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閑話:側近 → 辺境伯夫人(2)
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そんなクラリスであるが、ネイサンには一つだけ気になることがあった。いや、彼女がここに来てからというもの、気になることだらけなのだが、あえて見て見ぬふりをしていた。
それでも限度というものがあり、どうしても一つだけ、確認しておきたいことがあったのだ。
「奥様、奥様が食事のたびに飲まれている飲み物は、いったいなんなのでしょう?」
クラリスは夕食の時間に、ショットグラスで赤い液体を口にしている。それを用意するのはメイである。
じろりとネイサンを睨んだのはメイであった。彼女がこのように鋭い表情を見せるのは、初めてかもしれない。
これは間違いなく聞いてはいけない話題である。
「失礼しました」
謝罪の言葉を口にして、その場をやり過ごした。
その日の夜、ユージーンの執務室で、主にかわって仕事をしていたネイサンのもとを訪れたのはクラリスだった。後ろにメイを従えているところは、ネイサンと二人きりにならないようにという配慮なのだろう。
「ネイサンは、わたくしのことをどこまで知っているのでしょう?」
「どこまで、というのは?」
クラリスがなぜそのようなことを問うのか、ネイサンにはまったく心当たりがない。
「奥様が薬師である。それは奥様自身がおっしゃったことですよね」
「ええ、そうですね」
クラリスはメイに目配せをし、二人で何かを示し合わせているように見えた。
「旦那様は、わたくしが表向きは薬師としてアルバート殿下にお仕えしていたことを、ご存知でしょうか?」
「さあ、どうでしょう? ユージーン様しか知らないこともあるかとは思いますが。ユージーン様がどこまで奥様のことをアルバート殿下からお聞きになったのか、僕にはわかりません」
ユージーンが何を知って何を知らないのか。それをネイサンは知らない。
「旦那様が不在ですから、やはりネイサンにはきちんとお伝えしなければなりませんね」
そう言って目を伏せるクラリスの顔に、陰りが差したように見えた。
知っていなければならないが、聞いてはいけないような、そんな気持ちにすらなる。
「わたくし、表向きは薬師として王城におりましたが、毒師でもあるのです」
毒師――
聞き慣れない言葉ではあるが、まったく聞いたことがないわけではない。ありとあらゆる毒を熟知している術師。つまり、毒の専門家である。
「わたくし、毒師としてアルバート殿下の毒見役を務めておりました」
ネイサンの胸のつかえが、ストンととれた。
婚約披露パーティーでの愚行の数々の意味が、そこにあるような気がしたからだ。
「わたくしの母が、代々毒師の家系なのです。毒が効きにくい体質を利用して、王族の毒見役を務めておりました。その他にも、解毒剤なども調合しておりましたから、表向きは薬師として扱われているのです」
むしろ、その表向きの肩書きも、クラリスに聞いて知ったのだ。
それよりもクラリス・ベネノは毒女。この噂の影響力が大きいのだろう。それをネイサンが謝罪の言葉と共に口にすると、メイがピクリとこめかみをひくつかせた。今にも食ってかかりそうなメイを制したのはクラリスである。
「もちろん、そのようなお話があることをわたくしも存じ上げております。ですが、殿下の側にいるためのよい隠れ蓑であると思って利用させていただきました。毒見役として側にいるのを知られてしまえば、相手に警戒されてしまいますので」
クラリスの言うとおりだ。
「どうしても王城とは、敵の多いところですから。相手に気づかれぬよう、それとなく動く必要があるのです」
それとなく行動していた結果が、クラリスを毒女に仕立て上げた。
「殿下が目立ってしまえば、より多くの敵を作ってしまいます。その敵意がわたくしに向けられるのは、何も問題はございませんから」
臣下の鏡のような精神である。
「それから、先ほどネイサンに尋ねられた飲み物の件なのですが」
「奥様」
そこでメイが止めに入った。
「大丈夫よ、メイ。ネイサンは信用に値する者だわ」
「ですが……」
「見知らぬ場所だからこそ、味方が必要なのです。あなたはわたくしの味方になってくれますよね、ネイサン?」
ネイサンは自然と頷いていた。それだけの魅力が、クラリスにはあった。
