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「うち、父親がいなくって……俺が小学生のときに死んでてさ……母子家庭だったんだよね」
とつとつと語るその声音で、それは良の古い傷なのだと思った。もう傷口はふさがって、痛まないけれど消えることもない。そんな話し方だった。
「……ひとりっ子だったのか?」
訊くと、リョウは意外そうな顔をして、うん、と言った。その様子を見て、兄弟という発想がなかったらしかったことを察した。
裕司には姉と弟がいるから、本当に何もかも境遇が違うのだ、と思う。
「それで……中学になってから、母親に……何て言うのかな、籍は入れてないけど、夫婦みたいに暮らすの……」
「事実婚?」
「ああ、うん、たぶんそれ。そういう……人ができてさ、でもその人、俺のことスゲー毛嫌いしてて、目の敵にするみたいな、なんかそんな感じで……」
よくある話だ、と思いながら、良がその環境に置かれたことはあまりにも不遇だと思った。前夫の子だからと忌み嫌われる。そこに彼の罪は何もない。
「母親の前ではそんなに露骨なこと言わないんだけど、母親がいないときがひどくってさ……何か全部俺のせいにされるの……。最初は嫌味言われたり怒鳴られたりするだけだったけど、だんだん手が出るようになってきて……」
想像するととても聞いていられない気がして、裕司は努めて良の言葉と表情だけを追う。彼の話を咀嚼するのは後からでもいいと自分に言い聞かせた。
「……そんな、ひどい怪我とかはしたことないよ。せいぜいアザができるくらいで……でもエスカレートしてくのが怖いんだよね。俺のこと本気で嫌いなんだっていうのが、……一緒に住んでるから、余計にわかってくるっていうか……」
良は言葉を探すように首を傾けて、自分の膝を抱き寄せた。
「やばいなって思ってたけど、いっぺん首絞められるんじゃないかって思ったことがあって……実際にはされてないけど、そんな勢いだったから、怖くなってさ……。一番はそれかな、家にいられなくなったの」
身の危険を覚えたから逃げた。それはきっと彼なりの勇気だったのだろうし、耐えることに比べればはるかに賢明だったと思う。だがそれでも、裕司には呑みがたいものがあった。
「……お袋さんは……その、何か言ったりとかはなかったのか……?」
良はそこで初めて、目に悲しそうな色を浮かべた。当然ながら、母親への思慕はあるのだと思った。
「母親は……うん……俺のことが嫌いとかじゃなかったんだと思うんだけど、相談してもダメだったかな。……父親が死んでから、なんか色々余裕がなくなったっぽくて、なんだろ、現実に向き合うのがヤだったんだと思う」
現実に子どもがいるのに嫌もくそもあるか、と裕司は憤りかけたが、良の家で実際に何が起きていたのか、裕司には知る由もなかった。配偶者と死別する苦しみも、女手一つで子どもを育てる苦労も、裕司にはわからない。
わかるのはただ、そこに不幸があったということだけだ。
「……学校は……高校は行ってたのか?」
良は複雑な顔をした。切ないような、懐かしむような、そして諦めたような表情だった。
「高校は行ってたんだけど、学費……払えなくて……親が払わなかっただけなのかな……そこまでお金なかったわけじゃないと思うし……。とにかく、学費が理由で、二年の途中で辞めたんだよね」
裕司は何も言えなかった。おそらく彼には幾重にも不運と不幸が重なっていて、彼自身それらがどう絡み合って今に至るのか把握できてはいないように思われた。
「だから、……家出たのは学校辞めた後だったから、学校の友達のとこも居づらくて、それで……あちこち、色んな人のとこ行って……それは悪いことばっかじゃなかったんだけど、家に帰るってのだけは、何か……無理だったし、……無理かな、やっぱり」
良は膝を抱いて苦笑した。家を出たと言うよりも、裕司の目には親に捨てられた子どもに見えた。帰ればまた捨てられるとわかっているから帰れない。そんなふうに見えた。
裕司は良の手に触れ、ゆるく握って、言った。
「……帰れとは言わねえから、……心配すんな」
陳腐な台詞だ、と思ったが、良は目を細めた。
「……それ、あんたのこと頼ってもいいってこと?」
