サクササー

勝瀬右近

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第1章 第12話 二律背反

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 派兵軍専用第一宿舎。その司令官執務室ではロマとデルマツィアが荷物の整理をしていました。
 ロマは本棚に本を並べていましたが足元の本を取ろうと振り返った時に机の上の書類に目を止め、それを手にとってふうっとため息をついて険しい表情でそれを見つめます。
「どうされました?」
 ロマは一枚の紙をヒラヒラさせてからデルマツィアに渡しました。それを読むなり、ああと言って苦笑いします。
「アレですか」
「ええ、アレよ。知ってはいたけどこんなに早く通達が来るとはね。噂は知っていたけど・・・」
 書類には仰々しくこう書かれています。
 
  ”隊商警備兵選考試合の案内”。

「まあ、彼らにとっては大切な儀式なんでしょう
「ものは言いようね」
 ロマは片方の口角を上げてフッと笑って見せます。
「レアンの元首、、もしくはその側近は・・・おそらく閣下がツェーデル院長と懇意にしているのを知っているのでしょう」
「だから?」
 デルマツィアは言いにくそうに掌で後頭部を摩り乍ら言いました。
「戦術でいう所の”先手”を打ってきたという事です。つまり何を言われようとこの儀式をやめるつもりはないという意思の表れですよ。その一枚の紙切れは」
 ロマは何度かうなずきました。
「ハァ・・・はっきり言って隊商警備兵選考試合なんてバカバカしい事にすすんで参加したいとは思わないけど・・・」
「断れないでしょうね。実際隊商警備は同盟条約の中に含まれた履行すべき項目ですし」
「わかってるわ」
 デルマツィアは両腕を軽く広げて言いました。
「商業活動が国家を上げて取り組む最重要事項・・・ジェミンはそういう種族ですからね。優秀な警備兵をこういう形で選考するのはどうかと思いますが、彼らなりに公正明大な選出方法なのでしょう」
 ツェーデルが困った笑顔でため息をついていたことを思い出しながらロマは椅子の背もたれに体をあずけました。まさに義理と人情の板挟みです。
「デルの言いたいことはわかるけど、私にはただのお祭り好きのこじつけにしか思えない。出来る事なら全部ドリエステル元帥にお願いしたいぐらいだけど・・・」
 ロマの困惑と険悪な感情を抑えるようにデルマツィアは「とりあえず第7師団が到着したあとに行われる着任式まで様子を見ましょう。この案内では返答期限を明記していませんから、急ぐこともないでしょう」そう言ってなだめました。
「そうね。直ぐにでも国境視察へ行きたいところだけど、着任式までここを動けないとは思わなかった。国境は大丈夫なのかしらね」
「現在国境は4000程の傭兵とレアン直属の工作兵で警備しているそうです」
「傭兵か・・・。有事の際にそんなものでデヴォール帝国に対抗できると思っているとしたら呆れた危機意識ね」
「私も同じ気持ちですが、平和だということでしょう。今のところは」
 今のところは。
 よくぞ今まで無事だったものだと思い、逆に平和の脆さを意識させる言葉です。ロマはやりどころのない気持ちを抑えようと、窓から外を見て忙しそうに行き来する兵士たちを眺めました。
「デル。兵たちの部屋は全て手配されていた?」
「ええ。これまでの報告では割り当てに漏れはないとのことです」
「そうか」返事をしながらロマは部屋をぐるっと見回します。「今日明日で片付くものではなさそうだな。デル、お前も自分の部屋の片づけを優先しろ。ここは追い追いやっていこう」
「閣下も自室へ?」
「いや。ちょっと周辺を歩いてみる。おそらくそんなことができるのは今日明日だけだろうから」
「ではご一緒します」
「いいの?」
「重要人物である閣下をお一人にできませんからね。それに、荷解きに一年はかかりませんよ」
 デルマツィアが笑いながらそう言った時、ドアがノックされました。ドアを開けるとそこにはゼンがナバを伴って立っています。ロマもデルも怪訝な表情で黙っていると、察したゼンが敬礼すると、ナバも合わせて敬礼します。
「カルロ=ゼン参りました」
「ナバ=コーレル到着ぅ!」
「どうした二人とも。私は呼んでいないぞ?」
「ハ。周辺の視察に同行しようと思いまして」
 ロマはフッと笑い、デルマツィアを見ました。
「・・・私は察しのいい部下を持ったな」
「ありがとうございます閣下ぁ!」ナバが満面笑顔で再敬礼しようと腕を上げかけた時、何かに気が付くように視線を横に持って行きます。「あ、っれ?・・・おやっさん?」
 ビットール=イサーニが自分たちの方へ歩いてくるのに気がついたナバが階級もへったくれもない呼び掛けでイサーニを出迎えます。
「ここで何をしているナバ。部屋の片付けは終わってなかろう?」
 イサーニも心得たもので、息子を叱りつけるような口調です。
「ははは~。いつだって出来るってそんなこと」
 人差し指を左右に振りながらニヤっと笑います。
「不精者め。持ってきた荷物の紐を解かぬまま一年過ごすつもりではないだろうな?」
「へっへっへ~。抜かりはないぜおやっさん。忠実な部下に任せてきたから」
「まったくおヌシという男は。部下をなんだと思っとるのだ・・・」まったく困ったやつだと息を吐くイサーニ。
「イサーニ大佐。なにか用事でも?」
 ロマにそう言われてナバから視線を動かしたイサーニは決まり悪そうにして言いました。
「あ、これは失礼を。・・・派兵は初めてではないのですが、どうも居ても立ってもいられませんでな。案内役ならできるので良ければ同行させていただこうと思いましてね」
 ロマは言葉もなくイサーニの言う”同行”という言葉を頭の中で反芻します。
「視察に行くなら今日明日しかないですからな」
 ロマはデルマツィアに微笑んでそして首を左右に降ります。「デル。お前の心配ももっともだな。これだけ私の行動が筒抜けだと、身辺警護の衛兵は欠かせないようだ」
「わかって頂けて何よりです閣下」
 デルが微笑み、みんなが笑いました。
 イサーニは顔を笑わせながら言います。「視察に行かれるのでは?」
 ロマは笑顔で答えます。
「ええ。視察と言う名の散歩に出かけるんです」
「はっはっは。なるほど、これは失礼しました。では閣下の散歩のお供ということで各々方、参ろうか」
「了解ぃ!」
 皆が指令官執務室を後に歩き出すとそこへタタタッという急ぐ足音がふたつ。
「ああ!待ってください!ガーラリエル様!」
 やれやれという顔で天井を見上げるロマ。タニアの後ろではクオーラが無表情でメガネをかけ直していました。
「タニア、お前もか」
「え?」
 ロマはフウッと息を吐いて言いました。
「お前もか、と言ったんだ」
「す・・・すみません・・・でもお前もって・・・?」
「タニア」
「はい」
「これだけは言っておく」
「ハイ!」
「私がこれから行くのは」ひと呼吸おいて人差し指を立てます「視察じゃない」
「え?でも・・・」
「少尉。これからみんなで散歩に行くんだ」
 ゼンに言われてドキッと顔を赤らめながらタニアは戸惑いの表情を浮かべます。
「散歩?」
 今度はナバがタニアの背中をポンと叩きます。
「そうだ。散歩でいいなら一緒に連れて行ってやる。来るか?」
「は、はい!・・・散歩・・・視察じゃない?」クオーラに確認するようにタニアが彼に顔を向けました。
「少尉。この際どちらでも良いと私は考えますが?」
 前を歩いてゆくみんなの後ろ姿とクオーラを見比べるように視線を動かしタニアは不承ヾヾ納得したように何度か頷き、歩き始めました。








