サクササー

勝瀬右近

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第1章 第17話 ハーフセノン

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「今渡した書面に各自の配置が記載されている。頭に叩き込んでおけ」
 王城内にある近衛隊の屯所は国王の居室がある階層のすぐ下で、下からくる何者もここを通らずには国王に会いに行くことが出来ない造りになっていて階層すべてを使用しているためにかなりの広さです。
 そのなかの大会議室と呼ばれる場所ではモルドの部下であるノーディ中佐が近衛隊総勢125名を前にして近々行われる予定の国王即位式の警備について説明をしています。モルドは最後列からその様子を腕組みしながら見ていました。
 そこへ。
「大佐」
 モルドが声のする方へ顔を向けるとディオモレス=ドルシェ公爵の従者が頭を下げて言いました。
「あなたの執務室でドルシェ公爵がお待ちです」
 モルドが浅く頷くと。
「カレラ様もご一緒にいらっしゃるようにと仰せです」
 カレラがそれに気がつき席を立ちました。
「ノーディあとを頼む」
「ハ」
 ノーディ中佐にあとを託したモルドは大会議室を出て、すぐ隣にあるモルドの執務室へと向かいました。
 開いたドアから中へと入ると既にいたディオモレス=ドルシェ公爵が穏やかな表情で話を始めます。
「すまないね大佐。忙しいところを」
「いえ。お気遣い恐れ入ります」
「即位の儀式の警備計画は順調かね」
「はい。問題ありません」
「ん、・・・」
 ディオモレス=ドルシェはモルドに顔を近づけると、声を一段低くします。
「ところで例の件は?」
「はい。エノレイルから返事をもらっています」
「では彼は引き受けたのだね?」
「はい」
 その返事を聞くとディオモレス=ドルシェの表情がほっとしたように緩みます。
「よかった。王妃様もお喜びだったろう。これで何とかなりそうだな。良くやってくれた。あとは任命式と、アレス様の即位の儀式が終えれば、ひと段落というところか。エノレイル殿にも荷が重いだろうが、とにかく良かった・・・・」
「公爵閣下。ひとつお尋ねしたいことが」モルドはディオモレスの顔を見ながら神妙な顔つきで言いました。
「ん・・・何だね?」
 モルドは改めて姿勢を正します。
「閣下は既に幾度か世代の交代を経験しておられますがそれを踏まえて、・・・今回のその・・・様子はいかがでしょうか」
 500年程も生きているディオモレス=ドルシェは厳しい表情のモルドを見て、その質問の意味するところを瞬時に理解し微笑むようなまなざしになるといいました。
「案ずるより産むが易しだな」
「・・・とおっしゃられますと」
「うむ・・・確かに今回は国王陛下が急逝され少なからず混乱はあった。しかし後継者については心配は無い。そして王妃様はご健在。問題は殆どないと言って良いと私は見ているよ。200年ほど前にあった後継者問題に比べれば不安材料は皆無と言っていい」
 200年前。彼はその場に居合わせたのです。
「何しろあの時はデヴォール帝国のもたらした連合騒ぎの真っ只中で、しかもそんな中で国王陛下が亡くなられてしまった」
 この歴史的事実は、書物などから得たモルドも知っていました。
「しかし亡くなられた直後に王妃様の御懐妊がわかったのだから。しかもありがたいことに男児が生まれた。・・・私もあの時は肝を冷やしたものだ。一時的とはいえ後継者問題で騒然としたからね」
「その時の後見人は王族が務められていましたね」
「うむ。亡くなられた陛下の甥御様が勤められた。それから20年後の全権限の放棄も問題無く行われている。その方の政治に対する辣腕ぶりは今でも忘れられない。現在に至るまでの王制に多くの教訓を残されるほどの実に見事な執政だった。レアン共和国との連合を提唱して実現したのもその方でね。本当に助けられた。・・・だが残念なことに王権移譲の数年後に亡くなられてしまった。私としてはもう少し若き国王陛下を助けて頂きたかったと、あの時は惜しんだものだよ」
「そうでしたか・・・」
 モルドの態度からジンワリとにじみ出るように見え隠れする心の揺らぎのようなものを感じ取ったディオモレスは、父が子に接する時に見せるような眼差しで言いました。
「モルド大佐。なにか気になる事でもあるのかね?」
 モルドは少しだけ伏せ目がちになって言いました。
「世代交代というのは私には初めてのこと。正直に申し上げればわからないことばかりです。不安もあります。もしも公爵閣下のこれまでの経験から今回の次期国王陛下の即位戴冠に至る流れの中で前例と違う点や違和感を感じる事があれば是非ともお聞かせ願いたいと思ったのです」
 彼にとって一番の気がかりは国王の死因でした。
 あまりにも突然に訪れた国主の死因が不明と言う一事が心の奥底にどんよりとした重い空気を漂わせていたのです。事故でも病でもはっきりとした形での死去であるならわだかまりなど感じることはなかっただろうに、と思うことさえありました。
 そんなモルドの胸中を知ってか知らずかディオモレスは磊落に言いました。
「鋼の異名をもつ大佐ともあろう人物でも不安を感じるか。・・・まぁ無理も無いがしかし、今も言ったように今回の世代交代に関しては問題ないと私は感じているよ。諡号の儀式が終えたら、王国はいつもどおりの王国、いや新しい王国として生まれ変わる。モルド大佐。きっと君も驚くだろう。国王が変わるということが言葉以上に劇的なのだということにね」
「諡号の儀式ですか・・・」
「ん。大佐はご存知だね?」
「識ってはいます」
「うむ。一般にも公開される即位戴冠の儀は多くの人々の注目の的だし、きらびやかな儀式だが、諡号の儀式は王族とその近縁のものだけで行われる儀式ゆえに形式的なものと思われがちだだが、実は王族の世代交代にとっては一番重要な儀式なんだ」
 カレラもモルドの後ろで父親の言葉に耳を傾けました。諡号の儀式について彼女は殆ど知らなかったからです。
「新国王となられるアレス殿下だけが知っている死後の世界での名前を亡き父君に諡りなし、死後の世界での平安を願う。つまり先王を常世に送り出し自分が代わって国を治めるのだという決意の儀式だからね」
「アレス殿下だけが・・・やはりエバキィルの塔で陛下と殿下が交わされたのですね」
「うむ。殿下に確認したところ確かに受け取られていた」
 やはりあの時国王陛下は世代の交代を意識していたのだ。モルドは遠い日のように思い出していました。
「諡号の儀式こそが真の即位式・・・」
「その通り」ディオモレスはゆっくりと頷きます。
「我が王国は若き国王陛下を頂点として、これまで以上に活気に満ち溢れた国になるだろう。私の経験から言うと、若い国王が即位するとこうした混乱があっても、いや混乱こそが力の源となって、国も生まれ変わったように見違えるものなのだよ。今はさしずめ産みの苦しみ、過渡期の混乱というところだ。心配には及ばんよ。私が保証する」
 何もかも初めての経験だったモルドにとって見ればそれは楽観的とも取れる言葉でした。しかし500年を生きたセノン族の重鎮の言にどうすれば疑いを持てるというのでしょう。モルドは英邁闊達(えいまいかったつ)な公爵が言う事を信ずるよりほかにありませんでした。
「その言葉を聞いて心強い限りです」
 手を軽く上げた公爵は穏やかな表情です。
「いや、すまなかったね大佐。後見人の件は君に聞いたほうが早いと思ってつい気が急(せ)いてしまった。これで安心して諡号の儀式の準備にとりかかれるよ。では私はこれで失礼する。仕事を続けてくれたまえ。・・・そうだカレラ」
 唐突に視線を向けられたカレラが戸惑いがちに返事をします。
「は。はい」
「モルド大佐への助力。くれぐれも油断怠りの無いようにな。ドルシェ家の名に恥じぬ働きを期待しているぞ」
「はい」
「しっかりな」
「はいお父様」
 カレラは父の後姿を見送りながら、表情は変えませんでしたが内心では『言われなくてもわかっている』と、思っていました。
 三賢者の子として、否、ハーフセノンとして産まれたが故に幼い頃からつらい思いを常人の何倍も経験してきたカレラは父を恨んでいた時期もありました。 異種族交配の弊害をわかっていながらどうして自分をこの世に生まれさせたのかと不条理な事を思っていたこともあったのです。
 そんな彼女の岐路選択に大きな影響を与えたのは誰あろう目の前にいるヴォルド=ロフォカッレ=モルドでした。
 目の前にいる彼の背中を見つめながら、もしもあんなことがなければ自分と同じ境遇のハーフセノンと結婚でもして極普通の家庭に収まっていたのかもしれない。そんな懐かしさを含んだ思いを脳裏に浮かべました。
 
