サクササー

勝瀬右近

文字の大きさ
上 下
10 / 49

第1章 第9話 ロードナイト

しおりを挟む
 アシア湖にはレアン共和国方面から流れるシナン河とレノア山脈北側に端を発するネリュー河が注いでいました。そのふたつの河に挟まれたアシア湖畔という天然の要害地にノスユナイア城が聳え、そこから東に向かって城下町が栄えていてます。城壁はこれら全てを取り囲むように両大河に沿って形成されていました。


  
 アシア湖は大河ニンフォルの出発点で、およそ800kmを経てノスユナイア湾へ注ぎます。
 豊かな水量を誇るニンフォル河は、その流域にある町や村に水源として利用されていますが、水量が膨大で川幅が広いので橋をかけるのに適した場所があまりありません。そのため全流域で3カ所ほどしか橋がかけられていないのです。その代わりに渡し舟が数多く点在し、朝夕の船着場は多くの人や船で賑わいます。
 船は殆どが全長10~15mの小型船で、貨物船か3~15人乗りの帆船でしたが、発動機も積んでいるため風の無いときにはこれが威力を発揮します。
 この発動機の名前はサーリング。今から600年ほど前に基本構造がマシュラ族によって発明され、ジェミン族による長い改良の歴史を経て今では世界中に普及し、陸と水上での運搬の要となっています。
 この発動機の気筒数は最低でも4気筒、多いとV型になり8気筒となり、ジェミン族の技術によって小型化されていました。
 このエンジンは便利でしたが、唯一の欠点として速度が出せません。最高時速は30kmほどでした。しかしこの「車」が普及したことにより道路が発展し、どこの国でも舗装道路が完備され、これによる経済効果は今や無視することはできません。道路整備は国策の第一に挙げられるほどです。

 世界の人々はこのエンジンを愛していました。理由は速度が遅いので衝突事故があってもそれほど酷くならない事や、誰でも手軽に運転できる間口の広さなどがありました。そしてなによりこの技術は物を作ることでは右に出る者がいないというジェミン族でなく、マシュラ族による発明であったことが彼らの誇りなのです。

 その車が山のように荷物を積み上げ、ガチャガチャと言う音を立てながら大きな軍施設へと物資を運び入れる姿がありました。その門扉にはこう書いてあります。
 『ノスユナイア軍第五師団兵舎』
 城壁の内側、半径5km以内の要所にノスユナイア軍の10の師団兵舎が点在していますが、城のすぐ東側のシナン河の畔には城塞を兼ねた第5師団の兵舎がありました。低いところでも高さが5mはある城壁の上には見張りの兵士たちが等間隔で並んでいて、ところどころにノスユナイア王国旗がはためいています。
 第五師団の長はアローダ=オズ=ノーエル中将。
 そしてエデリカが週に2~3度訪れて稽古に励んでいたのはこの第五師団第一中隊所属第一分隊だったのです。




■エデリカと魚売りの少年



ギィン!ギィン!ギィン!ギィン!ギィン!

 鋼の弾ける音と共によろめきながら土埃を上げて後退した男が慌てるようにして手の平を開いて声を上げます。
「ま!待った待った!!参った!降参だ!!」
 追撃しようとしたエデリカが動きを止め「ありがとうございました!」 口元に笑みを浮かべます。
「なんだなんだ!情け無い!小娘一人にいいようにされおって!お前はそれでも第五師団筆頭小隊の一員か?!」
 そう言って練兵場に太い声を響き渡らせた男がぐるりと周りを見回しました。しかしその言葉に。
「そんな事を言うなら小隊長が相手をしてくださいよ!」
「馬鹿言うな!俺は個人技は専門じゃないんだよ!」
「俺たちだってそうですよ!」
 ブーイングに騒然とします。
 民間人に個人技で歯が立たない軍人、しかも相手は16歳の女の子。・・・とはいえ彼等の言うことも先ず尤(もっと)もなところがありました。軍隊と言うのは個人技で勝るより、集団による敵対勢力の撃破に重きを置くものなのです。言って見れば10対1という一見卑怯と思われるやり方でも相手を倒せばよい、と言うのが軍隊の戦い方と言うものなのですから。
 エデリカが未研刀を背中に回すと彼女の霊牙力に反応した帯剣金具がガチンと音を立てて剣を固定します。
「ありがとうシェルダー隊長。今日はこれくらいにします」
 年齢は40前後言う感じのシェルダーの役職は第1中隊所属第1分隊隊長、つまり小隊長です。馬面でモミアゲも顔の長さに比例して長い男でした。手を小さく広げて肩をすくめるとヤレヤレと言う顔で言います。
「すまんなエデリカ。どうやらお前の相手をまともに出来る相手はもうここには居ないようだ。良ければお 前の相手が出来る手練れを探してもいいが・・・」
「そんなこと言わないで隊長。私がここまでに成れたのもみんなのおかげだもの。感謝してます。皆、ありがとう」
 そう言って一礼すると兵士たちも自然と表情が緩みます。
「がんばれよ!エデリカ!」
「本番の近衛入隊試験のときは大佐を叩きのめしてやれ!」
 やんやの喝采に嬉しさ半分といった表情でエデリカが微笑んだのは、先日、自分が全力で戦ったにもかかわらず負けてしまった故でした。
「うん・・・ありがとう」
 すると兵士の中の1人が言います。
「なあエデリカ。俺たちは1人じゃお前に敵わないが、どうかな。二人を相手にするのは」
「おいおい!ネンダイウス軍曹!そいつは賛成できんぞ!」
 自分よりいくらか年上のネンダイウスにシェルダーが言います。
「怪我をさせて責任取らされるのは私なんだぜ?」
「けど戦場で乱戦になったらそういう事だって」
「そうですよ。俺たちはそういう訓練やってるじゃありませんか」
 兵士たちが口々に反論しますが。
「馬鹿言うんじゃない!エデリカはまだ民間人だぞ!」
 シェルダーがとんでもないことだと声を張り上げました。
 ところが。
「そうね。次はそうして」
「な!何言ってるんだエデリカ!冗談じゃ無いんだぞ!?」
 エデリカはシェルダーをまっすぐに見て言いました。
「国王陛下が襲撃されるとしたら襲ってくるのが1人なんてことは先ず無いもの。そういう立ち合いも訓練しておいても損は無いわ」
「いや・・・しかしだな」シェルダーは眉間にしわを寄せた長い顔を俯けたまま考え「・・・ええい。仕方ない。但し条件があるぞ」それでも困った表情で言いました。
「条件て?」
「1対1では軽装備だったが、どうしてもというなら、これからはきっちりと全部の防具を付けてもらう。武器もオレがいいと言うまで木刀だ」
「えぇ~」
「えーじゃない!一般人の、しかも成人前の女が軍隊で訓練中にもしものことがあったなんて事になれば俺の給料が吹っ飛んじまう!俺には嫁さんも子供も居るんだ。幸せな一家を路頭に迷わせる気か?」
 シェルダーは指を突き刺すようにしてまくしたてました。
 エデリカは空を仰ぎ、それから何度か頷き、渋々と了承の体を作りました。「隊長の家族のためなら仕方ないか・・・」
「隊長のの嫁さんは美人だけど怖ぇからなあ」
「嫁入り前の娘に怪我させるなんて!なに考えてるのよ!」
「今月のこづかいなし!!」
「ひぃぃ!」
 兵士たちの間で交わされた小芝居にゲラゲラと笑い声が起こります。
「何とでも言え」
「ふふふ。じゃあたし行くね!今日もありがとうございました!!」一緒に笑っていたエデリカがそう言って背を向けて走り出しました。
「お疲れさん!」
「またなあ!」


