サクササー

勝瀬右近

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第1章 第6話 酒と親友と

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 春が近いとはいえ日が暮れて暫く経つと北国はぐっと冷え込んで、町からは人影が消え、その代わりに家々の窓には暖かな団欒の明かりが灯ります。
 時折風が吹き付ける城内の外廊下を歩いてきた一人の男があるドアの前で立ち止まりノックしました。

「モルド。私だ」
 ドアが開くとモルドが顔を出しました
「ローデン。すまなかったな呼び出して」
 上着を脱ぎながらモルドの部屋に入って来ると指し示した先のソファに腰を下ろすローデン。軽く息を吐いて目の前に座ったモルドを見て言いました。
「まったく。表情を変えないやつだよ君は。この寒風吹きすさぶ中を友人が訪ねてきたのにニコリともしない」と、苦笑いを浮かべます。
「どうした。仕事で何かいやな事でもあったのか?」
 いつのものことをいつものように受け流す事をしなかったローデンにモルドは表情を変えずにいいました。ローデンはやれやれと肩をすくめます。
「別に何もないさ。それで?大体察しはついているけど話ってのはなんだい?」
「その前にどうだ?一杯・・・」
 その言葉に一瞬目玉をくるっと動かし「そうだな・・・それじゃ、サホロ産100年物を」にやりとするローデン。
 意地悪を言うつもりはありませんでした。高価なサホロ産の100年物のワインなど、近衛隊長といえどもそうやすやすと手に出来るような代物ではありません。彼の真意は別の場所にありました。
 冗談を言うなというようにニヤッとして立ち上がった彼の顔を見ると満足そうに表情を綻ばせて してやったり と、うれしそうな顔で手をこすり合わせました。ローデンはいつもしかめ面をしているモルドの笑顔を見たかったのです。
 暫くするとグラスをふたつ。そして見慣れない形のボトルを持って戻ってきました。小気味良い音をたてながら薄紅色の液体がグラスへと注がれてゆきます。
「ご希望に沿えなくて残念だが・・・。去年出来たばかりのものだ」
「ほぉ・・・・君が若い娘を好むとは知らなかったな」

 ワイン通に言わせると出来上がったばかりの新しいワインは苦味や渋みが先に立つ、それは人間にたとえれば荒削りな若者ということで、飲むに値しないとまで言われましたが、そういったワインのほうが好きだという通も多くいて、そういう者を『若い娘好き』と揶揄してからかうのです。

「ふん。まあ飲んでみろ」
 グラスを手に取り、それを部屋を照らす発光クリスタルから放たれるやわらかい光にかざしました。
「うん。艶やかさ(色)は申し分ないが・・・・・。だが果たしてこのお嬢さんは大人の色気(深み)を持ち合わせているのかな?」
 乾杯するようにグラスをモルドのほうへ捧げ上げてから先ずは芳香を楽しみ、充分堪能したところで一口に含んで舌の上で転がして味蕾にじゅうぶんいきわたらせます。ローデンはその喉越しに新しいワインのそれとは違う意外さに心を打たれるような顔をして低くうなりました。

「ふぅぅむ」
「どうだ」
「悪くない・・・」
「だろう」
「これが去年の醸造だって?信じ難いな。・・・いったいどうしたんだ?これ」
 モルドはローデンの言葉と態度に満足そうにすると自らも一口飲みます。
「確かに若いワインだけあって荒削り・・・」ローデンは少し言葉を探してから言いました。「だが、熟成後がどうなるかを知りたくなる味・・・だな」
「貴重な休暇を使った甲斐があった。というところだ」
「ほお・・・・」
「以前から聞いていたんだが、サホロ公国に小さな農園があってな・・・、そこで見つけた」
「休暇を使って・・・・・遠路はるばるサホロまで行って・・・・・。やれやれ・・・。知ってはいたけど、好きだな君も」
「休みの日に医学書にかじりついているよりましだろう?」
「・・・言ってくれるね」
 決まり悪そうに笑うローデン。
「君が休暇を取れるってことは、あの副官さんは頼りになってるってことなのかね」
「ああ、助かってるよ」
「三賢者の娘だって聞いたけど・・・・」
「そうだ。だがそんなことは関係ない。いい人材の出自は厭わん」
「ディオモレス公爵の娘さんだったよな。たしか。ま、いずれにしても良かったよ。一時は副官がいなくて休暇が取れなかったろう?かなり忙しそうだったものな。私もあの時はさすがに心配したよ。いかに鋼鉄のヴォルド=ロフォカッレ=モルドとはいえ、過労死しちまうんじゃないかって」
「馬鹿を言え。それほどやわじゃない」

