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北の要塞

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 要塞生活の中で、唯一、嫌いなことがある。それはザグの休憩日だ。

 トリスが医療施設にいた時、週1の頻度で1年半通っていた。ということは、トリスが要塞に来てからも、週1には休みが取れるということだ。なのにザグはトリスとの時間を取ることはなく、街に出かけて行ってしまう。

 それが仕事の一環であることもトリスは理解しているのだけど、会う相手が問題なのだ。

「どう思う? 相手は元恋人だよ?」

 トリスは医療区の個室で、負傷したドルフ相手に愚痴を言っている。ドルフは暗部部員で本来なら要塞内でも秘密裏に動く部員である。だから手当はトリスがやっているし、暗部だから総帥の事情にも詳しい相手だ。

「あのなぁ、俺は要塞の暗部であって、トリスの暗部じゃねえよ。そこは総帥のプライベートだろ? 自分でどうにかしろ」

「冷たいよドルフ、俺、知ってるんだ。ザグって仕事とか言いながら、街の娼館に泊まるんだよ。それってさぁ、元恋人に手を出せないから、娼婦で我慢してるってこと?」

 ザグの娼館通いをトリスが知っているのは、トリスもまた娼館に行っているからだ。トリスの場合は暇つぶしと情報収集の為で、性欲処理ではないのだが。

「男が娼館行くのは当然の権利だろ? 街に娼館が多いのも要塞専用って言われるくらいだし。総帥がどんな気で行ってるかまでは知らねえけど、行くってことは、その元恋人に手を出してねえ証だ、良いじゃねえかよ」

 ドルフの肩に包帯を巻き終わったトリスは、服を着る手伝いをしている。

「俺も娼館で働こうかな」

 ぽつりとこぼしたトリスの本音に、ドルフは背を逆撫でる程の衝撃を受けた。ドルフはトリスの過去を知っている。トリスがガイアの屋敷から助け出された時、任務に当たっていたひとりだからだ。

「馬鹿なことするなよ? 総帥に知れたら俺らが怖えだろ?」

 ザグが要塞に配属されたのは、トリスが見つかり、街の医療施設に入ってからだ。初めはいち戦闘員として、だが1年も経たずに総帥へと駆け上った。要塞が能力重視の場であることが大きい。

「えーだってずるいよね? ザグもドルフも贔屓がいるでしょ? なんで娼館には男がいないの? 要塞内で性行為禁止とか辛すぎるよ」

 ドルフはザグの発言に額を押さえた。要塞内の8割は男だ。要塞内での性行為は禁止だが、街の宿では許される。男ばかりの要塞内だから相手に困ることはない。だから娼館には女しかいない。

「恋人を探すとか、そういう発想にはならねえのかよ」

「ならないよ、だって知ってるだろ? ザグは女性しか相手にしない」

 ドルフはさらに深く俯いて、後頭部を掻きながら大きくため息を吐いた。

「総帥の溺愛ぶり見ればわかるって、いっそ当たってみろよ? よその知らねえ奴の相手させるくれえなら、性処理くらいしてくれるだろ? そっちの方がマシ! おまえがまた悪さすると総帥の怒りが爆発する! 八つ当たりされるの俺らだぜ?」

 トリスは頬を膨らませて抗議する。

「もうやってる! でも無理!」

「はぁ? っつーか聞きたくねえよ、マジで。好きにしろよ、もう」

 ドルフはそれ以上は聞かねえと頑なに耳を塞ぎ、ベッドの壁を向いて目を閉じた。トリスもさすがに言いすぎたと反省して、医療道具を抱えて部屋を出た。この手の話を部員は敬遠する。要塞内が性行為禁止だから、よけいな荒波が立たないようにする暗黙の了解のようなものだ。だから街の酒場や娼館は繁盛する。娼館に行くまでの商店街には、宝飾品や衣料品、花屋やお菓子屋が立ち並んでいる。もちろん娼館の向こうへ行けば、民家の立ち並ぶ街があって、そこに家族がいる部員もいる。

 トリスにも贔屓の女がいる。娼館ごとに色があるのだが、トリスの贔屓は年上のお姉様がいる娼館の一番人気のリリアという人だ。実はザグの贔屓でもある女で、トリスはザグの情報収集の為に通っていた。それはリリアも知っている。むしろ楽しく引き受けてくれているリリアは商売上手である。

「この前さぁ、朝勃ちを舐めたら、すごい嫌そうな顔されて引かれた」

 ビロードの白いシーツの上でうつ伏せに寝転んで、甘いお菓子を食べながら、隣に儚く座るリリアにそう言えば、リリアは綺麗に整えられた白くて細い手で、トリスの頬を撫でた。

「だってさぁ、せっかく勃ってるんだよ? もったいないよね? 欲しいって思っても、ザグは俺相手じゃできないし」

 あの日、ガイアに奉仕した姿を見られ、興味がないと言われたことがトラウマになっている。ガイアに性行為も含めて好かれたいと思っているトリスにとって、トリス自身に興味がないと言われるよりも堪える言葉だった。

「リリアはいいな、週1でザグに抱かれてさぁ」

 リリアは小さく笑う。指先がトリスの長い金色の髪をすいた。

「髪を伸ばしているのは女性に近づきたいから?」

 リリアの声は大人しくて上品だ。

「うん、そうだよ。一緒に寝てるから、いつか間違ってでも抱いてくれないかなぁって」

 えへへと笑い、リリアの膝に頭を乗せて、流れているリリアの髪に触れた。リリアの髪はトリスよりも薄い金色をしている。細くて絹のような手触りだ。それに比べてトリスの髪は腰があって癖がある。何度も栄養失調になったから、毛穴が歪んだのだと医療区の医師に言われた。癖のある毛を伸ばす手入れは面倒だけど、トリスの願望はそれよりも重い。

「私はトリスさまが羨ましいです。ザグさまの隣に堂々とお立ちになれるでしょう? 娼婦は飽きられたら終わりです。追いかけられる足もありません」

 トリスはリリアの足を見る。娼婦は商品だ。逃げられたら困る。だから枷を付けられたり、腱を切られていたりする。リリアはこの店の稼ぎ頭だ。幼少の頃よりずっと娼婦をしている。

「うん、ごめん」

 トリスは行為の残酷さも知っている。トリスの場合はいっ時だったけど、リリアはずっとだ。良い人がいるとも聞いていて、気開けは5年後だと言う。あと5年、その人が待ってくれるのかも分からないとリリアはずいぶん諦めている。でも大丈夫だとも言えないトリスにできることは、リリアの元に通い、体の関係のない時間をあげること、お金を弾んであげること、甘いお菓子や宝飾品を差し入れることだ。

「そうだトリスさま、お望みのものを手に入れましたわ」

 リリアは話題を変えようとしたのだろう、両手を打ち合わせて笑った。

「うそ、すごい、本当に?」

 それはグラハムに頼んで作ってもらっていた道具だ。ザグのモノと同じ大きさ形に作れる道具。でもこれはザグが大きくした時にしか意味はないから、リリアにしか出来ないことだった。

「リリアすごい! ありがとう」

「使ってみますか?」

 リリアは取り出した凶悪なモノを手に、ふわりと微笑んでいる。トリスはごくりと生唾を飲んだ。
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