 しかしその衝撃によって灯された運命の火は、想像だにしなかった道へと彼女を導いたのです。






■300年前に生まれた血族


 ハーフセノン。
 この種族のことを知るにはまず純血種族であるセノン族を知る必要があります。
 外見の特徴は象牙色の肌と尖った耳を持つということ以外にマシュラ族との差異は認められませんが、内面的なセノン族の特徴は概ね三つありました。
 セノン族は排他的な種族で、つまりマシュラ族の世界に干渉することもされる事も極度に嫌っている。ふたつめは純血種であることに誇りを持っている。三つ目は常に宇宙的観点から物事を思考することです。
 排他的であるセノン族の思いとは裏腹に世界人口の80%を占めるマシュラ族は短命であるが故に長命種族の持つ叡智を貴重に感じ、それを欲しました。それがマシュラ族の世界にセノン族がわずかに存在する大きな理由の一つです。
 ノスユナイア王国と同様にセノン族を政治の中心に据えている国はいくつかあります。フラミア連邦王国、エミリア海洋王国、ケルファール大公国の合計4カ国です。
 セノン族が政界にいない国はセノン族を拒否しているか、逆にセノン族が拒否しています。
 まずトスアレナ教皇国は聖人アドラミスを崇拝する一神教によって統一している国家のなのでセノン族の主義も信教や神も受け入れることはありません。サホロ公国はトスアレナ教皇国を宗主とする事実上の属国なので同じ理由で政界にセノン族を置けません。但しサホロ公国はある程度の信教の自由があるようです。
 デヴォール帝国はマシュラ族を最上の種族としているため、セノンは建国当時に殺されるか追い出されるかして姿を消しました。帝国と連合しているフスラン王国も連合国であるデヴォール帝国に倣ってセノン族を置いていません。
 レアン共和国はジェミン族の経営理念に基づいて組織されている国家なのでセノン族の意見など取り入れたらたちまち破綻してしまいます。経済活動に宇宙的観点など不要なのでしょうが、セノン族自身がジェミン族の主義に対して危機感を抱いているというのもありました。
 それは失われた種族の技術研究です。
 
 滅びた種族は滅びるべくして滅びたのだから、それを掘り返して現代に蘇らすというのは自然の理に反し、未来に暗い影を落とすことになるのですべきではない。というのがセノン族の言い分です。
 それに対してジェミン族は探究心と好奇心こそが進化に必要なエネルギー源であるというのが古来から持ち続けている文化なので決してやめようとはしません。生命の根幹に影響を与えるものでない限り失われた種族の技術を研究及び使用することは禁じていないというジェミン族です。しかしセノン族は詭弁だと非難しています。
 実際その技術を応用した機械は数多くあり、現実に売り物として世間に出回っているのですからやめようにもやめられないのも実情でした。ジェミン族視点ではあるものの需要があれば供給するというのは商売の基本です。
 カーヌ=アーやディオモレス=ドルシェのような国家の下に属しているセノン族は彼らと共存する方を選択していますからジェミン族と争ったり批判するなどはしていませんが、里のセノン族は彼らの文化に対しては否定的です。


 そんな頑なともいえるセノン族がマシュラ族の社会とかかわっているのは、セノン族といえどもやはり人間で、なにかに疑問を抱けば真実を見極め真理を追求したいという欲求が常にあり、そして求める答えを得るためにそれを実践してみたいという『変わり種』は少ないながらも存在していたというのが発端であり理由だったのです。
 そんな”変わり種”がセノンの里を抜け出して野に下(くだ)り帰化する。そうなれば当然マシュラ族との婚姻も真理追求のための手段の一つとして実践する者も現れ、結果としてハーフセノンという種族が誕生するというのはごく自然な流れ・・・でしたが、実は300年前まではセノンとマシュラの婚姻は全くなかったののです。
 まずセノン族の里ではこうした異種族交配した者は異端者として扱われ、二度と故郷の地を踏むことを許されないという歴史があります。穢れた者は帰ってくるなという事実上の追放です。
 初めのうちは穢れ人の帰郷を禁止にする程度で済んでいましたが、ハーフセノンが増える速度が増す、つまり純血セノン族の里を抜け出す数が増える事に危機感を覚えたセノン族長老議会は里から抜ける事自体を禁じるに至ったのです。
 しかしそれからほどなくして彼らはひとつの過ちを犯していることに気がつきました。それはなぜセノン族たちがマシュラ族との融合に惹かれるのかを考えようともしなかったことです。これは彼らの常とする”宇宙的観点から思考する”性質によって結論はすぐに出ました。それは種の絶滅の回避だったのです。