 派兵軍専用の兵舎は5mの高さの壁にぐるりと囲まれていて、一見すると砦のような趣があります。もちろんそれとは違って門扉は開け放たれていて、開放的でしたが、そのような用途にも使えるように、ひとつの建物を一つの用途にしか使わないという考えで建てられている事は明白でした。
 兵の中の建物は6棟ほどが川の字に並んでいます。その中央の通路だけ幅が広く、兵士が整列できるようになっていました。その南と北に出入口があって、北側は閉まっていましたが南側の門は空いています。
 ロマたちが向かったのは開いている南側の門でそこには共和国軍の衛兵が数名立っていました。
 軍装を見て司令官であることを察し敬礼する衛兵に手を挙げて門をくぐると、街並みの向こうに地平線のごとく左右に延々と続く第三城壁が視界を占領しています。それはレアン共和国の首都に聳える城郭を中心にして円形に建設された城壁でした。城壁はもちろん首都防衛のためですが一枚だけはありません。背後を山にした城郭を中心に同心円状に3枚の城壁が守りを固めているのです。
 城郭に一番近い城壁を第一城壁、外に向かって第二第三と三重の備えとなっていました。
 ロマは自分たちが第二城壁と第三城壁の間にいることを知っていたので、第三城壁に背を向けて第二城壁方面へと歩き始めました。 それを見てイサーニが声をかけます。
「閣下。第二城壁の向こうへ?」
「ええ」
「おそらく入れてはくれんでしょう」
「どうして?つい先ほど通ってきたのに」
 イサーニの言葉に疑問を呈したのは、到着時にはレアンの城塞都市に山側から入り、兵舎のある第二城壁と第三城壁の間の軍事施設区域に行くにはどうしてもそれぞれの城壁の間を通過しなければならない構造になっていらからでした。
「着任式を終えていないノスユナイア王国軍は第一城壁内、及び第二城壁内に入ることはできないと言う規則が変わっていなければ、入れないはずです」
 ロマは兵舎に向かうさなか、沿道に共和国軍の兵士が必要以上に立っていた事を思い出しました。
 兵舎までの通路指示と思っていましたが、考えてみれば派兵は自分が初めてなのであって、他の大多数の者は経験済みです。道案内など必要はありません。そうであるならばあれは導くというより”指定した区域以外にはかせない”という意思表示で、つまり道を閉鎖していたという事に思い当ったのです。
「我々が常に帯刀しているということもありますし、我々がレアン共和国の裏切りを想定して師団を二分して到着させているように、彼らも我々の裏切りを想定した対応をしているということです」
「・・・なるほど」
「それに」ゼンが付け加えます「誰かが入れば我も我もと皆が入りたがるでしょうからね」
「そんなに魅力的ななにかがあるのか?」
「いや、そういうわけではないのですがあの中は道幅が狭いんです。一気に数千の兵士が入ったら通用門付近が人で溢れ返ってしまいます」
「司令官であることが証明できれば特例もありえましょうが・・・」
 そう言ったイサーニにロマは首を振りました。
「いや、やめておく。司令官職に特権があるとはいえ、率先して規則を曲げたり破るのは軍規や統率の乱れを招くからな。・・・どんな施設があるか見たかっただけだし・・・今日のところは諦めるとしよう」
 将校たちはロマのこうした高潔なところに好感を持っていました。上に立つ者ほど行動にも発言にも自由は制限され束縛されるもの。その当然の理をよく心得ている上官というのは付き従う者のもつ誇りの礎ともなるのです。
 モルドがユリアス=ロマ=ガーラリエルを司令官に推したのも彼女のこういった人柄を見抜いていたからに違いありません。
「第二城壁の内側は殆どが工房で埋め尽くされていて、そこを縫うように小型の軌道サーリングがに走っています。その周囲には職工が住居を構えるという作りになっています」
「そうそう。職場の上が寝泊まりするところなんて俺だったらぞっとするね」
 ナバがそう言うとゼンが。
「まあジェミン族は何事にも効率重視だからな」
「いずれにしても我らとはあまり縁がありませんからな。慌てずとも好いかと思います」
 イサーニのその言葉にゼンが「いやいやイサーニ大佐 お忘れですか?」異論を唱えます。
「ん?」
「公衆浴場ですよ。兵舎にも風呂はありますが、あれは風呂の用を足すだけの味気ないものです。それに引き換え第二城壁内の公衆浴場はまず風呂づくりの理念からして違うんです。行ったことがないのですか?」
「手近で用が足りるとどうも足が遠のいてな。それに国境警備は月番になっているから、実質この街にいるのは半年ほどだしなあ」
「それなら一度みんなで行きましょう。芸術的観点からも見ごたえがあってなかなか楽しめますよ。彫像や壁画は一見の価値あり、です」
「ほほう」
「公衆浴場か・・・。行ってみたいものだな」
 興味を持ったロマにデルマツィアが釘を指すように言いました。
「閣下。確かに良いところではありますが、ご自身が司令官というお立場にある事をお忘れなさいますな。重要人物であるあなたが公衆の施設で無防備になるのはいかがなものかと・・・」
「ああ・・・たしかに素っ裸じゃなあ」
 ナバがそう言うとタニアが顔を真っ赤にしました。
「コーレル大尉!」
「な・・・んだよ」
 素っ頓狂な声にナバが少しのけぞります。
「言葉にご注意ですよっ」
「んなこと言ったってタニア。風呂はすっ裸で入るもんだろうがよ」
「それはそうですけどっ。もっと言い方があると思いますっ」
「どう言ったって同じことだろ?裸は裸だ。男同士裸の付き合いってのはいいぞ。おれがゼンと知り合ったのは確かあそこの公衆浴場だったよな?」
「ああ。そういえばお前が俺の石鹸を盗もうとしたのがきっか・・・」
「ガーラリエル様も私も女です!」
 ヒステリックに叫ぶタニアにゼンは思わず言葉を飲み込んでしまいました。
 そんなタニアにナバが手を叩いて言います。
「あ、そうだ。お前閣下と一緒に入ればいいんだよ。風呂専用の護衛として」タニアは考えもしなかった提案に目を丸くしました。
「え?!」
「そうだな。タニアその時は頼むわね」
「ガ、ガーラリエル様?!」
 公衆浴場と言えば当然大勢の人で溢れています。そして当然全員が裸。人前で裸を晒すなどタニアには考えもよらないことでした。レアン共和国と違ってノスユナイア王国には公衆浴場というものはありません。風呂といえば兵舎にある女性専用の個室浴場か自宅で入るものだったのです。
 第一、デルマツィアの言うように万が一のことがあったら一糸まとわぬ姿でその場から逃げなければならないかもしれないのです。タニアはそれを考えただけで体が震えました。顔がまるでお風呂上がりのように真っ赤です。
「ダメです!絶対ダメ!はしたない!」
「だけど防疫の観点からも入浴はたいせつ・・・」
 ロマは至極当たり前のことを言いました。
「だめったらダメですっ!!この話はおしまい!ゼン中佐もコーレル大尉もそれ以上言ったら軍法会議です!」
「少尉落ち着いて」クオーラがそう言ってなだめると、タニアは目をキラリとさせて彼を睨みました。
「クオーラ?・・・。あなたは行かないわよね?」
「え・・・でも私は男ですから・・・」
 目を剥くタニア。
「まああああ・・・・・行くつもりなのね?裏切り者!」
「裏切り者って・・・」
「タニアもうわかった。そんなに言うなら入るのはやめるわ。少し落ち着きなさい。伍長も困ってるわよ」
 ロマは困り果てた感じでタニアに言いました。
「ほんとですね?約束ですよ」
「わかったわかった。約束する」
 ふうっと息を吐いてようやく剣幕の刃を鞘に収めるタニア。
「俺たちは行こうな。ゼン、クオーラ。おやっさん背中流してやるよ」
 嬉々とするナバに呆れ顔のタニア。これは他国の文化に馴染める者とどうしても受け入れがたい者とのまさに陰影を分けた構図です。前者であったロマはナバとゼンがちょっとだけ羨ましかったようで、内心ではタニアに内緒で行こうと考えていました。
 レアンの民は男も女も殆どが手に職を持っていたので一年中忙しく、入浴だけでなく食事、修繕など自分の出来ないことはその道のプロにまかせているようです。公衆浴場や居酒屋、そして食堂は一日の疲れを取るための癒しの空間であるだけでなく、彼らのコミュニケーションの場であり、情報交換の場でもあったのです。アウトソーシングがひとつの文化として発展するのは当然の帰結でした。


