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 音楽が途切れたところで、シーグルードがアルベティーナの腕を引き、そこから去った。途中、給仕から飲み物を二つ受け取った彼は、そのままアルベティーナをバルコニーへと連れ出した。他の誰も、そんな二人に声をかけようとは思わないらしい。そう思えないような特別な空気がそこには流れていた。
「喉が渇いたでしょう?」
 アルベティーナはグラスを受け取りながらも、彼から離れるタイミングがわからなかった。
(二人きりでこのような場所にまで来てしまったけれど、大丈夫なのかしら……)
 振りむけば、バルコニーの入り口付近にエルッキの姿が見えたような気がした。
(エルッキお兄さまがいらっしゃるから、変な噂が立つこともなさそうね)
 先ほどまでの華やかな場所とは違い、暗闇の世界。それでも、大広間から漏れてくる光がこの闇の入り口を照らしているし、そこから流れてくる華やかな音楽が、この場を完全なる孤独にしようとはしていない。
 さらに目が慣れてくれば空に輝く星たちが見え、その柔らかくて小さな光ですら、この場を照らし出そうとしていることに気付く。
「疲れましたか?」
 先ほどから彼の口から紡ぎ出される言葉は、アルベティーナを気遣うものばかり。それがくすぐったくて、そしてどこか嬉しくて、彼女はつい口元を緩めてしまった。
「ああ、やっと笑ってくれましたね」
 このような暗闇であっても、様々なところから届く光によって、アルベティーナの表情はしっかりと彼に見えていたらしい。それでも彼女にとって、彼のような男がなぜここまで自分を構おうとしているのかが不思議で仕方なかった。
「アルベティーナ嬢。あなたには、二人兄がいますよね?」
「はい」
(そのうちの一人はすぐそこにいるし、むしろ殿下の護衛についていると思うのだけれど……。何故、そのようなことを尋ねるのかしら)
 そのような思いもあって、アルベティーナは返事をするとともに小首を傾げてしまった。それを見たシーグルードはくくっと笑う。だからまた、アルベティーナは不思議そうに彼を見上げた。
「ああ、申し訳ない。あまりにもあなたが可愛らしくて。あなたのような妹を持つエルッキが羨ましい」
「ですが。エルッキお兄さまとは今日、久しぶりにお会いしました」
「そうか……。あなたはヘドマン領にいるのでしたね。こちらで過ごす予定は無いのですか? 社交界デビューもしたことですし、これから社交界シーズンも始まります」
「父と一緒に戻ります。あそこは、国境の要ですから。父が長く不在にしていれば、隣国へ付け入る隙を与えてしまいます」
「ですから、あなただけでも」
「私は、父と共にあそこの民たちを守る義務があると思っております」
「義務、ね……」
 そこで、心地よい夜風が吹き抜けていった。その夜風が、アルベティーナの結い上げた後れ毛を弄ぶ。
「あ」
 突然、彼女がそのような声を出したことに、シーグルードも「どうかしましたか?」と尋ねる。
「女の人の声が、聞こえませんでしたか?」
 それは先ほど吹いた風にのって、アルベティーナの耳元にしっかりと届いていた。
 しっ、とアルベティーナが口元の前で人差し指を立てれば、微かに「キャー」という女性特有の甲高い声が聞こえてきた。
 シーグルードも皺ができるくらいに眉間を寄せる。
「このような華やかなパーティに、そぐわないような輩がいるようですね」
 ため息と共に彼は呟いた。
「殿下。私が先に行って、その女性を助けてまいります。どうかこの件を、お父さまたちにお伝えできないでしょうか?」
 シーグルードが答えぬうちに、アルベティーナは手にしていたグラスを彼に押し付けた。そして、白いドレスの裾を持ち上げると、それを夜風になびかせながら駆け出して、次の瞬間、バルコニーから飛び降りた。

 アルベティーナが姿を消した途端、すぐさまエルッキが駆け寄ってきた。
「殿下。妹は?」
「あはははははは……」
 先ほどまで紳士の仮面を被っていたシーグルードは、彼女の姿が見えなくなってすぐに、それを脱ぎ捨てた。
「相変わらず、とんだじゃじゃ馬姫だな。エルッキ、警備隊を動かせ。女性が襲われている。そしてそこに向かったのが、アルベティーナだ。そこから飛び降りて、な」
 それを聞いたエルッキは頭を抱えて項垂れた。だがすぐに側に控えていたもう一人の護衛騎士であるミラン・グランに今の件を告げると、急いで通信機を取り出す。この王城の敷地内に不審な輩がいるとするなら、それらを取り締まるのはセヴェリが所属する警備隊の出番だ。エルッキは警備隊の隊長へと連絡を入れる。
「殿下。ティーナが動いたとなれば、父にも報告をしてきてもよろしいでしょうか」
「ああ。だが、我々もそこに向かおう」
「殿下」
 と声を上げたのはミランだ。彼もセヴェリのように線の細い男である。金色の長い髪を一つにまとめており、遠目から見たら女性に見えなくもない。
「ミラン。黙ってついてきてくれるな? ルドルフ、そこにいるのだろう?」
「はい……」
 どこからともなく音も無く現れた男。ルドルフと呼ばれたその男だが、よく見るとシーグルードによく似ているようにも見える。違うのは髪の色くらいだろうか。シーグルードが、軽やかな金色に対してこのルドルフはチャコールグレイ。
「さて、じゃじゃ馬姫のお手並み拝見と行こうか」
 先ほどまで紳士面をぶら下げていた男は、もう、そこにはいなかった。
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