊細さを発揮できないのだろう、と思った。
「…………お前、ほんとに身も蓋もないな……」
「だって……急に言い出したから」
いまいち会話が噛み合ってないな、と思いながら、良の目がむやみに純粋なそれに見えて、とても複雑な気持ちだった。
「……そうと言えばそうだけどな……。……何にも気にしないで、お前のことだけ考えられる時間が欲しかったんだよ……」
言葉にすると、わがままの言い訳をしているような気がして、裕司は居心地が悪かった。
しかし良は丸い目をして、しばらく裕司を見つめた後に、はにかむように目を伏せて言った。
「…………今でも充分、俺のこと考えてくれてんのに、これ以上俺に何かしてくれんの……?」
良は嬉しいのか恥ずかしいのか、いくらか目許を染めているように見受けられた。ベッドでそういう顔はしてほしくないな、と思って、裕司はそっと目を逸らす。
良はしばらく黙っていたが、やがて裕司に向き直って言った。
「……なんか恥ずかしいし、どうでもいいなって思って言わなかったんだけど、今日、あんたがいなかった間にさ、思ったことあるんだ」
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