「ゼン。第七師団が駐屯する兵舎はどこにある?」
「それなら我々の兵舎から・・・徒歩で30分ほどの所に」
「30分。・・・2kmというところか」
「ついでですから説明しましょう」デルマツィアがそう言って指をさしながら話を始めました「レアン城を中心とした城壁は三重の同心円となっています。城は山の斜面に建っていて都市部は裾野となっているため城壁の全体像は半円形となっています。高さは平均8m、高いところでは十数mあります」
「ふむ」
「そして我々が今いる第二城壁と第三城壁の間隔は約5km。有事の際に兵を展開させるために広くとってあるとのことで畑が多く、建物もまばらになっています。建物は我々の滞在する兵舎や共和国軍施設のほかに傭兵を相手にした宿泊施設や店舗が点在しています」
 ロマが頷きます。
「詳しいなデル」と感心したのはナバです。
「城塞都市の外縁に当たる第三城壁の総延長は約25km。装備なしの状態で端から端まで行軍すると半日はかかりますね。そして城壁をくぐる城門は第二第三共に約3km毎に設置されています」
「25km?半日も!?広いんですね!」
 タニアが驚きの表情で言うとイサーニが説明を加えます。
「だが各城門や拠点間の移動は軌道サーリングで移動することになる。それなら端から端まで止まらずに行けば1時間くらいで行けるんだよ少尉」
「1時間ですか。はぁぁ~でもすごい・・・。ちょっとした旅行ですね」孫と祖父のように微笑み合うタニアとイサーニ「ははは。旅行か」
「確かに広大な都市だな。軌道サーリングは借りることが出来るのか?デル」
「有事の際には軍事利用が優先となり、その際に動かす列車も軍用に作られた特別仕様車になりますが、平時は一定の料金を払って乗ることになります」
「そうか。わかった」
「しかし我が国のものとは規模が違います・・・。百聞は一見に如かずです。行ってみますか?」
「そうだな。移動手段は確認しておきたい」
「ゼン。ここから一番近い乗り場はどこだったかな」
「ええと・・・確か駐屯地からだと・・・向こうのはず」
 知っているとはいえゼンが派兵でここへ来てから10年経っています。以前の記憶を辿りながらゼンがその方向を指差し、皆そちらへと歩き始めます。
「静かだな・・・」
「国境から傭兵が戻ってくれば賑やかになりますよ。・・・そういえば前回もな若い兵が傭兵といざこざを起こして懲罰房に放り込まれたなんて話を聞きました」
「ああ、それおれおれ」
「お前か!」
 畑以外は傭兵の宿泊施設や軍事用倉庫などがズラリと立ち並ぶ味気ない閑散とした風景のなかを歩き、15分ほど歩いて到着したサーリング乗り場は思ったより賑わいを見せていました。
「約3kmごとにある停車場の周りは繁華街です。我々が居るのは軍施設の区域ですから軍人相手の店が多いんです」
「ほう」
 雑然とした感じのするそこは明らかに異国を思わせました。
 街には相乗りの小型のサーリングが並んで客待ちをしていたり、大きな倉庫が軒を連ねて、その前ではジェミン族が忙しく動き回り、かたやテラス形式の店の前では傭兵らしき人々が食事をしたり酒を飲んでいたり、休憩中なのか噴水の前でアコーディオンを奏でている人の姿が見えます。
 ノスユナイア王国とは全く違う風情にロマは暫し旅行者のような気持ちになりました。ノスユナイアで音楽といえば宮廷音楽が普通なので、気軽に街中に楽器の音が流れるというのは不思議な感覚だったのです。
 ロマの同行者たちは、そういえばノスユナイア王国には気軽に街中で楽器を演奏している者などいないとか、それは慣習や文化の違いだとか、知っている酒場を見てあそこの料理は旨かったとか、非番の時に良く行った店の踊り子が綺麗だった、10年経ったがどうしているかとか、初めて見る者は興味津々とし、経験者は過去に経験したひとつの記憶から芋ずる式に言葉が溢れ、各々に様々な話題が花開きました。
「お、軌道サーリングが到着するようですな」
 イサーニが指す方角から短く4~5回汽笛が鳴らされ、ゆったりとした速度でやって来たのはロマやタニアが今まで見たこともない機体でした。石畳がきれいに敷かれた上に3対の軌道が通っていて、その上を機械音を響かせて来たのは荷物を満載にしたサーリングです。
「何台ものサーリングが連なってる!」
 思わず小走りにそちらの方へタニアが足を向けました。
「タニア!」
 彼女は腕をつかまれ、すぐ目の前を荷物を満載したサーリングが通り過ぎてゆきます。それほど速度が出ないとはいえ、時速30~50kmです。当たりどころが悪ければ大怪我することも珍しくありません。すんでのところで難を免れました。
「タニア大丈夫か?」
「は・・・ご、ごめんなさいわたしつい・・・」
 ロマにつかまれた腕をさすっていたタニアにクオーラがさりげなく治癒魔法をかけます。意外と強くつかまれたのでしょう。
 ブレーキ音を響かせて止まったサーリングから老人が慌てて降りてきます。
「ばっかもーん!急に道に飛び出すものがあるかぁぁぁぁぁ!」
 声を荒らげて顔中にヒゲを生やしたその老人はいかつい顔でタニアにのしのしと近づいてきますが、目の前までくるとタニアの無事な姿にホッと胸をなでおろし顔をクシャクシャにしました。
「怪我はないようじゃな。よかった。あんたのような綺麗なお嬢さんに傷でも付けたらわしの全財産が吹っ飛んでしまうところじゃったわい」
「すまなかった。この者は私の連れで・・・」
「あんたが謝ってどうする。謝るならこの子じゃろうが?」
 部下の不始末を詫びたつもりでしたが老人の言うことも正論です。タニアは慌てて頭を下げました。
「ごめんなさい。おじいさん」
「うむ!。気をつけなされよ。ほれ、あの標識を見なさい。ここは横断禁止と書いてあるんじゃ。道を渡るならあの横断専用の・・・」と、そこまで言いかけて目の前の一同を見て言葉を止めました。「おぬしら軍人か」
「我々は王国軍・・・」
 デルマツィアの声を遮ってロマが言いました。「そうなんだ。今日付いたばかりで、私やこの子はここが初めてだったものだから・・・迷惑をかけてしまってすまない」
「王国軍?今日?ああ、ノスユナイア王国軍じゃな。もうそんな時期か。お仲間にもちゃんと言っておいてくれよ。交通標識はよく見ろと。あんたがたが来るのはありがたいが事故が増えてはお互いのためにならんからな」
「周知しておきます」
「んむ」
「じいちゃん!そろそろ行かないと納品に遅れるぞ!」
「わかっておるわ!」
 サーリングの運転席から顔を覗かせていたジェミン族の若者がやってきます。
「怪我はなかったんだろ?」
「わしの運転技術が優れておったのと、神のご加護じゃ」