 ローデン=エノレイル。彼は典医でした。その腕を買われてノスユナイア王国の国王付の医者として王城内に居室をあてがわれている魔法医です。
 モルドとは15年来の付き合いで、こうしてたまにワイン談義に花を咲かせたりするなど、気を許しあう間柄でしたが、彼らの出会いはローデンがまだ町医者だった頃モルドが怪我をした部下を連れてたまたま彼の医院に来たというのがきっかけでした。
 部下たちの怪我の理由がモルドの厳しい訓練の賜物だという事を知り、それからも度々、と言うよりあまりにもよく現れるので、医院の美人助手が目当てでわざと部下に怪我をさせているのではないかと疑ったほどでした。
 そしてモルドの部下たちが何度も訪れているうちに、次第に口伝えでローデンの魔法医師としての腕前が知れ渡るようになり、最終的には彼の医院は兵隊だらけという異様を呈し、終いにはため息をつきながら「私は軍医じゃない!」というのがローデンの口癖になってしまったほどでした。

 ある日その類稀な医術魔法に三賢者であるカーヌ=アーが感嘆し、こう言ったそうです。
「魔法医術は魔法力を絹糸のごとく自在に操る様な繊細さが必要ですが、彼の魔法力の扱い方は芸術的といっていい」
 そしてカーヌ=アーは自分の知り得る魔法の秘術の数々をローデンに伝授したのです。勿論ローデンはカーヌの意図するところを余すことなく吸収し、さらにその腕を上げ、それから暫くして彼の魔法術医師としての噂は国王の知るところとなり、今に至っているのです。
 三賢者カーヌ=アーをして驚嘆させた医師、ローデン=エノレイルの右に出るものはノスユナイア王国には誰一人として存在しませんでした。

「何本か手に入れてな。数本は50年後に生きていたら封を開けようと思ってる。その時にどれ程熟成しているかを考えると胸が躍るよ」
 ごついガタイの大男が柄にも無く表情を子供のように綻ばせます。もちろんローデンにしてもそういう彼の様子を見て同じように喜びを共にしました。が。
「50年後・・・・・」ローデンはグラス越しにモルドを見ます「それはまた随分気の長い話だが、その時は一人で飲むのかい?」
「いや・・・。お前にも勿論進呈するつもりだが・・・・」
 的外れな答えに危うくせっかくご馳走になったワインを噴出してしまうところでした。
「そうじゃない・・・・・つまりその・・・・」 持っていたハンカチで口元をぬぐうローデン 「一緒に飲むのは君の奥さんだよ」

 モルドは顔をしかめました。
「そんなものはいない」
「今は。だろ?結婚は?したらどうだい?」
 またその話か、モルドの表情がそう言っています。
「何か得になることがあるのか?」
「モルド。何度でも言わせてもらうぞ。君は結婚するべきだ。いい父親になるとも思う。得だとかそういうのは抜きだ」
 モルドは当年とって36歳。働き盛り。ローデンは彼と同世代でしたが20歳のときに結婚し、既に一子を設けていました。
「今の自分では想像できないな。そういうことは」
 糠に釘な態度のモルドにローデンの身振りが大きくなります。
「誰でもそうだ。私だってそうだった。自分が誰かを愛して人の親になるなんて思わなかった。そういう事を実感している者などいないのさ。子供と一緒に親という生物に徐々に育っていくんだよ。だけどそれがいいんだ。自分がどれほどの人間なのかを計り知る事もできる」
「そういうことならわかっているつもりだよ。私も自分が近衛隊の長を仰せつかるとは思っていなかったが」
 ローデンは『しまった』と顎を下げました。モルドは自分の部下たちを育て上げるという事が職務で生きがいをも感じていました。部下である近衛の兵士たちは彼にとって息子であり娘なのです。親が子供に注ぐそれとは異質なだけで考えている事はローデンと同じでした。
 たとえが迂闊だった、と口に手をあてて後悔したのです。
「部下である彼等と共に、私自身成長したのだと実感することはよくある事だ」

