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003 義母と後宮
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結局視察は同行しなかった。断った時に、ウィリアムは非常に不満そうで、いっそエドワードを連れて行ってはどうかと言い出した。あんな幼い子を、馬車で長時間移動させるなどできるわけがない。ウィリアムは別の馬車に乳母と乗せて同行させると言い張り、止めるのに苦労した。
「陛下、どうぞ今回はお一人でお願いします」
「そなた、どうして私のいう事は絶対に聞かないのだ?ほんの一週間位、子供を置いて行ったとて何が問題なのだ。乳母も召使いも宮廷医師もいる。健康な子供で何の心配もないと言うのに」
最後は、ウィリアムは呆れたように私をなじった。今回はなぜこんなに拘るのか、私は困惑した。
「次回は御一緒しますわ」
しぶしぶ夫は視察に向かった。多少しこりになるかもしれないが、すぐに彼も忘れるだろうと思った。
(ウィリアムは、結局意地になったのね)
王妃としての務めは、思っていたより雑多なものだった。内政は王が行い、内向きの福祉関係や外交のサポートをするのが、王妃の主な仕事だと思っていた。だがそれは新婚早々に、甘い考えだと気づかされた。
「ソフィア、あなたには苦労をかけますが、しっかりとウィルをサポートしてくださいね」
義母は相変わらず派手な、鳥の羽で作った扇を器用に使いながら、事さらゆっくりと私に言った。
(前王妃の威厳をお示しになりたいのね……)
幼い頃からの婚約なので、この義母の性質もよく分かっていた。とにかく、自分が話題の中心にいないと気に入らない。王家の威信とよく言うが、本当はそんな事には興味がない。自分が今週どれだけ人の話題に登ったかという事の方が、より重要だった。
「まずは、夜会の手配をしてください」
最初の王妃の仕事は夜会の開催だった。正直、実家にいた頃は母と二人で準備したので、それ程夜会の開催が大変なものだとは思わなかった。母も派手な夜会ばかり開くより、落ち着いた交友関係で社交界に影響力を与えるのを好む人だった。だから、本気の夜会がこんなに大変なものだとは思わなかった。
とにかく、義母の交友関係が複雑だった。席次から料理のチョイス、飾りつけ、新しい趣向をどれだけ凝らすか、課題が次から次へと降り注ぐ。
実はその時、新しい慈善事業を立ち上げる準備をする予定だったが、すべて吹き飛んだ。
まず、義母の衣装を聞くところから始めなければならない。義母の衣装がどれだけ映えるか、が大事だった。夜会の壁紙や装飾が義母のドレスと被ったら、お終いである。隅から隅まで気を配り、それでも義母のお許しをもらうには、全く足りていなかった。嫁いで初めての夜会を終えた夜、私は高熱を出した。
後宮も私の悩みの種だった。正規の社交は前王妃である義母と王妃である私の仕事だが、社交界はそれだけではない。側室たちも様々な茶会を催し、慈善パーティーを行い、時には後宮主催の鷹狩りに国王を招く行事なども行った。後宮で陛下をおもてなしするというわけである。
「王妃様、今回の予算は前回のあちら様より少ないと聞いております」
第一側室のビアンカが言った。
伯爵令嬢で、私の結婚より先に後宮に入った女性だ。ウィリアムより、五歳年上で、私よりも四歳年上だ。ウィリアムとの間に娘が一人いる。流れるような豊かなローズ色の髪が美しく、エレンデールの薔薇と謳われた女性だ。ウィリアムはまだ十代だったが、一度夜会で踊ったら、その時から彼女に夢中になってしまった。私は遠くから、恋に落ちる婚約者を眺めていた。
(あの頃は、軽く絶望したものだったわ。私もまだ子供だったから)
「ビアンカさん、孤児院の寄付を募るお茶会であれば、妥当ではなくて?」
「王妃様、よく考えて下さいませ。慈善のお茶会とはいえ、それなりの方々にお越しいただく特別なお茶会ですわ。規模も大きく、令嬢以外にもご夫婦でご招待している方々も大勢いますもの。そんな、簡単なお茶会程度に考えて頂いては困りますわ」