 親指を胸に突き立ててニヤリとします。
「またそれか」
「まあ今回はご加護が2割。いや3割ほどだったかな?あんまり割が高いと後に響くでな。カッカッカ!」
 呆れたように若者が首を振ります。「あんまりご加護を値切るなよじいちゃん」
「ひゃっはっは!最近ご加護も高くつく。値切りはコバ神様も許してくれるさ」
「どうかな。じいちゃんの値切り方はどぎついからな。そのうち売ってくれなくなるぜ。ひひひ」
「何を言う。今までコバ信仰にいくらかけてきたと思っておるんじゃ、まだまだ元は取れておらん!」
「元取る前に死ぬなよ」
「それが孫の言葉か!嘆かわしい。わしがお前ぐらいの時には先達を敬って・・・」
「取り込み中申し訳ない」
 止まりそうもない二人のやりとりを中断させたのはゼンでした。二人がゼンを振り返り、驚いたような顔をし、そしてまたやってしまったとでも言うように照れ隠しに笑い顔を作りました。
「ごめんよ軍人さん。じいちゃんと話してるといつもこれなんだ。あんたたちも忙しいよな?俺たちそろそろ行くよ。もう道に飛び出すなよ。ホラ急ごうじいちゃん。輸送ギルドの大将は口うるさいんだから」
「わかっておるわい。まったく・・・ジョルダスの奴が無茶な受注をしたおかげでここ2~3日忙しくてかなわん。手に豆を作るなどなん年ぶりだか・・・」
「だからもっと人を雇えって言ってるのに・・・」
「人が多ければ良い仕事ができるというわけではないわっ」
「それに兄貴の売り込み上手は爺ちゃんだって認めてただろ?文句言うなよ」
「それとこれとは・・・」
 小走りに行こうとする二人にロマは思わず言いました。
「私はガーラリエル!貴公等は!?」
 すると二人はパッと振り返り声を揃えて言いました。
「我らはゲーツィエじゃ!よろしくな!」
 運転席に二人が飛び乗るとガシャガシャとエンジンが音を立て、サーリングが遠ざかってゆきます。
「面白い親子だな。いや孫といっていたか」
「なんとも忙(せわ)しない。ジェミン族は本当に商売に情熱を傾けているのですね」いつもは冷静を装っているクオーラが珍しく驚きを含んだ表情で呟きました。
「積荷は石材のようだからあの二人は石工だな」
「そのようですね。さて・・・あれ?タニア?」
 ゼンがタニアがいないことに気がつき、周りを見回すと。「ガーラリエル様~ぁ」少し離れたところから手を振っています。
「ここが横断用の歩道みたいですね。ほら赤と青の発光クリスタルが」
 高い柱の上に二つの丸い窪みがあって、そこにクリスタルがきれいに並べて嵌め込んであります。道を渡ろうとしていた人が柱の根元にあるボタンを押すと発光色が変わります。道を渡るための仕組みでした。
「そういうことか。するとあのクリスタルが・・・」
「赤になってサーリングが止まったら道路を渡って良いということですね・・・。でも発光クリスタルの魔力はどうやって補充しているのかしら・・・」
 イサーニがボタンのそばに書いてある札を指さしました。
「少尉、これを見てごらん」
「え・・・えぇと・・・」
 そこには、魔法使いがここを通るときにはクリスタルに魔力を注ぐようにという文言があったのです。
「金勘定にはうるさいくせに、魔力はタダでよこせってか」
 ナバはハハッと笑いました。
「道行くものに助力を期待するというのは面白い制度だな」
「寄付という事ですかね」
「じゃ、あたしも」
 タニアはそういうと発光クリスタルに向けて魔力を注ぎました。ボヤっとした光が煌煌とした輝きに変わります。
「おおすげぇ明るくなった。・・・やりすぎたんじゃねぇのか?」
「今の寄付は大尉の分も入ってますから、あとで返してくださいね」
「えー」
「ははは」
 青になった信号を確認してから全員が広い道路を渡り、ようやくサーリングの停車場へ到着することができました。
 いろいろ見て回る内にロマはあることに気がつき、こう漏らしました。
「この規模のサーリングは軍用だな」
「そのようですね」
「便利すぎるな・・・」
「便利すぎる?どういうことです?」
「ゼン。我が国の軌道と比べるとレアンのものは倍以上の規模だ。この規模であれば大量の兵士を戦地に送り込むのも容易いだろう。だがもしもこの軌道が敵の手にわたってしまったとしたら逆に地の利を与えることになりはしないか?」
「確かに」イサーニが頷きます。「しかし閣下。これは彼らにとって商売がなにより重要という考え方の上に発展してきた文化の結果ですからな。敢えて申し上げますが、そのお考えは危険です。誰かに奪われるからそれをするなと言ってしまえば刀一つ造れなくなってしまう」
 初めて見た物に対して危惧を感じるのはロマに限った話ではなく誰でもそうです。物事を理解するというのは一朝一夕にはいかないことでした。
 かつてロマと同じように考えたことがある男たちはその気持ちを掬い取って言いました。
「こうした便利な施設を守るために我々軍人がいるのです。政治の力もそのためにある。民の、そして国家の文明や文化を守るために、ね」と、イサーニ。
「平和に慣れて油断するというのは少なからずありますが、それは人である以上仕方ないことです。だれでも平和を愛していますからね。我々軍人は平和を守るためにこれらを受け入れなくてはならない」
 ゼンが自分の胸に手を置きます。
「文明の発展に対するジレンマは尽きませんが、負の部分にばかり目を向けていては発展は望めない。二律背反とはまさにこのことです」
 彼らの言葉を聞くとロマはフッと息を吐いて顔を上げました。
「この国にはこの国の事情があるということか。私が心配することではなかったな」
「閣下の抱いている気持ちは決して間違ってはいないと私は思いますよ。文明というものが生み出すあらゆることに内包される危機的因子に常に注意を払うのは勿論必要なことですが」と、デルマツィアは言葉を続けます。「万が一のためにこの国にいる我々はあらゆる情報を頭の隅に置いておくことは重要なことです」
 彼なりにロマを擁護したのでしょう。「その通りだ。まったくそのとおりだと思うよ」ロマはうっと言って体を伸ばしました。
「異国というのは刺激が多いな。人生の経験値が上がっていくのが意識できるほどだ。来て良かったよ」
「ドリエステル、ゼーゼス両元帥に感謝ですかな?」
「それは別」
「さあそれじゃあ閣下。暫し列車の旅と洒落込みましょう。終点まではいけませんが、ふた駅ぐらい行って戻ってくるぐらいならすぐだし」
 ナバはロマと目を合わせながらそう言うとすかさずゼンに二本指を立ててニヤッとします。
 今日の分の2秒が達成できたという事かとゼンはフッと息を吐いてあきれ顔を作ります。