「しかし強くなったなあ」
「アレで医者の娘だってんだから、何処で血筋が狂ったんだか」
「いずれにしても、エデリカが入隊すれば近衛の戦力は一段と増強されることは間違いないな」シェルダーが腕組みをして微笑みます。
「まあ待遇はまず隊長候補でしょうね」
「そのうちガーラリエル少将と一騎打ちでもやったりしてなぁ!」
「お!いいねそのカード!どっちに賭ける?」
「そりゃお前、エデリカだろ」
「私もエデリカにひとくちだな」
「俺も」
「俺もエデリカだな」
「自分も」
「なんだよ賭けにならねぇじゃねぇか」
 笑い声が上がりそれが止むと、シェルダーがしみじみと言いました。
「エデリカは良い子だよ。普通ああいう若いのはちょっと強くなると天狗になるが・・・」
「隊長みたいに?」
 ひとりの兵士がからかうように言いますが、シェルダーは顔を俯かせていいます。
「まあな。・・・あの子には教えられてるよ。今でも」
 少しシンとしたところでネンダイウスが言いました。
「エデリカは確かに謙虚ですよね」
「確かに」
 みんながうなずきます。
「おそらくは三賢者様たちの教育の賜物・・・って奴だろうな」
「ふむ・・・」
「俺の娘もあの子みたいにまっすぐに育って欲しいね」
 シェルダーが子煩悩な親の顔になります。
「隊長。まっすぐはいいですが、エデリカみたいに強すぎると嫁の貰い手がなくりまっせ」
 嫁の貰い手という言葉に反応した兵士の一人が言いました。
「そういえばエデリカは殿下と懇意にしてるって噂があるよなあ?」
「なんだよ」
「いや、もしも殿下と・・・なんてことになったら・・」
 濁した言葉が意味するところは誰もがすぐに理解でしました。
「王妃様か!」
「そうよ。よく考えてみろ。俺たちは将来の王妃様に訓練しているってこったぜ?」
「そりゃすげぇ!」
 そういった兵士が目を見開き、拳を握ったり手を叩くなどして歓喜します。
「いやいや・・・訓練してもらってるの間違いだろ?」
「ははは・・・」
「でもさーエデリカは中々美人だし・・・」
「ひょっとすればひょっとするよなあ?」
「まあそうなるとは限ら・・・」
「かー!俺なんだか俄然やる気出てきた!」
「何興奮してるんだよ」笑いながらネンダイウスが立ち上がった兵士を見上げます。
「だってよ軍曹。俺たち王妃様を守る騎士ってことになるんじゃん?かっこいいぜ!」
「騎士か・・・だが一対一だと俺たちより強いんだぞ?」
「あ・・・」
「王妃様に守ってもらう騎士なんて冴えねぇな。ククク」
「それはそれでいいぜ。勇壮な王妃様なんて頼もしいじゃねーか」
「だったら・・・それならおれぁ盾になるよ」
「は?盾だ?」
「何が何でもエデリカを守る盾になる。斬り殺されたって突き殺されたってかまやしねぇ!盾になって守る!王妃様万歳!」
 数人の兵士たちがその言葉を聞いてニヤッとしました。
「雑兵に乾杯!」
「よーし今夜は将来の王妃様に乾杯といくか?」
 シェルダーがグッと杯を呷るしぐさに皆が同意し、雑兵を讃えるおかしな歌を歌いながら兵舎へと戻ってゆきました。