 創世歴3390年(349年前)、レアン共和国の大山岳地帯探索隊がセノン族の里近くを通りがかった時に森の異変に気が付きます。
 既知の植物の様子が明らかに普通ではない事に気づいた探索隊の隊長は探索を中断して本国へ帰り、レアン共和国議会に事実を報告しこの植物の変異が認められた一帯を封鎖しました。
 この封鎖技術は魔法による絶対防御に似ていました。違っているのは魔力を必要としないことです。まず封鎖地帯をぐるりと囲む形で10m程の高さの塔を何本か建て、すべての塔に失われた種族の遺跡から発掘した機械装置を装着、するとすべての塔から薄緑色をした膜が現れて塔と塔の間にカーテンのように障壁を生成します。この障壁は外気を完全に遮断し内部の物質を流出させないように出来るようでした。
 これは500年ほど前にジェミン族が失われた種族の遺跡で発掘し、研究の結果その特性がわかったものですが、本当に封印できているかの確証は植物の変異領域が拡大していないという事のみに依っているためどこまで確実かはわかりません。なので失われた種族の技術を使いたかったという動機で建設したのではないかと言う批判もあります。

 そしてこの封印が施されてから40年ほどしてセノン族の里で異変が起こります。
 実際の現象は子供が生まれても育たず死亡する或いは死産が徐々に増えて、40年後には多発どころではない発生率になってしまい、しばらくすると不妊率100%という事実が発覚したのです。
 原因を探りましたがセノン族の叡智をもってしても突き止めることが出来ませんでした。そして思い当たったのが40年前の大山岳地帯の異変です。動物実験などを行ってもそれが本当に原因なのかは不明のまま現在に至ります。
 ジェミン族は毒の森と名付けたその区域を相変わらず通行していますが、セノン族が直面しているような身体的異変はありません。マシュラ族も同様です。なぜかセノン族だけが異変の被害にあっているのです。
 そしてこの頃、初のハーフセノンが誕生します。創世歴3434年の事でした。女だったと伝えられています。

 種の絶滅の回避。それは生物であれば意識しなくとも本能によって辿る、進化、あるいは多様化ともいう道です。この生物の本能的行動に対して異を唱えるのは宇宙的観点から鑑みれば間違っているのは明白でした。ハーフセノンの誕生はセノン族にしてみれば決して望んで求めた結果ではありません。しかし人はごく自然に子を残したがります。同族でそれが実現出来ないと知れば、それは自らの種の滅びを意味し恐怖が生まれます。
 恐怖といっても突発的なものでも衝撃的なものでもなく、生物ならば確実に訪れる死のような感覚です。死は普段意識しないように努めるものではありませんが、何かのきっかけで突然湧き上がり己を苛みます。自分の死ですらそうなのですから種の絶滅ともなれば推して知るべしでしょう。
 セノンという種族が長命であるがゆえにその訪れが緩やかであるにしても。

 生物としての本能と、人として安らぎを求めるという意識の融合が、掟を守ることより種の絶滅という絶望から救ってくれる事実を知れば、それを実践する方が遥かに合理的で、「宇宙的観点から思考するセノン族であれば」自然なことだと結論するのは至極当たり前な事です。
 逃れ得ぬ運命を理解し受け入れ、より現実的な選択をすることこそが未来を切り開く。セノン族の長老議会は頑なでしたが、決断せざるを得ませんでした。そして忸怩(じくじ)たる思いの表れとして野に降(くだ)ってハーフを設けた同族を裏切り者と称することをやめ、こう呼ぶことにしたのです。
 異種族の父祖。と。
 こうすることで純血セノン族との違いをはっきりさせ、異種族の父祖は帰郷を許されることになったのですが、しかしそれでもハーフがセノン族の里に入ることは許しませんでした。これが純血セノン族が取れる対応としては限界だったのです。
 純血を誇りにしているセノン族が純粋を尊重すればするほど、呪われた運命と自ら崇拝するセノン族的思考とが鬩(せめ)ぎ合って崩壊していく。それをわかっていても旧来の伝統を捨てられないのは長い時間をかけて積み上げてきた文化だからです。
 遠からず訪れる種の絶滅という事実が彼らを悲壮主義に走らせていたのかもしれませんが、哲学的に『何をもって己とするか』と考えたとき、人は自らが今まで築いてきた文化文明にそれを見出そうとするものです。
 その自己の存在を証明するかけがえのない文化文明を根底から揺るがすハーフの存在はどんなに頑張っても受け入れられないものだったのでした。
 望まぬ後継者であるが受け入れざるを得ない。宇宙的観点で思考する崇高な種族は種の絶滅という危機に直面して、初めて人間らしく物を考えるという事を余儀なくされたのです。


 以上の様にセノン族は歪みを伴った形で世界と関わっていますが、ハーフセノンはそう言った歪みとは無縁です。
 まずその容姿がセノン族ではなくマシュラ族のそれと全く変わらりません。純血セノン族の特徴である尖った耳を持っていないという視覚から得られる印象はマシュラ族から見て異種族だ、という垣根を取り払う効果が大きいことは言うまでもありません。肌の色が白黄色で非常にきめ細かいというのはマシュラ族でもないことではありませんでしたから気になる事ではありませんでした。
 そしてセノン族から生まれたということは親であるセノン族から学んでいるということでもあったので、その知識の深さや思慮深さは尊敬に値しました。
 しかしこれらはあくまでもマシュラ族の視点に立って見たハーフセノン像なので当のハーフセノンはどう思っていたのかというと意外と悩みを抱えているのです。
 セノン族同様の美しさはともかくとしても、ハーフであるということだけで『賢人賢者』として扱われるのは望むところではありません。マシュラ族として育てられればそこにセノン族の影は全くないのです。容姿がマシュラ族と変わらないので出自を隠せば回避することも可能でしたが、不幸にも彼らには隠し通せない決定的な遺伝特性があったのです。
 