 鋼鉄のモルド。規律に厳しく、常に実戦を忘れさせない訓練をするといった実直で職務に忠実なボルド=ロフォカッレ=モルドを評する言葉は全て彼の強さを表すものばかりでした。
 王家の一番近いところに居る兵士であればそれは当然の事でしょう。しかし彼の部屋を訪ねても出迎える女の声も子供の声もなく、ローデンにとってそれは潤いがない、色も温度もない。と、友人として彼の身の回りの状況を見るたびに寂しい思いに駆られていたのです。
 中には彼が同性愛主義者ではないかと噂する不届き者もいましたが、勿論そんな事はありませんでしたし当のモルドは独身である事を気にする風もなく職務を全うし、たまの休暇には唯一の趣味であるワインの発掘をする。そういった今の自分のありように満足しているようでした。
 ローデンはいつかそんなモルドについて師でもあったカーヌに相談した事があります。するとカーヌはあまり考えることなくこういいました。
「人は心の中にたくさんの天秤と様々な大きさの器を持っています。重要なのは、『全ての中心は自分ではなく器と天秤を与えたもうた”神”である』という事です。あなたの中にはモルド大佐という分銅の乗った天秤がある。それでいいじゃないですか。神が中心である事を忘れなければ万事うまく行きますよ」
 カーヌ=アーはこういう喩えをよく口にしました。そのたびにローデンは頭を悩ますのですが、このときばかりはスッとその喩えとモルドを思う自分の考えが一致したのを良く覚えていました。ローデンはこう解釈したのです。

 誰かを気にする事がなければ器も天秤も必要ないが人間社会に生きているのであればそうは行かない。天秤を上手く使うと言うことは人間同士のつながり、即ち良好な関係をバランス良く保つこと。
 器を満たすだけなら簡単かもしれないが、それでは相手に負担を強いることもある。天秤が平衡であることは重要ではない。天秤の傾きは人間性の曖昧さと同じ。
 要は自分がそれに対してどれだけ寛容になれるか、受け入れることが出来るか出来ないか。万人から愛されるなど不可能なのだから…。

 だがこの男の天秤はどうも傾きすぎてる気がするんだがなぁ・・・。ローデンはカーヌの話を思い出すたびに頭の中に傾きが激しい天秤を思い描いてしまうのでした。
「あぁ・・・う~んと・・・そうそう。得というなら、50年後に一緒にワインを飲んで、お互いの長寿を喜び合えるって言うのもあるが・・・」
「ワインを一緒に飲むために結婚するのか?」
 そういわれてローデンは肩を落として大袈裟に鼻を鳴らし、両手の平をモルドに向けました。
「惨めなもんだぞ。老人の一人暮らしってのは。孤独がどれだけ・・・・・・・・・・いいや。すまなかった。もうこの話はまたにしよう・・・」
 ローデンは何をどういってもうまく行きそうになかったので、結婚の話を切り上げる事にしました。モルドにとって自分のこういった助言は余計な事だろうとは重々承知の上でしたが、またの機会に譲る事にしました。

「そういえばグナスを撃退したそうだな」
「ああ、ガーラリエル少将のことか」
「たいしたものだな君の元副官は・・・。あの怪物どもを屈服させたことは陛下もお喜びだったよ。私の所にも帰還した傷病兵が何人か来たが・・・、戦地で働く軍医と言うのが如何に大変な仕事か思い知らされた」
 失った指やら腕をせめて持ち帰ってくれれば、形だけでも元に戻せたのにと考えながらワイングラスを揺らめかせる間を置いてから、ローデンは遠慮がちに言いました。
「・・・ロマさんは、帰還してからここ暫く姿を見ないが、君は会ったのか?」
 モルドは軽く息をすって吐き、軽く首を振ります。
「犠牲が多かったことを気に病んでいるらしい」
 ローデンが眉間にしわを寄せて何度か頷きます。「そうか・・・」実際に彼が死を看取った兵士も在ったのです。
「強兵政策のためとはいえ、戦争と言うのはまったく・・・」
 モルドは黙ってワイングラスを静かに傾けました。あまり気にしていない風のモルドにローデンは伺うような眼差しで言います。
「モルド。いいのか?」
「いいのかとは・・・なんのことだ?」
「君の元副官だろ?気に病んでるというのを知っているなら、会って慰めの言葉でもかけてやれよ」
「そんな必要は無いな」
「冷たいな。どうして?」その言葉に責めるような表情を作るローデン。
「戦争に犠牲はつきものだ。それを乗り越えるのも軍人の務め。戦いが終わるたびに慰められているようでは司令官など務まらん」
「まったく手厳しいな君って奴は・・・。心情はどうあれ、見舞うぐらいしたって罰は当たらないと思うがね」
 モルドはカレラの顔を思い出し、やれやれお前もかローデン、と言いたげな表情で応えました。
「用兵家にとって犠牲を皆無にする方法はひとつだけだ」
「というと?」
「戦わないことだよ」
 ローデンは軍人ではありませんでしたが、それがどういう意味を持っているのかはすぐに理解できました。つまり犠牲者が出ることを覚悟できないなら指揮官などやめてしまえ、ということです。
「あれも・・・・」一時言葉を濁すモルド「・・・・・ガーラリエル少将も慰めなど望んではいないはずだ」
 あれも。
  アルコールが回って口が軽くなったようで、モルドの部下だった時代に彼女を指す時に使っていた言葉をモルドらしくも無く口ごもって言い直しました。
 その様子をやるせない思いでチラリと見たローデンは、モルドが言うのであれば軍人とはきっとそういうものなのだろうと思いましたが、それでも厳しい環境に身をおくロマのことを思うと、気の毒極まりないと心を痛めたのです。
「早く立ち直ってくれるといいが・・・・」
 同じようなことがあるたびにそう自分に言い聞かせましたが、医者である彼にはどうしてもなじめるものではありませんでした。
「立ち直るさ。そうでなければ第八軍の兵士が困るだろう。・・・それより」
 そう言ってグラスを置くと同時にモルドが表情を引き締め、本題を切り出しました。
  