 一行は駅で停車している5両編成の列車に乗り込みテラスになっている最後尾車両に陣取りました。
「タニア、クオーラ、ちょっと来い」
「え?」
「どこへ?」
「レアンに来た最大のお楽しみがこの先にあるんだ。いいから来いって」
 ナバはそう言って二人を連れて先頭車両の方へ行ってしまいました。
「お、動くぞ」
 連結器のガチャガチャという音が先頭車両の方から順に聞こえるとゆっくりと速度を上げていきます。
「まあ、一般客車ならわが国でも同じですからね。取り分けて珍しくも・・・」
「だがこの景色はココだけのものだ。いくら走っても城壁が両側に聳えているというのは中々面白い」
 ロマは少し冷たい風を頬に感じながら行く手に続く城壁を眺めています。
「揺れも少ないな」
「機械の製造技術力ではジェミンに譲りますからな」
「線路の敷設、バネの材質、きっとこだわって作ったのでしょう」
 そこへナバが戻ってきます。
「おまちどう!」
「お!早速買ってきたのか」
 ゼンがナバの持ってきたものを見てニヤリとします。
「おおよ。レアンへ来たらこれだよこれ!」
 ナバが手を使って紹介するような仕草をすると給仕用のカートの上に底が広くなって倒れにくくなっているグラスが人数分並んでいました。
「10年待たされたぜ」
「何を大げさな。お前休暇でレアンへは何度か来てるだろ?」
「まぁな。でもこれからの一年間は本物を飲み放題だ。さあガーラリエル閣下もどうぞっ」
 嬉しそうに笑ってカップを皆に渡すと、「これは?」ロマが受け取ったカップを覗き込みます。
「おっと!まだ飲まないでくださいよ。飲むのは俺の説明が終わってからってことで!」
 顔をしかめたのはロマとタニア、そしてクオーラです。ほかの者はなぜかニヤニヤとしてナバを見ていました。
「閣下。ラッテチーノの実はご存知ですよね?」
「ラッテチーノ?果実はあまり見たことがないが、瓶詰めの飲料ならわが国ではたまに売っているな・・・」
「ノスユナイアでは一個50テルスぐらいで売っていたのを見たことがありますよ。確か冷凍もので」
 クオーラのその言葉に皆が悄然とした感じで頷きます。無理もありません。50テルスと言えば一般家庭でのだいたい三日分の食費に相当しました。上級将校とてなかなか手の出せるものではなく、貴族の食べ物といえます。
「高価ですよねぇ」
「みずみずしい甘さが人気ありますねあの果物。でも瓶詰めのラッテチーノは10テルスぐらいで売ってますよね?シロップ漬けで」
 タニアが言うと、ナバが人差し指を立てます。
「あれは偽物なんだタニア」
「ええ?偽物?」
「ああ。俺はこと食い物については嘘は言わん」
「でも偽物が売られているなんて聞いたことないですよ?大尉」
 クオーラも訝しげです。
「お前らそのくそ高い偽物を食ったり飲んだりしてどうだった?」
「そりゃ・・・それなりに」
「値段なりにおいしいと思いましたけど・・・」
 ナバはふふんと鼻高々に笑顔を作ると。
「ようし!不信感が頂点に達したところでグっといってくれ!さあ閣下もどうぞどうぞ!」
 機は熟したといった感じの口調でそう言うと、手を差し出してさあ飲んでと勧めます。
「まるでお前が作ったみたいだな」ゼンがニヤッとして言いました。
 ラッテチーノの実がノスユナイア王国で珍しいのは理由があります。まずこの実がサホロ公国の特産であること。そしてラッテチーノの木は成長が非常に早く、その果実は柔らかいという特徴。実が柔らかいので輸送耐性が低く、それがノスユナイア王国には輸出されない一因ではありました。が、もっと重要なことはこの実は発芽が異常に早い事。発芽を抑えるためには冷やすことが肝要でしたが、その温度管理がかなり厳しいのです。
 冷却クリスタルで冷やしながら輸送すれば発芽時期を遅らせることもできますが、それでもノスユナイア王国まで持って来てみたら全ての実が発芽してしまっていたり、冷やしすぎによって凍ったり萎れて食用できなくなっていることがほとんどで、ジェミン族もあまりの管理の難しさに果実の状態で貿易品として扱うのは誰かから依頼があった時のみと決めているのです。
 サホロ公国ではこうしたサホロでしか育たない農産物が多いのですが、ノスユナイア王国において特にこのラッテチーノは保存も運搬も難しいものとして珍重されている幻の・・・とまで言われる果実のひとつなのです。
 タニアが一口飲むと、ラッテチーノ特有の甘さが口いっぱいに広がります。ところが。
「おいし・・・ん?・・・酸っぱい?あらこの香り・・・?ええ?」
 いつも自分が飲んでいるものとは明らかに味が違う。タニアは唖然としました。
「発酵させてはいないのよね?」ロマは一度味わってからまた確かめるように飲みました。「甘いだけじゃない・・・なにかしらこの味・・・とても複雑な味ね・・・」
 発酵させていないのにまるでお酒のような味わいと、ラッテチーノならではの芳醇な香りはナバの言うとおりノスユナイアで飲んだ物とは全く違うものでした。ナバが『あれは偽物』と言ったのは過言では決してなかったのです。
「製造の過程か、保存の状態で味が損なわれるのね。これは美味しいわ」ロマの表情が自然と綻びます。
「新鮮なラッテチーノならではのこの繊細な味が俺の心を射止めたってわけですよ」
 得意顔で言うナバの言葉に失笑したのはゼンです。
「お前の口から繊細なんて言葉を聞くとはな」
 しかしナバは自らの胸に親指を突き立てて誇らしげに言いました。
「あまく見るなよゼン。俺は千の味を噛み分ける男だぜ」
 食い意地の張っているナバなら「納得」と、皆が笑って頷きました。