美しい唇でまくしたてる。絶対に引く気はないようだ。
「では、後6千リーデル。これ以上は無理です」
ビアンカは少し考えてから、にっこりと笑って言った。
「ご理解頂けて、嬉しゅうございます」
あちら様というのは、もう一人の側室、第二側室のアリアドネの事だ。子爵令嬢で、まだ十七歳の愛らしい女性だ。子爵家ではあるが、実家は手広く事業をしており富豪の令嬢で、父親も野心家だった。昨年社交界にデビューしたばかりで、ファーストダンスをウィリアムが自ら申し出て、それ以来彼女に夢中になってしまった。またしても、私は遠くから夫が恋に落ちる姿を眺めるはめになった。
私とウィリアムは恋情で結婚したわけではない。弟のように感じる事の方が多いし、閨を共にするようになっても特別な感情は抱かなかった。夫はまだ若い男性だし、女性に興味が強いのは悪い事ではない。節度を守ってもらえれば、後宮に側室の二、三人いたとしても問題はない。
だが、義母と側室二人のそれぞれの言い分に付き合わされ、内部を調整するのは予想外のしんどさがあった。
(私の実家は古い公爵家で質実剛健だった。父も公然の愛人などいなかったし、分からない事だらけだわ。きっとお母様に相談しても、わけがわからないわよね)
父と母も貴族の慣例で政略結婚だったが、仲が良く私にとっては理想的な関係だった。父もひょっとしたら恋人位いるかもしれないが、表立った噂はない。母の体面を守ってくれていたのだろうか?貴族の男性なら、恋人や愛人位いるものらしいが、私のように不始末まで妻が対処するのだろうか。
夫は一目ぼれが多く、ちょっと気に入った女性がいるとすぐに男女の関係になる。リリーの様に簡単に済む相手ばかりではない。ウィリアムは面倒になると私に言ってくる。もうこんな事はしない、反省すると。だが、その約束が守られる事はなかった。
(そうね、悪いと思っていないのだから、繰り返すのは当たり前……)
王妃になるのは、仕事と割り切れる。国で一番高い身分と引き換えに、厄介事も引き受けるのは納得できるからだ。でも、最近はちょっと心が揺らいでいるのは確かだ。
(こんな状況を何と言うのだったかしら。そう、む・な・し・い、”空しい”だったわ)
ビアンカと話すとぐったりと疲れる。自分が一番正しいと思っているので、NOを受け入れない。だから、彼女が受け入れられる範囲の提案を探すのが大変なのだ。時々、なぜ王妃である自分が毎回折れるのかと疑問に思うが、それを解決する策が思い浮かばないので、あしらいながら対応するしかない。
(今日も疲れたわ……)
私はエドワードを寝かしつけてから、例のごとく疲れ切った体をベッドに深く沈ませた。明日も早い。もう何も考えずに眠らなくてはならない。
そんな時だった。ドアが開く気配がした。
(誰?)
一瞬緊張した。王妃の部屋のドアが音もなく開くなど、あり得ないからだ。だが、ドアの前には近衛がいる。
「ソフィア」
部屋着をゆったりと纏った、夫が立っていた。
「陛下!どうされたのですか?こんな時間に。今お戻りに?」
「ああ、帰ってきた」
「驚きましたわ」
「夫が妻の部屋を訪ねるのに、そんなに驚く必要があるか?」
「そうですが……」
(いけない。迷惑そうな顔をしてしまったかもしれない)
「ソフィア」
ベッドから出て、明かりをつけた私の側にウィリアムが近づいて来た。どうしたのかと思ったら、首筋に垂らした私の髪を横に除けて、首筋に口づけをして来た。咄嗟に夫の肩に手をかけて制してしまった。ウィリアムにこうして触れられるのは、三年ぶり位だ。まるで、知らない男性に触れられるかのように違和感がある。
「……どうした?」
「いえ、もう遅い時間ですからお疲れでしょう。お休みになった方が……」
「そうか、そなたも疲れているんだものな。わかった」
ウィリアムはあっさりと引き下がって、部屋に戻った。
(何だったのかしら……?)