「お前の娘のことなんだが・・・」
 そのタイミングでモルドの口から出た言葉にどきりとさせられます。ドキリとしながらも応えました。
「ああ・・・」
 頷くモルドに苦笑いを見せます。
「君といい勝負だったそうだな。君の部下のノーディ中佐から聞いたよ。いい勝負だったという以外はなにも話してくれなくてね。何か問題でも?」
「いや問題という事じゃない。お前の娘の強さは良くわかったつもりだ。あれほどの剣術の使い手はそうそういないだろう。霊牙力の制御にしても良くぞ鍛錬したものだ」
「君をしてそう言わしめさせるか。親としては喜ぶべきなんだろうな」
 本当はもっと女らしくしてほしいのだが…。
困ったような笑顔のローデンを見てモルドはフッと笑い、すぐに表情を引き締めます。
「ああいう手合いは珍しくない。自分の強さに自惚れているがゆえに先を急ぎたがるという者は今までも何人もいた」
「エデリカが自惚れていると?」
「いや」
 モルドはローデンから視線をはずして言葉を続けます。
「自惚(うぬぼ)れではない。エデリカの実力は本物だ。……本人には言うなよ」
「わかってる。……でも自惚れでなければいったい…」
「自惚れならまだ救いがある。叩きのめしてわからせれば考えを変えてくれる。だがエデリカは違う。あれは叩きのめしても死んでも戦う事をやめない」
「おいおい……。でも、違うとは?」
「まるで自らを追い詰めているような感覚があった。あれでは何かの拍子に危うい方向に転んでしまったときに元の場所に帰ることが出来ない。もっとはっきり言えば自滅衝動を起こしてしまうかもしれない・・・何か心当たりはあるか?」