 セノン族そしてマシュラ族やジェミン族は例外なく魔法力か霊牙力を生まれながらに授かっています。これはハーフセノンとて同じですが極端に弱いのです。
 個人差と言うレベルではなく、中には魔法力も霊牙力もほぼ皆無という者もいるぐらいの差です。しかし魔法も怪力も人生を歩むのに絶対必要とされるわけではないので普通に生きる分には不都合はありません。
 ただ、彼らはセノン族の血を受け継いでいるのです。問題はそこでした。
 このハーフセノンの身体的特性が徐々に広まるにつれて、長命で美しいこと以外セノン族からはなにも受け継がない。容姿が同じということ以外マシュラ族からは何も受け継がない中途半端な種族。悲しいことにこれがハーフセノンに対する世間一般からの評価でした。
 さらにハーフセノンのこうした特性から婚姻も困難を極めました。ハーフセノンとマシュラ、或いはハーフセノン同士で結婚し、生まれてくる子は魔力霊牙力ともにマシュラ族には遠く及ばないという点でハーフと同じだったのです。しかもハーフ同士の間に出来た子は魔力霊牙力が全くないことも珍しくなかったため、本人同士が望んでも親族が許さないという悲劇もあったのです。
 こうした事実が広まっていくと次第に「セノンの末裔なのに・・・」「セノンの血を受け継いでいるのに・・・」と言った見えざる非難が彼らを苦しめ、強迫観念から心を病んだり肩身の狭い思いをさせられる者が増え続け、次第にマシュラ族とハーフセノン族との間に溝が生まれてしまったのでした。


 しかし歴史は時に神のいたずらかと思わせる奇妙な奇跡を演じます。
 このハーフセノンが誕生した前後、ある王国が国家存亡の危機ともいえる状況に直面していました。
 エミリア海洋王国はその名の通り海洋を生きるための糧として利用してきた人々が多く住まう国です。そして建前となりつつありましたが、ケルファール大公国の宗主国でもあるのです。
 ケルファール大公はエミリア海洋王国で戴冠してその座につきます。いわばエミリアは本家、ケルファールは分家という関係でした。
  ケルファール大公国の源流はエミリア海洋王国でしたが、今から300年ほど前から発展が目覚ましく経済的、人材的、そして国の文明度もケルファール大公国の方が断然上という状況になったのです。当然エミリア海洋王国の若者たちは豊かなケルファール大公国やフラミア連邦王国へと向かいます。ケルファール大公国は実質的には同じ国なので若者たちは出国というより隣町へという感覚の軽い気持ちで続々と移り住んでいきました。
 国民が海外流出の一途を辿るエミリア海洋王国の国家としての衰退は明らかで、これになんとかして対処しなければと日々考えていたエミリア王室は、突如として現れその数を増やしていたハーフセノンという種族に現状打開の緒(いとぐち)を求めたのです。
 ハーフセノンが不幸な運命を背負わされてしまってから数十年が過ぎた創世歴3480年、エミリア海洋王国がこんな布告を出しました。
  
『ハーフセノン族の受け入れにおいてわが国ではマシュラ族との差異をなんら認めない。来訪を望む者を我が国は歓迎する』

 ハーフセノンであることに良い意味でも悪い意味でも窮屈さを感じていた人々はこの受け入れの布告に救いを求めました。まるで砂糖に群がるアリのようにハーフセノンは南方を目指したのです。老いも若きも異種族の父祖である父や母も子を連れてエミリアを目指しました。そして異種族の父祖たちは数多くのハーフセノンに純血セノン族の叡智を説き広げるようになったのです。
 結果。人口こそ急増しませんでしたが海洋王国からの人材流出に歯止めがかかったのです。

 ハーフの美貌と端麗な容姿がマシュラ族の男女を惹き付け、そして親である純血セノン族の移住に触発された知識層の他国からの流入です。やってきたのは医師、芸術家、哲学者、数学者など、その分野では名の知れた者たちでした。
 マシュラ族の社会に存在した純血セノン族の殆ど全てが国家機関に仕えていたため、彼らとなにかしらの関係を持つのは貴族であっても非常に難しかったのですが、エミリア海洋王国ではまったく違いました。望めば誰でもセノン族に会え、師事することすら出来たのです。セノン族の持つ文化文明、叡智、歴史に直接触れることが出来る。この魅力に惹かれない者はいませんでした。
 この知識層の増加がエミリア海洋王国に多くの学校を誕生させ、そこに世中界から留学者が集い、帰化する者も少なくなかったので、徐々に人口が増加に転じます。
  現在三大学府として知られるセイオーン、マカデミア、アゼクランドはフラミア連邦王国でもケルファール大公国でもなく、エミリア海洋王国にあるのです。学校の数こそ多くはありませんが、質の高さは世界随一と言われています。

 それから数十年の年月を経て、エミリア海洋王国の政策は正しかった、大成功を収めたのだ、と誰もが称賛するようになっています。
 海という大自然に畏怖を抱きながらも崇め、巧みに利用し、或いは知恵を絞って立ち向かい生きてきたお国柄と宇宙的思考は合致する部分が多かったのもうまくいった理由の一つだったのかもしれません。
 それから現在に至るまで、セノン族が太古から蓄積してきた叡智はハーフセノンへと受け継がれ、その過程で新しい発想と融合し、それを実現しようとするマシュラ族やジェミン族の力で技術や科学力が目覚ましい発展を遂げることとなりますが、布告から十数年後のケルファール大公国はこの政策により大きな恵み享受する事になりました。技術の発展による海洋開発への絶大なる寄与です。
 その筆頭に挙げられるのはやはり船舶技術の大躍進が挙げられます。これによって世界が狭くなったのです。海軍大国であるケルファール大公国の伝統とエミリア海洋王国の学府で生まれた科学技術の結合はジェミン族の製造技術をもって実現し、その成果の記念碑ともいえる世界最速の船「海王号」を世に送り出しました。そのほかにもより効率よくサーリングエンジンを動かす技術開発によって、あらゆる移動体や作業機械のもたらす恩恵が人々の暮らしを豊かにしていったのです。

 この地で生きるセノン族は里にいる者より絶滅を意識しないでいられる幸せな時を過ごしています。なぜなら血ではなく伝達される意思が遺伝子の代わりとなって未来へと受け継がれることを実感することができたからです。しかもそれを受け継ぐのは自分が血を分けた子なのです。
 長命種族なればこそ、多くの世代交代を経るたびにぼやけるであろう情報が明確に後世に伝達される。これほど嬉しいことはなかったでしょう。名を棄てて実を取るとはまさにこのことでした。
 かくしてエミリア海洋王国の政策はハーフセノンという種族ばかりでなく一部の純血のセノン族が抱く滅びに対する絶望からさえ救ったのです。
 そして現在ではもう「セノンの末裔なのに・・・」「セノンの血を受け継いでいるのに・・・」とささやく者は一人もいませんでした。

