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92 失意と安堵

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 紘伊は自分の立場を侮っていた。
 ハーツの言葉が全てだと。考えれば分かる事だ。獣人国は民主主義ではなく王政で、しかも紘伊の現実とは違い、ファンタジー世界の中である。

「ヒロイ様、いかがされましたか?」

 ついさっきまで部屋にナナがいた。紘伊が滞在中のハーツ専用の部屋に。それを知ったうえでもトマスの言葉はそれだけで——紘伊の内情を慮れとまでは言わないが、この状況を流して欲しくはなかった。

「いいえ、なにも」

 紘伊はソファから離れて窓際に立つ。そこからは王城中央の中庭が見える。

「お食事をお下げしてもよろしいですか?」

「ありがとう」

 最近は言葉も獣人国を使っている。細かなニュアンスが間違っていたり、難しい単語が分からなかったりもするが、日常生活に不自由はなくなっている。

 トマスは紘伊の言葉を聞いて食器を片付けだしている。たとえほとんど手付かずだったとしても、完食をしていたとしても、トマスには何も届かない。それはトマスの仕事のうちではないからだ。

 ドアの前で一礼するトマスを見守って、ドアが閉まる音を聞く。今日はハーツも来ない。会議が長引いているのか休憩が取れないのか。そういった事も紘伊から聞かなければ教えてもらえない。

 こういう時、人である事に不安を覚える。未だに獣人の当たり前が分からない。特にあちらとの道が閉ざされ、人が渡らなくなった今、獣人国から人への配慮が消えている。あんなに聞こえていた獣人の日本語も、今では話されなくなっている。それは紘伊が獣人語を覚え、話せるようになっているからなのだけど、時に忘れられているように思えるのだ。

 窓から王城の中庭が見える。先の渡り廊下を行くのは、階級によって衣服が違う兵士や文官の姿と従者など、皆各々の役割を持って動いている。紘伊にはそれが羨ましく思えた。王城内に紘伊の居場所はない。

 ハーツがゆったり休息を取る為に置いてあるカウチに座り、大きくため息をついた所で風が強く吹き、風に顔を覆った手で視界を遮ったが、風と共に聞こえた音で、それがエルによるものだと分かる。城のあちこちから歓声のような、驚きのような声が聞こえて来る中、紘伊がいるバルコニーの上空で翼を折りたたみながら降りて来て、着地をするまでに人化を見せたエルは、紘伊を見つけて駆け寄って来る。

「ヒロイ」

 胸に飛び込んだエルは紘伊に抱きついて甘えた。紘伊はエルを抱きしめて安堵を感じる。

「何かあった?」

 エルを抱きしめたまま首を振る。

「エルは幸せ? このままここで暮らしたい?」

 エルに聞いても仕方がない問いを口にする。それは慕われている事を感じて救われたい気分だからだ。

「ヒロイの側が良い」

「ありがとうエル」

 エルを抱き込んだままカウチに寝転ぶ。ここまま睡眠に逃げてひとまず落ち着こうと思った。
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