その後、クラリスから一通り話を聞いたネイサンは、この結婚を離婚前提としたユージーンを叱責したくなった。
クラリスこそ、ユージーンにとって、そしてこのウォルター領にとって、理想の女性に間違いないのだ。
それでも限度というものがあり、どうしても一つだけ、確認しておきたいことがあったのだ。
「奥様、奥様が食事のたびに飲まれている飲み物は、いったいなんなのでしょう?」
クラリスは夕食の時間に、ショットグラスで赤い液体を口にしている。それを用意するのはメイである。
じろりとネイサンを睨んだのはメイであった。彼女がこのように鋭い表情を見せるのは、初めてかもしれない。
これは間違いなく聞いてはいけない話題である。
「失礼しました」
謝罪の言葉を口にして、その場をやり過ごした。
その日の夜、ユージーンの執務室で、主にかわって仕事をしていたネイサンのもとを訪れたのはクラリスだった。後ろにメイを従えているところは、ネイサンと二人きりにならないようにという配慮なのだろう。
「ネイサンは、わたくしのことをどこまで知っているのでしょう?」
「どこまで、というのは?」
クラリスがなぜそのようなことを問うのか、ネイサンにはまったく心当たりがない。
「奥様が薬師である。それは奥様自身がおっしゃったことですよね」
「ええ、そうですね」
クラリスはメイに目配せをし、二人で何かを示し合わせているように見えた。
「旦那様は、わたくしが表向きは薬師としてアルバート殿下にお仕えしていたことを、ご存知でしょうか?」
「さあ、どうでしょう? ユージーン様しか知らないこともあるかとは思いますが。ユージーン様がどこまで奥様のことをアルバート殿下からお聞きになったのか、僕にはわかりません」
ユージーンが何を知って何を知らないのか。それをネイサンは知らない。
「旦那様が不在ですから、やはりネイサンにはきちんとお伝えしなければなりませんね」
そう言って目を伏せるクラリスの顔に、陰りが差したように見えた。
知っていなければならないが、聞いてはいけないような、そんな気持ちにすらなる。
「わたくし、表向きは薬師として王城におりましたが、毒師でもあるのです」
毒師――
聞き慣れない言葉ではあるが、まったく聞いたことがないわけではない。ありとあらゆる毒を熟知している術師。つまり、毒の専門家である。
「わたくし、毒師としてアルバート殿下の毒見役を務めておりました」
ネイサンの胸のつかえが、ストンととれた。
婚約披露パーティーでの愚行の数々の意味が、そこにあるような気がしたからだ。
「わたくしの母が、代々毒師の家系なのです。毒が効きにくい体質を利用して、王族の毒見役を務めておりました。その他にも、解毒剤なども調合しておりましたから、表向きは薬師として扱われているのです」
むしろ、その表向きの肩書きも、クラリスに聞いて知ったのだ。
それよりもクラリス・ベネノは毒女。この噂の影響力が大きいのだろう。それをネイサンが謝罪の言葉と共に口にすると、メイがピクリとこめかみをひくつかせた。今にも食ってかかりそうなメイを制したのはクラリスである。
「もちろん、そのようなお話があることをわたくしも存じ上げております。ですが、殿下の側にいるためのよい隠れ蓑であると思って利用させていただきました。毒見役として側にいるのを知られてしまえば、相手に警戒されてしまいますので」
クラリスの言うとおりだ。
「どうしても王城とは、敵の多いところですから。相手に気づかれぬよう、それとなく動く必要があるのです」
それとなく行動していた結果が、クラリスを毒女に仕立て上げた。
「殿下が目立ってしまえば、より多くの敵を作ってしまいます。その敵意がわたくしに向けられるのは、何も問題はございませんから」
臣下の鏡のような精神である。
「それから、先ほどネイサンに尋ねられた飲み物の件なのですが」
「奥様」
そこでメイが止めに入った。
「大丈夫よ、メイ。ネイサンは信用に値する者だわ」
「ですが……」
「見知らぬ場所だからこそ、味方が必要なのです。あなたはわたくしの味方になってくれますよね、ネイサン?」
ネイサンは自然と頷いていた。それだけの魅力が、クラリスにはあった。
その後、クラリスから一通り話を聞いたネイサンは、この結婚を離婚前提としたユージーンを叱責したくなった。
クラリスこそ、ユージーンにとって、そしてこのウォルター領にとって、理想の女性に間違いないのだ。
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