 しかしこうした呪われた運命に敢えて逆らうハーフもいました。
 ハーフセノンはその体質ゆえに戦闘における選択肢はひどく少なく、精霊兵使いになるのが普通でした。カレラ=ドルシェも精霊兵使いです。
 この魔法は召喚術と呼ばれ、使う者を召喚士といいました。

 精霊兵とは全ての物質の基本素材である基本四元素である、火、水、土、大気から魔力によって具現化されるものです。基本四元素の再構成というのは錬金術的要素も含まれる高度な魔法技能なので体得の難しさから通常の魔法使いにもそれほど多くなく、非常に珍しい魔法術者に類しました。
 しかし精霊兵使いが珍しいのは体得が難しいこと以上に避けられない欠点があることで魔法使い達から敬遠されているという実情もあります。
 戦闘の際に実際に戦うのは具現化された精霊兵ですから、その精霊が倒れてしまえば残された召喚者は常人と変わらない存在になってしまうため、そのときに1人で戦っていたらあっという間に殺されてしまうというのが最大の欠点でした。
 もちろん複数の兵士で構成された部隊で行動するという対策はとられていますが、戦場では何が起こるかわかりません。万が一部隊が全滅して1人残されれば同じことです。
 魔法を駆使して精霊兵を召喚し、その操作にも高度な技術を必要とする。このような言ってみれば『手間の掛かる』戦闘方法を敢えて選択するのはハーフセノンのような特別な事情がない限り避けたいというのは、命をやり取りする軍人達に取って当然といえば当然の事。召喚士が珍しいのは技術的な敷居が高いからと言うより、面倒だから、危険が大きすぎるから、というのが希少である実際の理由なのです。
 しかしそうだとしても精霊兵の戦闘能力は非常に高く、打撃による物理攻撃のほかに精霊兵に隠密行動をさせたり魔法を使わせることも出来、術者の力によっては遠隔操作の距離を驚くほど伸ばすことさえ出来ます。上達すれば国家の大きな戦力ともなる非常に優れた存在です。
 そしてカレラ=ドルシェはモルドをしても優秀な召喚士と言わしめるほどの使い手なのでした。

 しかし近衛の大きな戦力である彼女も7年前はごく普通の非力なハーフセノンの少女に過ぎませんでした。
 カレラはハーフセノンにしては魔力がある方でしたが当時の彼女自身はそれを利用して生きようとは思っておらず、父であるディオモレス=ドルシェの勧めで学術に人生を捧げようと日々勉学にいそしむ学徒だったのです。




■■【 七年前 】■■




 早鐘を打つが如くの心臓の音。苦しさに耐えかねて膝を突き、脳から酸素が急激に奪われていく全身が痺れた感覚に手を突き、苦しそうに肩で息をしているのはカレラ=ドルシェでした。
 表情は悔しさと息苦しさに耐えるように歪んでいます。

「カレラさん。つらいでしょう?少ない魔法力で、それを最大限に無駄なく扱うというのは非常に難しい。ハーフセノンではなおさらです」
 ラットリア=ツェーデルについて血の滲むような努力をした結果、何とか小さな精霊兵を召喚するところまではできるようになりましたが、呼び出した精霊兵は彼女の魔法力が残り僅かなため上手く動く事が出来ずにあっという間に四元素に還元され消え去ってしまいます。
 肩で息をしながら恨みがましそうな目で、ラットリアを見つめるカレラ。しかし彼女を恨んでもどうにもなりません。その視線を受けたツェーデルは同じくつらそうな表情です。
「やめてもいいのですよ。誰も貴方を責めません。貴方には罪も義務も無いのですから。別の生き方を選んでも恥ずかしい事などちっとも無いのです」
 何も言い返せないカレラは唇をかんで悔しそうな表情をするとトボトボと裏庭へと歩き去りました。


  いったい自分は何をしているんだろう。
  自分はどうしてハーフなんだろう。
  どうしてこんな半端な体なんだろう。
  みんながうらやましい。
  純血が妬ましい。
  なんて・・・・なんて惨めなんだろう。
  いつまでこんなことを考えていなくてはならないのだろう。
  いっそひとりでエミリアへ逃げてしまいたい。


 涙が止まりませんでした。
 その時、鳥たちの楽しげなさえずりにふと視線を上げ、いつの間にか立ち上がるとその声のするほうへと歩いている自分に気がつきました。
 真っ青な空から降り注ぐ暖かな太陽の光の下にはひとりのセノン族がいて、小鳥たちに治癒魔法であるヒールをかけていました。
「カーヌ・・・・アー・・・・・」
 カレラは数羽の小鳥と戯れているのが三賢者のひとりであるカーヌ=アーだと気づくと、恥じるようにビクッとして身を引きました。
 純血のセノン族。自分がどれだけそれに憧れているか、どれだけその血に羨望しているのか。そう思うとどうしても彼を直視する事ができませんでした。
 すると一羽の小鳥が後ろから飛んで来てカレラの肩にとまりました。そしてその愛らしい姿に一瞬微笑みましたが、すぐに驚いたような表情で呟いたのです。
「片足・・・・」
 その小鳥は片方の足がありませんでした。
「やあ、カレラさん」
「!!」
 気がつかれたことを悟ったカレラはビクッと身を引き、思います。お願い近くに来ないで・・・・。
「何が理由かはわかりませんが・・・・」
 俯いたままの彼女の視界にカーヌの靴が入ってきます。よく手入れされた白い靴。まるでそれが純血のセノンであることを誇っているかのように目に映り、思わずギュッと目を閉じてしまいました。
「片足を失うというのは自然界で生きる小鳥にとってつらい事なのでしょうね・・・。でもこれは私たち人と呼ばれる者の勝手な感情で、小鳥たちはつらいなんて思っていないのかも知れない」
”何を言っているの?そんなこと私の知ったことじゃない。”
 差し伸べたカーヌの手の平にカレラの肩から飛び移った小鳥が一声悲しげにも聞こえる声を上げて啼きました。
「人であればその事実に嘆くあまりに生きる気力さえ失ってしまうかもしれないのに・・・小さな生き物であっても強いものです」
 ゆっくりと目を開け、おずおずと顔を上げると、そこには物悲しげなカーヌの表情がありました。
 カレラはやっとのことで言葉を口にします。
「人は・・・・」
 カーヌの視線をよけるようにふたたび顔を俯かせてカレラは言いました。
「鳥とは違います・・・」
 カーヌはニコリとしてカレラにも回復魔法をかけました。不思議な感覚でした。今まで重かった体が軽くなって行くばかりでなく、心まで解放され暖かな光に満ち溢れていく。そんな幻想的な感覚に自然と俯いていた顔が上がって行きます。
 純血セノンの力。これが・・・。
「そうですね。人は・・・鳥とは違いますね。鳥は必要がなければ戦ったりしない。足を失ったのも必要とする戦いの結果なのでしょう・・・・」
 カレラは何故かその言葉を聞くといたたまれなくなり、パッと頭を下げると同時にきびすを返し、カーヌのもとから走り去ってしまいました。