 ナバが言ったとおりにふた駅で引き返し、短い列車の旅を終えた一行は乗車した駅に到着。そこで初めて乗り場のある街がベベルガという名であることをロマは知りました。
 ベベルガの街から戻ったロマは、兵士たちを集めてと夕食を取りながらの状況報告を兼ねた将校会議、そしてドリエステル元帥指揮下の第七師団が明後日到着してから執り行われる着任式の詳細を確認し初日を終えたのです。







■隊商警備選考試合


 翌日。
 ロマはその日、午前中は荷解きに、そして午後は少し第三城壁の外を歩いてみようと考えていました。昨日の夕食の時に第三城壁の外ならば咎め立てられることもないだろうと考え、デルマツィアに聞いてみたら大丈夫ということを確認できたからです。
 荷解きを大方終え、空腹を覚えたので部屋を出て食堂へ向かいました。
 食堂に着くとそこに幾人かの兵士たちが食事をしながら談笑しているのが見えました。
 席に着く前に配膳室の前に注文をしに行くと、カウンターの向こうからジェミン族の女給仕がにこやかに近づいてきます。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
 女給仕はニコリとしました。
「食事でしたら向こうのお盆を取ってきてからお好きなものをご自分でお皿に盛って行ってくださいね」
 ロマはなるほどと頷いて言われた通りに取ったお盆の上にお皿を載せ、パンや惣菜をそれに載せてゆきました。
 大勢の食事の場合はこうしたほうが効率的です。
 選んだのは少し硬く焼いてあるパンをふた切れとバター。色とりどりの野菜たっぷりのサラダ、そして鳥のモモ肉の揚げ物に辛めの赤いソースをかけ、デザートはフルーツの盛り合わせです。
 ロマはお盆に乗った自分好みのメニューに少し嬉しそうにしながら席へ着き、さあ食べようという段になって。
「閣下!?ここで何を」
 そう声をかけてきたのはデルマツィアでした。
「やあ。デルも食事か?好きなものを取って食べるのは楽しいな。お前も持ってくるといい」ちぎったパンを口に入れたロマは上機嫌です。「焼きたてだな。美味しい」
「閣下。上級仕官は別に部屋があるのです」
「別?」
「ええ。ここは兵士用の食堂で、二階に上級仕官用の食堂があるんです。ご存じなかったのですか?」
 口をもぐもぐさせながらロマは要領を得ない顔になります。
「なんで?」
 デルマツィアは更に鳥肉をナイフとフォークで食べ始める司令官に決まりが悪そうな顔になって言いました。
「つまり。昨日も申し上げたようにあなたは重要人物なのです。もしも毒など盛られていたら・・・」
 ロマは一瞬口の動きを止めて、また動かしました。
「嘘みたいに美味しい!この食事が一年間食べられるのか。ノスユナイアの食堂とは大違いだな」
「閣下私の話を・・・」デルマツィアがそう言いかけたところに。
「この席は空いてますか?閣下」
 やって来たのはゼン。デルマツィアはゼンの持っているお盆を見て驚きました。
「ゼン中佐。君・・・」
 デルマツィアは階級が少佐以上の上級仕官が二階の特別室で食事を摂るのを通例としていることをもう一度はっきり言おうとしました。が。
「あ!閣下も来てたんすか!」
 お盆を二つ持ち、そこに山のように食べ物を積んで上機嫌のナバに邪魔されてしまったのでした。彼の後ろには部下を数人連れています。
「お前ら、閣下に失礼がないように着席しろよ。マナーだぞマナー!」
「大尉こそ食べ散らかしてみっともないことしないでくださいよ!」
「そうそう。食べるときには喋らないで」
「あっちこっち目移りしないで」
「お前らバカ言うな!俺のナイフとフォーク捌きを見て驚くなよ!」
「お手並み拝見だな。ナバ」
 ロマがそう言って笑うとナバの部下の一人が立ち上がって敬礼し言います。
「閣下。報告いたします。大尉殿は先日手づかみで食事しておりました!」
 一同爆笑です。
「おま!余計なこと言うな!あれは臨機応変ってやつで・・・」
「手掴みというより、あれは鷲掴みだった気もします!」
 完全に無視された形に唖然としているデルマツィアにロマは言いました。
「デル。私は兵士と共に食事を摂りたい。規則もあろうが私はこのほうが好きだ」
 デルマツィアは本当はわかっていたのです。ロマが特別扱いを嫌うことを。ひとしきり小さく肩を上下させてその場を立ち去りました。
「怒らせてしまったかな?」
「まあ。職責上仕方ないのでしょうが・・・。それにしてもこの鳥肉は美味いですね。ソースが絶品だ」ゼンがモグモグしながらなんども頷きます。
「私も驚いた」笑うロマ。
「くはー!初日の食事がこれか!一年食いまくってやるぜ!」
 ガツガツと食べ始めたナバを見ながらゼンが周りの兵士たちに言います。
「お前たちよく見ておけよ。大尉殿のマナーをな」
「ハ!こうでありますか?!」
 ナバの真似をしてガッツキ始めると、口に食べ物を入れたままモーモー不服を言うナバ。それも真似する部下たち。
 モーモーモー。
 呆れた顔で笑うロマが食事を続けているとそこにデルマツィアが戻ってきました。
 手にはお盆です。
「閣下お隣に失礼します」
 ナバたちとその部下とで騒がしかった場が静まります。
