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「そこまでして私を?」
「ああ、そこまでしてお前が欲しかった。引いたか? そういう男で」

 私は首を横に振る。目尻にはじんわりと涙がにじみ出る。

「嬉しいです。そこまでして想っていただいて。なんの取り柄もない、十歳年上の女なのに」
「アンリは取り柄のない女性ではないよ。少なくとも僕にとってはね」

 レインハルト殿下は、恥ずかしそうに微笑んでいた。それを誤魔化すように、すぐにキリッと顔を引締める。

「よし、じゃ、サインしろ。そうすれば、なんの問題もない」
「いえ、サインしただけでは婚約したことにはなりませんよね? 然るべきところに提出しなければ」
「問題ない。お前がサインしたら、然るべきところに提出してくる。だから、お前はここで待っていろ」

 専属騎士である私が、レインハルト殿下だけをこの時間に出歩かせるのを許可できるわけがない。

「ダメですよ、お一人では」
「だったら、お前も一緒にだな」

 そう言った殿下は、嬉しそうに微笑んでいる。
 あれ? もしかして、まんまと嵌められてしまったのだろうか?

 そして私は誓約書にサインをしている。 

「よし、行くぞ。あ、服」

 そう、私の騎士服は中途半端に乱れているし、髪も爆発している。

「直してやる」

 こんなぐちゃぐちゃにしたのはレインハルト殿下なのに、彼は腕を伸ばしてきて私の上着の鉤を留めはじめた。
 それから、爆発している髪はゆるく三つ編みにして組紐で結わえた。

「ほら」

 レインハルト殿下が手を差し出してきたので、私は躊躇いつつもその手を取った。すると、嬉しそうに微笑んでいる。
 だから、この顔がずるいのだ。こうやって私の心をわしづかみにしているのに、きっと彼は気づいていない。

 悔しくて唇を噛みしめながら、部屋を出た。

「どこに向かわれているのですか?」
「これを出すんだろ?」
「どこに? この時間では聖堂もしまっているのでは?」
「知らないのか? こういった大事な届は早朝だろうが深夜だろうが、受付けをしてくれるようになったんだ」
「そうなんですか?」

 知らなかった。聖堂もいつから不夜城のようになったのだろう。夜は街の明かりさえ、わずかにしか灯らないというのに。

「いつからですか?」
「なにが?」
「いつから受付けをしてくれるようになったんですか? ほら、大事なことだから他の人にも周知させた方がいいのでは、と思ったのですが」
「周知させなくていい。今日だけだからな」

 ふぼっと咳込みたくなった。

「今日だけ?」
「ああ、今日だけだ」

 まるでこうなることがわかっていたかのような展開に、舌を巻くしかない。だけど、嫌な気持ちはしない。
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