 その夜、カレラはカーヌの言っていた言葉が頭から離れずなかなか眠る事ができませんでした。

 ”必要とする戦いの結果・・・”

「必要・・・・必然・・・・・生きるための・・・・戦い・・・・」

 自分が力を手に入れたいと思う理由

 父への反発・・・

 自分への苛立ち・・・・

 ”やめてもいいのですよ。貴方に罪は無いのだから・・・・”

 ハーフセノン・・・神はどうしてこんな辛苦を私に与えたのだろう・・・・

 私はどうして力を手に入れたいのだろう

 神々への・・・挑戦?

 カレラはその陳腐な言葉に嘲笑にも似た笑いを浮かべます。バカみたい。そんなんじゃない・・・・。
 そしてその夜、彼女は夢を見ました。初めて「あの男」を知ったときの悪夢を。それが自分を苦しめる始まりのきっかけになった出来事・・・。

 ”一年前・・・。あの頃はまだ髪が長かった・・・・・”




■■【 夢 】■■



 夢の中の城内は火がついたような大騒ぎになっていました。
 悲鳴を上げながら逃げ惑う人々。あちこちで閉まる扉の音。カレラも恐慌をきたしてそれを何とか抑えながら友人と走っていました。
「全員近くの部屋に入れ!!鍵を閉めろぉぉぉ!」
 怪物が現れた。
 転送魔法だ。
 謀略だ。
 近衛兵や警備兵がそう叫びながら走り回り、神殿から帰るところだったカレラも友人と共に逃げ込む部屋を見つけようと必死になって逃げ惑っていました。しかし近くの部屋に逃げ込む直前、彼女たちの目の前にそれは現れたのです。

 爬虫類人。通称デザーンと呼ばれている爬虫類人は高度な知能を有していて、言葉による意思疎通、ある程度の文化的生活をしていて組織的に行動する存在でしたが、この時カレラの前に現れたのは知能を持たない野生種族でした。
 本能で殺しそして食らう。口は捕食のためにやたら大きく、手には獲物を殺す目的のためだけに使われる太くて鋭い爪。獲物を追い詰めるための太い足は恐ろしいまでの俊足。獲物を捉える眼の禍々しい光は冷酷無比という言葉がピッタリでした。
 爬虫類の冷酷でねっとりと潤んだ鈍い輝きを放っている目が一瞬ニタリと笑うように細くなると、禍々しい風がカレラの頬をビュっと通り過ぎます。
「ギャ・・・・」
 隣にいた友人の叫び声が途切れ、その首は鋭利な刃物で切られたよう胴体から転げ落ちました。膝から崩れる友人の体。さっきまで冗談を言ってたのに。どこへ行ったの?そしてその切り口から血液や体液が噴水のように飛び散り、カレラの綺麗な頬の膨らみに赤い斑点を描き、流れます。大きく見開いて目を震えるように動かすと頭が割れた友人は体をビクッビクッと痙攣させているのが見えました。

 ”自分もここで死ぬのだ。”

 彼女は声をあげる事も動く事も、瞬きする事さえできませんでした。痙攣したように歯がガチガチと音を立てているのも雄叫びを上げた怪物の声もどこか遠くで聞こえているように思えました。
 そして、爬虫類人の振り上げた大鎌のような爪が自分に振り下ろされ、その動きはまるでコマ送りのように自分の頭へと向かってきます。
  
 ”自分は死ぬ。なんて短い人生。なんて無駄な人生だったんだろう・・・・。”
  
  そう思った瞬間、怪物とカレラの間に割って入った者がありました。
 目の前を覆う、見上げるような大きな広い背中。それの持ち主は片腕で怪物の一撃を受け止めていました。太い腕からは血が滲み滴り落ちているのが見えます。
 怪物は狂ったように叫びながら続けざまに何回もその男に太い腕を振り下ろしました。その度に大男の霊牙力による防御の煌きが弾けます。
「んぬおおおぁあああああ!」
 男が気合の叫びと共に怪物の腹に渾身の一撃を叩き込むと怪物は口から体液を吐き出しながら吹き飛び、壁に激突しました。そして男は体勢を崩した怪物に突進し、今度は全体重をかけた体当たりを食らわせ壁に押し付けます。間を置かず腰に帯びた短剣を引き抜きざまに躊躇することなく怪物の首筋に走らせました。
  怪物が裂けた首からビチャビチャと赤い血を流し出し、断末魔の叫び声をあげながら逃げようとよろり、よろりとしたあとバッタリと倒れ動かなくなります。
「倒したああ!」
 誰かが遠くで叫びます。
 そして、そのときになってようやくカレラは詰まっていた喉が大きく開き、呼吸するよりも先に叫び声をあげたのです。体中の肌は粟立ち、立っていられないほどにガタガタと震えています。
  
「大丈夫だ!」
 男は倒れているカレラの友人をちらりと見た後、へたり込んで涙も鼻水も拭おうともせず悲鳴を上げ続ける彼女に駆け寄ると、「モルド大佐ぁ!!ご無事ですか!」その場に駆けつけた兵士に言いました。
「怪物は片付けた!すぐに女官を呼べ!」
 カレラは兵士が大男に言われたその言葉通りに向こうへ走り出した所を視界の隅に見たところで頭から酸素が抜け出るように意識を失いました。
 暫くしてから気がつくとそこは小奇麗で明るい医務室。頭上にはゆっくりと回る魔法陣から暖かな治癒の波動が降り注ぎ、暖かな毛布は心地よさ与えてくれていました。暫くすると自分が着替えさせられていた事に気がつきます。
「お目覚め?」
 優しく微笑む女官が覗き込んできました。
「貴方の服は汚れてしまったから洗ったの。乾いたらお返しするからそれまでその服で我慢してね」
 カレラは自分が着替えさせられたわけを知って、顔から火が出るほど恥ずかしくなりました。
 だからあの人はすぐに女官を呼んだ。
 自分は。
 失禁したのだ。
「恥ずかしがる事はないわ。このことは私以外誰も知らないから」
 嘘だ。あの人は知ってる。
「あんな目にあったんだもの。仕方ないわ。お友達は残念だったけど・・・・。どこの国の者かわからないけど魔法陣を使って怪物を転送したそうよ。謀略ね」
 女官はグラスに水を注ぐとカレラに手渡しながら言いました。
「でもあなた運がいいわ。あんな恐ろしい怪物に襲われたけど、駆けつけたのがモルド大佐だったんですもの」
「モルド・・・・大佐・・・?」
 にっこりと笑う女官は大きくなんども頷きました。
「ええ、そう。モルド大佐。近衛隊の総隊長さん。もしも普通の兵隊さんだったらきっと無事ではすまなかったはずよ」