■■■■■




 エデリカは帯剣した格好で街中をゆっくり歩いていました。今日はカーヌの授業がある日。一度家に帰って遅いお昼をとってから行くつもりでした。
「おいしいフィッシュパイだよ~♪作りたてだよ~」
 商店街の一角から売り子が声を上げているのが聞こえ、おなかの虫が鳴き始めます。
 いつもは家で簡単なものを作っていますが、今日はそれを買っていってアレスと一緒に食べるのも悪くないかも、と考えました。
「おばさん。パイくださいな」
「おや!エデリカじゃないか。今日はシェルダーさんのところかい?」
「うん。今帰り」
 にこりとするエデリカ。
「勇ましい格好だねぇ。うちのぼんくら息子にも見習わせたいね」そう言って笑います。
「誰がぼんくらだって?」
「おやカザル。いつ帰ってきたんだい」
「たった今・・・ぅげ!」
 カザルは店先にいたエデリカを見てビクッとしました。
「なによ、げっ、て」半目で睨むエデリカにカザルはとぼけるようなしぐさをします。
「う・・な・・・なんでもねぇよ」
「まったくお前、まだエデリカのこと怖がってるのかい。男のクセに」
「う・・・うるさいな。だいたい女のクセに剣振り回してるほうがどうかしてるんだよ!」
 カザルがそう言った時です。
「みんなよけろ!!轢かれるぞ!」
 大きな声が遠くから聞こえて悲鳴が上がりました。
「誰か止めてくれぇぇぇ!!ブレーキが!!ブレーキが効かないぃぃぃぃ!!」
 カザルが道路に出て騒ぎの方を見ます。
「なんだなんだ!?」
  荷物を満載した車がやや早い速度でカザル達の方へ向かってくるのが見えました。よく見ればブレーキの部品が壊れて脱落しているのがわかります。  
「やば!」
 カザルが店先から飛び出そうとしたときに暴走車の前に躍り出た者がありました。
 軍人です。
 その軍人は車の前部に手を突くと懇親の力で押し返して止めようとしたのです。速度が少し低くなります。しかし満載した荷物のためかなりの重さになっていたので足が滑って一緒に後ろへと押し戻されてしまいました。
「無茶だ!ひき殺されるぞ!」
 すると。
「ゼン!発動機を止めろぉ!」
 もう一人の軍人が車の前部で押さえにかかりました。
 カザルは目の前を過ぎていく軍人たちを見て驚きました。
「ガーラリエル将軍じゃねぇかあれ」
「え?!」
 エデリカが見ると確かにそうでした。車の前で踏ん張っているのはロマとナバです。
  鉄製の車輪が滑って軋む音が当たりにこだまし、車体が横滑りを始めました。「ナバ!霊牙力を私に合わせろ!」
「やってるんすがぁ!くっそおああああ!」
 車に飛び乗ったゼンが発動機を覆っていた天蓋を剥ぎ取ると狂ったように轟音を立てている発動機が見えます。クリスタルに手を伸ばしてはずそうとしましたが「熱!」かなりの高温になっていたために触れることができません。
「ぶっ壊せええ!」
 ナバが言いますが、車は高価ですが積んでいる荷物まで犠牲にするのは躊躇われました。
「タニア―!」
 ロマが叫びます。
 タニアは必死に走っていましたが、車は人が走る速度より早いため追いつけそうもありません。
 それを見ていたエデリカが背負っていた剣を「これ持ってて!!」 帯剣金具ごとカザルに剣を押し付けると店先から飛び出します。
「ぅわっ重っ!」
 あいつ、こんな重い剣を?・・・。カザルはものすごい勢いで走ってゆくエデリカを見て目を白黒させていました。
  タニアに近づくやいなやにエデリカは自分より小柄なその魔法使いをサッと抱きかかえ、速度を上げました。
「きゃ・・・」
 タニアは小さな驚きの声を上げると自分を抱えているのが自分と同じくらいの背丈の女の子であることに気がつきます。「あなた・・・」問いかけに応えずにエデリカは「つかまって!飛ぶわ!」脚に霊牙力を集中させます。グングン車との距離が縮むのを見ながらエデリカにしがみつくタニア。エデリカはさらなる霊牙力を脚力に集中し「やあ!!」気合の声を上げました。宙を飛ぶ感覚に全身があわ立ちましたがすぐにガンという音で荷物の上に着地したことを知ります。
「タニア!こっちだ早く!」
「はい!」
 タニアがゼンに呼ばれて振り返り、そちらへ歩み寄りながらエデリカを振り返りましたが、そこにはもう誰もいませんでした。いったい誰だったのか。しかしそれを気にしている時間はなさそうです。
「ゼン中佐!離れてください!」
「頼むぞ!」
「んがあああぁはやくううううう!足が焦げるうううう!!!」
 ナバとロマが足の裏から煙を上げながら苦悶しています。
 タニアが詠唱を始めると手をかざしたあたりに小さな魔方陣が浮かび上がりました。彼女の周りに元素が集中してくるのがわかります。それはやがて低い風きり音と共に渦を巻き始めました。彼女が両手を小さく広げるとそこから冷気が生まれ、それは暴走している発熱クリスタルに浴びせかけられます。そしてそれがパキンパキンと音を立てると小さな氷がはじけ始めました。
 「少佐、閣下、もうしばらく我慢してください!」
 そのときクリスタルのひとつが急激な温度差でバキンという音を上げて砕けました。次々と発熱クリスタルが弾けてゆきます。それに伴ってガレムの速度が落ち始め、ついには停止したのでした。