 ローデンは闘いの最中にそこまで相手の事がわかるのかと感嘆すると同時に言葉に詰まりました。なぜなら彼はエデリカが密かにアレス、つまり国王の嫡子であり、次期国王である人物を愛している事を知っていたからです。
 知っていながらなぜそのことに対して言い咎めたり諌めたりしなかったのかというと、父親としてエデリカの事を一番に考えたいという事が理由として大きかったのです。
 アレスに出会うまでのエデリカは、今自分が口にしている出来上がったばかりのワインと同じで、若すぎて棘がありました。有り余るエネルギーのはけ口を探して胎動するマグマのように激しい気質をほとばしらせているようだったのです。
 ある日などは軍人と喧嘩してしかもやっつけてしまったという事もありました。ローデンは男親だけで育ったせいなのかと悩んだ事もありました。
 しかし、トーマと出会ってからそのエネルギーの方向性がいきなり収束し始め、自分のすべき事をやっと見つけたかのようにすることなすことに一貫性が見え始めたのです。
 それが剣の腕を磨き、いずれ王となるアレスを守るという使命感、もっと言うなら愛する人に献身しようとする実に女らしい心の動きだと気づくのに時間はかかりませんでした。
 もしこれがなくなれば再び彼女の心は千々に乱れ、行く道を見失ってしまうのではないかという不安があったのです。
 ローデンはワインを口に含むと、グラスを置きます。
「・・・心配してもらっているのになんだと思うかもしれないが、若者が生き急ぐのは、良く・・・あることなんじゃないか?・・・それともエデリカは近衛に向いていないと?」
 不安な気持ちを察するようにモルドはローデンを見て言いました。
「現時点ではなんともいえないがそう言う事じゃない。こんな言い方は不遜にあたるのかも知れんが、近衛というのはその名の通り国王陛下を間近で護衛する兵隊だ。だが私は常々それでいて陛下より先に死んではならないのだと思っているんだ。つまり陛下を死んでも守るのではなく、石に噛り付いてでも生きて守るということだ。矛盾しているようだが、近衛とはそれぐらいの生に対する執着のようなものを備えていなければならない兵士なのだとな」
「なるほどな・・・。近衛は陛下の盾だが本当の盾であってはならない・・って事か」
 頷くモルド。
「じゃあエデリカにはその・・・生への執着が薄いとでも?」
「・・・・まぁ概ねはそんなところだ。死を覚悟した者の強さという印象がエデリカにはあった。わかりにくいかも知れんが近衛は盾であって死兵であってはならない」
 このモルドの言葉にローデンは頷かざるを得ませんでした。確かに近衛は死兵であってはならないのだろう。そして今は違うが、エデリカには事故傾性的な一面があった。
 言葉を発しないローデンを見て、何か思い当たる節があるのだろうと考えながらモルドは続けました。
「アー様やツェーデルの今後の教育に期待するしかないが・・・・・。近衛の仕事というのは繊細な部分も多いからな。だからより身近である保護者のお前に聞きたかったのだ。何かを守るのに死を前提とすることを憚(はばか)らないというのは自己破壊と同じだ」
「ううむ・・・・・」
 暫く顎に手をやって考え込むローデン。
 これは言うべきか言わざるべきか。確かに彼女に変化を見たのは間違いなくアレス王子との出会いだったということを言いあぐねていたのです。
 そして。
「・・・君の言うようにそういう自己破壊的な傾向は確かにあった。だが今は無いと断言できる。以前と比べればよく笑うようになったし、情緒は安定している」
 モルドは黙って聞いています。
「仕合の時に君がエデリカから感じ取った自己破壊的な気配はおそらく、・・・これは父親としてそうであってほしいという願望なのかも知れんが、やはり先を急ぐがゆえの若さから発せられたもののだと私は思うよ。とにかくエデリカにとって近衛入隊は何を置いても実現したい目標だし・・・。そのエデリカの願望の実現に立ちはだかる君こそが彼女にとって、言ってみれば最後の壁なんだろう。そしてその壁を打ち破るにしても、乗り越えるにしてもその先にはエデリカの望んだ世界があるのだから、君の存在は常にエデリカを先へ急き立てる起爆剤になっている。だから・・・」
 それを聞いたモルドはふうっと鼻息を吐き出し言いました。
「私の存在か」
「うん」
 モルドは珍しく戸惑っていました。
 自分の存在こそがエデリカのありように大きな影響を与えている。しかしだからといって他の者にエデリカの事を任せられるだろうか。彼女は親友であるローデンの娘で、自分としたってエデリカに目をかけていないわけではない。それどころか危険視するほどエデリカの剣術は高度な域に達している。
 エデリカを突き動かしている存在はひとつかと考えていたモルドにとってそれは些か困惑させられる言葉でした。しかしモルドは自分の考えは以前とまったく変わらない。いや変えられない事はわかりきっていました。
 鋼鉄のモルド。それこそが彼を言い表す端的な表現なのです。
 モルドは少し声のトーンを落として言いました。