 ボルド=ロフォカッレ=モルド。
 モルド大佐。
  近衛隊の総隊長。
 カレラはその日から今まで気にも留めなかった近衛という組織を意識し、非力な自分がどうしてそう思ったのかわからないまま、その身を盾にして守ってくれたモルドの役に立ちたいと思うようになったのです。



■■【 鎖 】■■



 今日もいつもと同じでした。
 どんなに慎重に呪文を唱えても召喚までは問題なくても、すぐに精霊兵は去ってしまいます。

 ”戦えない。わたしはあの人の役に立てない・・・”

 カレラは絶望するかのように天を見上げました。・・・と、昨日見た片足の無い小鳥が視界を横切ります。
 それを目で追うとレンガ造りの軒の隙間に片足で必死につかまってその中に首を突っ込みました。
 ピィピィという騒がしい声が聞こえます。片足の鳥は親鳥でした。自分の子供たちに餌を運んでいるのです。
「そっか・・・・」
 戦い、傷つき、それでも生きるのをやめないのは、守るべきものがあるから。守るのは雛、でもそれは・・・・自分の果たすべき事。

 カレラは小鳥の事をうらやましく思いました。

 神々から授かった生きる意味。
 そこから生まれる力。
 人はなんと不自由なのだろう。
 小鳥さえ知っている『生きる意味』を神から教えてもらえず、それを探して右往左往している。
 神はどうしてあの小鳥と同じに、私にも生きる道を指し示してくださらなかったんだろう。
 それとも。
 道を授けられなかったのはハーフセノンだけなのだろうか・・・・・。

 そのときでした。
 バサバサと言う激しい翼の音が聞こえ、その方向に視線を向けると、大きな猛禽が小鳥の巣に襲い掛かろうとしていたのです。

 ”だ・・・・めよ・・・・・だめぇぇぇ!”

 一瞬でした。
 自分でも信じられないほどの速度で詠唱が口から迸る様につむがれ、花壇の土の中から小さな精霊兵があらわるるや否や、猛禽に鋭い一撃を加えました。命中はしなかったものの猛禽は慌てて空へと逃れ、精霊兵はぼろぼろと土くれに還っていきました。
 時間にすれば1秒に満たない間の出来事でしたが、彼女は自分の目の前で起こった出来事がまるで他の誰かがしたことのように茫然としていました。
 小鳥はお礼を言うようにカレラの上を何回転かして鳴きながら飛び去ってゆきます。それを見上げながらガクッと膝を折って座り込み、手を突いて唇を噛みました。

 ”・・・もういい・・・・。もういい・・・・。しょせん無理なんだ”

「カレラさん」
 背後からの声にハッと振り返るとそこにはカーヌ=アーが立っています。
 流れる涙を拭おうともせず彼を見上げました。
「今貴方がしたことは間違っていると思いますか?」
「え・・・」
 唐突に投げかけられたカーヌの問いかけにカレラは戸惑い涙を指で拭いました。小鳥を救ったのだ。間違っているはずが無い。
 何も応えないでいるカレラにカーヌは無表情のままに言いました。
「あの大きな猛禽も生きるために小鳥を捕らえようとしたのでしょう。巣には彼の雛がいたのかもしれない。だからと言ってあなたのしたことが間違っているとは誰にも言えない。人も同じです。正しいと思ってした事が視点を変えれば間違った事になってしまうことは往々にしてある事です」
 カーヌの言う事はもっともだと理解する事はできました。しかし理解と道義は必ずしも一致しません。
「でも・・・・私は・・・・」
 カーヌはカレラの言葉を引き継ぐように言いました。
「片足でありながらも生きようと必死になっている小鳥に、救いの手を差し伸べたかった?・・・・」
 カレラは頷きました。
 カーヌは幾分悩むように額を手で覆って目を閉じていましたが、何かを吹っ切るようにして手に持っていた杖をカレラに差し出しました。長さは自分の身長より少し短いくらいの、表面がすべすべとした木の枝です。
「憐れなものに手を差し伸べる事はひょっとすると間違っているのかもしれ無い。それは他の誰かに、或いは当人に犠牲を強いているのかも知れ無い。・・・・・答えはひとつではありません。もしもそのことを理解できるなら、これをお取りなさい」
 自分が間違っているかどうかはわかりませんでした。それでも今の自分の中にある感情はやはり『小鳥を救うことができた』という喜びだったのです。後悔はしていませんでした。
 カレラは差し出された杖を手に取ると、そのすぐ後にカーヌの回復魔法が彼女を包み込みました。身も心も軽くなったカレラにカーヌは言います。
「さあ召喚を」
 そう言われて彼女は心臓に氷を押し付けられたような気がしました。軽い震えが背筋を駆け上がります。
 何のつもりなの?
 カレラの内に非難の感情が生まれました。
 わざわざ回復して私の無様を笑おうというの?
 召喚すらまともにできない自分を・・・。
 笑うために・・・?
 なんてひどい・・・。
 カレラは非難の気持ちを抱きながらも、それでも恥ずかしいという気持ちに襲われました。
 そして無表情のカーヌを見上げ、屈辱にカレラは涙が出そうになりましたが・・・。
「どうしたのですか?」
 本当にこの人は三賢者のひとりなのか。
「あなたはなぜここにいるのです?あなたは覚悟してここに来た。そうでしょう?」
 それを知ってかしらずか、カーヌは表情を硬くしたまま彼女をじっと見ています。
「さあ」
 やるわ。笑わば笑え。あなたなんて大嫌い!
 カレラは開き直って言われるがままにいつもと同じように慎重に召喚詠唱をしました。魔法陣が現れ、精霊兵が現れるまでの時間を出来る限り短くして魔法力の無駄な消費を抑えて・・・。