 わっという歓声と共に拍手が巻き起こります。
「あちちちっちち!!!」
 ナバとロマがタニアの魔法で発生した氷に足にうずめてホッとしています。そして集まってきた人々の中で僅かながら治癒魔法の使える人たちがかわるがわる彼らにヒールをかけて火傷を癒したのです。
 その騒ぎを聞きつけた周りの店先からも次々と人が出てきて拍手し始めました。彼女の勲功授与式の一件を城下町の人々は誰もが知っていて、その潔さや人柄に感心したり感動していたのですが、この騒動は人々にとって身近で起こった英雄的行為に映ったのでしょう。やはりユリアス=ロマ=ガーラリエルは偉い人だ、と。
 エデリカは3人の士官を引き連れたロマの姿を表情も崩さずじっと見つめていました。カザルの店のカウンターの向こうに隠れて。
「なに隠れてんだよ」
「ばか。見つかったら恥ずかしいじゃないの」
 カザルは思わず笑ってから預かっていた剣をエデリカに返しました。「ありがと」そう言って帯剣金具を装着します。
「しっかし、良くこんな重いもの背負ってられるな・・・」
「こんなの普通よ」
 普通なものか。とカザルは肩をすくめ、カウンター越しにロマを見つめるエデリカに言いました。
「気になる人・・・ってか?」
「え?」
 カザルの言葉にハッとして振り返ったエデリカは腕組みをしながらニヤニヤと笑っている彼を見てすぐにまたロマに視線を戻しました。
「気にならない人なんていないでしょ」
「ふふん」
「なによ」
「ユリアス=ロマ=ガーラリエル少将。元帥号を持つ王国ただひとりの女将軍。グナス=タイア討伐成功にも奢らない高潔な人。・・・・・・ま、うちのお袋を含めて城下都市のほぼ全ての人はあの人を英雄扱いしてるよな。これで第八師団の元老院での受けもよくなろうってわけだ」
 得意げに言うカザルをチラッと振り返るエデリカ。
「あの人はそういう打算はしないわ」
「わかってるさ。でもな、政治ってのはそういうもんだよ」
「ずいぶん詳しいのね」
「お前と違ってよわっちい俺様は魚屋のあととり息子だからな。世事は商売道具のひとつってところさ」
「へーえ。後継ぐんだ。ここ」
「長男だし・・・まあしょうがねぇや。ははは」
 そう言っておどけるカザル。表情を笑わせたまま少し間を置いてからエデリカを上から下に眺め、言いました。
「軍人になるのか?」
「うん」
「近衛か」
「うん」
「やっぱりな。やっぱりそうなんだよな・・・」
「なによ?」
「いや。・・・ガキの頃は俺らの地区のガキ大将だったお前が、いくら強くてもまさか近衛になろうとは思いもしなかったからさ。負け知らずだったもんなぁ」
 カザルは当時を思い出そうと空を見上げます。
「カザルは勝ち知らずよね。隣の地区の暴れん坊にいつもやられてた」
「どうせ俺は弱いよっ」
「ふふふ」
 カザルが眉毛をゆがめます。
「いつも助けてもらってたからって恩に着ろってんじゃないだろうな」
「あのね。そんなケチなこと言うわけないでしょ。・・・あ!まさかいまだに暴れん坊にやり込められてる・・・なんて言わないわよね?」
 カザルは首を憂鬱そうに左右に振りました。
「そいつさ。市場に魚を卸してる漁師だったりするんだ。これが。まだ見習いみたいだけど」
「へえ!」
 エデリカが驚いたように笑顔を見せ、カザルはその笑顔があまりにも屈託がなかったのでドキリとして視線を逸らしました。
「市場に行ったときにばったりさ・・・最初はハッキリ言ってイヤだったね。縁を切りたいと思ってた奴がまた現れた・・・って感じでさ」
「ふぅん・・・。そこに行かなきゃいいじゃない?漁師なんて他にいくらでも居るんだから」
 カザルは指を立ててそれを左右に振りました。
「そこが大人の事情って奴さ。いろいろあるんだ。お魚界にも」
 フッと息を吐いて何度か頷くエデリカ。
「あれからまだ5~6年しか経ってないのにねぇ。みんな大人になってるんだ」
「そういうこった」
 カザルは突然思い出したことを口にします。
「そういえば確かその頃だったよな。お前が軍人と揉め事起こしたのって」
 そう言われたエデリカも思い出したのか、ああといってフッと笑いました。
「その軍人さんにいま稽古してもらってるのよ」
「ホントかよ!仕返しされてるのか?」
「バカ」
 エデリカは横目でチラッとカザルを見て言いました。
「あの時はねぇ・・・酔っ払った軍人が子供を突き飛ばして、偉そうなこと言ったのが許せなかった。俺は国を守ってる軍人だとかなんとか・・・」
「その突き飛ばされたのが俺だった」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「忘れてた。ふふふ」
「おれは忘れて無いぜ。あの時お前が言ったこと。覚えてるか?」
「えーと・・・」
 本当は覚えていましたがエデリカは恥ずかしかったので言いませんでした。
「国を守る軍人が子供にそんなことをして、そんなだらしないなりで恥ずかしくないのか!叩きなおしてやる!」
「そ・・そうだった?」
「そうだよ。それからその軍人と大立ち回りを演じて、相手が酔っていたとはいえ全員やっつけちまったじゃんか・・・。そうしたら誰が通報したのかお前の父ちゃんとかあのモルド大佐とかも出てきて・・・そのときあの人も」通りで住民に囲まれているロマを指差すカザル「居たな。・・・それからあと第5師団のなんてったっけ・・・」
「ノーエル将軍?」
「そそそ。その将軍様まで出てきておもしろかったな」
 へへへと笑うカザルを見ながらエデリカはその事件の後から三賢者たちの教育を受けるようになったことを、そしてそのあと間もなくしてアレスと知り合ったことを思い出していました。
「エデリカのあの言葉を聞いたときにさ」
「え?」
「自分より年下の10歳の女の子がさ、大人の、しかも屈強な軍人に敢然と説教して平気で立ち向かったのを見て俺は思ったんだ」
「なにを?」
「俺はダメだって」
「なにが?」
 言葉の意図を読み取ってもらえないことにため息をつきながらカザルは言います。
「多分あの時、魚屋になる決意をしたってことだよ」
「は?」
 カザルはさみしそうに微笑みます。
「人ってのは向き不向きとか・・・運命とか・・・あるじゃん?そういうの」
「運命?カザルあんた大丈夫?」
 カザルは少しカチンと来たような表情で言いました。
「お前には繊細な男心がわからないんだろうな」
「なにぃ」
「ほらそうやってすぐ怒る」
 エデリカはハッとして目を泳がせます。
「とにかく俺とお前とじゃ人生の道筋が違ってるんだって、あの時は思ったんだよ。魚屋になる男にはあんなこと絶対言えないと思ったわけさ」
「・・・」
「それに人を抱えて20メートルも飛べないしな」
 カザルは何故かうれしそうに笑いながら言いましたが、人を抱えて大ジャンプしたエデリカに心底感心していたのです。
「あんなの・・・」ほほを少し染めながらエデリカは普通といおうとしました。
「いや違う」
「え?」
「俺とお前じゃ『普通』の感覚が違うんだよ」
「・・・」
「きっとあの人もそうだったんだろうな」ロマを見てカザルが言い、エデリカも同じようにロマを見ました。「お前もきっとそうなんだ。俺なんかとは違う・・・」
 そういわれるとエデリカも茶化す気になれず俯き加減になります。
「うん・・・。かもね・・・」
 カザルはいいものを見せてもらったとロマにフィッシュパイを強引に押し付けている母を見ながらボソッと呟くように言いました。
「がんばれよ。頑張って近衛に入れよな」
「言われるまでもありません」
 強気な表情のエデリカを見たカザルは肩をすくめて微笑みます。
「でも・・・カザル」
「え?」
「あんたはダメじゃないよ。道が違っただけでダメなんて事は無いと私は思うよ。カーヌも言ってた」
「カーヌ?・・・おお、カーヌ=アー。三賢者様か」
 カザルは改めてエデリカの置かれている世界が自分とかけ離れていることを実感しました。一般庶民が三賢者の事を話の中に普通に出すことなどまず滅多に無かったからです。
 そんなカザルの様子がおかしかったのか、エデリカは笑顔で言いました。
「その三賢者様がね、人の道は違っても求めるものが違っても最終的には国家に益するところに帰結する。そういう意味では王国において人に上下なんてありはしない・・・って」
「なんだか難しいな。ははは」
「国家というものは人々が集い、協力し、お互いを尊重しあうところに存続を許される・・・って言ってた」
「とどのつまり、えーと?」
「あんたも私も立場は違ってもノスユナイア王国を支える担い手であることに変わりは無い、って事・・・じゃない?」
 ポンッと手を打つカザル。
「なるほどね。そう言われれば悪い気はしないかな。さすが三賢者様だ。はははは」
「だからカザル。自分を変に卑下しないほうがいいよ。魚屋だって立派な・・・あぁ!いけない!」
 エデリカは突然慌て始めました。
「どした?」
「また遅刻しちゃう!裏口どっち?!」
「裏口?」
「あそこを通りたくないの!」
 あそことは今ロマたちがいる騒ぎの中心地のことです。
「そこをまっすぐ行けば裏道に出るよ。後はわかるだろ?」
「ありがと!!」
 慌てて行こうとしたエデリカをカザルが呼び止めます。「おい!エデリカ!これ!」
 フィッシュパイを渡され、「ありがと!」走り出しました。
 「しかし、”また遅刻”って・・・」慌てて走り去る姿にカザルは思わず呆れます。
「あら。エデリカは?」
「帰った」
「あらぁ。恥ずかしがりは相変わらずねぇ。カッコよかったのに。すごかったわね~。ピョーンピョーンひょーい!スタッ!!あれは誰にでもできることじゃないわ。あっはっは」
 ロマが立ち去った通りはいつもどおりの風情を漂わせ、帰ってきたカザルの母は上機嫌でニコニコとしています。そんな母にカザルは言いました。
「母ちゃん。明日から俺、父ちゃんと一緒にがんばるよ」
「ええ?サボるのが得意なお前が?」
「息子ががんばるってのになんて言いようだよ」
「はっはっは!まあ何があったかは聞かないけど、父ちゃんは喜ぶかもね」
「そうさ。俺はノスユナイア王国を背負って立つ魚屋になるんだからな」
 言ってることの意味がさっぱりわからない母は笑って首を振りながらまた通りに向かって声を張り上げました。
「作りたてのフィッシュパイはいかが~♪新鮮な魚はいかが~♪」




