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第五章:それは追加契約になります(9)
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「そうですね。前回お会いしたとき? 陛下のほうからそのように提案されました。私がマリアンヌの母親であって、将来マリアンヌとアルベルト殿下が結婚したら、私はアルベルト殿下の義母にもなると。そうなったときのために、今から名前で呼び合う練習をしたほうがよいのでは、と。ですが、マリアンヌが結婚したら私は閣下と離婚する予定でしたので、そのような理由から申し出をお断りしました」
クライブの唇の端がひくりと動く。
「ただ、私と閣下が離婚しても、私がマリアンヌの母親という関係性は残るからということでして。まぁ、そんな理由です」
「あいつの考えそうな屁理屈であるのはわかった」
やはりクライブは機嫌が悪い。腕を組んでいるところから、他人と距離を取ろうとしている気配を感じる。
「だったら、なぜオレのことを名前で呼ばない?」
「え?」
結婚した当初も、同じようなことを言われたが、この結婚は契約結婚。いや、雇用契約である。
「私たちは、夫婦ですが夫婦でないですよね。それに、最初に私の雇用主になるとおっしゃったのは、閣下ではありませんか」
「そうだな。あのときはイリヤが家庭教師募集の求人を見つけてこちらにやってきたからな。だが、あのときと今では状況が異なっている。何事も臨機応変に対応する必要があるのでは?」
臨機応変と言われても。
「これからイリヤは聖女として生きていくことになる。そのとき、イリヤはオレの妻であると公表する」
「えっ?」
これはいろんな意味で初耳である。クライブが結婚したことはやはり公にされていなかったのだなというのと、それを公表する事実と。マリアンヌの母親であればよいとさえ思っていたから、クライブとの関係は必要最小限のところに知られていればよいとも思っていた。
「聖女であれば、さまざまな者たちから狙われる。いろんな意味でな。だから、伴侶がいたほうが周囲も諦めがつく」
いったい何に対して諦めさせるのかもわからない。
「イリヤ。毒婦とか悪女とか、そういった噂を立てられたことを忘れてはいないな?」
「そうですね。そんなこともありましたね」
マリアンヌのおかげか今の生活が充実しすぎて、すっかりと悪意ある噂の存在を忘れていた。
「そういった噂が立つくらい、イリヤは、その……まぁ、あれ、あれだ……」
急にクライブがあたふたし始めた。ほんのりと顔を赤くしている。
「どうかされました?」
「いや、こういった言葉を口にするのは恥ずかしいのだと思っただけだ」
銀縁眼鏡をかけているクライブは、どこか冷たい印象を受ける。それなにの彼は今、動揺している。
どんな恥ずかしいことを言われるのか。毒婦と言われていたくらいだから、卑猥な言葉だろうか。
「とにかく。イリヤは美人なんだ。見る者を惹きつける。その自覚を持ってほしい」
「はぁ? な、何をおっしゃっているのですか……閣下……」
面と向かって美人と言われたら、イリヤだって恥ずかしくなる。むしろ、卑猥な言葉を投げつけてもらったほうが、言い返せる分、気は楽だ。
「と、とにかく。オレとの結婚は公表する。今回の瘴気の件も落ち着いたら、式を挙げる。そのつもりでいろ」
そのつもりと言われても、これは雇用契約であって契約結婚である。
そう思っているのに、イリヤの心臓は先ほどからトクトクとうるさい。
クライブの唇の端がひくりと動く。
「ただ、私と閣下が離婚しても、私がマリアンヌの母親という関係性は残るからということでして。まぁ、そんな理由です」
「あいつの考えそうな屁理屈であるのはわかった」
やはりクライブは機嫌が悪い。腕を組んでいるところから、他人と距離を取ろうとしている気配を感じる。
「だったら、なぜオレのことを名前で呼ばない?」
「え?」
結婚した当初も、同じようなことを言われたが、この結婚は契約結婚。いや、雇用契約である。
「私たちは、夫婦ですが夫婦でないですよね。それに、最初に私の雇用主になるとおっしゃったのは、閣下ではありませんか」
「そうだな。あのときはイリヤが家庭教師募集の求人を見つけてこちらにやってきたからな。だが、あのときと今では状況が異なっている。何事も臨機応変に対応する必要があるのでは?」
臨機応変と言われても。
「これからイリヤは聖女として生きていくことになる。そのとき、イリヤはオレの妻であると公表する」
「えっ?」
これはいろんな意味で初耳である。クライブが結婚したことはやはり公にされていなかったのだなというのと、それを公表する事実と。マリアンヌの母親であればよいとさえ思っていたから、クライブとの関係は必要最小限のところに知られていればよいとも思っていた。
「聖女であれば、さまざまな者たちから狙われる。いろんな意味でな。だから、伴侶がいたほうが周囲も諦めがつく」
いったい何に対して諦めさせるのかもわからない。
「イリヤ。毒婦とか悪女とか、そういった噂を立てられたことを忘れてはいないな?」
「そうですね。そんなこともありましたね」
マリアンヌのおかげか今の生活が充実しすぎて、すっかりと悪意ある噂の存在を忘れていた。
「そういった噂が立つくらい、イリヤは、その……まぁ、あれ、あれだ……」
急にクライブがあたふたし始めた。ほんのりと顔を赤くしている。
「どうかされました?」
「いや、こういった言葉を口にするのは恥ずかしいのだと思っただけだ」
銀縁眼鏡をかけているクライブは、どこか冷たい印象を受ける。それなにの彼は今、動揺している。
どんな恥ずかしいことを言われるのか。毒婦と言われていたくらいだから、卑猥な言葉だろうか。
「とにかく。イリヤは美人なんだ。見る者を惹きつける。その自覚を持ってほしい」
「はぁ? な、何をおっしゃっているのですか……閣下……」
面と向かって美人と言われたら、イリヤだって恥ずかしくなる。むしろ、卑猥な言葉を投げつけてもらったほうが、言い返せる分、気は楽だ。
「と、とにかく。オレとの結婚は公表する。今回の瘴気の件も落ち着いたら、式を挙げる。そのつもりでいろ」
そのつもりと言われても、これは雇用契約であって契約結婚である。
そう思っているのに、イリヤの心臓は先ほどからトクトクとうるさい。
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