「陛下、どうぞ今回はお一人でお願いします」
「そなた、どうして私のいう事は絶対に聞かないのだ?ほんの一週間位、子供を置いて行ったとて何が問題なのだ。乳母も召使いも宮廷医師もいる。健康な子供で何の心配もないと言うのに」
最後は、ウィリアムは呆れたように私をなじった。今回はなぜこんなに拘るのか、私は困惑した。
「次回は御一緒しますわ」
しぶしぶ夫は視察に向かった。多少しこりになるかもしれないが、すぐに彼も忘れるだろうと思った。
(ウィリアムは、結局意地になったのね)
王妃としての務めは、思っていたより雑多なものだった。内政は王が行い、内向きの福祉関係や外交のサポートをするのが、王妃の主な仕事だと思っていた。だがそれは新婚早々に、甘い考えだと気づかされた。
「ソフィア、あなたには苦労をかけますが、しっかりとウィルをサポートしてくださいね」
義母は相変わらず派手な、鳥の羽で作った扇を器用に使いながら、事さらゆっくりと私に言った。
(前王妃の威厳をお示しになりたいのね……)
幼い頃からの婚約なので、この義母の性質もよく分かっていた。とにかく、自分が話題の中心にいないと気に入らない。王家の威信とよく言うが、本当はそんな事には興味がない。自分が今週どれだけ人の話題に登ったかという事の方が、より重要だった。
「まずは、夜会の手配をしてください」
最初の王妃の仕事は夜会の開催だった。正直、実家にいた頃は母と二人で準備したので、それ程夜会の開催が大変なものだとは思わなかった。母も派手な夜会ばかり開くより、落ち着いた交友関係で社交界に影響力を与えるのを好む人だった。だから、本気の夜会がこんなに大変なものだとは思わなかった。
とにかく、義母の交友関係が複雑だった。席次から料理のチョイス、飾りつけ、新しい趣向をどれだけ凝らすか、課題が次から次へと降り注ぐ。
実はその時、新しい慈善事業を立ち上げる準備をする予定だったが、すべて吹き飛んだ。
まず、義母の衣装を聞くところから始めなければならない。義母の衣装がどれだけ映えるか、が大事だった。夜会の壁紙や装飾が義母のドレスと被ったら、お終いである。隅から隅まで気を配り、それでも義母のお許しをもらうには、全く足りていなかった。嫁いで初めての夜会を終えた夜、私は高熱を出した。
後宮も私の悩みの種だった。正規の社交は前王妃である義母と王妃である私の仕事だが、社交界はそれだけではない。側室たちも様々な茶会を催し、慈善パーティーを行い、時には後宮主催の鷹狩りに国王を招く行事なども行った。後宮で陛下をおもてなしするというわけである。
「王妃様、今回の予算は前回のあちら様より少ないと聞いております」
第一側室のビアンカが言った。
伯爵令嬢で、私の結婚より先に後宮に入った女性だ。ウィリアムより、五歳年上で、私よりも四歳年上だ。ウィリアムとの間に娘が一人いる。流れるような豊かなローズ色の髪が美しく、エレンデールの薔薇と謳われた女性だ。ウィリアムはまだ十代だったが、一度夜会で踊ったら、その時から彼女に夢中になってしまった。私は遠くから、恋に落ちる婚約者を眺めていた。
(あの頃は、軽く絶望したものだったわ。私もまだ子供だったから)
「ビアンカさん、孤児院の寄付を募るお茶会であれば、妥当ではなくて?」
「王妃様、よく考えて下さいませ。慈善のお茶会とはいえ、それなりの方々にお越しいただく特別なお茶会ですわ。規模も大きく、令嬢以外にもご夫婦でご招待している方々も大勢いますもの。そんな、簡単なお茶会程度に考えて頂いては困りますわ」
美しい唇でまくしたてる。絶対に引く気はないようだ。
「では、後6千リーデル。これ以上は無理です」
ビアンカは少し考えてから、にっこりと笑って言った。
「ご理解頂けて、嬉しゅうございます」