 ロマが手でどうぞと勧め、座ったデルマツィアを見てゼンが何か言おうとすると、デルマツィアはナイフとフォークを持って言いました。
「ゼン中佐。コーレル大尉。君たちには呆れた。だがこうなってしまってはわたしもこうするしかない」
 そう言って、持ってきた鳥肉の料理を上品なナイフ使いで切り、フォークに突き刺し、口へと運びました。
「閣下にもしものことがあって私だけ生き残ってしまったら申し訳が立たない。一蓮托生だ」
 モグモグと口を動かすデルマツィアを見てゼンはフッと笑います。
「悪かったよデル」
 フォークでゼンを指して「本来なら・・・」何か言おうとしたデルマツィアはハタと動きを止めて目を少し動かしました。そして呟くように言います。
「美味い・・・」
 その言葉を皮切りにまたナバとその部下たちの談笑しながらの食事が再開されました。
「デル。食事とはそういうものなんだと私は思うよ。共に戦う仲間とは同じ釜の飯を食う。だからより美味いと感じる」
 ロマがデルマツィアに言った言葉は実は近衛時代にモルドから聞かされた言葉でもあったのです。
「しかし規則は規則です。閣下に万が一のことがあれば困るのは我々将兵なのですから」
 ふっと息を吐いてロマは言いました。
「わかったよデル。それなら・・・」
「食事の際には必ずお供させて頂ければ目をつぶります。規則は人を縛るものではなく、より良い方へと導くものなのだと私は解釈しております。食事が閣下の指揮に影響を及ぼすというのなら、それはそれで問題ですから」
 素直じゃない。ゼンもロマも同じくそう思い、それでも美味しそうに食事を続けるデルマツィアに微笑みました。
「上級仕官付きの給仕には私から話しておきます」
「ありがとう」
「私は参謀です。礼には及びません。それより食事をお続けください。冷えてしまっては美味さも半減してしまいます」
 気がついたようにロマもゼンも食事を再開しました。
「そういえば閣下」
「ん?」
「先ほど伝令が到着しました」
「来たか」
「ドリエステル元帥指揮下の第七師団は明日の昼前に到着するとのことです」
「そうか。では着任式は明後日で問題無いな」
「はい。・・・ああ、それから」
 水を一口飲んで布巾で口元を拭うとデルマツィアは隣のロマに視線を向けて言いました。
「例のアレなんですが」
 ロマが憂鬱そうに「ああ。あれね・・・」フウッと息を吐くと、「アレ?」含みを持たせたふたりの言葉にゼンが聞き返します。
「君も知っているだろう?例のアレだよ」
 そう言われて、ああ「あれか・・・」と納得したゼン。ロマがツェーデルと幼馴染であることを知っていたので少し態度が微妙です。
「返答の督促がきましたよ。参加するや否や?と」
 口の中のものが無くなってからロマは言いました。
「どうしたものかな。ドリエステル元帥が到着したら一任する旨を伝えようと思っていたんだが・・・」
「閣下。まずそれは無理かと・・・」
 ゼンが少しおずおずとした感じで言います。
「どうして?」
「実は過去にそういうふうにしようとした司令官がいたのです。ガーラリエル様が司令官になる前のことですが・・・」
「ああ、たしか二人・・・」
 デルマツィアも知っているようで前に頷きかけます。
「誰?」
「ひとりはボーラ元帥です」
 納得。ロマはほほえみを交えて頷きました。
「もう一人は?」
「ノーエル元帥です」
 意外というより、どう反応したら良いのかわからずロマは眉をあげ「あの人か・・・」と、言いながら過日自分の着ている軍服を褒められたことを思い出します。
「ボーラ閣下はあの通りの方ですからわからなくはないんですが。でもノーエル閣下は当時まだ元帥号を頂いたばかりで、正規の軍務に専念したいという思いがあったから、というのがもっぱらの噂です」
「うわさ?」
「当人が何も言いませんので」
「ふ。なるほど」
「ノーエル元帥の時は確か5年前の派兵で、その時に同僚になったのは・・・」
「第二師団のコッツォーラ元帥・・・だな」
 第二師団司令官カニエム=サダ=コッツォーラ元帥。この人は貴族で軍人家系に生まれた所謂高貴な家柄の人物でした。年齢は既に66で最高齢司令官でもあります。
 その名前を聞いたロマが表情を曇らせました。今から7年ほど前に国王が北岸地方の視察を行う事になりました。北岸地方にはこのコッツォーラ元帥の属す一族が治める所領があり、ならばと元帥が警護に自分の師団から警護に人員を割くいて同行させたいと言ってきたのです。しかもその数は1旅団、およそ2000名です。
 軍隊には軍隊のする役割というものがあって、いくら国王の警護とはいえ国内の視察に2000人は多過ぎるのではと、モルドが至極まっとうな意見を言ったところ、コッツォーラは不快も露にこう言ったのでした。
「たいした地位にも付いたことがない家系で、士官上がりの貴様にどうこう言われる筋合いはない。陛下の覚えがめでたいからといい気になっているのではないか?癇に触る男だ」
 この時ロマは副官として同行していて、彼のその言葉を聞いた時に腹を立てたのを思い出したのです。
 そんな性格の男だったのでおそらくノーエルと隊商警備選考試合の時も圧状(おうじょう)ずくめに了承させたのだろうと、ロマはフッと強めに息を吐き出しました。実際彼女はコッツォーラが好きではありませんでした。