■ナバとフィッシュパイ


「しかし驚きましたよ。閣下が突然走り出したときは」
「すまなかった。様子がおかしいのはすぐわかったんだが・・・」
「それはそうと閣下。どうします?これ」
 ナバとゼンはフィッシュパイを見ながら言いました。
「うはあ!たまんねぇ!いい匂いだぜ~」
 食いしん坊のナバは大喜びです。
「お前たちで食べればいい。私は寄る所があるから先に帰ってくれ」
「ちょうど腹が減ってたんだ!ゼン!早く食おうぜ!」
「大尉ったら・・・」
 タニアはクスっとして口に手を当てます。
「ナバ」
「なんだよ。こういうのは出来立てを食べるのがいちばんウマいんだぜ?!」
「食い意地ばっかりだな。お前は」
「腹が減っては何とやらだ!」
 今にも涎が垂れてきそうなナバを見てあきれるゼンと微笑したロマは。
「タニア、ゼン。今日の任務は終えた。お前たちも兵舎に帰って休め。・・・ああそれから」行きかけて振り返るロマ。「明日の派兵準備会議は上級士官全員出席だとデルマツィアに伝えておいてくれ」
「わかりました。ではまた明日」
「師団長!」
 ナバが変に声を上げて呼び止めます。
「なんだ?」
 1~2秒間があってからナバがまた声を上げます。
「何でもありません!では明日!」
「?」
 3人に軽く手を上げてロマは歩き出しました。歩き去る後姿を見ながらカルロ=ゼンはナバをヤレヤレと言う顔で見ます。
「お前って奴はホントになんというか・・・」
「なんだよ。いいだろ?俺はあの人と一日一度、2秒視線を合わすのが日課なんだよ。あの綺麗な目を見られるだけで3杯飯が食える」
「お前みたいな部下が居ると俺も退屈しないで済むよ」
 ゼンとナバは中佐と大尉と階級は違えど同期だったのであまり敬語でのやり取りすることがありませんでした。示しがつかないと悩んだこともありましたが、ナバの破天荒さに太刀打ちできるような勇者もおらず、二人が気安いのも同期であるが故という事も周知の事実だったので規律が乱れることもありませんでした。逆に理解のある部下たちにゼンの方が感謝したくらいだったのです。
「そんなことより早く食おうぜ」
「わかったわかった。その前にデルマツィア参謀に師団長からの伝言を伝えてからな」
「あーっと!酒酒!酒を買って行こう!」
 そう言って目の前の酒屋に走り出したナバ。
「まったく、何にでも突撃する男だな」
「大尉らしいです」
 にっこりとするタニア。
「そりゃあそうだが・・・」確かに食べ物を目の前にして落ち着き払っているナバの姿は想像しにくい。ゼンはタニアの言葉に肩をすくめ、食いしん坊のはしゃぐ姿を眺めます。
 タニアはふとあのときに自分を抱えて暴走者に飛び乗った女の子のことを思い出しました。
「誰だったのかしら・・・」
「ん?どうしたタニア」
「中佐は気がつかなかったですか?」
「気が付く?なにが?」
「私を抱えてあの暴走車に飛び乗った女の子なんですけど・・・」
「え・・・。誰かが助けてくれたのか?」
「気がついていなかったんですね中佐は。ん~・・・どこかで見たことがあるようなんだけど・・・思い出せません」
 顎に小さな手を置いて考えるタニアに突然ナバが声をかけました。
「食えば思い出すぞきっとな!だはははは!さあ兵舎に戻って宴会だ!タニアこれ持ってくれ!」
 酒をタニアに渡すと鼻歌を歌いながら上機嫌で歩き出したナバについてゆきながら「ま、そのうち思い出すさ。とりあえず私も手荷物を片付けたいしな。行こう」
 そう言ったゼンに肩をひとしきり上下していったん思い出そうとするのをやめたタニアでした。



■ロードナイト



 開け放たれたドアの横でロマはいくらかの躊躇いを振り払えずに居ました。
 ここで引き返すことも出来る。しかしここで引き返せば、一年の間ここに来ることはできない。
 その思いがロマを奮い立たせ、最初の一歩を踏み出させたのです。そして開かれたままのドアを軽く握った拳で2~3度叩きました。
「どうぞ」
「入ります!」
 目指した人物は目の前の大きな机の向こうにこちらを向いて座っていました。
「執務中、失礼します」
 その人物はロマを認めると少し驚いた表情でしたがすぐに立ち上がって敬礼し、言いました。
「何か御用ですか。元帥閣下」
 思わずロマは返礼してしまいました。
「あ、モルド大佐。今日はどちらかと言うと・・・その・・・公私で言えば『私』の用事で参りました。ですから今の私は軍人ではありません」 
 ロマはが訪問したのは近衛隊総隊長執務室でした。モルドは怪訝そうな顔をします。
「軍服をお召しのようですが?」
「こ!これは・・・」
 図らずも頬が赤くなります。
「まあ、・・・かまいませんよ。・・・それで?」
「あの・・・えと・・・」
 もごもごと口ごもっていましたが。
「きょ・・・今日はあの・・・」
「私用で来た」
「そうです!・・・ですから。上官に対してではなく・・・つまり・・・友人として・・・」
 口を開きかけたロマに痺れを切らしたかのようにモルドが口を開き、言いました。
「友人として?」
 ロマはあっけにとられたように開いた口を噤むとジッとモルドを見て、そしてすぐに軽く吐き出しながら何度か小さく頷き、すっと顔を上げて決心したように言い放ちました。
「出来れば私が近衛に居た頃のようにお話いただけますか?」
 モルドの頭の中に浮かんだのは、勲功授与式の時にロマが国王から与えられた特権の事でした。国王のしたり顔がちらつきます。ロマにそういう意図は無いのでしょうが、国王の言ったこととなればなおざりにも出来ません。
 その心の内を読むかのようにロマはモルドをじっと見ています。するとモルドはロマから視線をはずし、何かを切り替えるようにしてまたすぐにロマを見てこう言ったのです。
「ここへ来たのは軍へ転属してから初めてだな。ロマ」
 以前自分が副官だった頃のような話し方に変わったことをロマは心から喜び、硬かった表情を緩ませました。気恥ずかしそうに少し俯くなど、いつもの勇ましい彼女からは想像できない変貌振りです。

