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北の要塞

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 道の途中でドルフに会った。ドルフは任務中だと隠さずにトリスに言い、トリスはわかったうえでドルフの誘いに乗った。とりあえずは命に別状がないことだけは確かめた。相手がドルフだからが大きい。

◇◇◇

 その結果が、辺境伯領内のお屋敷の、豪華なお庭の一角にある、温室内の椅子に座らされることになった。

 温室内は暖かく、北の地だということを忘れそうだ。緑に覆われ、色取り取りの花が咲いているし、人工的な小川ができていて、水鳥が遊んでいる。小川のせせらぎに鳥の甲高い鳴き声。それに執事が入れてくれたお茶の甘い香りがする。

 トリスの前に優雅に座るのは、ザグの元彼女、今では北の辺境伯だ。名前はジュリア、思い出すとザグが呼んでいた響きも思い出された。

「お久しぶりね、会っていたのは貴方が5歳くらいの頃かしら」

「お久しぶりです、ジュリアねえさま」

 トリスがそう言うと、ジュリアは扇子で口元を覆った。きっと怒ったのだろうなとトリスは思う。ザグとジュリアは同い年だ。女性にとって歳の差を感じさせる発言は嫌なのだろう。

「ザグとはいつ婚姻されるのですか? お祝いは何が良いですか?」

 トリスは自分の存在がジュリアにとって邪魔なのだろうと思っていた。だから邪魔はしませんという意思表示で言ったのに、ジュリアは立ち上がって、まだ入れたての熱いお茶をトリスに掛けた。

「奥さま!」

 執事がジュリアを止めた時、ジュリアは机にあった皿もポットもお菓子も全部、トリスに投げつけた。

 トリスは蹲って腕で避けたけど、お茶は横を向いた頬に掛かったし、ポットにもお茶が残っていたから肩にかぶった。皿は地面に落ちて割れる音を響かせた。

 肩で息をして感情を露わにしたジュリアは、トリスに手を差し伸べた執事を叱り、さらにトリスに近づいて、高いヒールでトリスの手を踏んだ。

 痛みに堪えてジュリアを見上げると、ジュリアは頬を引き上げて笑んでいる。あの可愛らしくて清楚だったジュリアの面影はなく、年齢以上に老けてしまっているのだとわかる。

「どうして貴方なの? 貴方のどこが良いと言うの? 貴方なんて家柄が良いだけの子どもなのに!」

 ヒールがギリギリと手に食い込んで行く。

「ジュリアさま? 何のお話ですか? 私が何か?」

 トリスの頭の中に二人の人物が浮かんでいる。ガイアとザグ。ジュリアがどこまで知っているのかわからないから、トリスはそれ以上の発言はしなかった。

「丘の別荘が火事にあったの。知っている? そこで主人が男の子を匿っていたって、貴方は知っているの?」

 トリスは首を振った。

「いいえ、知りません、私は何も……」

 ジュリアは甲高い声を上げると、椅子をつかみ上げてトリスを打った。まともに当たる前に後ろに下がろうとしたけど、踏まれた手が離れた瞬間のことで、鉄製の椅子の足が脇腹を打った。

 執事は竦み上がって止める素振りもないし、最悪なことに、音を聞きつけた軍人が数名やって来た。トリスの方が罪人扱いで、荒れるジュリアの前で、口を押さえられ、羽交い締めにされた。

「地下の牢に入れておきなさい!」

 ジュリアの発言に驚いたのはトリスだ。養成所でトリスが反省房に閉じ込められた事を、ジュリアは知らない筈だ。知らないのに的確にトリスの嫌な事をする。トリスは口を押さえられ、抱き抱えられて、温室の奥にある小屋の地下へと連れて行かれた。

「俺は悪くない! なんで? どうして? 出して!」

 鉄格子の中へ入れられて、外れそうもない大きな鍵を掛けられた。

「悪いな、奥さまの命令は絶対だ。ほとぼりが冷めた頃に出してやるよ」

 軍人はそう言って小屋を出て行ったが、その後ろに見たことのある姿を見つけ、その嫌な顔つきを見て悟った。

 それはガイアに抱かれていた従者だ。トリスがベッドから起き上がれない時、ガイアの膝に乗せられていた子。きっとトリスがガイアに監禁されていた話を、面白おかしくジュリアに話したのだろう。

 また忘れられる。その恐怖がトリスを襲っている。今度の場所は日の光が少しも入らない。鉄格子を掴んでいないと、どこにいるのかも忘れてしまいそうな暗い地下で、トリスはぶるぶる震えた。

「俺が何をしたって言うんだ? ガイアのことが好きだったからダメなの? でも貴方はザグを手に入れているんでしょう? 十分でしょう? ザグは良い人だよ。こんなことしなくても、邪魔なんてしないよ? ねえ、お願い、出して? 怖い、怖いよう」

 鉄格子を握り締めて、嗚咽を漏らしながら泣き叫んだ。もう嫌だと、どうして自分だけこんなに嫌な目に会うのかと。掛けられたお湯が冷えて寒くなる。椅子が当たった脇腹がズキズキ痛む。手の甲だけが熱くて痛い。

 もう嫌だと叫び続けて喉が枯れた頃、1階のドアが開けられた明かりが少し地下に届いた。泣きすぎて涙と涎でぐちゃぐちゃな顔を誰にも見られたくない。俯いて震えていると、鍵が外された。

「ごめんなトリス」

 声はドルフだ。でも牢に入って来て体を抱き上げたのはザグだった。ドルフの請け負った仕事はトリスを辺境伯の所に連れて来る事で終わり、ドルフが個人的にザグを呼んで来たのだろう。

「おまえは目を離すとすぐに消える」

 ザグはそう言いながら、大事なもののように、トリスに頬を寄せて力を込めた。

 すでに事は終わっているようで、辺境伯側の軍人は痛みを押さえて座り込んでいて、その向こうでジュリアが失意を見せていた。トリスは一瞬ジュリアと視線を合わせたけれど、もう見るのさえ嫌になっていた。祝福はできない。ザグがジュリアの元に行くと言うのなら、泣き叫び、命を盾にしてでも止める。それくらい嫌悪した。
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