 地面に現れた魔法陣の中央がムクムクと膨らみそこから二本の太い腕が現れ自らを押し出すように腕を踏ん張らせると頭、胴体とが地中から文字通り飛び出したのです。
 それを見てカレラは驚きました。
 これまで召還したどの精霊兵よりも大きかったからです。
「こんな・・・おおきい・・・」
 そういってからハッとします。
 ”体が・・・重くない。苦しくない?”
 精霊兵はずっと目の前に立っていました。
 いつもならとっくに四元素に還元されて消えてしまうのに。
 いつもなら血を抜かれたように眩暈がして座り込んでしまうのに。

「アー様・・・?」
 カーヌの表情は厳しいままでした。
「その杖には術者の魔力を増幅させる力があります。世間では魔器…と呼ばれています」
「・・・知っています。私だって馬鹿じゃありません。そう思って手に入る限りの魔噐を試したんです。・・・・でも」
「期待した結果は得られなかった?」
 カレラは頷きます。
「そうです。魔噐は役に立たなかった・・・なのにこれは・・・どうしてですか?」
 いくらか喜びに上気するカレラの顔を見てから視線を落としたカーヌは静かに息を吐きだすと、右手で自分の額を少し擦ってから顔を上げ言いました。
「魔噐は基本素材の品質の高さも不可欠ですが、その後に力を与える者の魔力と精度によって完成品に差が出ます。もちろんその他の要因もありますが」
 カレラは盲目に力を求めるあまりに大切な事を忘れていました。

 魔噐その物の需要がほとんどないのは、ひとつには魔法使いになるのが簡単ではないという実情があります。才能豊かな魔法使いがそれを持たない者から見て光り輝いて見えても、その裏には魔法使いとしての知識の多少、才能、それを踏まえた厳しい訓練による精度向上など、魔法使いになるために越えなくてはならないハードルは決して少なくないのです。
 それらを仮にクリアにしても、いえクリアしたからこそ魔噐は不要になるのです。矛盾しているようですがこれは魔噐の特性に由来します。魔噐はもともと持っている魔法力に更なる魔法力を上乗せするものではないからです。この特性から、魔法使いを名乗る者が持っていたら逆に己の非力を晒すようなものです。
 しかもその上、魔噐にはアスミュウム製の剣を背中に背負う帯剣具と同じような相性問題もあります。つまり同じ魔噐を使っても人によって効果が違うのです。
 こういった諸事情から世間に出回っている品質の低い魔噐がスタンダードなものと思われているのも事実なのです。

 カレラはカーヌから渡された杖を見て思いました。これを使えば自分も一人前に戦えるかもしれない、と。
「どうしてツェーデルさんが貴方に魔器を与えなかったのかわかりますか?」
 それは考えるまでもありませんでした。ツェーデルはカレラを戦士にしたくなかったという事です。
 魔器は自分に戦うための力を与えてくれる。しかし武器というものはまさに両刃の剣。武器を失えば、それは死に直結します。普通の戦士ならば武器が無くても強靭な肉体と精神力で戦場を生き延びられる可能性は高い。魔法使いなら魔力の消耗を計算して危機を切り抜けられるかもしれない・・・・。しかし魔噐を使う戦士は戦いのさなかにそれを失えば待っているのは辱めと死。
 罪深さに耐えているような表情のカーヌにカレラは毅然とした口調で言いました。
「アー様。私は自分で選んだんです。私は自ら戦士になりたいと願ったんです。私の生きる道は私だけの道です。あなたに感謝こそすれ・・・。だれも恨みません。後悔もしません。決して」
 カーヌはまっすぐな視線を送ってくるカレラの瞳に強い決意の光が宿っているように感じ、微笑みます。

 杖と手首を鎖で繋いだ精霊兵使いの女が近衛隊に入隊したのは、それから半年ほど後の事でした。




続く・・・>>>






◆情報◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【毒の森】
セノン族の里の近く、ナウル川の上流域に存在する封印された森林地帯。現在は封鎖されている。


【異種族の父祖】
男女ともに存在する。
今はエミリア海洋王国にほとんどが住んでいる。
人数は100人ほどで、彼らを父母とするハーフセノンはその3~4倍ほどと言われている。


【魔器】
魔力を吸収して変異する物質というのもがある。木、石、稀に金属。これら原料はどういうわけか大山岳地帯でしか手に入らない。しかも同じ場所で見つかるわけではないので、非常に貴重と言える。
ジェミン族が見つけたのが最初と言われているが定かではない。昔からこれを専門に探す者がいる。

この原料を使って魔法武器、すなわち魔器を作り出すのだが、これには高位の魔法使いが何年もかけて原料に秘術を使って魔力を注ぐという地道な工程を必要とする。そして手間がかかるばかりでなく他に使用者との相性問題がある。
相性が悪いと役立たないばかりかかえって魔力が落ちることもある。今回カーヌ=アーがカレラ=ドルシェに与えた魔器は彼自身が魔力を注ぎ続けたもの。ハーフセノンと純血セノンという極近い種族であったことが相性問題を解決したと思われる。
相性問題が起こる原因はわかっていない。
通常の魔法使いはこうした武器は持たない。なくても困らないからではなく、持つ必要がない。なぜならこの魔器というものは魔力を上乗せするものではないからである。つまり常人以上の魔力を持ったものがそれ以上の魔力を手にすることができない。つまり魔器とは魔力の低いものが持つことで初めてその効力が発揮される補助具なのである。

当然この魔器を使えば魔力の乏しい常人がそれなりの魔力を手にすることが出来るのだが、魔法と言うものは一朝一夕に使えるようになるものではない。訓練によって生命力を魔力に変換する制御方法を学ばねばならないので、その知識が浅いものが使うと命にかかわる場合もある。
だからこれを使う場合は事故防止や犯罪抑止のため法的な手続きが必要になる。各国によって様々だが、この手続きを無視して使っていることが露見すると罰金刑や懲役という罰則が待っている。犯罪を起こせば言うまでもなく重罪人として裁かれる。
使用者の死亡等によって人知れず放棄されたり、紛失によって放置されたものは拾得した者が拾得場所である国家に届け出なければならないが、こっそり秘匿している者(コレクター)も多いらしい。そのため、死亡事故や犯罪が微々たる数ではあるものの起こることがあり、時折世間を騒がせる。
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