当たり前だ、と言いたかったが声にならなかった。だから、裕司はただ頷く。それだけで、良は穏やかに微笑んだ。
とつとつと語るその声音で、それは良の古い傷なのだと思った。もう傷口はふさがって、痛まないけれど消えることもない。そんな話し方だった。
「……ひとりっ子だったのか?」
訊くと、リョウは意外そうな顔をして、うん、と言った。その様子を見て、兄弟という発想がなかったらしかったことを察した。
裕司には姉と弟がいるから、本当に何もかも境遇が違うのだ、と思う。
「それで……中学になってから、母親に……何て言うのかな、籍は入れてないけど、夫婦みたいに暮らすの……」
「事実婚?」
「ああ、うん、たぶんそれ。そういう……人ができてさ、でもその人、俺のことスゲー毛嫌いしてて、目の敵にするみたいな、なんかそんな感じで……」
よくある話だ、と思いながら、良がその環境に置かれたことはあまりにも不遇だと思った。前夫の子だからと忌み嫌われる。そこに彼の罪は何もない。
「母親の前ではそんなに露骨なこと言わないんだけど、母親がいないときがひどくってさ……何か全部俺のせいにされるの……。最初は嫌味言われたり怒鳴られたりするだけだったけど、だんだん手が出るようになってきて……」
想像するととても聞いていられない気がして、裕司は努めて良の言葉と表情だけを追う。彼の話を咀嚼するのは後からでもいいと自分に言い聞かせた。
「……そんな、ひどい怪我とかはしたことないよ。せいぜいアザができるくらいで……でもエスカレートしてくのが怖いんだよね。俺のこと本気で嫌いなんだっていうのが、……一緒に住んでるから、余計にわかってくるっていうか……」
良は言葉を探すように首を傾けて、自分の膝を抱き寄せた。
「やばいなって思ってたけど、いっぺん首絞められるんじゃないかって思ったことがあって……実際にはされてないけど、そんな勢いだったから、怖くなってさ……。一番はそれかな、家にいられなくなったの」
身の危険を覚えたから逃げた。それはきっと彼なりの勇気だったのだろうし、耐えることに比べればはるかに賢明だったと思う。だがそれでも、裕司には呑みがたいものがあった。
「……お袋さんは……その、何か言ったりとかはなかったのか……?」
良はそこで初めて、目に悲しそうな色を浮かべた。当然ながら、母親への思慕はあるのだと思った。
「母親は……うん……俺のことが嫌いとかじゃなかったんだと思うんだけど、相談してもダメだったかな。……父親が死んでから、なんか色々余裕がなくなったっぽくて、なんだろ、現実に向き合うのがヤだったんだと思う」
現実に子どもがいるのに嫌もくそもあるか、と裕司は憤りかけたが、良の家で実際に何が起きていたのか、裕司には知る由もなかった。配偶者と死別する苦しみも、女手一つで子どもを育てる苦労も、裕司にはわからない。
わかるのはただ、そこに不幸があったということだけだ。
「……学校は……高校は行ってたのか?」
良は複雑な顔をした。切ないような、懐かしむような、そして諦めたような表情だった。
「高校は行ってたんだけど、学費……払えなくて……親が払わなかっただけなのかな……そこまでお金なかったわけじゃないと思うし……。とにかく、学費が理由で、二年の途中で辞めたんだよね」
裕司は何も言えなかった。おそらく彼には幾重にも不運と不幸が重なっていて、彼自身それらがどう絡み合って今に至るのか把握できてはいないように思われた。
「だから、……家出たのは学校辞めた後だったから、学校の友達のとこも居づらくて、それで……あちこち、色んな人のとこ行って……それは悪いことばっかじゃなかったんだけど、家に帰るってのだけは、何か……無理だったし、……無理かな、やっぱり」
良は膝を抱いて苦笑した。家を出たと言うよりも、裕司の目には親に捨てられた子どもに見えた。帰ればまた捨てられるとわかっているから帰れない。そんなふうに見えた。
裕司は良の手に触れ、ゆるく握って、言った。
「……帰れとは言わねえから、……心配すんな」
陳腐な台詞だ、と思ったが、良は目を細めた。
「……それ、あんたのこと頼ってもいいってこと?」
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