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「あ、あ、あ……」

 柚流は佐伯に向かって手を伸ばす。

「どうぞ、柚流ぼっちゃま」
「あっ、あっ」

 しゃべれないものの、柚流が喜んでいる様子は伝わってきた。そして花梨のスカートの裾を掴んで、一緒に遊ぼうとても言うかのよう。

 花梨はどうしたものかと、佐伯と柚流の顔を交互に見る。

「どうか柚流ぼっちゃまと一緒に遊んでくださいませんか?」
「は、はい」

 柚流のことは気にはなっていたが、花梨がなれなれしくしてもいのかどうかと悩んでいたのだ。それを佐伯によって背中を押されたことで、素直に柚流と向き合える。

「あ、あ」

 柚流は「あ」しか言わない。しかし、その「あ」で何を伝えたいのか、なんとなくわかった。
 言葉が出ないだけで、きっと柚流の中にもたくさんの気持ちがあるのだ。

「ありがとう」

 電車のおもちゃを受け取った花梨は、それのスイッチを入れ、レールの上においた。電車はあっという間に走り去っていく。

 この電車のおもちゃだって立派なものだ。レールが楕円に置かれているだけではなく、のぼりおりのコースがあって、立体駐車場のようにぐるぐるまわるところもあり、電車だけで十個以上はあるだろう。

「あ~」

 電車がくるくるとコースをまわりながらおりてくると、柚流はぱちぱちと拍手をする。そんな彼の姿を見れば、花梨の顔も自然とほころんだ。

 高校卒業後は幼児教育を学び、幼稚園教員免許と保育士資格を取りたかった。しかし、進学できないのであれば、そのような夢もはかなく散り、叶わぬものだと思っていた。

 それなのに、柚流の存在が失いかけた夢の欠片を取り戻してくれたような、そんな気さえする。ぽつっと心が疼く。

「あ~あ」

 スピードが出すぎて、電車はコースから外れてしまった。花梨がそれを追いかけて柚流に手渡すと「あっあっ」とまるで「ありがとう」でも言うかのように声を発する。

「どういたしまして」

 花梨の返事に、柚流はにかっと笑う。

(かわいい……)

 柚流の無邪気な笑顔に心が打ち抜かれた。

「そろそろ、休憩になさいませんか?」

 しばらく遊んでいると、お盆に飲み物とお菓子をのせた佐伯がやってきた。

「柚流さん、休憩しましょう? 喉が渇いたでしょう?」

 花梨の言葉に反応して、柚流は手にしていた電車のおもちゃのスイッチを切る。

「あ~あ~」

 佐伯がテーブルの上に飲み物とお菓子を並べると、柚流はちょこんと花梨の膝の上に座った。

「奥様、柚流ぼっちゃまに何をしたんですか?」
「あっあっ」

 柚流はテーブルの上のマグに手を伸ばしている。花梨はそれを取り、柚流の手にしっかりと握らせる。

「何って……ただ、このソファに座って見ていただけなのですが……あまりにもこの場所が気持ちよくて、眠ってしまいました」
「なるほど。だから柚流ぼっちゃまも、心を許したのですね?」
「え? どういう意味ですか?」
「柚流ぼっちゃまのように警戒心の強い人間は、自分のテリトリーに無理矢理入られるのを嫌います。ですが、奥様はそうなさらず、ただ寄り添って、挙げ句、寝てしまったと。敵を目の前にして眠るような人がいますか? 目の前に妖魔がいたとして、それでも眠れますか?」

 そこまで言った佐伯は、ふふっと笑って部屋を出ていった。

 とにかく、あの居眠りで柚流の警戒心がゆるんだのであれば、うたた寝も悪くはないというものだ。

「あっ、あっ」
「このクッキーが食べたいの?
「あ~あ~」

 クッキーをとって柚流に手渡すと、もしゃもしゃと食べ始める。

「おいしい?」

 尋ねればこくこくと頷く。柚流と触れ合っているところがあたたかくて、じんわりと満ち足りた気持ちになる。

 窓から入り込む日差しも心地よい。

 そこで花梨ははたと気がついた。

 昨日は暗い中ここまで来てしまったから、この家の周辺がよくわからない。よくわからないといえば、この建物の全容も把握していない。

「柚流さん。おやつを食べたら、お外にいきませんか? お散歩、しましょう」

 散歩をするのは柚流の成長にとっても悪くはないはず。そして花梨の好奇心も満たされる。

 だが、勝手に外に出てもいいのだろうか。

 そういえば勇悟は、仕事に行く前に「おとなしくしていろ」と言ったかもしれない。だけど散歩くらいは許してもらいたい。
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