「私が近衛を去ってから5年と少し立ちますけど。この部屋は変わらないですね・・・・」
 未練を断ち切るために意識して近づかないようにしていた事を恥じるように薄っすらと微笑むロマ。
「何だ。模様替えでも薦めに来たのか?」
「い!いえ!・・・いえ・・・・そ、そうじゃなくて・・・・」
 自分がいた頃のままで嬉しい。そう思うと同時に自分が期待したとおりに応えないモルドに少しだけ呆れ、少しだけ懐かしさを覚えました。
「相変わらずなんですね大佐は」
「ん?」
 部屋を見回すと全てのものが整然と片付けられ、埃ひとつ無く生活観など微塵も窺えない近衛隊長の執務室は、厳格で隙を見せないモルドの性格を如実に物語っていました。
 彼女はそんなモルドの事が好きだったのです。
 何も言わずに自分の感情に浸っていたロマに椅子を勧めながら口を開きます。
「レアンに行くそうだな」
「はい。出発前にご挨拶をしようと思って・・・」
「聞いたよ。あの二人の元帥のとばっちりだとな」
「仕方ありません」
 自分の性格が招いた結果ですから。そう言わずとも判っているかのようにモルドは頷き、ロマを見ました。
「わかっているだろうが体には気をつけろ。一年間とはいえ重要な任務だ。初めての事で戸惑うこともあるだろうがしっかり務めて来い」
「はい。ありがとうございます」
 ロマはハッとして、これ以上話が仕事のことに及ぶのを嫌うようにわざと笑顔を作って無理やり話題を変えました。この人は油断すると仕事の話しかしない。
「大佐。ご趣味のほうも相変わらずなんですか?」
 モルドは虚を突かれたような顔をし、珍しいことに表情に薄いながらも微笑みを見せたのです。
「あ・・・・ああ、この間の休暇にサホロ公国に行ったら、馴染みのワイナリーでいいワインを手に入れた。これがローデンからも好評でな。・・・・・・そうだロマ。良かったらお前にもご馳走してやろう」
「ええ!ぜひ!」
 パッと表情を明るくするロマ。それにいくらか驚きを含めた顔のモルドは言葉を続けました。
「実は今夜そのワインを肴にして、ローデンとワイン好きの部下の数人とで会う約束なんだ」
「え」
「お前も来るといい」
 ロマはがっかりしました。なんだ二人きりじゃないのか・・・・。
 その様子にモルドが怪訝そうな顔をします。
「なんだ。今夜は都合が悪いのか?」
「え。あ・・・いえ!伺いますっ」
「よし。それじゃあ夕食は済ませてきてくれ。酒場を借り切っているが酒と肴しか出ないからな」
 そう言って表情を緩ませるモルドと視線を合わせながら、ロマも同じように微笑しました。
「はい」



■■■■■





 始まったばかりの夜。歓楽街に並ぶ酒場。その中の一軒のドアには『貸切』の札がかかっています。
 中からは楽しげな声が漏れ聞こえて来、バーテンがシェーカーを振る音、ストーブでは発熱クリスタルの熱が空気を揺らめかせ、そして壁の発光クリスタルの柔らかい光が部屋を照らしていました。
 数人といっていたにもかかわらず、人が人を呼んで部屋には30人以上の人がいて、それぞれに会話を楽しんでいます。モルドの人望を良く表しているのか、それともワイン目当てなのか・・・。
 普段置いてあるテーブルや椅子は綺麗に片付けられ、部屋の中央には腰高の長テーブル。その上にはオードブル。
 用意されたオードブルはなかなか凝っていて、宮中の料理人がモルドのためならばと、こしらえた、いわばプロの仕業でした。
 バーテンがカクテルシェーカーを振るカウンターの前でモルドと話していたローデンが少し驚いたようないぶかしげな表情を浮かべていました。

「え?ロマさんが?」
「ああ。もうじき来るだろう」
 ローデンは勘ぐっていました。勘ぐりすぎてモルドの顔を見すぎてしまった程です。
「なんだ?」
「い、いや・・・なんでもない。そうか良かった。こんな集まりに来るぐらいならもうすっかり立ち直ったんだな・・・」
 ローデンはそういいながらも握った拳を口にあててモルドに背を向けると目の前にあった絵画に視線を移す振りをして心の中で思案をめぐらせています。
 あのロマさんがワイン好き?そんな話聞いた事が無いぞ・・・だったらどういう理由で?・・・。何でまた・・・。まさかモルドを?いやいや・・・・。昔の好(よしみ)だろう。考えすぎ考えすぎ・・・・。いやしかし・・・。もしもそうだとしたらこれは・・・。
「先生。どうかされましたか?」
 視線を移すとカウンター越しに不思議そうな顔をしたバーテンダーが居ます。
「いや。・・・ははは。なんでもないさ。なんでもないなんでもない」
 バーテンは手を振って視線を泳がせてるローデンを見て肩をすくめ、またコップを磨き始めました。
 