 隊商警備選考試合。
 確かに考えるまでもなく隊商警備は商を生業とするジェミン族にとって重要であることはロマにも理解できます。しかし自分たちはそんなことをしにはるばるやって来たわけではないという気持ちもやはりあるのです。
「お前たちの時はどうだったのだ?やったのだろう?その選考試合とやらを」
 ナバとゼンが視線を合わせてからナバが答えました。
「俺たちの時は出させてもらえませんでしたよ。なんたって新兵だったし。な、ゼン」それを特に残念とは思っていないというように肩をすくめて頷くゼン。
「やることはやったのか」
「ええ。ただ選考試合と言ってますが、あれはどちらかというとお祭りですよ」
「本気半分というところなのか?」
「そういうわけでもないんですが、・・・実際の状況を説明すると、円形競技場で試合をするんですが、競技場にはものを食わせる店や酒を振舞う店が多く出て、つまり・・・商売をするんです」
 商売。ジェミン族の飽くなき利益の追求には頭の下がる思いでしたが、少々うんざりともしてきます。
「また商売か・・・」
「ええ。結構な売上があるらしくて、競技上でのそれを生業にしているジェミン族も多いようです」
「客の中にはこの試合が開催されることを知っている外国の旅行者も多いという話です」
「要するに試合は客引きのネタですね。でも試合そのものは審判員もいて規定もあるから、いい加減なものではないですよ」
「規定とは?」
「ええと・・・。気絶したり降参したら負けとか・・・。場外に追い落とされても負けです」
 ナバがゼンの説明に付け加えました。「それと、審判員が相手に会心の一撃を与えたと判断すればそれが一点となり、3点奪われると負け・・・だったよな?」
「だな。あとは誤って殺した場合も負けになるという話ですが、少なくとも今までの間にこの試合で誰かが死んだという話はないはずです」
「ふむ。武器や防具は?」
「防具は完全装備で。ただし武器は未研刀で形は好みのものを選択できます。そしてこれらの規定を破るいわゆる反則行為も即刻負けとなります」
「ふうん・・・試合形式は一騎打ち?」
「はい。双方5名ずつが出場して、勝ち抜き形式です」
「そうか。出場する兵士の選抜は誰がする?」
「あなたです」
 肩をすくめるロマ。
「閣下でなくともいいと思いますよ。誰が選ぼうと要は頭数が揃えば良いのですから」
「5人か・・・。ちなみに私が出場してもいいのか?」
「それは・・・」
 思いがけない質問に一瞬静まり返りましたが、デルマツィアが答えました。
「司令官自らが出場した例はないですね。私は当然反対しますが・・・」
「たいていは志願者を募って、決まらなければ推薦とか・・・」
「進んで出場したがる者なんているのか?」
「そこなんですが・・・、まあ呆れるでしょうがけっこういるんですよ。血の気の多いのが」ゼンはそう言ってナバを ちらりと見て苦笑いします。
 ロマは少し考えてから口を開きました。
「・・・できれば万が一の時のためにも兵士には怪我をさせたくない。こんな馬鹿げた方法以外に選抜する手段などいくらでもあるだろうに・・・。一年の間に何回あるんだこれは」
「概ねですが、月に一度ほどかと」
 あきれ返るロマ。
「そんなに・・・ジェミン族はよほどお祭り騒ぎが好きらしいな。そんなことをするために来たわけではないのに・・・」
 そこに更に肉を皿に盛って来たナバが嬉々とした感じで言いました。
「閣下。こう考えたらどうです?」
「ん?」
「これは親善試合とか、実戦的模擬訓練と考えるんです」
「ナバ。軍隊では個人技を競う必要性はない、と私は思うけど?」
「はあ・・・」
 すげない返事に肉にかぶりつきながらも肩を落としかけます。
「とはいえ・・・」ため息をついて頭を掻くロマ「どうやら断りきれないようだし・・・」ツェーデルの顔を思い浮かべながらロマはもう一度小さく息を吐きだしました。「自分の部下が腰抜け呼ばわりされるのは本意じゃないし・・・」
「それじゃ!」
「仕方ないわね・・・」
「おっしゃあ!」
 拳を握ってみなぎるナバ。
「ナバ、お前まさか・・・」
「一回出てみたかったんだよな俺!」
「怪我してもしらんぞ」唖然としてため息混じりにゼンがそう言うと、「バカ言え!このナバ様が剣闘試合ぐらいで怪我してたまるかって!そうだレン、お前も出ろよ!な!?」
 部下に向かってナバがそう言いましたが、レンと呼ばれた彼は乗り気ではないようです。
「俺は遠慮しておきますよ大隊長」
「なんだよレン。お前ほどのミノーの使い手なら楽勝だろ?」
「ミノーは暗殺術ですからね。こういう試合形式の戦いには不向きだし、顰蹙浴びそうだからやっぱりやめておきます」
 ミノーという技は姿を消す技のことでした。魔法力を必要とする高度な技術で文字通り姿が見えなくなります。しかし相手の目の前で消えてもそれとすぐわかるので、あまり立合い形式の試合などには向いているとは言えないのです。
「ち、しょうがねぇなぁ・・・。まあいいや。よーし!俺がお前の分までやってやるぜ!」
 張り切るナバを見てロマやゼンそしてデルマツィアは呆れ顔、ナバの部下たちはニヤケ顔で大隊長万歳などとはやし立てたのでした。


続く・・・・・・・・・・・・・・>>>






情報◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


【信号機】
赤と青で交通を整理する機械。この機械には発光クリスタルが使われているが、魔法を必要としない。失われた種族の遺跡から発掘された小さな部品が短時間(1~2分だが一定していない)だけ発光クリスタルを光らせる働きがあることを発見したジェミン族がそれを応用した。

【通貨単位】
テルス。世界共通通貨。
国によって物価が違うが、1テルスは日本円にして約100円。テルスの下の単位はリム。100リムが1テルス。
レアン共和国では5テルスも出せばナバも満足するほどに腹いっぱい食えるから意外と物価は低い。

【ミノー】
風属性の魔法。自分の周りに濃い空気の層を形成して光を屈折させ、周りから自身を見えなくする。気配を消す必要もあるので高度な鍛錬を経なければならない。
弱点は意外と魔法力消費が激しいので長時間発動し続けることができないこと。長くても3~5分がせいぜいである。

【軌道サーリング】
鉄製の線路上を走るサーリングエンジン付きの乗り物。エネルギー効率は道路上を走るより良く、走る速度も2割ほど早い。

【ラッテチーノ】
栽培は簡単だが運搬が非常に難しい果実。ノスユナイア王国に果実として輸入されることは滅多にない。ナバの大好物。

【公衆浴場】
芸術的価値の高い公衆施設。観光目的でく訪れる者も少なくない。古いものでは1000年以上前(文化隆盛期)に建てられたものもある。
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