上 下
1 / 82

プロローグ

しおりを挟む
 それは今から三年前のこと。その頃の彼女は、ほっぺたがぷくぷくとしていて、そこをツンツンと指でつつくと口から「あぶぶぶ」と涎を出してくる赤ん坊だった。兄弟のいない少年にとっては珍しい生き物であり、興味の対象となるまでにはそう時間を要さなかった。
 勉強の合間に彼女に会いに行き、彼女と触れ合う。彼女も成長するにつれ、年の離れた少年が遊び相手であると認識したのか、彼のその姿を見つけると笑顔を向けてくるようになった。
 その二人を嬉しそうに見つめているのは、少年の母親と彼女の母親である。二人が姉妹であることは、少年も後で知った。

 そんな彼女の母親が命を散らしたのは、彼女が二歳の誕生日を迎える直前のこと。元々、身体の丈夫な人ではなかったらしい。少年の母親が涙をこらえながら、そう口にしていた。
 母親を失った彼女であるが、その後も彼女はで生活をしていた。時折、思い出したかのように母親を呼びながら泣き叫ぶことがあったが、それ以外は大人しくて手のかからない子であった。
 共にいる時間が増えるにつれ、少年は彼女と血の繋がりがあるはずなのに、全く似ていない髪の色が気になり始めるようになる。
 ある日、どうしても気になってその件を母親に尋ねてしまった。すると母親は苦しそうに口元を歪ませながら「きっと、あの子は父親に似たのでしょうね」とだけ呟いた。
 少年はこれ以降、彼女の髪の色について話題にすることをしなかった。髪の色が何色であろうと、彼女は彼女であり少年の大事な人間であることに違いはないからだ。
 彼女と過ごした時間は、彼の人生の中においてほんのわずかな時間であったかもしれない。それでも少年にとっては、心安らぐ時間であった。そしてこの些細な時間がいつまでも続くものだと思っていた――。

「誰か……」
 刺された脇腹を押さえながら、少年は力の限り声を張り上げた。幸いにも、すぐに護衛騎士が駆けつけ、少年を刺した犯人はすでに取り押さえられている。
 その犯人が連れ去ろうとした彼女は、怪我一つなく無事であったことに安堵する。
 その途端、彼は意識を失った――。

 少年を刺したのは庭師に扮した男だった。限られた人物しか足を踏み入れることができないこの庭園で、少年は彼女の手を繋いで花を愛でていた。少年たちから少し離れた場所には、万が一に備えて護衛騎士が控えている。
 庭師の男はいつもと違う男だったが、少年が声をかけると、庭園に咲き誇る花について教えてくれた。だから少年もその男が新しい庭師だと思ったのだ。庭師に案内され、彼女と共に庭園を歩く。小さな彼女は、楽しそうにキャキャと声を出して笑っていた。
 と、そのとき、腹部に鋭い痛みが走った。いや、痛いというよりは熱い。身体に力が入らず、腹部を押さえて膝をつく。気付けば手を繋いでいたはずの彼女は、あの庭師の男の腕の中にある。
 彼女の名を呼び、助けを呼んだところまでは覚えている。
 傷の痛みで意識が朦朧もうろうとしている中、優しく頭を撫でてくれたのは少年の母親だった。
「あなたのおかげね。あの子を守ってくれてありがとう。でもね、あなたの命も大事なのよ……」
 傷が深かったせいか、少年はしばらくの間、寝台の上から動くことができなかった。
 夢と現実の世界をいったりきたりしながら、彼女と初めて出会ったときのことを思い出していた。

 少年が痛みから回復をし、やっと動けるようになった頃。
 彼女の姿はもうにはなかった。歯を食いしばりながら母親に詰め寄ると「あの子を守るため」だと言う。
 少年は悔しかった。自分には彼女を守るための力がないということに気付いてしまったからだ。
 そんな彼の気持ちに母親は気付いたのかもしれない。
「生きていれば、必ずまた会えるわ。あなたとあの子を守るためには、これが一番いい方法なのよ」
 どこか寂しそうに呟く母親の横で、少年は唇を噛みしめることしかできなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】愛するつもりはないと言われましても

レイラ
恋愛
「悪いが君を愛するつもりはない」結婚式の直後、馬車の中でそう告げられてしまった妻のミラベル。そんなことを言われましても、わたくしはしゅきぴのために頑張りますわ!年上の旦那様を籠絡すべく策を巡らせるが、夫のグレンには誰にも言えない秘密があって─? ※この作品は、個人企画『女の子だって溺愛企画』参加作品です。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

俺の妖精すぎるおっとり妻から離縁を求められ、戦場でも止まらなかった心臓が止まるかと思った。何を言われても別れたくはないんだが?

イセヤ レキ
恋愛
「離縁致しましょう」 私の幸せな世界は、妻の言い放ったたった一言で、凍りついたのを感じた──。 最愛の妻から離縁を突きつけられ、最終的に無事に回避することが出来た、英雄の独白。 全6話、完結済。 リクエストにお応えした作品です。 単体でも読めると思いますが、 ①【私の愛しい娘が、自分は悪役令嬢だと言っております。私の呪詛を恋敵に使って断罪されるらしいのですが、同じ失敗を犯すつもりはございませんよ?】 母主人公 ※ノベルアンソロジー掲載の為、アルファポリス様からは引き下げております。 ②【私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?】 娘主人公 を先にお読み頂くと世界観に理解が深まるかと思います。

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

完結R18)夢だと思ってヤったのに!

ハリエニシダ・レン
恋愛
気づいたら、めちゃくちゃ好みのイケメンと見知らぬ部屋にいた。 しかも私はベッドの上。 うん、夢だな そう思い積極的に抱かれた。 けれど目が覚めても、そこにはさっきのイケメンがいて…。 今さら焦ってももう遅い! ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎ ※一話がかなり短い回が多いです。 オマケも完結! ※オマケのオマケにクリスマスの話を追加しました (お気に入りが700人超えました嬉しい。 読んでくれてありがとうございます!)

国王陛下は悪役令嬢の子宮で溺れる

一ノ瀬 彩音
恋愛
「俺様」なイケメン国王陛下。彼は自分の婚約者である悪役令嬢・エリザベッタを愛していた。 そんな時、謎の男から『エリザベッタを妊娠させる薬』を受け取る。 それを使って彼女を孕ませる事に成功したのだが──まさかの展開!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】夫の子を身籠ったと相談されても困ります【完結】

迷い人
恋愛
 卒業式の日、公開プロポーズ受けた私ジェシカは、1か月後にはマーティン・ブライトの妻となった。  夫であるマーティンは、結婚と共に騎士として任地へと向かい、新婚後すぐに私は妻としては放置状態。  それでも私は幸福だった。  夫の家族は私にとても優しかったから。  就職先に後ろ盾があると言う事は、幸運でしかない。  なんて、恵まれているのでしょう!!  そう思っていた。  マーティンが浮気をしている。  そんな話を耳にするまでは……。  ※後編からはR18描写が入ります。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

【R18】氷の悪女の契約結婚~愛さない宣言されましたが、すぐに出て行って差し上げますのでご安心下さい

吉川一巳
恋愛
老侯爵の愛人と噂され、『氷の悪女』と呼ばれるヒロインと結婚する羽目に陥ったヒーローが、「爵位と資産の為に結婚はするが、お前みたいな穢らわしい女に手は出さない。恋人がいて、その女を実質の妻として扱うからお前は出ていけ」と宣言して冷たくするが、色々あってヒロインの真実の姿に気付いてごめんなさいするお話。他のサイトにも投稿しております。R18描写ノーカット版です。

処理中です...