  ローデンは近衛の時代にモルドの副官だったロマのことは勿論よく知っていましたし、傷の治療をしたのも一度ならずありましたが、軍の司令官になってから彼女と会うことは滅多になくなっていました。この前の勲功授与式で話をしたのもずいぶん久しぶりだったのです。久しぶりとはいえ彼のロマに対するイメージは変わることはありませんでした。規則にうるさいモルドと似ていて謹厳実直。軍人の家系に育った生粋の武人でその立ち居振る舞いはまるで・・・。
「モルドみたいな・・・」と、口の中でつぶやきます。いつも思っていたとはいえ誰にもそれを言ったことはありません。それぐらいの気遣いはローデンだって心得ています。
「うーむ」
 そのとき「先生?」不意に声をかけられて「!!」危うく転びそうになってしまいました。
「や・・・や、やあドルシェ少尉。今日は一段と綺麗だね」
 カウンターに手をついてなんとか取り繕おうと平静を装い、わざとらしく笑顔を作ります。
「あら。ふふ。大丈夫ですか?」
「ありがとう。ちょっと飲みすぎたかな。ははは・・・」
 カレラはもう?と言いたげな顔で微笑みます。
 今夜の彼女は白を基調とした金糸や銀糸で装飾されたミニのワンピースドレスというちょっと狙いすぎなんじゃないかという感じの演出が見え隠れする服装をしていました。
「先生。今夜は無礼講ですよ?女性を階級付きで呼ぶのはご法度です」
「ああ。そ、・・・そうだったね。ははは。どうも私の周りには無粋な軍人が多くて。あ!・・・カレラさんは無粋じゃないけどね」
「ふふふ」
「無粋とは私のことかローデン」
「ああ。そのとおりだ。やっと気が付いたか」
 モルドとローデンのやり取りに思わず微笑みあう3人。他の士官達も談笑し、和やかな雰囲気が部屋に漂っていました。
「それにしてもずいぶん集まったな。はじめは数人て言ってなかったか?」
「私は呼んではいないがね」
「人数が多いほうが賑やかで私は好きです」
 カレラがそう言って怪しく微笑みます。そこへノックの音が聞こえてきました。
「あいてるぞ」
 モルドが大きめの声でそう言うと、その受け答えにローデンが憤慨するように鼻を鳴らしてドアに近づきました。
「モルド。君は今夜のパーティーの招待側だろ?誰かが来たらこうやってドアをあけるものな・・・・・ん・・・」内開きのドアを開け、モルドにひとこと言おうとしたローデンは開いたドアの向こうに立つ人影に驚き、言葉を失いました。
「ツェーデル院長?」
「こんばんは先生。よろしくて?」
「ああっと階級付きはご法度か・・・え?あ、いやこっちのことでして。あ・・・え?・・・・こ、これは・・・これはまた・・・」
 ローデンはツェーデルの後ろの人影に今度は絶句しました。
 先に部屋に入ってきたツェーデルを見てモルドがおやと言う顔をします。
「ツェーデルじゃないか。どうしたんだ」
 ツェーデルの背後に居たローデンはドアの外を注視したまま、まるで彫刻のように固まっていました。
「お邪魔ならすぐ帰りますけど、彼女がどうしてもついてきてくれというものですから・・・・」
「彼女?」
 ツェーデルも場に応じたシックなドレスを身に着けていました。三賢者であるツェーデルの登場に驚きと意外さを混ぜ合わせたような空気が漂ったその後、ローデンは些か大袈裟に咳払いをしました。
「ゴホン!院長。お邪魔だなんてとんでもない。是非楽しんでいってください。さあ!あなたもですよ。さあ入って」
 促されてドアの影から現れたのは。
「こ・・・こんばんは・・・」
 何故かすまなそうに挨拶したロマだったのです。
 一瞬の静けさの後に、冷やかすような口笛が鳴り渡り、拍手が沸き起こりました。
 ロマは大きめのコートを羽織っていましたが、扉の外でそれを脱ぐと現れたのは薄いピンク色の軽い感じのドレスだったのです。いつもの猛々しい軍装から想像できないほど別人のように着飾り、舞踏会に出席する貴婦人のようないでたちは男達の視線を釘付けにしたのです。近づいてきた近衛の仕官の1人が近寄ってきて言います。
「久しぶりだねガーラリエル。さあ先ずはこちらへどうぞ」
「あ。ありがとノーディ中佐・・・・」
 さりげなく出された腕に手を添えるロマ。
「今夜は階級付で呼ぶのはご法度らしいよ」
「え・・そ、そうなの?」
 近衛は王族に極めて近い所で仕えるが故に、貴婦人に対する作法も言うまでもなく上級。いやみの無いエスコート(随伴)の仕方はロマを安心させもしました。ノーディはロマをモルドの元へと誘い、さりげなく退散します。

「驚いたな。なんとも言葉が出ないよ」
「あのっ・・・わたしこんな形(なり)で来るつもりは無くて・・・・」
「この人、はじめは軍服で来るつもりだったんですよ」ツェーデルが肩をすくめて言います。「でも一応その気はあったみたいですけどね・・・」
「ラティ!ちょ・・」
 実は今着ているドレスを着てゆくかどうか散々悩んでいたのです。ツェーデルがロマに呼ばれて彼女の部屋へ行って話を聞き、軍服姿で居るのにまず驚き、その後ワードローブの扉からドレスの端が覗いていたのを見つけられてしまった・・・と言うのが真相でした。
「何を言ってるんです。素敵じゃないかロマさん。モルド。こう言う時にもっと気の利いた言葉が出るようにしておかないと近衛としては、まずいんじゃないのか?」
 そう言うローデンも”女モルド”などという前言は撤回せねば、と気まずい思いをしていたのですが、カレラも驚きの表情です。
「でも驚いたわ。ガーラリエル様がこんなにステキにドレスアップするなんて・・・・」
「そりゃあびっくりだよな少尉。こんなに見目麗しき貴婦人が屈強な軍人を1000人もやっつけたって言ったら」
 先ほどロマをエスコートしたノーディがそういうと一拍置いて男達がいっせいに笑います。
  モルドはそれを契機と口を開きます。
「みんな。今夜は良く来てくれた。こんなに集まるとは思っていなかったがな」
 いつもならモルドの話が始まれば全員が姿勢を正してその声に耳を傾けますが、今夜は気軽な宴席です。それぞれが思い思いの格好でモルドの話を聞いていました。
「今日ここに集まった者達にはひとつ約束をしてもらいたい」
 軽く咳払いして続けます。
「先ずは20年後。このワインが熟成を果たし、どれだけ感動を与えてくれるのかの生き証人になってもらいたいのだ」
 みんなが口をそろえるようにして応えます。
「よろこんで!」
「任せてください」
「大佐亡き後は我々が全て面倒を見ますよ!」
 苦笑いするモルドに、笑い声と共に拍手がパラパラと打ち鳴らされます。
  そうしているうちにバーテンダーがカウンターにワイングラスを人数分並べ、まるで軍人が整列しているかのように一列に並んだグラスに赤紫色の液体を順に注ぎいれ始めました。
「グラスを取ってくれ」モルドの言葉で全員がグラスを取り、元いた位置に帰ってゆきます。「そしてもうひとつ」するとモルドがグラスを高々と掲げました。
「40年後。ここにいる者達で生きている者があれば、その全員でにこのワインを酌み交わし・・・我々がノスユナイア王国を熟成させたことを一緒に讃えあおう」
  その言葉は彼自身の愛国心を表したもので、40年先も変わることなくこの国は繁栄しているであろうと言う願いを篭めたものであることはもちろんでしたが、この国を守り、繁栄させ続けるために生き続けてほしいという部下たちへの願いも篭められていたのです。
  その言葉の真意を掬い取れたものが何人いたかはわかりませんが、一瞬シンと静まり返った後に誰ともなくノスユナイア王国を讃える言葉を口にしました。
「ノスユナイア王国に乾杯!」
「我が王国の繁栄に」
「テラヌス王朝に!」
 そして、そこにいた誰もがモルドの持ってきた若いワインの味に舌鼓を打ったのです。
「この味を忘れるな!」
 やはり同好の者たちが集まっているだけあって、あちこちでワイン談義が繰り広げられます。それを見ながらモルドはロマたちのいるところに歩み寄りました。
「どうかなツェーデル。今年の産で若いワインなんだが・・・」
 赤い液体が揺らめくふたつのグラス。ロマが先にひとくち飲み、続いてツェーデルも味わいました。
「どうだ?」
「これが今年の産・・・。ふうん・・・将来性を感じるわね」
 驚きの表情のツェーデルにモルドは満足げに頷きました。
「だろう」
 ところがロマは。
「大佐・・。すみません私・・・ワインは詳しくなくて・・・何がいいのか悪いのか・・・、おいしいとは思うんですけど・・・」
 モルドは少し困ったような表情でう~んと唸り、言葉につまってしまいました。
 ワインと言うのはおいしければそれでいいのですが、モルドの出させたワインに感想を述べるとなればそこにワインに関する知識がないとなんとも言いようがない。つまり酸いも甘いもかみ分けるには場数が必要だと言うことでです。
 そんなロマとモルドの様子を見かねてか、カウンターの向こうに居たバーテンダーが助け舟を出しました。
「ははは。大佐。確かにこのワインはすばらしいですが、どうです?ここはひとつ私に任せてもらえませんか」モルドが返事に困っているのにもかまわずバーテンはまな板の上に様々な色や形の果物を並べ始めました。
「大佐はワインについてはひとかどの知識をお持ちですが・・・」3人が見守る前で、手際よく果物を包丁でカットしてゆきます。「こういうのは大佐にとって邪道かもしれませんが、酒場でそんな貴重なワインを出されちゃプロとしては黙っていられませんからなあ・・・・」
「どれも色鮮やかね」ツェーデルが果物を見て目を細めます。
「すべてサホロ産です。大佐からワインの話を聞いて、念のためと思って今朝方ジェミン族の市場で買い付けておいて良かった」
 にこやかにバーテンダーが受け答えしながら包丁を振るい、果物を手絞りし、絞ったジュースをパンに入れて「これはエミリア産の砂糖・・・これを少量入れて・・・」煮立たないように用心深く暖め、グラスに慎重に注ぎいれます。その手さばきの逐一を皆が注目していました。
 できあがったそれは濁りのある黄色い液体でしたが、最後にモルドの持ってきたワインを少量注ぎいれ、軽くステアした途端に現れた色に女達の感嘆の声に男たちの視線が集まります。
「ワインの素性がよければ、果物との相性はいいはずですよ」
「綺麗な色・・・」
「素敵ね」
 ツェーデルがあまりの美しい色に思わず微笑みます。
「この色はロードナイトね。今のあなたにピッタリだわ。ロマ」
「え?」
「ロードナイトという宝石はね、『行動の石』とも言われていて、自分の意志で感じるままに行動できる力を与えてくれる、能動的で前向きな力を与えてくれると言われている石なのよ」
「ふうん・・・」
 ロマはその説明とワインの味とが結びつかないことの方に戸惑っているようです。
「さすがですツェーデル様。このカクテルの名前をよくご存知ですな。赤葡萄酒ベースで造るフルーティーなワインで、女性の受けがいいので私がいちばん最初に覚えたレシピです。まあ自己流が少し入ってますがね」
 そう言ってバーテンは照れくさそうに笑い、ツェーデルも微笑みました。カウンター前の様子に気がついた幾人かが集まってきます。
「さあガーラリエル様。冷めないうちにどうぞ召し上がってみてください。このカクテルは温かさが命なんです」
 差し出されたグラスを手に取ったロマはおずおずと口をつけました。先ず温かい感覚が、そして甘み、酸味、そしてかすかな苦味が次々と口の中に広がってゆきます。周りにいた男たちはその様子を固唾を呑んで見守っていました。
「どうです大佐?ワインはそのままであれば哲学的ですが、より一般向けにこういった趣向もまた良いものとは思われませんか?」
 そう言ってにっこりとしたバーテンにモルドが何度か頷き、なんとも形容しがたいおいしさにロマが表情を緩ませているのを凝視します。そして彼女が何も感想を述べることもなく再びグラスに口をつけるに至って、これは旨いのだ、誰もがそう思った直後にモルドが。
「バーテン。私にも同じものを」
 それを皮切りに皆が一斉に同じものを注文します。
「私にも」
「自分にも!」
「かしこまりました」バーテンダーは面目躍如の表情。ただ内心では女性受けを狙ったつもりがとんだ誤算、とも思っていましたが。
 