あちら様というのは、もう一人の側室、第二側室のアリアドネの事だ。子爵令嬢で、まだ十七歳の愛らしい女性だ。子爵家ではあるが、実家は手広く事業をしており富豪の令嬢で、父親も野心家だった。昨年社交界にデビューしたばかりで、ファーストダンスをウィリアムが自ら申し出て、それ以来彼女に夢中になってしまった。またしても、私は遠くから夫が恋に落ちる姿を眺めるはめになった。
私とウィリアムは恋情で結婚したわけではない。弟のように感じる事の方が多いし、閨を共にするようになっても特別な感情は抱かなかった。夫はまだ若い男性だし、女性に興味が強いのは悪い事ではない。節度を守ってもらえれば、後宮に側室の二、三人いたとしても問題はない。
だが、義母と側室二人のそれぞれの言い分に付き合わされ、内部を調整するのは予想外のしんどさがあった。
(私の実家は古い公爵家で質実剛健だった。父も公然の愛人などいなかったし、分からない事だらけだわ。きっとお母様に相談しても、わけがわからないわよね)
父と母も貴族の慣例で政略結婚だったが、仲が良く私にとっては理想的な関係だった。父もひょっとしたら恋人位いるかもしれないが、表立った噂はない。母の体面を守ってくれていたのだろうか?貴族の男性なら、恋人や愛人位いるものらしいが、私のように不始末まで妻が対処するのだろうか。
夫は一目ぼれが多く、ちょっと気に入った女性がいるとすぐに男女の関係になる。リリーの様に簡単に済む相手ばかりではない。ウィリアムは面倒になると私に言ってくる。もうこんな事はしない、反省すると。だが、その約束が守られる事はなかった。
(そうね、悪いと思っていないのだから、繰り返すのは当たり前……)
王妃になるのは、仕事と割り切れる。国で一番高い身分と引き換えに、厄介事も引き受けるのは納得できるからだ。でも、最近はちょっと心が揺らいでいるのは確かだ。
(こんな状況を何と言うのだったかしら。そう、む・な・し・い、”空しい”だったわ)
ビアンカと話すとぐったりと疲れる。自分が一番正しいと思っているので、NOを受け入れない。だから、彼女が受け入れられる範囲の提案を探すのが大変なのだ。時々、なぜ王妃である自分が毎回折れるのかと疑問に思うが、それを解決する策が思い浮かばないので、あしらいながら対応するしかない。
(今日も疲れたわ……)
私はエドワードを寝かしつけてから、例のごとく疲れ切った体をベッドに深く沈ませた。明日も早い。もう何も考えずに眠らなくてはならない。
そんな時だった。ドアが開く気配がした。
(誰?)
一瞬緊張した。王妃の部屋のドアが音もなく開くなど、あり得ないからだ。だが、ドアの前には近衛がいる。
「ソフィア」
部屋着をゆったりと纏った、夫が立っていた。
「陛下!どうされたのですか?こんな時間に。今お戻りに?」
「ああ、帰ってきた」
「驚きましたわ」
「夫が妻の部屋を訪ねるのに、そんなに驚く必要があるか?」
「そうですが……」
(いけない。迷惑そうな顔をしてしまったかもしれない)
「ソフィア」
ベッドから出て、明かりをつけた私の側にウィリアムが近づいて来た。どうしたのかと思ったら、首筋に垂らした私の髪を横に除けて、首筋に口づけをして来た。咄嗟に夫の肩に手をかけて制してしまった。ウィリアムにこうして触れられるのは、三年ぶり位だ。まるで、知らない男性に触れられるかのように違和感がある。
「……どうした?」
「いえ、もう遅い時間ですからお疲れでしょう。お休みになった方が……」
「そうか、そなたも疲れているんだものな。わかった」
ウィリアムはあっさりと引き下がって、部屋に戻った。
(何だったのかしら……?)
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