「分かった…」
「ん?」
「本当はお前の口からききたかったんだがな」
「え?」
「言いにくいようだから言ってやる」
「モルド?」
 モルドは鼻息をひとつ噴き出すとローデンやや上目遣いに見てから話し始めました。
「今はまだいい。重要人物であることには変わりはないがアレス様は国王ではないからな。それが原因ならば待つ時間はある。エデリカの事を引き受ける以上、私にもとことん付き合う覚悟はある。だがアレス様に対する気持ちが自己破壊の遠因にあるにせよ、アー様たちとてエデリカの危うさには気付いているだろう」
 矢継ぎ早にモルドが言葉を続けました。
「軍人の私が言うのもなんだが、日々三賢者と接することで生への執着や命の大切さを理解できるようになれば危うさも薄らぐかもしれない。・・・だが成長の過程でその危うさに変化が見られるかどうかは俺にだって予測は出来ない。心の問題には常に不規則性が付きまとう」
 ローデンはモルドの言った事があまりにも意外だったのか、ぽかんとした表情をしています。
「どうして・・・・」
「ん?」
「どうしてわかった?殿下とエデリカの・・・・」
 少しだけ間があきました。
「俺はお前が思っているほど鈍感じゃない。これから部下になろうという者のことであればなおさ・・・・・」
ローデンは思わず失笑してしまいました。私は今の今まで何を悩んでいたんだ?自分が鈍感じゃないって?彼の肩を震わせている様子に不服そうな表情でモルドは何度か頷きます。
「心外・・・とは言わんがな」
「いや。・・・いやいやいや・・・いや悪かった」笑いながら手を大袈裟に左右に振って頭を下げるローデン。「そうだよな。立派かどうかは別にしても私たちはいい大人だ。恋をする若者の心の中の動きぐらい読み取れていて当然だよな。ご明察だよ。エデリカの心を乱す原因はふたつだ。アレス殿下と君さ。しかし・・・・」
 そういったもののローデンの顔は笑ったままです。
「しかし?」
「そう言うからには君にも”そういった経験”があったと言う事だろ?でなければ説明がつかない。興味深いな。鋼鉄のモルドが過去に愛した心に秘めるご婦人とはいったいどんな人なんだ?良かったら教えてくれないか。大丈夫。私は口は堅いほうだ」
 さあ聞かせてくれといわんばかりに身を乗り出した次の瞬間、ローデンはモルドの顔を見て驚きを隠せませんでした。いつも厳しい顔で近寄っただけで怒鳴られそうな表情の彼の頬が矢庭にうっすらと紅潮したからです。
「な・・・何を突然・・・・。そんな話をするために・・・・!」
 ローデンはますます面白くなってきてどうしても知りたくなりました。「経験はすべからく人と共にあり。人と共にあらざれば片想いの如し・・・誰が言った諺だったかなぁ・・・あ、格言かな?」
 嬉々としてローデンが言ったのは、物事の本質を知りたければ他者との関わりを疎まず恐れるな、と言う意味の古い言葉でしたが、若い学生達は”片想いばかりしているうちは本当の愛などわかろうハズがない”などと曲解し、冗談めかしてふざけあう言葉でした。が、モルドにとってはどうやら聞かされたくない言葉だったようです。
「さあさあ。このワインの肴としては最高の話になりそうじゃないか?」
 モルドはたまりかねて声を上げました。
「ええぃ!用は済んだ!さあもう帰れ!家族が待っているんだろう!私は忙しいんだ!」
 結局その話はモルドからされることはなく、ローデンもあまりしつこくするのも嫌味になると思い、退散する事にしました。が、内心では楽しみが増えた事にほくそ笑み、今度来る時は見合いの写真でも持ってきてやろうかと考えながら、自宅に戻るまでの道々モルドの紅潮した顔を思い出してはひとり笑いを繰り返したのでした。






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【サホロ産ワイン100年物】
サホロ公国は世界でも珍しい農産物が多く採れる土地柄ではあるが、ワインの産地として有名と言うわけではない。ただ、とある有名な農園で採れる葡萄から造られるワインが世界的に高く評価されている。
150年ほど前から醸造されているワインは世界中で珍重され、なかでも100年以上熟成させたワインは貴族が住まう館が建てられるほどの値段がつくこともある。


【発光クリスタル】
ノスユナイア王国やデヴォール帝国北部地方で採掘できる水晶。魔力や霊波力に反応すると光りはじめて一晩ぐらい輝き続ける。大きいものでは人の背丈ほどもある。ノスユナイア王国の輸出品のひとつだが、ジェミン族の宝飾細工職人によって様々な形に加工されるため、照明として以上の付加価値を生む。
色は赤、緑、青、黄色など数色あるが、無色透明の物が最も価値がある。逆に最も価値が無いのが黒色で照明として役に立たないという理由が主。但し占い師などには人気があり、丸く磨き上げた黒水晶は占い師のトレードマークにもなっている。
発光のほかに、発熱するものがある。
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