  興に乗ってきた幾人かが楽器を手に目配せします。
  ワインレッドがピンクのドレスに映え、思いがけず艶(あで)やかな華が添えられた、軍人たちのしがない集会であった場が一変し、そして音楽が流れ始めるとこれ以上は何も必要ないほどの人の醸す温かさに満たされたのです。
 正装した兵士がカレラを誘ってダンスを始めると、モルドもローデンにせっつかれて漸(ようや)くロマと踊り始めます。
 ワイン談義に、そして音楽と楽しい会話に時を忘れ、夜空には幾千もの星がまたたいていました。




続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>>>




情報◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【サーリング発動機】
発動機の名称。搭載した車両や船舶の総称にもなっている。
大きいものになると馬車2台分ほどの大きさ(全長7~8m)になる。この世界にはチェーンと言うものが無いので、動力伝達はすべて歯車。ゴムも無いので車輪は幅の広い鉄製であることが多いが、木製の車輪の接地面に鉄板を張ったものもある。
貨物専用のほかに小さいものだと一人乗りの三輪があるが基本的に四輪車。緩衝装置は板バネ式。燃料は熱と空気。熱は発熱クリスタルに魔法力を注いで得る。
速度は時速10kmから50kmで大型の物ほど速度が出ない。
王室などの極限られた階級が使う車は骨組みも発動機も軽くて丈夫なアスミュウム合金製というのがあるが、この金属自体の産出量が少ないのでほぼ鉄製。

【サーリング発動機つき船舶】
河川の渡し舟といった短距離航行でかつ逆風の時にまっすぐ進めるこの発動機は重宝する。
無風状態のときにサーリング発動機で出せる速度は5~8ノット(約9km/h~14km/h)がせいぜいであるが、ニンフォル河の川幅は最大でも2kmといったところなので、問題にはならない。
サーリングエンジンの燃料は熱の温度差と空気だが、この熱を供給するのが発熱クリスタルでと冷却クリスタルであるある。このクリスタルには個体差があって、発動機に使うのに丁度良い発熱、冷却性能をもつものが使用されている。
※クリスタルは発熱、冷却、発光などがあり、その殆どがノスユナイア王国から産出され、その採掘権をジェミン族に貸している。

【ノスユナイア王国軍第五師団第一中隊所属第一分隊(小隊)】
小隊長はシェルダー少尉、副官のネンダイウス軍曹以下11名が所属している。
小隊番号が若いほど有能な士官や兵士が選ばれる。したがってシェルダー小隊は第一中隊でも指折りの猛者が揃っている。

【ロードナイト(カクテル)の基本レシピ】
材料(比率):赤ワイン・・・適量、オレンジジュース・・・3、レモンジュース・・・2、砂糖・・・1
オレンジジュースとレモンジュースを使ったフルーティなワインベースのカクテル。

【サホロ公国】
サホロ公国はトスアレナ教皇国の認証下における自治国で農業立国。珍しい農産物が数多く取れる。ノスユナイアからはフスラン王国を通ってゆくのがいちばん早い。
しおりを挟む

処理中です...